【2024年更新版】8月だから見たい 心に焼き付いた、後世に伝えたい「戦争を描いた映画」
2022年8月14日 12:00
お盆に夏休み、楽しいイベントが盛りだくさんの8月ですが、毎年、私たち日本人が忘れてはならないいくつかの日があります。今年は広島と長崎への原爆投下、太平洋戦争終結から78年。日本での戦争体験者は年々少なくなりますが、世界全体の平和は未だ実現できていません。
古今東西の戦争を描いた映画を見ることによって、多くの人々の尊い命を奪った悲劇を2度と繰り返すことのないよう、気持ちを新たにすることができるでしょう。映画.com編集部スタッフの心に焼き付いた、後世に伝えたい「戦争を描いた映画」邦画、アニメ、洋画を紹介します。※2024年5作を追加。
「ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーのの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描いた歴史映画。
第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。
原子爆弾の被爆国である日本人にとっては複雑な気持ちになるテーマですが、クリストファー・ノーラン監督が描いたのは、物理学者ロバート・オッペンハイマーの苦悩と葛藤、そしてその栄光と挫折です。まるで彼の頭の中に入り込み、宇宙の根源にまで迫るような映画的な映像と音楽の表現に圧倒され、これまでにない体験をすることになります。「我々が世界を破壊した」という言葉が深い余韻を残します。(和田隆)
1945年8月14日正午のポツダム宣言受諾決定から、翌日正午の昭和天皇による玉音放送までの激動の24時間を、岡本喜八監督が映画化。大宅壮一名義で出版された半藤一利の同名ノンフィクションを原作に、橋本忍が脚色、岡本喜八がメガホンをとった。阿南陸軍大臣役の三船敏郎をはじめ、笠智衆、志村喬、加山雄三ら、当時の日本映画界を代表する俳優陣が集結した。
広島・長崎への原爆投下を経て日本の敗戦が決定的となった昭和20年8月14日、御前会議によりポツダム宣言の受諾が決定した。政府は天皇による玉音放送を閣議決定し準備を進めていくが、その一方で敗戦を認めようとしない陸軍将校たちがクーデターを画策。皇居を占拠し、玉音放送を阻止するべく動き出す。
運命の1日が、数時間ごとにドラマチックに描かれる一方で、どこかドキュメンタリーのような味わいも。精神論で本土決戦を主張する陸軍の愚かさ、知られざるクーデター未遂など、名優たちによる手に汗握る展開が続き、全く本編の長さを感じさせません。日本、国土を分割されなくて良かったよ……と現代人の誰もが思うでしょう。玉音放送は録音か、生放送かなどの協議、録音したテープは何か袋に入れて運ばなければ…と心配する些細な描写も面白く、日本人だったら一度は見ておきたい傑作です。(今田カミーユ)
岡本喜八監督の映画でも知られる、半藤一利の同名ノンフィクションを、原田眞人監督が、阿南惟幾役の役所広司、昭和天皇役の本木雅弘のほか、松坂桃李、堤真一、山崎努らで2015年に再映画化した作品。
太平洋戦争末期の45年7月、連合国軍にポツダム宣言受諾を要求された日本は降伏か本土決戦かに揺れ、連日連夜の閣議で議論は紛糾。結論の出ないまま広島、長崎に相次いで原子爆弾が投下される。一億玉砕論も渦巻く中、阿南惟幾陸軍大臣や鈴木貫太郎首相、そして昭和天皇は決断に苦悩する。
半藤一利の傑作ノンフィクションを、原田眞人監督のメガホンにより、岡本喜八監督の1967年版以来48年ぶりに再映画化した意欲作。1945年8月15日、日本は如何にして終戦を迎えたのか……。ポツダム宣言受諾という最大の決断が下される瞬間の舞台裏を描いています。岡本喜八版よりも人物像を深く掘り下げており、日本を代表する名優たちが熱演を披露。陸軍大臣の阿南に扮した役所広司の鬼気迫る芝居はもちろんですが、岡本版では後ろ姿しか映らなかった昭和天皇の描き方に大きな変化が。演じた本木雅弘のプレッシャーたるや相当なものだったはずですが、慈悲深き姿に喝采を送りたくなります。(大塚史貴)
SNSを中心に話題を集めた汐見夏衛の同名ベストセラー小説を成田洋一監督が水上恒司主演、福原遥共演で映画化し、戦時中の日本にタイムスリップした現代の女子高生と特攻隊員の青年の切ない恋の行方を描いたラブストーリー。
親にも学校にも不満を抱える高校生の百合は、進路をめぐって母親とケンカになり、家を飛び出して近所の防空壕跡で一夜を過ごす。翌朝、百合が目を覚ますと、そこは1945年6月の日本だった。通りがかりの青年・彰に助けられ、軍の指定食堂に連れて行かれた百合は、そこで女将のツルや勤労学生の千代、彰と同じ隊の石丸、板倉、寺岡、加藤らと出会う。彰の誠実さや優しさにひかれていく百合だったが、彼は特攻隊員で、間もなく命懸けで出撃する運命にあった。
戦後80年近くが経ち、戦争体験者が減っていく中で、10~20代の若い世代に“戦争”について考えるきっかけとして見てほしい1本。現代の女子高生と特攻隊員のラブストーリーを主軸に、戦時下を生きる若者たちの等身大の姿を通して、戦争の悲惨さや不条理さ、平和の尊さを訴えかけます。「生きたい」という気持ちを使命感で押し殺し、残された日々を笑顔で過ごす特攻隊員たちの姿がやるせない。福山雅治さんによる主題歌「想望」の歌詞には、本編で語られなかった特攻隊員のアキラ(水上恒司)の胸中が綴られています。(MOMO)
「スノーマン」「さむがりやのサンタ」で知られるイギリスの作家・イラストレーターのレイモンド・ブリッグズによる絵本を原作に、長崎に住む親戚を原爆で亡くしているという日系アメリカ人のジミー・T・ムラカミ監督が核戦争の恐怖を描いた1986年製作の名作アニメ
イギリスの片田舎で平穏に暮らすジムとヒルダの夫婦は、二度の世界大戦をくぐり抜け、子どもも育て上げ、いまは老境に差し掛かっている。そんなある日、2人は近く新たな世界大戦が起こり、核爆弾が落ちてくるという知らせを聞く。ジムは政府が配ったパンフレットに従ってシェルターを作り備えるが、ほどなくして凄まじい爆風に襲われる。周囲が瓦礫になった中で生き延びた2人は、政府の教えに従ってシェルターでの生活を始める。
戦時の非常事態も政府の指示に従えば助かる、核爆弾投下後の体調や環境の変化も気のせいだ、と終始ポジティブな夫と、心優しいが家庭の平穏な生活にしか興味がない妻。善良な市民であるふたりが、被爆し、すべてのインフラが遮断されたら……を、敢えてのほんわかムードなタッチで描くからこそその恐ろしさがじわじわ伝わってくる。終盤近くのふたりの行動は英国お得意のブラックユーモアなのか、本当にそのような政府からの指示があったのか気になるところ。(今田カミーユ)
AP通信のウクライナ人記者ミスティスラフ・チェルノフが監督、ロシアによるウクライナ侵攻開始からマリウポリ壊滅までの20日間を記録したドキュメンタリー。2024年・第96回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞し、ウクライナ映画史上初のアカデミー賞受賞作となった。
2022年2月、ロシアがウクライナ東部ドネツク州の都市マリウポリへの侵攻を開始した。記者ミスティスラフ・チェルノフは、取材のため仲間と共に現地へと向かう。ロシア軍の容赦ない攻撃により水や食糧の供給は途絶え、通信も遮断され、またたく間にマリウポリは孤立していく。海外メディアのほとんどが現地から撤退するなか、チェルノフたちはロシア軍に包囲された市内に留まり続け、戦火にさらされた人々の惨状を命がけで記録していく。やがて彼らは、滅びゆくマリウポリの姿と凄惨な現実を世界に伝えるため、つらい気持ちを抱きながらも市民たちを後に残し、ウクライナ軍の援護によって市内から決死の脱出を図る。
監督のミスティスラフ・チェルノフが「この映画が作られなければ良かった」と語ったように、「この映画を見たくはなかった」と強く、強く感じてしまう(でも“見なければいけない映画”だ)。ショッキングな映像の数々(鑑賞には覚悟が必要)、そしてそれを“フェイク”と断ずる反応に唖然。しかし何よりもショックを受けたのは、これが「たった20日間」の記録であること。“カメラ”が消えた後のことを考えざるを得なくなった。(岡田寛司)
長田新氏が編さんした「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」を基に、原爆投下直後の広島を再現したドキュメンタリータッチのドラマ。岡田英次、神田隆、月丘夢路、山田五十鈴ら俳優陣のほか、実際の被ばく者を含め約8万8500人の広島市民がエキストラとして参加している。第5回ベルリン国際映画祭では長編劇映画賞を受賞した。
広島A高校3年、北川の担任するクラスで原爆当時のラジオ物語を聞いていた大庭みち子は、突然恐怖に失心した。原爆の白血病によって前から身体の変調を来していたのだ。クラスの三分の一を占める被爆者達にとって、忘れる事の出来ない息づまる様な思い出だった……。
井上・月丘映画財団により現在Vimeo(https://vimeo.com/824674264/e009f0b8fd)で無料公開されている作品です。8月6日の悲劇から生き延びようとする姿が子どもや一般市民の視線で淡々と描かれます。冗談や脅かしではなく、普通の人々が本当にゾンビのような姿になって助けを求めて街をさまよい、やけどを負った方たちが、自分が悪いことでもしたかのようにケロイドを隠して生きていた、と伝えられます。被ばくの後遺症で体調を崩し、じわじわと苦しんでいく人の姿も。核兵器使用は絶対に許されるべきことではありません。ちなみに、日本人は信念で原子爆弾にもソ連にも打ち勝てる…という精神論でその後も戦い続けようとしていた、軍部の狂気も描かれています。
「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッド監督が、太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを日米双方の視点から描く映画史上初の2部作。本作はその第1弾で、アメリカ側の視点による作品。硫黄島の擂鉢山に星条旗を打ち立てた6人の兵士の写真の真実と、戦場から生き残り米本土に帰還した3人のその後の人生を描く。
元米海兵隊の衛生下士官ドクの息子ジェームズは、余命幾ばくもない父親のことを知るために、父の戦友たちを訪ねる。戦争が終わり、晩年までドクを苦しめていたのは、地獄のような戦地の出来事と従軍記者が撮影した、硫黄島の摺鉢山の山頂に星条旗を立てる6人の兵士たちを撮った一枚の写真だった。
物語の鍵となる写真には“やらせ”に近い撮り直しがあり、実際に写真に写った兵士たちの半数は戦地で死亡します。生き残ったドクたちが英雄として称えられ、今で言うところのインフルエンサーやセレブリティのような待遇を受けながら、戦争を続けるための国債の広告キャンペーンに利用されます。英雄と称えられながらも、戦場のリアルと写真の真実を知る生き残った当事者たちは死んだ仲間のことで心を痛め、その後プロパガンダが終了すると使い捨てにされる……。生き残った戦勝国側の兵士も一生残る傷を抱えてしまうという現実が描かれます。
硫黄島の戦いを、イーストウッド監督が日米双方の視点から描く2部作。アメリカ側から硫黄島を描いた「父親たちの星条旗」と対をなす本作は、硫黄島の戦いに参加した一人の若き日本軍兵士の目を通して、約2万2千人の日本軍を率いたアメリカ帰りの名将・栗林忠道中将らの戦いを描く。
日米共に譲れない土地だったため、総力戦となった1945年の硫黄島決戦。米軍約3万3000人、日本軍約2万2000人がつぎ込まれた。米国生活経験もある日本軍司令官の栗林忠道(渡辺謙)中将は、擂鉢山の防衛を固めるように指示する。米軍の圧倒的戦力で擂鉢山も陥落寸前となり、自決を迫られる…。一兵卒で、妊娠中の妻に手紙を書くことが心の安らぎだった西郷(二宮和也)の視点から、戦争の理不尽さと生への執着を描き出す。
クリント・イーストウッドによるほぼ全編日本語の映画ということだけでも必見。渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、中村獅童、加瀬亮ら日本を代表する俳優陣が、それまでの生活をすべて捨てさせられ、それぞれの立場で戦わなければならない軍人を熱演します。同じ日本人でも、軍国主義の時代のイデオロギーと一人の人間としてのふるまいや心持ちは異なること、人間らしい交流も丁寧に表現し、一方で日本軍につきものの“玉砕”シーンも、美しくは扱わず、生きることの意味を考えさせられる一作です。
トム・クルーズが主演、オリバー・ストーン監督がロン・コビック氏の同名小説を基に、アメリカの独立記念日に生まれ、ベトナム戦争に志願した愛国心溢れる青年の葛藤や苦悩、PTSDを描いた反戦作品。
1946年7月4日、アメリカ独立記念日に生まれたロンは、野球に夢中になる一方、戦争ごっこに興じその愛国心を芽生えさせていた。高校時代に出会った海兵隊の特務曹長の言葉に感銘をうけ、64年に海兵隊に入隊。ベトナムの戦場に身を投じるが、銃弾の前に倒れ、下半身不随の重傷を負う。5年後故郷に戻ったロンは、反戦デモを繰り広げている世間の様相に大きなショックを受ける……。
若き日のトム・クルーズの演技力が光る社会派作品です。多くのアメリカ映画で題材となっているベトナム戦争による悲劇をリアルに描いており、現在、加齢をものともせず数々のアクション映画で我々観客を魅了するトムは当時20代。自ら望んで行った戦地での体験から苦悩する軍人の葛藤を繊細に表現し、すでに名優としての力を見せつけます。車いすの姿で戦争の悲惨さを訴える姿は、本作がノンフィクションであるということも重なり、心を打たれます。
結婚して幸せな日々を送っていたジョバンナとアントニオだったが、第2次世界大戦が勃発し、アントニオはソ連の最前線に送られてしまう。終戦後、帰らない夫を探しにソ連を訪れたジョバンナは、命を救ってくれたロシア人女性との間に家庭を築いていたアントニオと再会する。逃げるようにイタリアに戻ったジョバンナだったが、数年後、もう一度やり直したいとアントニオが訪ねてくる。
本作で印象的に映し出されるひまわり畑は、ウクライナの首都キエフから500キロ離れた南部のヘルソンと言われています。ヘンリー・マンシーニ作曲の抒情的なメロディとともに、第2次世界大戦に引き裂かれた夫婦の悲恋を描く物語ですが、美しいひまわり畑の下には「イタリア兵とロシア兵が埋まっている」というセリフが見る者の心をえぐります。そして現在のウクライナとロシアの戦争で、このヘルソンの地への砲撃が伝えられています。一刻も早い平和的解決を願わずにはいられません。
第1次世界大戦下のヨーロッパ。17歳のドイツ兵パウルは、祖国のために戦おうと意気揚々と西部戦線へ赴く。しかし、その高揚感と使命感は凄惨な現実を前に打ち砕かれる。ともに志願した仲間たちと最前線で命をかけて戦ううち、パウルは次第に絶望と恐怖に飲み込まれていく。
今年の第95回アカデミー賞で作品賞ほか9部門にノミネートされ、国際長編映画賞、美術賞、撮影賞、作曲賞の4部門を受賞したNetflix映画ということで、未見の方には是非今夏見てほしい最新の戦争大作の一つです。劣悪な環境の塹壕で、ドイツとフランスというお隣の国同士の若者たちが次々に死んでいくさまを、計算されたカメラワークと、重苦しく恐怖感あふれる音楽をもって、あっけにとられるラストまでジワジワと理不尽な戦争の悲惨さを映し出します。愛国心を燃やして戦地に向かった青年の母親がフランス文化を愛していたという設定も物語のつらさを助長させます。
太平洋戦争末期の沖縄戦に看護要員として動員された女子学生たちからなる「ひめゆり学徒隊」の奮闘と悲劇を今井正監督、水木洋子の脚本で描く。出演は津島恵子、香川京子、岡田英次、藤田進ら。今作以後も、1982年に今井監督の同名作リメイク、吉永小百合主演「あゝひめゆりの塔」(68/舛田利雄監督)、沢口靖子主演「ひめゆりの塔」(95/神山征二郎監督)など多くのリメイク作品が作られている。
敗戦への最後のあがきとして、軍は沖縄師範女子部と沖縄県立第一高女の女学生たちまでも、勤労奉仕と称して最前線へかり立てた。傷ついた戦士たちを看護する従軍命令をうけた生徒たちは、ひめゆり学徒隊として戦地へ赴くことになる。日を追うごとにアメリカ軍との戦いは熾烈を極め、負傷兵の数も次第に増え、毎日の食事も十分にとることはできない。敵軍に包囲された島で、逆上した軍人は、降伏をすすめる敵軍の放送に思わず駆け出す娘を、容赦もなく射ち殺す。そして、ひめゆり学徒隊と教師たちは、次々無惨な死をとげるのだった。
終戦からわずか8年後に作られた、沖縄戦の悲惨さを描いた記念碑的作品です。現代で言えば中高生にあたり、本来なら勉強をしているはずの女子学生が看護要員として、重い荷物を運び、防空壕内で負傷兵の手当てを手伝ったり、死亡した兵隊の死体処理を任されたりと、たとえ成人であっても心身にダメージを負う任務を課されます。学生たちの月経時の体調を心配をする女性教師に「(戦争のストレスで)止まっている」とあっけらかんと答える場面も逆に心が痛みます。戦場で戦い犠牲になったのは男性だけではないこと、国内最大の地上戦の場となった当時の沖縄の悲劇を後世に伝え続ける一作と言えるでしょう。
病気の父を抱える一家の生計を支えるため、隠居老人の妾となったお兼。やがて老人は他界し、遺産を手にしたお兼は故郷の村へ戻るが、事情を知る村人たちは彼女に冷たく当たる。そんな中、お兼は村一番の模範青年である清作と恋に落ち、周囲の反対を押し切って結婚。しかし日露戦争が勃発すると清作のもとにも召集令状が届き、愛する夫を失いたくないお兼はある行動に出る。
貧困のために町の金持ちに囲われ、その後故郷に戻れば “村八分”になるお兼。毎朝鐘を鳴らし、村人の行動を律する真面目な清作に対しても、最初は「私はあんたの号令で生きてるわけではない、模範青年面するんじゃないよ」と言い放つ芯の強い面を持ち、その後清作と恋に落ち、結婚後は純粋で強い愛情を夫に注ぐお兼を好演する若尾文子さんの圧倒的な存在感、お兼という同調圧力に揺るがないひとりの女性と対比して描く、日本の軍国主義時代とムラ社会批判が見どころ。
夫の戦死を阻止するために、狂気ともいえる行動に出たお兼、小さな共同体の中で世間体と名誉だけで生きてきた清作のその後の変化と夫婦愛に胸打たれる一作です。今の時代に本作がリメイクされることがあれば、タイトルは「清作の妻」ではなくきっと「お兼」になるはず。
日露戦争に備えての寒地教育訓練である“雪中行軍”の演習中に遭難し、210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした新田次郎氏による「八甲田山死の彷徨」が原作。大部隊で自然を克服しようとする部隊と小数精鋭部隊で自然にさからわず、折り合いをつけようとする部隊の様子を冬の八甲田山を舞台に描く。脚本は橋本忍、監督は「日本沈没」の森谷司郎、撮影は木村大作がそれぞれ担当。
日露戦争開戦を目前にした明治34年末。第四旅団指令部での会議で、露軍と戦うためには、寒地訓練が必要であると決定し、青森第五連隊の神田と弘前第三十一連隊の徳島、2人の大尉が八甲田山ですれ違う雪中行軍を決行することに。徳島隊は、わずか27名の編成部隊で弘前を出発。行軍計画は、徳島の意見が全面的に採用され隊員はみな雪に慣れている者が選ばれた。神田大尉も小数精鋭部隊の編成を申し出たが、大隊長山田少佐に拒否され210名という大部隊で青森を出発。神田の用意した案内人を山田が断り、随行のはずの山田に隊の実権は移っていた。神田の部隊は、低気圧に襲われ、白い闇の中に方向を失い、狂死する者も出現。一方徳島の部隊は、地元の案内人を先頭に風のリズムに合わせ、八甲田山に向って快調に進むが……。
実際の戦争が始まる前の無謀な訓練で、199人が死亡する……という、やりきれない事故を描きます。上に立つ者の判断ミス、地元の天候を良く知る案内人の忠告を聞き入れず、軍国主義的な精神論だけで突き進み、それに従った結果の大悲劇。自然の威力を甘く見て、戦地でもない場所で命を落とした方々はどんなに無念だったでしょうか。
次々と死人が出る雪山の中で「俺は自分の思い通りに歩く」と自ら考え、単独行動を選んだ青森第五連隊の村山伍長(緒形拳さん)ただ一人が最初の目的地の温泉に到着し、その後身体の一部を失うも生還します。極限状態での組織と人間のあり方を問いかける本作は、軍事国家となった日本が、その後の大戦へと突き進んでいく過ちの過程までも観る者に考えさせる日本映画史に残る傑作です。高倉健さん、北大路欣也さんら名優陣、過酷な撮影を敢行したスタッフの方々に格別の敬意を表することしかできません。
学徒出陣した若者の遺稿手記集として戦後最大のロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」を基に、第2次世界大戦中に青春を送った若者たちの生と死、友情を、「俺たちの荒野」「玄海つれづれ節」で知られる出目昌伸監督のメガホンで描く。1950年にも関川秀雄監督が映画化しており、95年版は2度目の映画化。主演の織田裕二をはじめ鶴田真由、風間トオル、仲村トオル、緒形直人、的場浩司らが出演している。
1995年、真夏のラグビー場で仲間たちとスクラムを組んでいた鶴谷勇介は、相手にタックルした瞬間に意識を失う。気づくと周囲の景色は一変しており、初めて見る3人の若者に囲まれていた。そこは1943年10月21日、神宮外苑「学徒出陣」大壮行会の真っただ中だった……。
手記で確認することの出来る、当時の若者たちの痛切な思いを集約してはいますが、必ずしも原作に忠実に映画化されているわけではありません。“いま”を生きる若者が、戦況が悪化するばかりの日本に否応なしに放り込まれたら、どのような思いを抱き、衝撃を受けるのか……という設定が加わっています。追い詰められた人間の狂気に触れるにつけ、戦争のむごさに心が痛くなる構成になっています。
東映と角川春樹が、戦後60年記念作として世界最強最大と謳われた「戦艦大和」の乗組員たちが見舞われた悲劇を壮大なスケールで描いた超大作。2005年12月に封切られると興行収入50億円を超える大ヒットを記録した。監督・脚本は「新幹線大爆破」の佐藤純彌。反町隆史、中村獅童、渡哲也、鈴木京香、仲代達矢ら豪華キャストが共演している。
2005年4月6日、鹿児島県枕崎の漁港で、老漁師の神尾はある女性に「北緯30度43分、東経128度4分」まで船を出してほしいと懇願される。その場所は、かつて神尾が新兵として乗り込んでいた戦艦大和が、60年前の昭和20年4月7日に沈んだ場所だった……。当時、神尾ら特別年少兵たちは大和を日本の希望の象徴とし、乗組員としての誇りを胸に艦内での厳しい訓練に耐え抜いていた。しかし、初の実戦となったレイテ沖海戦で連合艦隊は惨敗。戦況は悪化の一途をたどるなか、3300人におよぶ男たちは大和と共に“大切なもの”を守るために戦地へと向かう。
今作の肝となって来るのは、主役として出演した反町隆史に与えられた役割が、機敏に動くキレッキレの兵士ではないという点に尽きます。役どころは、調理担当の兵士。これは、司令官目線で描くのではなく、「鑑底から見た大和を描きたい」という製作サイドの思いが結実したと言い切ることが出来るでしょう。戦争に人生を左右された若者たちの生き様はもちろん、彼らが澱みのない純粋な気持ちで一体何を守るために死んでいったのか、現代を生きる若い世代に知って欲しいと感じる作品です。
太平洋戦争末期のサイパン島で、たった47人の兵を率いて4万5000人ものアメリカ軍に立ち向かい、アメリカ兵から“フォックス”と呼ばれて恐れられた陸軍大尉の大場栄。その史実を題材にしたドン・ジョーンズの実録小説「タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」を原作に、絶望的な状況のなか最後まで生き抜いた日本兵たちの真実の物語を、竹野内豊主演、平山秀幸監督で映画化した戦争ドラマ。
日米開戦70年を記念して製作された今作の舞台は、激戦が繰り広げられたサイパン島。マリアナ沖海戦で惨敗を喫した日本軍は、サイパン島を放棄し、作戦中止を命令。しかし、サイパンで戦う日本兵にその事実は届かず、終わりの見えない戦闘を続けていた大場栄大尉をはじめとする47人。16カ月間にわたり立ち向かい、多くの民間人を守ってきた大場たちの誇り高き魂は、やがて米兵の心も動かしていく。
日米両軍の視点で撮影されているため、米軍=絶対的な敵という描かれ方はしていません。今作で皆さんに知っていただきたいのは、当時の日本兵にあって「自決するより生きて戦うことを選べ!」という信念を大場隊が貫き通したということ。そして、終戦後の12月に戦没者を弔うべく、軍歌を歌いながら投降したという史実についてです。この真実を知っている日本人は、驚くほど少ないんです。そして、主演の竹野内さんが最も大切にしたシーンが、クライマックスに用意されています。投降後、米軍のジープに乗りながら敵だった相手に対して何を語ったのかを、ぜひ確認してみてください。
百田尚樹のベストセラー小説を岡田准一主演、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズを手がけてきた山崎貴監督のメガホンで映画化。岡田が主人公の宮部久蔵に扮したほか、孫の健太郎を三浦春馬さん、久蔵の妻・松乃を井上真央が演じた。興行収入87億6000万円の大ヒットとなり、第38回日本アカデミー賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演男優賞ほか8部門を受賞した。
司法試験に落ち続け、人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎と、フリーライターの姉・慶子は、実の祖父だと思っていた賢一郎とは血のつながりがなく、本当の祖父は太平洋戦争で特攻により戦死した宮部久蔵という人物であることを知る。久蔵について調べ始めた2人は、祖父が凄腕のパイロットであり、生きることに強く執着した人物であったことを知る。そんな祖父がなぜ特攻に志願したのか。元戦友たちの証言から祖父の実像が明らかになっていき、やがて戦後60年にわたり封印されてきた驚きの事実にたどり着く。
特筆すべきは、幅広い客層の人々、特に若年層を劇場に向かわせたという点に尽きるのではないでしょうか。生きて帰ることを声高らかに叫べなかった時代、久蔵の心の移ろいは観る者の心を揺さぶります。また、現代パートで祖父の事を調べる孫の健太郎の姿は、いつかの私であり、あなたであると解釈することも出来るでしょう。まだ何者でもない健太郎を自らに置き換えて鑑賞すると、また別の視界が広がってくるのではないでしょうか。
1959年に市川崑によって映画化された大岡昇平氏の同名小説を塚本晋也の監督、脚本、製作、主演で再び映画化。日本軍の敗北が濃厚になった第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台に、ひとりの日本兵の視点で極限状態に追い込まれた人間たちの姿が描かれる。リリー・フランキー、中村達也、森優作らが共演している。
日本軍の田村一等兵は結核を患って部隊から追い出され、野戦病院に行くことを命じられるが、野戦病院でも入院を拒絶される。そこで出会った負傷兵の安田に声をかけられ病院前で一緒に過ごすが、病院が空爆で燃やされ再びひとりになってしまう。田村は暑さと空腹に耐えながらレイテ島をさまよい、次第に狂気の世界に足を踏みいれていく。
戦争の凄まじさと残酷さ、極限状況におかれた人間の怖さの一端が体感でき、一人称の日本版「プライベート・ライアン」として広く見ていただきたい1作です。目を背けてしまうようなショッキングな場面が多々ありますが、「今この痛みを伝えなければという危機感」で本作をつくったという塚本晋也監督は、「現実の方が遥かに残酷ですから、それを伝える為にはこれでも描きたりないとすら思っています」とパンフレットのインタビューで語っていました。2015年の公開以来、毎年夏に映画館で上映され続けています。
広島に投下された原子爆弾を至近距離で被爆した父の凄絶な体験をつづった美甘章子のノンフィクション「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」を映画化。著者自らエグゼクティブプロデューサーを務め、地獄のような状況にあっても生きることを諦めなかった父の思いと、父から娘へ受け継がれた平和へのメッセージを描く。
1945年8月6日、広島。父とともに建物疎開の準備をしていた19歳の美甘進示は、自宅の屋根に上り瓦を剥がしていた。その時、激しい光が進示を襲い、一瞬にして暗闇の中へと突き落とす。世界で初めて投下された原子爆弾は広島中を焼き尽くし、7万人以上もの命を奪った。焼けただれた体を引きずりながら助けを求めてさまよう進示は、激痛から解放されたい一心で死さえ願うが、父の力強い言葉に支えられ、懸命に前へ進むのだった。それから40年後、進示の平和への願いが形となってニューヨークの国連本部に届く。しかしその数年後、ニューヨークを訪れた進示の娘・章子は驚くべき事実を知る。
この映画の主人公でもある美甘(みかも)進示さんは、壮絶な体験をしながらも、「何かを失う時は、何かを得る時」という言葉、“許す”ことの大切さを娘の章子さんに説き続け、そして、かつて敵国だった米国に住むようになった章子さんが、米国人監督やスタッフとこの映画を作り上げたという逸話に心打たれます。本編での原爆投下後の再現場面では目を覆いたくなるような激しいやけどのシーンがあります。
本作プロデューサーでもある章子さんは、父の経験、これこそ“リアル”に表現しなければならないことだと、ハリウッドで活躍するアーティストに依頼し、特殊メイクで焼けただれた肉体を再現。その映像から、私たちは77年前のあの日に何が起こったのかを理解し、実際にこのような経験をされた方たちが何万人もいた、という事実を忘れてはならないと反芻することになるでしょう。
終戦間近の神戸を舞台に戦災孤児の兄妹がたどる悲劇的な運命を描いた名作アニメーション。原作は、野坂昭如氏が自身の戦争体験を題材にした同名短編小説(「アメリカひじき」とともに第58回直木賞を受賞)。スタジオジブリの高畑勲監督が映画化した。
昭和20年、夏。父が出征中のため母と3人で暮らす14歳の清太と4歳の節子の兄妹は、空襲によって家を焼け出され、母も亡くしてしまう。2人は遠縁の親戚の家に身を寄せるが、次第に邪魔者扱いされるようになり、ついに耐えきれなくなった清太は節子を連れて家を飛び出す。防空壕に住み着いた彼らは、2人きりの貧しくも楽しい生活を送り始めるが……。
スタジオジブリ作品は“見え方の変化”がひとつの魅力だと思っています。子どもの頃にわからなかったことが、大人になってからわかる。もちろん、その逆も然りです。子どもだったからこそ……という視点もあります。清太がとった判断や行動、周囲の人々の反応……昔と今ではとらえ方がかなり異なっていました。お子さんがいらっしゃる方は、ぜひ一緒に鑑賞してみてください。もしかしたら、そんな風に“見え方”の違いが生じるかもしれません。そして、それぞれの“見え方”について話し合うことは、非常に有意義なことだと思います。その対話が、お子さんが「戦争」を考える最初の一歩となるはずです。
こうの史代氏の同名漫画を片渕須直監督がアニメーション映画化した「この世界の片隅に」に、約30分の新規シーンを追加した長尺版。主人公のすずを取り巻く人々の「さらにいくつもの人生」がより深く描かれ、物語は新たな表情をみせる。すず役ののん、リン役の岩井七世らキャストが続投。
昭和19年、広島・呉の家に嫁いだすずは、夫とその家族に囲まれて新しい生活をはじめる。戦況の悪化にともなって生活は困窮していくが、すずは工夫を重ねて日々の暮らしを紡いでいた。そんなある日、迷いこんだ遊郭でリンという女性と出会ったすずは、呉で初めて会った同世代の女性であるリンと心を通わせるが、ある事実に気づいてしまう。
ロングランヒットした劇場アニメ「この世界の片隅に」を見た方は多いはずですが、その長尺版である同作を見ている方は意外と少ないように思います。戦時中を生きた市井の人々の生活が丹念に描かれた内容はそのままに、制作上の都合でカットされた遊郭の女性リンのエピソードを復活させたことで、主人公すずの見方をふくめ新しい物語が浮かびあがります。「この世界の片隅に」とは別の映画と言いたくなるぐらいの変化が感じられますので、見返す機会があったら一度「さらにいくつもの」のほうを見ていただきたいです。
原作は、戦場で両手、両足、耳、眼、口を失い、第1次世界大戦が終わってから15年近く生き続けたイギリス将校が実在したという事実をヒントにした小説「ジョニーは銃をとった」(1939年発表)。原作者のダルトン・トランボが自ら脚本・監督して映画化。第24回カンヌ国際映画祭では、審査員特別グランプリ、国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞に輝いている。
第1次大戦にアメリカが参戦。中西部コロラド州の青年ジョー・ボナムは、ヨーロッパの戦場へと出征していった。時は流れ「姓名不詳重傷兵第407号」として、前線の手術室に横たわっているジョー。延髄と性器だけが助かり、心臓は動いていた。軍医長テイラリーは「もう死者と同じように何も感じない、意識もない男を生かしておくのは、彼から我々が学ぶためだ」と説明する。こうして「407号」と呼ばれるようになったジョーは、陸軍病院に運ばれた……。
いわゆる“トラウマ映画”として挙げられることもありますが、ひとりの男の不自由な肉体、記憶、彼を取り巻く人々の反応によって、痛烈な反戦メッセージを投げかけてくる作品です。視覚、聴覚、嗅覚、言葉を奪われたジョー。誰にも届かない“独白”を、私たちだけは耳にすることができます。在りし日の姿との対比も含め、あまりにも痛ましい光景ですが、目を背けてはいけません。「戦場へ行く」とは、どういうことなのか。ひとつの答えが示されています。ちなみに脚本・監督のダルトン・トランボは、名作「ローマの休日」を生み出した人物。伝記映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」も製作されているので、興味がある方は鑑賞してみてください。
ジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」を原作に、フランシス・フォード・コッポラ監督が舞台をベトナム戦争下のジャングルに移して戦争の狂気を描き、第32回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した戦争映画の傑作。マーロン・ブランドをはじめ、マーティン・シーン、ロバート・デュバル、デニス・ホッパー、ローレンス・フィッシュバーン、ハリソン・フォードらが共演。未公開シーンを追加した「特別完全版」(2001)、コッポラ監督自身が望むかたちに再編集した「ファインル・カット」(2019)も発表されている。
ベトナム戦争が激化する1960年代末。アメリカ陸軍のウィラード大尉(マーティン・シーン)は、軍上層部から特殊な任務を与えられる。カンボジア奥地のジャングルで勝手に自らの王国を築いているという、カーツ大佐を暗殺するというもの。ウィラードは部下を連れてヌン川をさかのぼり、カンボジアの奥地へと踏み込んでいくが、その過程で戦争がもたらす狂気と異様な光景を目の当たりにする。
膨大な製作費や過酷な撮影環境、CGなしの壮大なスケールの映像など、数々の伝説を残した作品で、その撮影現場が“戦場”だったとも言われています。中でもワーグナーの「ワルキューレの騎行」を轟かせながら、米軍のヘリ部隊がゲリラの拠点である村に奇襲を掛けるシーンは特に圧巻で、映画史に残る名シーンとなっており、戦争と映画撮影の境界線がわからなくなってきます。そして、戦争がもたらす狂気は、ウィラードたちが川をさかのぼっていくごとに増していき、異様な光景はカーツ大佐の王国で頂点に達するのです。戦場において狂気とは何なのか。その恐ろしさが見終わった後にトラウマのように残る傑作です。
オリバー・ストーン監督が自身の従軍体験を基にベトナム戦争の実態をリアルに描き、第59回アカデミー賞で作品賞・監督賞など4部門に輝いた戦争ドラマの傑作。主人公の青年をチャーリー・シーンが演じ、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォーらが共演、彼らの出世作となった。
1967年。アメリカ人の青年クリス(チャーリー・シーン)は、徴兵される若者たちの多くがマイノリティや貧困層であることに憤りを感じ、大学を中退して自らベトナム行きを志願する。しかし、最前線の小隊“プラトーン”に配属された彼を待ち受けていたのは、想像をはるかに超える悲惨な現実だった。
インテリ青年の甘い志は、常に死と隣り合わせの戦場の最前線で弾け飛びます。爆音やヘリコプターの音、機関銃音などとともにスクリーンから戦場の緊迫感が伝わってきて、まるで私たちもその最前線に一緒にいるかのような錯覚に陥ります。爆弾によって吹き飛んだ手足、被弾して噴き出す血、目の前で兵士たちが倒れていくリアルな戦闘描写に圧倒され、目を背けたくなることでしょう。さらにそんな戦場でも、出自の異なる兵士たちからなる小隊内で対立があり、社会の縮図が描かれるのです。冷酷非情な隊長バーンズ(トム・ベレンジャー)と、無益な殺人を嫌う班長エリアス(ウィレム・デフォー)との間でクリスは成長し、戦争の狂気と愚かさとともに、この世で生きる無常のようなものを悟るのです。
スティーブン・スピルバーグ監督が、第2次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦を題材に、極限状態に置かれた兵士たちの絆と生きざまを、トム・ハンクス主演で描いた戦争ドラマ。凄惨な戦場を徹底したリアリズムで描き、1999年・第71回アカデミー賞で監督賞、撮影賞など5部門を受賞した。
1944年、連合軍はフランスのノルマンディー海岸に上陸するが、多くの兵士たちが命を落とした。激戦を生き延びたミラー大尉は、最前線で行方不明になった落下傘兵ジェームズ・ライアン二等兵の救出を命じられる。ライアン家は4人の息子のうち3人が相次いで戦死しており、軍上層部は末っ子のジェームズだけでも故郷の母親の元へ帰還させようと考えたのだ。ミラー大尉と彼が選んだ7人の兵士たちは、1人を救うために8人の命が危険にさらされることに疑問を抱きながらも戦場へと向かうが……。
映画の冒頭から目を覆いたくなるような戦争の現実をまざまざと突きつけられる本作。戦争では多くの命がただただ無残にも消えていくというのが、リアルな戦闘シーンで表現され、たった一人を本土で待つ家族のために返すために無謀な作戦へと命を投げ出さなければならない兵士たち。彼らにも帰りを待つ家族がいる中で、命の重さや価値に違いはあるのか、戦争はただ何重にも連なる悲劇を生み出しているだけなのではないか、ということを素晴らしいキャストたちの目を通して教えてくれる作品です。
第71回アカデミー賞で主演男優賞、外国語映画賞、作曲賞、第51回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した感動作。イタリアの俳優ロベルト・ベニーニが監督・脚本・主演を務め、強制収容所に送られたユダヤ人の父親が幼い息子を守るため意外な行動に出る姿を描いている。
1937年、トスカーナ地方の小さな町へやって来たユダヤ系イタリア人の陽気な男性グイドは、美しい小学校教師ドーラと運命的な出会いを果たす。いつも陽気で機転のきくグイドにドーラも心を奪われ、やがて2人は結婚。息子ジョズエも生まれ家族は幸せな日々を送るが、彼らが暮らす町にもユダヤ人迫害の魔の手が迫り、3人は強制収容所に連行されてしまう。グイドは幼いジョズエに悲惨な現実を悟られないよう、ひたすら陽気に振る舞いながら嘘をつき続けるが……。
明日にも命が奪われるかもしれない強制収容所で、幼い息子に悲惨な現実を悟られないよう笑顔を振りまき、嘘をつき続ける父親の懸命な姿が胸に迫ります。また、なんの罪もない人々が幸せを、そして命を奪われる理不尽さに、「二度と戦争を起こしてはいけない」という思いを強くします。自分の子どもが大きくなった時に、ぜひ観てほしい1本です。
国を引き裂いた残酷な争いが繰り広げられたスペイン内戦直前の時代を背景に少年と老教師の交流を描き、1999年スペイン版のアカデミー賞「ゴヤ賞」で脚色賞を受賞したヒューマンドラマ。スペイン国民文学賞最優秀賞などに輝いたマヌエル・リバスの原作を元に、スペインの名匠ホセ・ルイス・クエルダが映画化した。
喘息持ちのため皆と一緒に一年生になれなかった8歳の少年モンチョだが、担任のグレゴリオ先生のおかげで学校にも慣れてきた。先生は生徒たちを森へ連れ出し、大自然の世界へ導いていく。先生の話はモンチョをすっかり魅了した。しかしそんな楽しい日々も、スペイン内戦の訪れと共に一変する。広場に集まった群衆の前に、ファシズムに反対する共和派の人々が、両手を縛られて一人ずつ姿を現わす。罵声が飛び交う中、共和派だったグレゴリオ先生も現われた。モンチョは母のローサに、皆と同じように先生に罵声を浴びせるよう命じられるのだが……。
主人公のモンチョが出会う先生のあたたかい人柄、立派な見識に、映画を観た人はきっと魅了されるでしょう。しかし、その素晴らしい先生も、思想が違うからという理由だけで、ファシストによって強制収容所に連行されてしまうのです。劇中、先生が少年に説く「あの世に地獄はない。地獄は人間が作るものだ」という言葉の重みを感じます。また、物語の終盤、突然、大好きな先生と何も分からないまま別れざるを得なくなってしまった少年が、さよならの代わりにとある言葉を叫ぶシーンは、涙を禁じえません。
これまで6度も映像化された英国文学の古典を原作に、「エリザベス」で歴史ドラマの新時代を切り開いたシェカール・カプールが監督したスペクタクル・ロマン。ヒース・レジャー、ケイト・ハドソン、ウェス・ベントリーらが出演。
1884年、大英帝国はスエズ運河を使い更なる覇権を得るためにエジプトへと侵攻を進めていた。将軍の息子で、エリート士官としての未来が約束されたハリーは、美しい婚約者エスネや仲間たちと幸せな生活を送っていた矢先、戦闘が激化しているスーダンへの派遣を言い渡される。愛する者を置いていき、国のために戦地へ赴くことに疑問を持ったハリーは除隊を決める。しかしかつての仲間から臆病者のシンボルである白い羽根を渡され、さらには婚約者のエスネからも白い羽根を送られ、すべてを失う。ハリーは改めて仲間たちのことを考え、戦地へと向かうことを決意する。送られた羽根を返すために。
目の前の幸せを犠牲にしてまで、遠方へ戦争に行く意味とは?と自問自答し、行かないという決断をした主人公。しかし彼を待ち受けていたのは、その目の前の幸せすら奪う現実、という戦争が悲劇しか生み出さないことをまじまじと感じさせてくれます。また、皆が戦争に行くことが当然という時代において、自らの決断で除隊をするハリーは、果たして本当に臆病者なのか、いま改めて考えてほしいテーマが語られています。
アウシュビッツ解放70周年を記念して製作されたハンガリー映画。強制収容所で死体処理に従事するユダヤ人男性が、息子とおぼしき遺体を見つけ、ユダヤ教の教義に基づき葬ろうとする姿や、大量殺戮が行われていた収容所の実態を描いている。第68回カンヌ国際映画祭でグランプリ、第88回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞。
1944年10月、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所。ナチスにより、同胞であるユダヤ人の死体処理を行う特殊部隊ゾンダーコマンドに選抜されたハンガリー系ユダヤ人のサウル。ある日、ガス室で生き残った息子と思しき少年を発見したものの、少年はすぐにナチスによって処刑されてしまう。サウルは少年の遺体をなんとかして手厚く葬ろうとする。
初見の際は座席から立てず、しばらく呆然としていた記憶があります。それほど圧倒された1本。観客の目となるハンディカメラは、主人公サウルの姿に焦点を当てていきます。かなり執拗に。しかもスタンダードサイズで。むしろ“サウルしかとらえていない”と言えるほどです。やがて、彼が見ている光景、ぼやけて映し出される周囲の状況、姿の見えない叫び声の主に対して、恐ろしい想像が働いてしまうはず。まるでホロコーストの惨状を“体感”しているかのようです。この土台があったうえで描かれる「人間としての尊厳」という題材……これが深く、本当に深く、心に突き刺さります。
太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング島で孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年に51歳で日本に帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉の物語を、フランスの新鋭アルチュール・アラリ監督が映画化。2021年・第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。
終戦間近の1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎は、劣勢のフィリピン・ルバング島で援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう命じられる。出発前、教官からは「君たちには、死ぬ権利はない」と言い渡され、玉砕の許されない小野田たちは、何が起きても必ず生き延びなくてはならなかった。ルバング島の過酷なジャングルの中で食糧も不足し、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていく。それでも小野田は、いつか必ず救援がくると信じて仲間を鼓舞し続ける。
終戦を信じず、上官からの“命令を受けていない”という理由で、約30年もジャングルに潜伏し続ける小野田少尉の青年期を遠藤雄弥さん、成年期を津田寛治さんというふたりが熱演します。仲間が次々にいなくなり、たった一人になっても日本兵として戦い、サバイバルする小野田。偶然手に入れたラジオから流れるニュースで終戦を知っていたようにも思えますが、突然訪ねてきた戦後生まれの若者との出会いまで、真実をかたくなに受け入れようとしないその姿は、現代で言えば陰謀論やカルト宗教を盲信する人間と重なるようにも見えます。フランス人監督以下、外国人スタッフが手掛けた作品であるため、当時の日本軍を美化せず、また一方的な悪としても描かず、小野田少尉という一人の人間を通して、戦争が人々にもたらす傷とその愚かさを淡々と表現するその手腕が見事です。
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父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。 11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。 テレビドラマ「ノーマル・ピープル」でブレイクしたポール・メスカルが愛情深くも繊細な父親カラムを演じ、第95回アカデミー主演男優賞にノミネート。ソフィ役はオーディションで選ばれた新人フランキー・コリオ。監督・脚本はこれが長編デビューとなる、スコットランド出身の新星シャーロット・ウェルズ。
ギリシャ・クレタ島のリゾート地を舞台に、10代の少女たちの友情や恋愛やセックスが絡み合う夏休みをいきいきと描いた青春ドラマ。 タラ、スカイ、エムの親友3人組は卒業旅行の締めくくりとして、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアへやって来る。3人の中で自分だけがバージンのタラはこの地で初体験を果たすべく焦りを募らせるが、スカイとエムはお節介な混乱を招いてばかり。バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、酒に酔ってひとりさまようタラ。やがて彼女はホテルの隣室の青年たちと出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くが……。 主人公タラ役に、ドラマ「ヴァンパイア・アカデミー」のミア・マッケンナ=ブルース。「SCRAPPER スクラッパー」などの作品で撮影監督として活躍してきたモリー・マニング・ウォーカーが長編初監督・脚本を手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリをはじめ世界各地の映画祭で高く評価された。
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奔放な美少女に翻弄される男の姿をつづった谷崎潤一郎の長編小説「痴人の愛」を、現代に舞台を置き換えて主人公ふたりの性別を逆転させるなど大胆なアレンジを加えて映画化。 教師のなおみは、捨て猫のように道端に座り込んでいた青年ゆずるを放っておくことができず、広い家に引っ越して一緒に暮らし始める。ゆずるとの間に体の関係はなく、なおみは彼の成長を見守るだけのはずだった。しかし、ゆずるの自由奔放な行動に振り回されるうちに、その蠱惑的な魅力の虜になっていき……。 2022年の映画「鍵」でも谷崎作品のヒロインを務めた桝田幸希が主人公なおみ、「ロストサマー」「ブルーイマジン」の林裕太がゆずるを演じ、「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の碧木愛莉、「きのう生まれたわけじゃない」の守屋文雄が共演。「家政夫のミタゾノ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭が監督・脚本を担当。