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このガンダム作品はおとぎ話「ピーターパン」をモチーフにしている。話は単純明快で敵の海賊のリーダー「鉄仮面」を主人公のシーブックとガンダムF91がやっつけてヒロインのセシリーを救い出す。本作の有名なシーンはシーブックとセシリーがそれぞれガンダムF91とビギナ・ギナに乗り込み一緒に宇宙を「飛ぶ」シーンだがこれはピーターパンとウェンディが空を飛ぶシーンからアイデアを得ていると思った。鉄仮面はフック船長なので体がサイボーグ化しているのだと思う。この物語はヒロインのセシリーの夢だったと見ることもできると思う。冒頭の平和な学園祭までが現実であって海賊が襲来した瞬間、ピーターパンであるシーブック(とガンダムF91)によってセシリーは夢の世界ネバーランドに連れていかれたと物語を解釈できる。セシリーは海賊に捕まりシーブックとガンダムF91は海賊の親玉「鉄仮面」を倒してセシリーを救出する。セシリーはラストシーンの後でピーターパンの物語と同様に現実の世界に戻るのだと思う。ピーターパンは大人になれないという設定があるがこの映画の作者はガンダムF91に乗っている限り大人にはなれないという暗喩をこの作品に込めていると思う。主人公のシーブックはガンダムを降りてセシリーを見つけ物語はめでたしとなるが同時にシーブックは子供から大人に成長したと物語を解釈もできると思った。
点数:4.0。この映画は戦争の場面が怖くてけっこう好きです。特に殺人ドローン兵器「バグ」が無差別に住民を殺戮するシーンや「ジェガン後期型」や「ビルギット機」が撃墜されるシーンは見ごたえがあって好き。
追記1:「クロスボーン」は「海賊」という意味
「ピーターパン」の物語ではピーターパンはフック船長を倒した後に海賊船の船長になります。そして「機動戦士ガンダムF91」でクロスボーン・バンガード軍のリーダー、鉄仮面を倒した主人公シーブック・アノーは続編「機動戦士クロスボーン・ガンダム」では海賊になって再登場します。このことは「機動戦士ガンダムF91」が「ピーターパン」をモチーフとしている証拠です。
追記2:アンナマリーはタイガー・リリー
途中で仲間になるアンナマリーは「ピーターパン」に登場するインディアンの娘タイガー・リリーだと思われる。アンナマリーの顔もインディアンのように褐色の顔になっている。
追記3:「竹取物語」をモチーフとした「ターンエー・ガンダム」
富野由悠季監督の作品「ターンエー・ガンダム」(1999年)ではおとぎ話「竹取物語」をモチーフとしているような設定があります。「ターンエー・ガンダム」は過去に一度地球へ来て月へ帰った姫(ディアナ姫)が再び月から地球へ下りてくる話です。
追記4:監督が「ピーターパン」をモチーフとした理由
ガンダムのSF世界というのは子供にとってネバーランド(「ピーターパン」の主人公が冒険する別世界)のようなものである。富野由悠季監督はガンダムをいつまでも観続けるピーターパンのような大人のファンに大人になって欲しいと願ったのかもしれません。
追記5:宇宙世紀はネバーランド
ネバーランドは怖い海賊や頼もしいピーターパンなどがいる子供にとって刺激的な別世界ですがこれはガンダムのいる宇宙世紀の世界も同じです。ガンダムの世界に入り込んだ子供(テレビ視聴者)は怖い戦争を体験をしたり頼もしいガンダムや仲間たちにも会えます。ガンダムのいる世界は視聴者のための刺激的な別世界です。子供はうるさい親や先生や同級生などのいない自分だけの別世界を空想する。その助けとなるのがガンダムの世界です。
追記6:現実世界はネバーランドに飲み込まれた
近年ではインターネットの発達によって自分だけの別世界であった小説など物語の世界は現実世界と同様に他人と共有できるようになったといえるだろう。つまり現実がピーターパンが現実に存在しているような世界となった。現代社会では現実世界はネバーランドに飲み込まれたと言えると思う。
追記7:炎と煙という自然現象は人にいろいろと教えている
私が本作「機動戦士ガンダムF91」を初めて観たのは数十年前だった。シャア推しの近所の幼馴染の部屋で「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」を観た直後この日の2本目だった。レンタルビデオなので小さなテレビ画面だったがある場面だけが記憶に残っている。それは敵のラスボスのモビルアーマー「ラフレシア」が爆発する場面である。超巨大な花に触手が何本もついているデザインのこの敵キャラは主人公のガンダムF91たちを苦しめたがついにガンダムF91に撃破され爆発炎上したのだった。ちょうど花のおしべとめしべの部分から炎と煙が上に噴き出るようなシーンであった。ところでいろいろな映画でも爆発炎上を遠くから見ているシーンを観ると不思議な気分になるのはなぜだろう。遠くを見る景色と炎と煙(すべてが灰になるイメージ)が視聴者に何か問題が起こった(あるいは終わった)という気分にさせるのだと思う。炎と煙というものは人の気持ちを高めたり落ち着かせたりいろいろな作用があるのだと思われる。私の人生で印象的な炎と煙は「2001年同時多発テロので巨大双子ビル火災の炎と煙」「1995年阪神大震災の町火災の炎と煙」や「2011年東日本大震災の町火災の炎と煙」などであった。これらを見た時は神経が研ぎ澄まされるような気持になった。なにか良くないことが起こっているがもっと情報を知りたい気分にもなった。炎から出た煙はたいていは空に上がって広がっていく。それらの自然現象は人に自然の理(ことわり)を教えているのである。
追記8:(2026年1月25日)
映画の冒頭に登場する戦争博物館のロイ・ユング館長(通称:ロイ将軍)はドン・キホーテのように時代錯誤した滑稽な人物として描かれている。ロイ将軍は町を襲撃してきたクロスボーン・バンガードの軍隊に対して博物館に展示されている古い兵器を引っ張り出してきて応戦しようとする。ロイ将軍は博物館館長ではあるが軍人ではなくただの民間人なので応戦中の地球連邦軍の部隊の兵士には迷惑がられる。主人公のシーブックたちを無理やり仲間にしたロイ将軍は自機の旧式ガンタンクをうまく扱えないまま周囲に迷惑をかけながら敵に反撃もできずにドン・キホーテのように退場する。「ドン・キホーテ」(1605年)はスペインのミゲル・デ・セルバンテスの小説であり現在でも世界中で読まれている有名な古典小説である。小説「ドン・キホーテ」の内容は本を読みすぎて現実と物語の区別ができなくなった田舎の郷士の中年男がドン・キホーテ・デ・ラマンチャと自分で名乗り架空の物語に登場する主人公の騎士は自分のことだと突然勘違いしだし、旅に出かけ周囲に迷惑をかけるという風刺コメディ的な内容である。私はロイ将軍とドン・キホーテは似ていると思う。ロイ将軍は平和になった時代に戦争にあこがれ、旧式の兵器を買いあさって自分の博物館に飾って満足していた人物である。兵器を見ているうちにロイ将軍はドン・キホーテと同じように自分があたかも戦争の英雄になったような気分になったにちがいない。本当にクロスボーン・バンガードの軍隊が町に攻めてきて町が戦争状態になった時にロイ将軍は自分が戦争の英雄だと勘違いし、博物館の展示の兵器を引っ張り出して戦おうとした。一方でドン・キホーテは自分が物語の主人公の英雄の騎士になったと勘違いし痩せた馬と古い武具を引っ張り出してきて風車(とても敵わない大きな建物)と戦おうとした。物語を見すぎて現実の自分を見失うと周囲に迷惑をかけるという教訓がこの二人のエピソードには込められていると思う。たとえば選挙運動で候補者が夢を見すぎて実現不可能な選挙公約をしたりする。ドン・キホーテの物語のすごいところは意味の深い風刺である。ドン・キホーテは周囲の現実的な忠告をまったく聞き入れない、それどころか現象の理屈を勝手に自分で作ってしまう。この風刺物語は自分中心の世界観がいかに周囲に迷惑をかけるかを教えている。私も気を付けたい。
追記9:
クロスボーン・バンガード軍の目的は貴族ロナ家による恐怖政治の統治を復活させることであった。本作の前日譚であるテレビアニメ「機動戦士ガンダム」ではジオン軍という敵の実権は貴族ザビ家が握っていた。本作の貴族ロナ家はおそらく貴族ザビ家の後継団体か何かなのであろう。ではなぜ人類は「敵」を作りたがるのか疑問が湧いてくる。人類は「敵」を作ることにより自分たちの「群れ」を強化しようとしているのかもしれない。人類の祖先は群れで生活しなければ生きていけなかったと思う。群れが強ければ強いほど自分が生き残り子孫も残せる。「敵」を無理やり強引につくりあげ、群れの団結力を高め、攻撃性を高めると群れが強化されるのかもしれないと思う。クロスボーン・バンガード軍やロナ家は自分たちの「群れ」を強化するために戦争をするのだと思う。群れの強化が目的なので戦争は際限なく続けることができる。まず群れの「敵」をつくり、敵を攻撃すると群れが団結し強化される。この敵が滅びたりしていなくなると、また次の敵をつくり、群れを強化しようとする。世界中で戦争がなくならないのは人類が群れるからである。人類をここまでにしたのは群れる能力のおかげであるが人類はその群れる能力ゆえに自滅するのかもれない。本作「機動戦士ガンダムF91」では人類無差別大量虐殺ドローン兵器「バグ」が登場する。群れを強化するという本能に突き動かされロナ家による貴族の恐怖統治を復活させ究極のチカラを求め機械となった本作の主人公たちの敵のクロスボーン・バンガード軍のリーダー鉄仮面はついに人類無差別大量虐殺兵器を完成させてしまった。人類が群れを強化しようすればするほど世の中に差別を生み貧富の格差は広がり戦争や争いが起こりやすくなり大勢の弱者が苦しむのである。本作では貴族や軍隊が悪ではなく人類の群れようとする能力が人類を滅ぼしてしまう脅威を描いていると私は思った。軍隊という群れ、貴族という群れ、国家という群れ、大企業という群れ、宗教という群れ、人類という群れ、これらすべてが群れであり群れを強化することの代償というものを人類は知るべきであると思った。
追記10:
富野由悠季監督が本作の次に発表した作品であるテレビアニメ「機動戦士Vガンダム」(1993年)では残忍な貴族の治めるザンスカール帝国が登場し地球を侵略してくる。本作のラストでは人類という群れを分断させるサイコミュによる超能力技術を結集した人類無力化最終兵器エンジェル・ハイロゥが登場しエンジェル・ハイロゥからの強力なサイコミュ波を宇宙空間から地球表面に照射し人類の群れとしての闘争本能を無力化させようとした。人類無力化サイコミュ波を浴びた人は戦うことを忘れ乳幼児のような性格になってしまう。あるいはヒロインのひとりカテジナ・ルースのように感情を持たない廃人のようになってしまう。この作品では人類の争いを終わらせる人類無力化最終兵器エンジェル・ハイロゥが印象的である。
追記11:
富野由悠季監督の1999年のテレビアニメ作品「∀(ターンエー)ガンダム」(1999年)の物話では人類は究極最終兵器「月光蝶」によって兵器が分解されすべての科学文明技術を一度リセットされており人類の一部は月に移住している。究極最終兵器「月光蝶」は鉄などで作られた世界中の武器を無数のナノマシンにより分解する。
追記12:
富野由悠季監督の2014年のテレビアニメ作品「ガンダム Gのレコンギスタ」(2014年)の物語では人類は月や金星に進出している。月のトワサンガ国、金星のビーナス・グロゥブ国の人々は彼らの祖先が元々住んでいた地球を取り返そう(レコンギスタ)とする。地球にも依然として国家があり地球を取り返そうとする人々は地球に住む人々と衝突する。未来永劫に勝者のいない地球の領地の奪い合いの虚しさをこの作品は表現しているようであった。
追記13:
私は人類間の戦争は永久になくならないと思うが、努力する事をあきらめてはいけないとガンダム作品は語り掛ける。