深作欣二
水戸市出身。日本大学芸術学部を卒業後、1953年に東映に入社。61年、ニュー東映より千葉真一の初主演作「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」で監督デビュー。以降この「風来坊探偵」「ファンキーハットの快男児」(ともに61)、「人斬り与太」(72)などのシリーズものや、高倉健と組んだ「ジャコ万と鉄」(64)、舛田利雄と共に日本パートを担当したハリウッド大作「トラ・トラ・トラ!」(70)、さらにTVドラマ「キイハンター」(68~73)、「必殺仕掛人」(72~73)のエピソードも手がけるなど多岐に渡って活動。ミニチュアや手持ちカメラ、ストップモーションなどを駆使した斬新な表現が評価される。
73年、実録ヤクザ映画「仁義なき戦い」を発表し、大ヒットを記録。同シリーズは続編、リブート、スピンオフ含め11作が製作され、今も邦画史の重要な一角を占めている。
その後「柳生一族の陰謀」(79)、日本アカデミー最優秀監督賞など国内主要映画賞を総なめにした「蒲田行進曲」(83)、角川映画「里見八犬伝」(83)、日本アカデミー最優秀監督賞・最優秀脚本賞を受賞した「火宅の人」(87)、久々の大作アクション「いつかギラギラする日」(92)、日本アカデミー最優秀監督賞・最優秀脚本賞の新解釈時代劇「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(95)などの話題作や、演劇、ゲームなど幅広いジャンルで活躍した。
00年、「子供たちを解放するため」に作った「バトル・ロワイアル」は過激な暴力・残酷描写が問題視され、国会で上映規制運動が議論されたが、逆に注目を集め興収31億円のヒットを記録、クエンティン・タランティーノが絶賛したこともあり、米国を始め海外でも広く公開された。
03年には勲四等旭日小綬章を授与。妻は女優の中原早苗、長男は映画監督・脚本家の深作健太。2003年1月、かねてから患っていた前立腺ガンのため死去。享年72歳だった。