スタンリー・キューブリック
完璧主義者として知られる20世紀を代表する映画監督。13歳の誕生日に父親からカメラをもらい、すぐさま写真に熱中する。撮影した写真がLOOK誌に掲載され、17歳でカメラマン見習いとして仕事のオファーを受け、以後数年間、同誌で働く。
その後、映画界に転向することを決意し、1950年に初の短編ドキュメンタリー「Day of the Fight(原題)」を撮り上げ、数本の短編ドキュメンタリーを制作。53年に初の長編映画「恐怖と欲望」を完成させたが、クオリティに満足できずに自らプリントを買い占め封印してしまった。
実質的な劇場デビュー作となった長編2作目「非情の罠」(55)に続き「現金に体を張れ」(56)で高く評価され、「突撃」(57)が成功を収める。アンソニー・マン監督に代わりメガホンをとった「スパルタカス」(60)が初のカラー長編作品となった。続いて「片目のジャック」の監督をする予定だったが交渉は決裂。ハリウッドに幻滅していたことから英国へ渡り、62年に「ロリータ」を監督。
そして「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(64)、「2001年宇宙の旅」(68)、「時計じかけのオレンジ」(71)の“SF3部作”を発表する。「バリー・リンドン」(75)は興行的には振るわなかったものの批評家からは高い評価を得た。
「エクソシスト」の続編を断って監督したスティーブン・キング原作の「シャイニング」(80)はホラー映画の傑作としてカルト的な人気を博すが、原作を大幅に改変してしまったためキングからは反感を買う。87年には「フルメタル・ジャケット」を監督。当時夫婦だったトム・クルーズ&ニコール・キッドマンを主演に迎えた「アイズ ワイド シャット」が完成した直後の99年3月7日、心臓発作のため死去した。享年70歳。長年温めていた企画「A.I.」はスティーブン・スピルバーグ監督が引き継ぎ完成させた。また、長らく幻の作品となっていた「恐怖と欲望」は、日本では13年5月に劇場初公開された。