ウッディ・アレン
米ニューヨーク・ブルックリン出身。60年代初頭にスタンダップコメディアンとして活躍する。初めて映画の脚本を手がけた「何かいいことないか子猫チャン」(65)で俳優としてもデビューし、「泥棒野郎」(69)が単独での初監督作となる。
当時の恋人ダイアン・キートンをヒロインに迎えた「アニー・ホール」(77)で、アカデミー監督賞と脚本賞を受賞するが授賞式は欠席。その時間にニューヨークのパブで趣味のクラリネットを演奏していたというエピソードが知られている。その後、私生活でもパートナーになったミア・ファローをミューズに「ブロードウェイのダニー・ローズ」(84)、「ハンナとその姉妹」(86)などを撮る。後者でアカデミー脚本賞を再び受賞。
ほとんどの作品でニューヨークを舞台にしていたが、近年は「マッチ・ポイント」(05)、「タロットカード殺人事件」(06)、「ウディ・アレンの夢と犯罪」(07)の“ロンドン3部作”のようにヨーロッパの都市を舞台にした作品が増えてきた。スペイン・バルセロナが舞台の「それでも恋するバルセロナ」(08)で女優ペネロペ・クルスにオスカーをもたらし、仏パリで撮影した「ミッドナイト・イン・パリ」(11)は自身最大のヒット作となり、3度目のアカデミー脚本賞も受賞した。ファローの養女で、34歳年下のスン・イー・プレビンとの結婚も話題になった。