ミッドナイト・イン・パリ
劇場公開日 2012年5月26日
解説
「アニー・ホール」「それでも恋するバルセロナ」のウッディ・アレン監督・脚本によるラブコメディ。ハリウッドで売れっ子の脚本家ギルは、婚約者イネズと彼女の両親とともにパリに遊びに来ていた。パリの魔力に魅了され、小説を書くためにパリへの引越しを決意するギルだったが、イネズは無関心。2人の心は離ればなれになり……。キャストはギルにオーウェン・ウィルソン、イネズにレイチェル・マクアダムスのほか、マリオン・コティヤール、仏大統領夫人としても知られるイタリア出身の歌手カーラ・ブルーニら豪華スターが顔をそろえる。第84回アカデミー賞では、アレン自身3度目となる脚本賞を受賞した。
2011年製作/94分/G/スペイン・アメリカ合作
原題:Midnight in Paris
配給:ロングライド
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2018年12月28日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
行き詰まったハリウッドの脚本家が小説家に転身しようとしている。芸術の都、パリならばインスピレーションが得られるだろうと、引っ越しを提案するが、婚約者からは嫌がられる。そんなある日、夜中に主人公はタイムスリップして、彼が黄金時代と称する1920年代の世界に迷い込む。
過去を美化する傾向は、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思う。「昔はよかった」という言説は、いつの時代も聞かれるもので、この主人公も友人にそんな考えは「黄金主義思考」だとバカにされている。
しかし、その黄金時代に行ってみれば、その時代の人々も19世紀のベル・エポックの時代は素晴らしかったと言っている。おそらくベル・エポックの時代の人間も、さらに昔を良かったと言っているに違いない。
それを知った主人公は、「黄金主義思考」を捨てようやく現実で前向きな選択をすることができるようになる。「昔は良かった」とぼやき始めたら、戒めのために見返したい映画だ。
例えばロートレックとフィッツジェラルドの活躍した時期が数十年違う、なんてことを自然に知っている欧米人並みの教養と常識がないとこの作品の面白さはわかりません。
私も3割くらいしかわからない、というより知らないので3割くらいしか面白さがわからないハズ。
ヘミングウェイやピカゾなどはもちろんジャン・コクトとか大正から昭和初期にかけての欧米の文化サロンについての知識が必須です。
おそらく事実と創作を混ぜているので、「あーあの話ね」みたいな知識が前提でしょう。
それでも「カイロ」「カメレオン」みたような、アレン選手お得意のありそうでなかった奇抜な設定はそれだけでも十分観る価値はありますが。
2021年12月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館
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ガチ普通の一般人の個人的な見方の一つとして読んでいただけたら〜。そして全部個人的な意見で解釈です。
このレビューでは予告編やエンドロールで印象的だった音楽「天国と地獄」についてなんか色々言ってます。
さて、ミッドナイトインパリ自体を鑑賞したのは2020年、恵比寿のガーデンプレイスの映画館でアンコール上映されていたときでした。
芸術好きにはたまらない世界の映画……芸術家たちの出てきたときの興奮は素晴らしいものだったし、個人的にエンドロールの「天国と地獄」が衝撃的だったし……全体的に満足していました。
そして今、なぜ私はこれを書いているのか……。もう2021年も暮れですよ。
ええ、私的にこの映画のポイントは音楽です。そう、印象的だった「天国と地獄」!!予告編やエンドロールで使われてましたね!これが気になったからです!
まず音楽の「天国と地獄」について軽く説明します。「天国と地獄」はオッフェンバックのオペレッタ《地獄のオルフェ(天国と地獄)》の楽曲です。オペレッタ、つまり喜歌劇ですので明るく笑えるストーリーが展開されています。
この《地獄のオルフェ》は、ギリシャ神話の《オルフェオ》を違った角度から捉えたストーリーになっています。
まず《オルフェオ》について説明します。こちらは竪琴の名手オルフェオが、亡き妻エウリディーチェを冥界から引き戻すために冥界まで行き、冥界の王に妻を返すよう懇願して竪琴と歌を聞かせます。
その甲斐あってオルフェオはエウリディーチェを冥界から連れ出す許可を貰いますが、それには条件がありました。「絶対に後ろをふりかえってはならない」というものです。まあ、案の定オルフェオは振り返ってエウリディーチェはまた冥界に戻りました。チャンチャン♪(え、つらー)という訳です。
さて、これをベースにオッフェンバックの《地獄のオルフェ》についてあらすじを書いていきます。
さあ、《地獄のオルフェ》において、主人公オルフェとその妻ウリディス、不仲です。ダブル不倫してます!もうお互い開き直っちゃってます!その後なんやかんやあって妻が死に、世間体を気にした夫が天国へ妻を返すよう頼むが(不本意)、いろいろあってこの夫婦は無事、離れ離れになりました!チャンチャン♪(なんか最後みんなで「天国と地獄」に合わせて踊ってる)(←めちゃくちゃ愉快)という訳です。
詳しいあらすじはウィキかなんかに書いてあると思うので気になる方は是非〜(手抜き)
いやいやそれよりも、勘の良い方はお気づきでしょうが、《地獄のオルフェ》「ダブル不倫」してるんですよ。
ミッドナイトインパリ、思い出してください。妻はガッツリ開き直って他の男の方がマシ宣言。主人公もほかの女にうつつを抜かす。
ね?これこれこれ〜!!つまり私はここから、予告編の「天国と地獄」は、この映画の中での夫婦のあり方を暗示していた。と考察するしました。カ~~~~~!1本取られましたね。もう既に予告編で「わかる人にはわかる」じゃないですか。
そしてエンドロールは「な?この夫婦は不倫でバラバラになったやろ?」とドヤ顔するように(私にはそう感じた)天国と地獄が流れるわけです。
もうね、芸術に対するリスペクトが凄いですよ。絵画や文学だけではない、オペラ(オペレッタ)の要素もこの映画には取り込まれていたんですね。
だってミッドナイトインパリのエンディングだって、主人公目線で見ていたら「幸せになれそうな予感!」と思いますがめちゃくちゃ冷静に見たら「お互い気持ちが冷めて別の人に走って破局した夫婦」ですし。《地獄のオルフェ》とマッチしすぎ。
ま〜〜、この《地獄のオルフェ》がパリで作られた時代は確かにパリは流行の中心、世界の最先端でパリとしては外せない大事な時代ーーと、色々語りたいですが長くなりますし、話も逸れるのでこれくらいにしておきます。
自己満足女の独り言でしたー!どうもー。
2021年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
ウディ・アレンの映画は2、3本しか見ていないが、どれも男女のカップルが知的でお洒落で恐ろしく退屈な会話を延々と繰り広げてすれ違い、主人公がまた退屈極まりない思いを吐露しながら、どうしようもない日常がだらだらと続いていく…というパターンだったと思う。
本作も同工異曲で、パリを訪れたアメリカ人カップルが、延々とつまらない日常会話を繰り広げて行き違い、主人公は今度はパリに集まる過去の文化人たちと交流する夢に耽るというお話。この人は何本撮っても同じものしかできないのだろうか。
夢の中で出会う文化人たちとの会話には、知的クスグリがたっぷり仕込まれているようで、小生にはT・S・エリオットに向かって「ハリウッドではマリファナのスプーンで人生を測ってますよ」と主人公が語りかけるシーン(これはエリオットの「ぼくはコーヒースプーンで人生を測りつくした」という詩行のパロディ)と、映画監督ブニュエルに代表作『皆殺しの天使』のアイデアを吹き込んでやるシーンくらいしかわからなかったが、分かる人にしか分からない要素が多数あるのだろう。
しかし、そんなことが分かっても、特に映画が面白くなるわけでもなかろうし、それで得意になるのは、本作で軽侮されているソルボンヌ大学で講演する衒学野郎と同じではないかw
ハリウッドの中では、『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』等の巨額の制作費を投じて特撮を駆使した映画や、『ジェイソン・ボーン』のようなジェットコースター・ムービー等の対極に位置する、いわば日常系映画ということになるのだろう。
残念ながら小生には、いまだウディ・アレンの良さが分からないし、今後もずっと理解できないかもしれない。
追記)
久しぶりに見直して、この映画がいかに政治的メッセージに満ちているかを再確認した。
主人公は明らかに民主党支持者であり、フィアンセの父親は共和党右派である。本作の2年前、2009年に発足したオバマ政権はろくでもない無能政権で、米国内にはオバマ批判のティーパーティー運動が盛り上がるが、主人公はそれに批判的だ。彼の思想の健全性を疑った父親は探偵を雇って素行調査をさせており、主人公はそんな父親の取巻きと馴染めず違和感を抱き、古き良きパリに逃避している……という構図なのだ。
しかし、その古き良きパリがウディ・アレンを歓迎するかは極めて疑わしい。ヘミングウェイ『日はまた昇る』はまさにこの20年代パリからスペインを描いた傑作で、サブキャラクターの一人・小心翼々たるボクサーが恋人を横取りされたと勘違いして、嫉妬から主人公をノックアウトした挙句、許しを請うというバカげたシーンがあるが、ウディ・アレンがこのボクサーとダブって見えるのは皮肉なことだ。
内面のぐじゃぐじゃをぶちまけ続けているウディ・アレンを見たら、行動の作家が逆に彼をぶん殴ると思うのは小生だけだろうかw
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