「ビッグ・アイズ」といかがわしい男 : 芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド

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コラム:芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第6回

2015年1月26日更新

ああ面白かった、だけでもかまわないが、話の筋やスターの華やかさだけで映画を見た気になってしまうのは寂しい。よほど出来の悪い作り手は別にして、映画作家は、先人が残した豊かな遺産やさまざまなたくらみを、作品のなかにしっかり練り込もうとしている。

それを見逃すのは、本当にもったいない。よくできた娯楽映画は、知恵と工夫がぎっしり詰まった鉱脈だ。その鉱脈は、地表に露出している部分だけでなく、深い場所に眠る地底の王国ともつながっている。さあ、その王国を探しにいこうではないか。映画はもっともっと楽しめるはずだ。

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第5回:「ビッグ・アイズ」といかがわしい男

ティム・バートンが久々に面白い実写映画を撮った。ストップモーション・アニメーションの作品ならば、「ティム・バートンのコープスブライド」(05)や「フランケンウィニー」(12)などを挙げることができるが、実写で楽しめたのは「ビッグ・フィッシュ」(03)以来だろうか。その前となると、「スリーピー・ホロウ」(99)あたりしか思い当たらない。

そのことは、まあいいだろう。あれほど才質に恵まれていても、つねに傑作を生み出せるとは限らない。ということもあって、私は「ビッグ・アイズ」(14)にも、さほど大きな期待を寄せてはいなかった。ただ……。

ひっかかっていたのは脚本家の名前だ。いや、気になったと言い換えたほうが適切だろうか。スコット・アレクサンダーラリー・カラゼウスキー。このふたりが、あのキーン夫妻の話を書く? 私の眉はぴくりと動いた。もしかすると、これは……。

ウッドとフリントとカフマン

ふたりの脚本家の名を聞いて真っ先に思い出したのは、やはりバートンが監督した佳作「エド・ウッド」(94)だった。

アレクサンダーは63年、ロサンジェルスに生まれた。カラゼウスキーは61年、インディアナ州で生まれた。ふたりは南カリフォルニア大学の同窓生でルームメイトだった。もちろん若いころから映画マニアで、カラゼウスキーは映画評論を書いていたこともある。

「ビッグ・アイズ」 「ビッグ・アイズ」

そんな彼らが、「史上サイテーの映画監督」と呼ばれたエド・ウッド(1924~1978)の生涯に興味を抱いたのは不思議でもなんでもない。ウッドが撮った「グレンとグレンダ」(53)や「プラン9 フロム・アウタースペース」(59)といった珍品の発掘は、メドベド兄弟やダニー・ピアリーによるカルト映画の再評価と相まって80年代冒頭から急速に盛り上がっていた。アレクサンダー&カラゼウスキーのコンビも、「プロブレム・チャイルド/うわさの問題児」(90)や「プロブレム・チャイルド2」(91)を発表し、すでに一部で名を知られていた。

ただし彼らは、《ややなまぬるいアメリカン・コメディの脚本家》と評されているのが不満だった。ふたりは、エド・ウッドの生涯を映画化しようというアイディアを、少し年上のティム・バートンのもとに持ち込んだ。製作をバートンとデニーズ・ディ・ノビに、監督をマイケル・レーマンに委ねようというのが彼らの企画だ。バートンとノビは「シザーハンズ」(90)や「バットマン・リターンズ」(92)で、すでに相性のよさを証明している。リーマンとノビも「ヘザース ベロニカの熱い日」(89)で組み、好結果を出した過去がある。

ところがリーマンは、「ハードロック・ハイジャック」(94)の撮影が延びたために、こちらの監督を引き受けられなくなった。代わりに立ったのがバートン本人だったことはいうまでもない。

話が逸脱してしまった。「エド・ウッド」が面白かったのは、なんといっても題材の選択だった。ウッドは「失敗王」だ。なにをやってもしくじり、学生映画をはるかに下回るレベルの作品を発表しても、自分はオーソン・ウェルズに劣らないと信じてへこたれることがない。もちろん、彼の映画はまったく売れなかった。晩年は月30ドルというぼろアパートの家賃さえ払えず、54歳の若さで窮死している。描きようによっては、悲惨物語の典型にすることも不可能ではない。

だが、アレクサンダー&カラゼウスキーの脚本は、ウッドの「イノセンス時代」に焦点を絞った。もちろんそこには、バートンの意向が働いていたかもしれない。才能はまったくなくとも、夢見る力があって、仲間とハートを通い合わせられる男。バートンはそんなウッド像を撮った。成功したアウトサイダーが、失敗した同族に対して鎮魂歌を贈った、と見ることもできるだろうが、「エド・ウッド」は妙に後味のよい映画だった。

「エド・ウッド」 「エド・ウッド」 写真提供:アマナイメージズ

アレクサンダー&カラゼウスキーのコンビは、この映画以降、「いかがわしい人々」への視線と嗜好を表に出すようになった。2年後、彼らの脚本で「ラリー・フリント」(96)が公開された。さらに3年後には「マン・オン・ザ・ムーン」(99)。

どちらもミロス・フォアマンの監督作品だ。というより、どちらも極め付きの「怪人」を主人公に選んでいる。前者がポルノ雑誌〈ハスラー〉を創刊し、何度となく物議を醸したラリー・フリント(1942~)。後者が「脱構築コメディ」の最前線を走った芸人アンディ・カフマン(1949~1984)。アメリカ芸能史の暗がりに興味のある人なら、思わずよだれを垂らしてしまうにちがいない題材だ。

フリントの風雲児時代は1960年代から70年代にかけてだった。68年から〈ハスラー・クラブ〉という酒場の経営をはじめ、74年に〈ハスラー〉を創刊。75年にはジャッキーO(ジャクリーン・オナシス)のフルヌード写真を掲載して100万部を売り上げ、一躍大金持になった。ただそのあとは、有罪判決(77年)や狂信的な男による銃撃事件(78年)など、負の部分が続出する。36歳で車椅子での生活を余儀なくされたフリントは、それでも司法の判断や社会の良識と戦いつづける。

といっても、フリントは最初から反体制の闘士や表現の自由を守ろうとする旗手だったわけではない。むしろ彼は「さしたる考えもなく」ポルノ雑誌を創刊し、結果として検閲や福音主義などと軋轢を繰り返した精力的な男だ。もっとも、フォアマンの演出に意外性が弱いため、映画はいまひとつコクが足りない。「俺はカスだ。このカスを守るのなら、合衆国憲法はすべてのアメリカ国民を守ってくれるわけだ」という演説に血を通わせるためには、フリントの恋人に扮したコートニー・ラブのようにカラフルな肉体がもっと必要だったと思う。

カラフルな肉体といえば、その資格を満たしていたのは「マン・オン・ザ・ムーン」のジム・キャリーではないか。キャリーが演じたのは、「コメディアンと呼ばれることを嫌ったコメディアン」アンディ・カフマンだ。カフマンは自身を「ソング&ダンス・マン」と名乗った。70年代にラトカ・グレイブスやトニー・クリフトンという「分身」もしくは「別自我」をつぎつぎと発明し、虚構を生きる楽しさとつらさを存分に体現した男。ただこの作品も、フォアマンの生硬さがわざわいして、完全に離陸できたとはいいがたい。いいかえれば、キャリーが振り切れたようには映画自体が振り切れていないのだ。惜しい、と私は思った。

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[筆者紹介]

芝山幹郎

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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