プラン9・フロム・アウタースペース
劇場公開日:2020年1月11日
解説
「史上最低の映画監督」として多くの映画ファンから愛されるエド・ウッドの代表作で、ティム・バートン監督による「エド・ウッド」でもその制作過程が描かれたカルトムービー。アメリカ各地で空飛ぶ円盤が目撃される。それは、軍拡競争で自滅の道をたどる人類に警告するため、外宇宙からやって来た宇宙人たちだった。宇宙人は合衆国政府に接触を図るが、軍上層部は彼らのメッセージを理解できずに拒絶、攻撃してしまう。宇宙人は墓場から死者をよみがえらせて人間たちを驚かせ、地球を征服する「第9計画」を発動する。日本では1995年に劇場初公開。2020年1月には、新宿シネマカリテで開催の特集上映企画「サイテー映画の大逆襲2020!」で、デジタル・カラライズドによる「総天然色版」が上映。
1959年製作/79分/G/アメリカ
原題:Plan 9 from Outer Space
配給:エデン
日本初公開:1995年8月19日
スタッフ・キャスト
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2022年7月20日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
内容は、ある日UFO🛸が地球に飛来。宇宙人が人類に太陽系の存続の為に警鐘を鳴らす物語。好きな言葉は『人類は争いを決して止めることは出来ないだろう』宇宙人の👽言葉。投石から始まる人類争いの歴史から、核兵器や水素爆弾を発明した人類の底の無さに恐怖を感じた監督が伝えたかったんだろう。好きなシーンは、冒頭でカンニングペーパーを読み上げるシーンに度肝を抜かれました。時折長台詞はそのまま読んでるのがよく分かりました。その他殴られると一瞬!緑色の顔になる宇宙人に誰一人突っ込まない姿勢や同じ場面で、昼だったのにセットでいきなり夜になったり何を見せられてるのだろうか?って感じが憎めません。面白い所が沢山ありますが真剣にしている姿が笑いを誘う故に思う所もありました。漫画で例えると『北斗の拳』の様な感じで、真面目にしているけど何か可笑しいぞこの世界観って感じの正にギャグ漫画殺しの様な作品。脚本と映像の繋ぎ方も独特で味のある作品です。
2022年7月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
熱量が低く演技の下手な役者チープな演出に雑な特撮とセットと定予算丸出しの映像。
つっこむ気力さえ失う程のフックの無い展開なのに、シリアスな空気の中陳腐なコメディが大真面目に延々繰り広げられる。ホラーなのに驚く要素は皆無でのっぺりと話が進む。
伏線かと思う物の全てに意味は無くストーリーも軸ブレ酷いのに製作側であるエドウッドの熱量だけがひしひしと伝わってきて、一体なにを見せられていたのかという感想だけが残るある意味凄い作品だった。
2022年2月11日
Androidアプリから投稿
酷すぎて逆に面白い。友達に映画のオススメはと聞かれたらこの映画を勧める。
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噂に違わぬ怪作だった。
時代は違えど『エル・マリアッチ』とか『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいな低バジェットでも面白い映画は山ほどあるというのに、悲しいかな本作は製作費に作品の面白さが比例してしまっている。
一応はジャンプスケアなホラー映画であるにもかかわらず、全然びっくりしない。怖くもない。相米慎二みたいな固定ショットの長回しはやっぱりアクションには向かないんだなと当たり前ながら再認。
SFとかホラーとかいった見かけ上のカテゴリに審美の水準を合わせていると退屈で気が狂いそうになるので、大人しく脱力コメディと割り切るのが吉。そうすればけっこう面白い。
空を舞うUFOの頂点からワイヤーが見えてるところとか、異星人たちの親玉が中小企業のオフィスみたいなところで仕事をしているところとか、ナンセンスコメディとしてはかなり純度が高い。何がすごいかってエド・ウッド本人にはそういう自覚が一切ないところ。
中でも一番笑ったのはガタイのいい警官のゾンビ。彼は美女を抱えたまま茂みの中で立ち尽くしているのだけれど、だんだん疲れてきたのか、最後のほうになると美女を抱える腕が腰付近まで下がってきてしまっている。監督と役者の温度差をまじまじと見せつけられ、大いに爆笑した。切ない話なんですけどね…
物語も支離滅裂で軸がない。前半の基調を成していたゾンビホラーは終盤になると完全に後景化。宇宙船に乗り込んできた地球人に、異星人は唐突な反進歩主義的説得を試みる。彼らによれば地球人の科学的横暴がやがては太陽をも爆弾に変え、それは近いうちに宇宙全体の脅威になる…らしい。
なるほどこれを契機に地球人たちも自らの傲慢な考えを改めるのか、と思いきや全くそんなことにはならず、異星人は地球人たちが暴れたせいで炎上した宇宙船もろとも宇宙の塵と成り果てる。
宇宙船を逃れた地球人たちはそのさまを地上から眺めながら「次の脅威に備えよう」としみじみ兜の緒を締める。終わり。
…いや、反省しろや!
ちなみに異星人によって墓から蘇生させられたゾンビたちが何をしたかったのかは最後までわからず終いだった。女のゾンビなんかマジでずっと立ってるだけだったし。
最低最悪のクソ映画の名をほしいままにしている理由を肌身に感じることができ感無量だった。とはいえ不愉快な感じがちっともしないのは、エド・ウッド監督に人を食ったようなところがないからだ。周りの誰もが嘲笑を浮かべても、彼一人だけはこの映画を最初から最後まで信じていたに違いない。
出来はよくてもちっとも好きになれない作品というのは往々にしてある。そういうものは大抵何かを意味もなく小馬鹿にしていたり極端に冷笑的だったりすることが多い。彼の作品はちょうどその逆だ。どこまでも真剣でどこまでもメタ自認のないまっすぐなクリエイション。捨てるには愛着が湧きすぎる。
というわけでこの映画が作品の出来にもかかわらずかくも長い間多くの人々に愛され続けてきたという歴史的事実を、私はとても素晴らしいことだなと思う。