コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第99回
2021年9月24日更新
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フランスの“国宝”ジャン=ポール・ベルモンドが死去 アラン・ドロン「彼はわたしの人生の一部のようなもの」と追悼
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9月6日、パリの自宅でジャン=ポール・ベルモンドが亡くなった。88歳だった。ここ2~3年はほとんど表舞台に出ていなかった彼の凶報は、フランス中を悲しみに浸した。マクロン大統領は彼を「国宝」と称し「永遠に華麗/ル・マニフィック(*「おかしなおかしな大冒険」の原題を引用)であり続ける」と追悼。ジャン・カステックス首相も「フランス映画のレジェンドであり、わたしたちの映画の財産の偉大な象徴を失ったことはきわめて悲しい」と哀悼の意を表した。またベルモンドの終生のライバルであったアラン・ドロンは、「呆然としている。5時間のうちに後を追わないようにするのに必死だ。彼と一緒に旅立つのも美しいかもしれないが。彼はわたしの人生の一部のようなもの。一緒にデビューして、60年間、ともに歩んできた仲だ」と、ショックを隠さなかった。
日本でベルモンドといえばまずジャン=リュック・ゴダールの二作、「勝手にしやがれ」(1959)と「気狂いピエロ」(65)を彷彿するだろう。否、日本のみならず世界的な彼の代表作と言える。もともと舞台に興味のあった彼を一挙にヌーベルバーグのイコンにならしめたのがゴダールだった。ハンフリー・ボガードを意識した、唇を親指でなでるジェスチャー、斜めにハットを被り、くわえ煙草で両手をポケットに入れて歩く姿や、ちょっと不良の、それでいて女には優しい憎めないやんちゃ男は、女性のみならず男性からも熱い支持を得た。
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(C)StudioCanal
もっとも、ベルモンドにとってゴダールの第一印象は「うさんくさい輩」だったという。サングラスを外さないこのスイス人は、面識もないベルモンドにいきなり、「僕のホテルの部屋で映画を撮らないか。5万フランあげるから」と声を掛け、ベルモンドは彼をゲイかと思ったとか。だが当時の妻の勧めで渋々やることになり、出来上がったのが短編「Charlotte et son Jules」(58)。これでベルモンドの魅力を目の当たりにしたゴダールは、「勝手にしやがれ」の役をオファーしたのだった。
その後もベルモンドは、ジャン=ピエール・メルビルの「モラン神父」(61)、「フェルショー家の長男」(63)、「いぬ」(63)やルネ・クレマン「パリは燃えているか?」(66)、フランソワ・トリュフォー「暗くなるまでこの恋を」(69)ら、作家色の濃い監督と組む一方、「リオの男」(64)、「大頭脳」(68)などコメディもこなし幅広い芸域を見せる。またドロンと共演した「ボルサリーノ」(70)はフランスで約5百万人動員の大ヒットを記録。
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(C)1970 Marianne Productions – Adel Productions – Mars produzione
だが1974年、アラン・レネの「薔薇のスタビスキー」がカンヌでブーイングを受け、興行的にも失敗してからは、自身もプロデュースに乗り出しながら、積極的に大衆的なアクション映画やコメディに出演する。「ベベル」という愛称で彼を呼ぶフランス人にとっては、むしろこちらの顔の方が人気のようだ。自らスタントもこなす「ジャン=ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街」(74)、「危険を買う男」(76)、「エースの中のエース」(82)など。1988年には、クロード・ルルーシュの「ライオンと呼ばれた男」でセザール賞主演男優賞を受賞した。
若い世代の観客には、ドロンやバネッサ・パラディと共演した「ハーフ・ア・チャンス」(19)やセドリック・クラピッシュの「パリの確率」(99)が記憶に新しいかもしれない。
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a film by Philippe de Broca (C) 1964 TF1 Droits Audiovisuels All rights reserved.
名声にとらわれず、つねに陽気でバイタリティ溢れる「向こう見ずな男」は、女性遍歴も華やかだ。26歳で結婚し3児をもうけるも、「カトマンズの男」(65)で共演した初代ボンドガールのウルスラ・アンドレスとの交際により破局。アンドルスとは7年続くが、その後も別れと出会いを繰り返し、栄誉パルム賞を授与された2011年のカンヌ国際映画祭では、43歳年下の恋人を伴って出席し話題となった。フランス男が彼を好きなのは、こんな伊達男のイメージにも拠るかもしれない。
ゴダールはベルモンドについて、「彼には自由闊達な気風がある。ある種の思いやりがあり、いつでも飛び込んで演技する用意がある」と評している。「人に影響を与えようとするのは好きじゃない。俳優の仕事は人に教えを説くことではなく、人を楽しませることだ」と語り、あらゆるジャンルを越えてフランス映画のシンボルであり続けた「ベベル」は、人々の心にいつまでも灯をもたらすだろう。(佐藤久理子)
筆者紹介
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佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato