モラン神父

1961年製作/128分/フランス・イタリア合作
原題または英題:Leon Morin, pretre

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映画レビュー

4.0メルヴィルが描く、自由が束縛された時代における変則的な男女の物語

2019年9月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

フランスの田舎町にイタリア軍が現れ駐留し始めたかと思うと、今度はナチスが大手をふるって占領を始める。次第に状況は悪化し、市民が命の危険や生活の息苦しさにさらされる中、主人公の女性にとって一人の神父の存在が大きな心の支えとなっていく。

ベルモンド演じるこの若き神父は頭ごなしに相手を否定したり、教義を押し付けることはしない。むしろ互いの心の扉を開き合う穏やかさを持ち、また時折見せる若さゆえのちょっとした言葉の乱雑さ、神父と信者の垣根を超えているようにも思える些細な仕草などが、物語に言いようのないダイナミズムを与えていく。

彼らの関係性はあくまで教義に関する言葉の応酬に留まるものの、そこに仄かなエロティシズムすら香っているように思えるのは私だけだろうか。少なくとも、極度に自由が抑圧された時代における「変則的な男女の物語」であることは間違いなさそう。なめらかなカメラワークと映像美も必見である。

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牛津厚信

3.5恋愛と信仰

2024年1月17日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

背徳の一歩手前。美しい映像美。触れないエロティシズム、踏み込まないエロティシズム。鬱屈した禁欲は、それによって女性の本来の心の自由を侵害していることに気付かせない構図を作り出している。それに気付くために西洋は2000年を要した。神父の行いこそが人類の罪である事は人間同士で争っている間は永遠に受け入れられない思想なのだ。

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mark108hello

3.0モテモテ神父

2023年10月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

難しい

第二次大戦下、イタリア軍からドイツ軍に占領されたフランスを背景に無神論者の女性がキリスト教を揶揄う為の告解から出会う神父に心奪われ、劇中で何度も会いながら二人の関係性は宗教的に発展しているようで男女としてはモヤモヤする一方通行、神父を演じたジャン=ポール・ベルモンドが気のある態度を取りながらお堅い聖職者として、女を弄ぶプレイボーイに見えてしまうのはベルモンド特有の愛嬌か!?

難しいことを放置したら許されない男女の関係と芽生えた恋が実ることは無い、切ない物語として、でも彼女の表情は清々しい、改宗も洗脳も紙一重、恋愛にのめり込むのも同等に、少し小難しいラヴストーリーとして集中力の欠如と物語にハマれない愚かな自分。。。

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万年 東一

4.0相手が神父というだけで、不倫をなんとか踏みとどまった男女の物語とみても良いと思います むしろそれがメルヴィル監督の製作意図だったと思います

2021年8月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1961年フランス公開、白黒作品
日本未公開で、日本で上映されたのは2009年の東京フィルメックスだけのようです

ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品
階調豊かな白黒の映像、テンポのよい編集
客観的視線のカメラ
もちろん撮影はアンリ・ドカエ
そのようなメルヴィル節があります

とは言っても本作はメルヴィルの名前から連想されるフィルムノワールではありません

本作の主題は、愛してはいけない人を愛してしまったならどうすればいいの?
あるいは親身になって相談にのっていたら危うく不倫になりそうになったらどうする?です

舞台は第二次大戦中のフランスの田舎町
男どもはみんな出征して街には女子供だけです
男は老人か神父しか残されていません
男日照りで、女なのに女性に関心がいく始末です

逞しい男はこの街を占領する兵隊ぐらい
イタリア軍、ドイツ軍、アメリカ軍と次々にこの街に兵隊どもは現れては去って行きます

敵兵とは流石に、仲良くはなれません
案の定、ドイツ軍が撤退したあと、敵兵に靡いた女どもはアタマを丸刈りにされて行進させられる運命です

バーニーは信心深くもないのに、教会に行ってしまったのは、やはり神父であっても男に近づきたいという欲求に外なりません

モラン神父と主人公のシングルマザーのバーニーとの間に交わされる宗教問答はどうでもいいものです
単にバーニーがモラン神父と話をするための口実に過ぎないのですから
一見理屈ぽいことを言うので、モラン神父もつい真面目に問答に付き合い、宗教書まで貸し出してしまう始末
彼女にのせられて気がつけば彼女の家に出入りしています
小学校低学年程度の娘を上手くあやすので、何かこの家に父親が現れたような雰囲気になってしまうのです

しかしモラン神父は破戒坊主ではなく、至って真面目な青年
彼女の信仰心を取り戻すために親身になっているだけなのです

次第に彼女の本心に彼も気づいたのか警戒を始めます

彼女の家でのテーブルに着席してのシーンは見事な演技でした

宗教問答がどんどん耳に入らなくなり、奥の寝室のベッドに視線が行き、神父の腕を掴もうとしたとき
まるで暗殺者の刃を寸前で避ける剣士のように神父はその手から逃れて立ち上がるのです
ここのカメラと音響の使い方は流石メルヴィル!と唸るものでした

映画は彼女に取って救いのない形で終わります
彼女自身は会社の移転に伴いパリに引っ越しが決まり、モラン神父も寒村に異動することになるのです

映画はそこでいきなり終わります

宗教の映画ではありません
愛してはいけない人を愛してしまうと互いに傷つくというそれだけの物語です
相手が神父というだけで、不倫をなんとか踏みとどまった男女の物語とみても良いと思います
むしろそれがメルヴィル監督の製作意図だったと思います

妻帯者が、健気に生きているシンママに親身に相談に乗っているうちに気がつくと深みにはまってしまう
そんなお話は世間にいくらでもあります

自分がモラン神父のように振る舞えるかどうか?
でもそんな自信はあまりないのです

そもそもなんで相談にのってしまうのか?
それはやっぱり異性として魅力的だったからです
傍観できなかったのです
モラン神父は仕事として関与しなければならなかったとしても、一歩踏み込んでいます
仕事は仕事として果たす
でも、それ以上は君子危うきに近寄らずで良かったのです
やっぱり彼もまた彼女に惹かれていたのです
相手を猛烈に意識しているからこそ、あのテーブルで彼女が手を伸ばしたときパッと身をかわせたのです

深みにはまる危険は彼自身の中にもあったのです
彼もまたブレーキが効かなくなる自分自身を恐れて、彼女よりも自分自身を警戒していたのです
彼女の手が触れたなら、自分の歯止めが効かないだろうと恐れていたのです

このような心の動きは若い時には全く読み解けませんでした
人生にはいろいろなことが起こるものです

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あき240

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