コラム:映画館では見られない傑作・配信中! - 第16回
2020年9月17日更新
韓国ドラマなんてと斜に構える食わず嫌いや、バートン&デル・トロのファンにもぜひ見て欲しい傑作シリーズ「サイコだけど大丈夫」
映画評論家・プロデューサーの江戸木純氏が、今や商業的にも批評的にも絶対に無視できない存在となった配信映像作品にスポットを当ててご紹介します!
今回のコロナ禍における世界的ステイホームによって、映画館で映画が見られない状況が長く続いたことで、映像エンタテインメント界の配信化はさらに劇的に進んだが、おそらく、このステイホーム中に世界でもっとも注目され、話題となった配信ソフトは韓国ドラマだろう。
特にNetflixが全世界に配信した「愛の不時着」や「梨泰院クラス」の人気は日本でも何度目かの本格的韓流ブームを巻き起こして、幅広い韓国ドラマ未体験ユーザーを掘り起こした。これまで韓流など扱わなかったファッション系女性誌や経済誌までもがその面白さや人気の秘密などについての記事を連日アップしており、アジア各国はもちろん欧米でも韓国ドラマのファンは激増しているという。
その最大の要因はもちろん、韓国ドラマの物語としての面白さと映像作品としての圧倒的な質の高さにあるのはいうまでもない。2000年代初頭から日本を含むアジアを席巻してきた韓国ドラマ界は、海外へのセールスルートが確立し、配信各社からも引く手あまたとなっていることで従来よりも各作品に製作費をかけ、高級な撮影機材やデジタルVFXを導入するなど映画級の見栄えを持つ作品も増えている。
そんななか、本国での放送とほぼ同時に配信が開始され、8月に完結、現在もNetflixの視聴TOP10の上位に君臨する「サイコだけど大丈夫」は、韓国ドラマらしい定番の楽しさに加え、ダークファンタジー的な要素をはじめユニークな題材をいろいろと盛り込み、驚きの面白さとクオリティで全16話一気に見せる傑作だった。特に、韓国ドラマなんてと斜に構える食わず嫌いや、ティム・バートンやギレルモ・デル・トロあたりのファンにも是非見て欲しいシリーズだ。
主人公のムン・ガンテ(キム・スヒョン)は、精神病棟の保護司(病院専属の介護福祉士のような専門職)で、自閉スペクトラム症の兄ムン・サンテ(オ・ジョンセ)の世話をしながら一緒に暮らしている。兄弟には愛する母親を通り魔に殺害された暗い過去があり、そのことで他人との親密な関係を築けなくなっていた。
ヒロインのコ・ムニョン(ソ・イエジ)は、美しき人気童話作家。どこかグロテスクで暗く、哀愁に満ちたムニョンの作品はどれもベストセラーになっていたが、本人は思いやりや愛情の感覚を持たない自己中心的で反社会的な性格で、彼女もまた有名な推理小説作家だった母の死というトラウマに囚われていた。
兄のサンテがムニョンの絵本の大ファンだったことから、ガンテとムニョンは運命的な出会いを果たす。だが、ふたりにはある過去があった……。
物語の中心は、ある田舎町の精神病院と童話出版業界を舞台に描かれる、悲劇的な運命に翻弄される慈愛のヒーロー、ガンテと、愛を知らない氷のような美女ムニョンのちょっと風変わりなツンデレ・ラブストーリー。その定番要素に、ムニョンが書く“絵本”というアイテムを使って、これも韓国ドラマ的常套手段のファンタジーとミステリー、サイコスリラーまでを巧妙に絡ませた。さらに韓国ドラマの基本である、親子や兄弟の愛憎、親友や同僚たちとの友情や信頼をちりばめて、喜怒哀楽全方位で楽しませる脚本が見事。さらに、衣装やセット美術、アニメーションなどを駆使した演出も各エピソード凝っていて、まったく飽きさせない(劇中に登場する絵本は韓国で実際に出版されたらしい)。
持てる魅力を最大限に発揮したといっていいキム・スヒョンとソ・イエジ、主演ふたりの美しさも演技力も、すでに多く語られているのでここでは割愛。それにしても「ワーニング その映画を観るな」とまったくイメージが違うソにはビックリだ。俳優という素材のポテンシャルもあるが、これだけ主人公たちが美しく撮れているのは、演出はじめ、スタッフの能力、技術力の高さにほかならない。
特筆すべきは自閉症の兄を演じる韓国屈指の名バイプレイヤー、オ・ジョンセの凄さ。Netflixの今年のもう1本の傑作ドラマ「椿の花咲く頃」でも憎めない小悪人を見事に演じてファンを唸らせ、映画「スウィング・キッズ」(2018)では華麗なタップダンスまで披露して驚かせてくれたこの名優が、今回見せた演技は、もはや驚異的ですらある。彼がこの役を演じたことによって主役ふたりの輝きは何倍にも増し、ドラマ全体の奥行きが圧倒的に広がった。最終話に用意されたジョンセ最大の見せ場は、このドラマの号泣クライマックスのひとつとなっている。
脚本のチョ・ヨン、監督のパク・シヌ(「白夜行 白い闇の中を歩く」)、そして劇中の挿画やキャラクターデザインを一手に手がけたコンセプトアーティスト、チャムサンのコラボレーションは、抜群のチームワークで、ダークで不気味な雰囲気のなか、シリーズ全話で統一したロマンチックで愛情と哀切に満ちた独特の世界観を築くことに成功している。
また、映画ファンにはこのドラマの随所に漂う映画的イメージの数々もまた楽しい。この製作チーム、ドラマはもちろん既存の世界中の映画を研究していると思う。
ヒロインが書く童話の雰囲気とビジュアルは、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」「ティム・バートンのコープスブライド」などのバートンや、「パンズ・ラビリンス」などのデル・トロへのオマージュが込められているのは誰の目にも明らかだ。また、自閉症の兄と弟のくだりを見る限り、製作チームは確実に「レインマン」はもちろん、「シンプル・シモン」に「ぼくと魔法の言葉たち」あたりを研究している。女性作家の心情関連では「メアリーの総て」「マイビューティフルガーデン」なども参考にしている気もする。
平均16話という長尺で、なかだるみしたり、ラストで収拾が付かなくなってしまったりする韓国ドラマも少なくないなか、この作品は最終話に素晴らしい見所をいくつも取っておくことに成功し、完走後の満足度が極めて高い仕上がりとなっている。視覚効果も含め、しっかりした全体像が構築でき、各スタッフの才能、作家性も際立つ見事なプロジェクトである。
この作品だけでなく、16~20話、または30話という長さで、毎回次を期待させる濃厚な物語を大量に創造し、進化している韓国ドラマ界の作劇力、想像力は、間違いなく韓国映画のレベルアップにも密接に関係している。長距離を走りきるスタッフ、キャストの体力、持久力は、短距離の全力疾走にもいきているのである。
いまや韓国の映画とドラマは1つの強力な国際競争力を持つ映像業界を形成している。ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」だって、ある意味韓国ドラマで語られ続けた題材と、それを演じてきた名優たち(特にバイプレイヤー陣)のエッセンスの作家的アレンジだし、キャストの多くがドラマでも大活躍しており、そこを知っているかいないかで面白さは断然変わってくるのである。
世界各地ですでに映画館の営業が再開され、ヒット作も次々と生まれているが、今回の配信視聴の決定的な普及は、今後の映像ソフトの製作傾向を大きく変えていく可能性がある。もし配信が映像エンタテインメントの主戦場となれば、映画が2時間程度で終わる必要はまったくない。もはや、映画とドラマの垣根そのものがなくなりつつあるといってもいいだろう。
いずれにしても、配信メディアを中心にドラマシリーズの人気はさらに高まっていくだろう。そうした傾向を牽引するのは、もはやハリウッドではなく、韓国映像界かもしれない。
Netflixオリジナルシリーズ「サイコだけど大丈夫」は、Netflixで独占配信中。
筆者紹介
江戸木純(えどき・じゅん)。1962年東京生まれ。映画評論家、プロデューサー。執筆の傍ら「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロッタちゃん はじめてのおつかい」「処刑人」など既存の配給会社が扱わない知られざる映画を配給。「王様の漢方」「丹下左膳・百万両の壺」では製作、脚本を手掛けた。著書に「龍教聖典・世界ブルース・リー宣言」などがある。「週刊現代」「VOGUE JAPAN」に連載中。
Twitter:@EdokiJun/Website:http://www.eden-entertainment.jp/