宮﨑駿
学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)に入社し、高畑勲に出会う。高畑とともに、Aプロダクション、ズイヨー映像、日本アニメーション、テレコムへと移籍し、「アルプスの少女ハイジ」(74)、「未来少年コナン」(78)などのTVアニメに携わる。
79年、「ルパン三世 カリオストロの城」で劇場作品を初監督。「アニメージュ」に連載していた「風の谷のナウシカ」を自身で脚本・監督を担当し84年に映画化。同作の成功を機に旗揚げしたスタジオジブリの設立に参加し、「天空の城ラピュタ」(86)、「となりのトトロ」(88)、「魔女の宅急便」(89)と着実にファンを獲得し、ジブリブランドを日本中に定着させた。
その後の監督作も大きな注目を集め、01年の「千と千尋の神隠し」は国内で2310万人を動員し、興行収入304億円という、日本の歴代最高興収記録を樹立。海外でも、ベルリン国際映画祭の金熊賞をアニメーション作品で初めて獲得し、米アカデミー長編アニメーション部門賞を受賞。05年のベネチア国際映画祭で名誉金獅子賞を受賞した。
01年に開館した三鷹の森ジブリ美術館のデザインを手がけ、館主を務めている。度々、引退を口にしていたが、13年、「ハウルの動く城」(04)、「崖の上のポニョ」(08)に続き3度目のベネチア映画祭出品となった「風立ちぬ」を最後に長編映画の監督業から退くことを宣言した。