三船敏郎
「世界のミフネ」と呼ばれた日本を代表するスター俳優。1920年に中国・青山で生まれ、第2次世界大戦中は陸軍航空隊などに所属。終戦後、東宝にカメラマン助手として入社を希望したところ、手違いから第1期東宝ニューフェイスのオーディションを受けることになり、役者として補欠採用される。47年「銀嶺の果て」で映画デビュー後、黒澤明監督の「醉いどれ天使」(48)で一躍人気を博し、「羅生門」(51)がベネチア国際映画祭のグランプリを受賞。その後も「七人の侍」(54)、「隠し砦の三悪人」(58)など数々の黒沢監督作で活躍する。そのほかにも稲垣浩監督の「宮本武蔵」(55)がアカデミー賞外国語映画賞、「無法松の一生」(59)がベネチア国際映画祭の金獅子賞(グランプリ)を受賞し、国際的に高い評価を得る。61年には、「用心棒」でベネチアの男優賞を受賞したほか、メキシコ映画「価値ある男」で海外作品に初主演し、63年には「五十万人の遺産」で初メガホンをとった。65年、黒澤監督との最後の作品となった「赤ひげ」(65)で2度目のベネチア男優賞に輝く。俳優として活躍する一方で、自らが代表を務める三船プロダクションでは「怒涛一万里」(66)やTV映画「桃太郎侍」(67)を制作。国内にとどまらず、「グランプリ」(67)、「太平洋の地獄」(68)、「レッド・サン」(71)、「ミッドウェイ」(75)といった海外作品で世界的なスター俳優たちと共演してきた。86年に紫綬褒章、93年に勲三等瑞宝章を受章したほか、89年に仏芸術文芸勲章も受章。97年12月24日、多臓器不全のため77歳で死去。熊井啓監督の「深い河」(95)が遺作となった。