このレビューを書いている現時点で自分にとっての生涯ベストワンの映画は黒澤明の『七人の侍』である。
ちなみに正直に生涯ベストスリーまで挙げろと言われると2位が『用心棒』で3位が『隠し砦の三悪人』となる。
さすがにベストスリー全てが黒澤作品というのはやり過ぎというか、いかがなものかと思うので(笑)、映画.comの生涯ベスト5では別の作品を挙げている。
そのくらい自分は黒澤明のモノクロ時代劇を愛している人間なのだけれど、今まで本作をずっと敬遠していた。
「時代劇と言ったらやっぱり痛快アクションでしょ!お涙頂戴の人情話なんてかったるくて観てらんないよ」という精神年齢の低いオタク野郎だったからである(笑)。
…って言うか、そういうスタンスは今でも基本的に変わってない気がする(笑)。
本作を敬遠したのは、若い頃『用心棒』を観てメチャクチャ興奮した後に『椿三十郎』を観てちょっと肩すかしを食ったせいもある。
『椿三十郎』はラストの壮絶な立ち合いで世界のアクション映画史上に名を残す作品となったけれど、山本周五郎のチャンバラなしの小説がベースとなっていて、全体に春風駘蕩というのか、ほんわかとしたムードが漂っている。
その頃の自分は「座頭市」や「子連れ狼」みたいな殺伐としたアクション時代劇にハマっていたため、『椿三十郎』のほんわかとしたところに不満があって、それ以降山本周五郎という名前を見ると警戒するようになってしまったのである(笑)。
若気の至りというヤツである(笑)。
…って言うか、そういうスタンスは今でも基本的に変わってない気がする(しつこい)。
そんな成長しない自分もいつの頃からか、ちょっとずつ山本周五郎の小説を読んだりするようになり、市井の人々の日々の暮らしを描く人情話の本当の凄さというのを感じるようになってきている。
人の心を動かすような人情話を生み出すには人間に対する深い洞察力が必要だと思うのだけど、そんな洞察力は安易に性善説などに頼っても得ることはできない気がする。
人間のミもフタもない醜悪さ、残酷さを真っ正面から見つめる冷徹な観察眼と、それでもなおギリギリのところで人間の真心を信じるような温かい優しさの両方がなくては優れた人情話というのは生まれてこないのではないだろうか。
本作の原作である「赤ひげ診療譚」を書いた山本周五郎はそんな冷徹さと優しさの両方を兼ね備えた作家だったと思う。
本作は、人間に対する深い洞察力を持つ山本周五郎の原作、映画の天才黒澤明のモノクロ時代のテンポの良い隙のない演出、日本の映画界でもトップクラスの俳優陣による迫力ある演技が組み合わさった、ほとんど完璧と言ってもいいような人情話の傑作である。
銀幕の大スター、ジョン・ウェインはどんな役を演じてもジョン・ウェインだと言われたけれど、日本が誇る銀幕の大スター三船敏郎もどんな役を演じてもほぼ三船敏郎であり、本作の赤ひげ先生もどこを切っても金太郎飴のように三船敏郎である(笑)。
決して貶しているのではなく賞賛しているのである。
三船敏郎のブレない演技があればこそ、赤ひげ先生が医師としても人間としても信頼できる人物だということが観客にはっきり伝わってくるのだ。
この盤石の安心感は、三船敏郎の大スターとしての風格もさることながら、黒澤明と三船敏郎の間に長い時間をかけて育まれた信頼関係があるからだという気がする。
若き医師、保本登を演じる加山雄三は撮影当時26、27歳くらい。
Wikipediaによれば本作に参加している間は当時大人気の「若大将シリーズ」の制作は見送られたそうで、それだけ気合を入れて撮影に臨んだだけのことはあり、保本登が小石川養生所で悪戦苦闘し、悩み苦しみながらも成長していく姿から目が離せなくなる。
そして、何と言っても養生所の患者たちの凄まじいまでのドロドロの人間ドラマ!
座敷牢の狂女(香川京子)、蒔絵師の六助(藤原鎌足)、車大工の佐八(山﨑努)、女郎屋に拾われた十二歳のおとよ(二木てるみ)、盗みを繰り返す七歳の長次(頭師佳孝)、いずれのエピソードも強烈な印象を残す。
特に自分は七歳の長次のエピソードで涙腺が決壊しそうになってしまった。
年のせいか子供が辛い目に遭う物語というのに弱くて、ひどい境遇に置かれているのに精一杯気丈にふるまう子供とか見せられると、もうウルウルしてしまうのである。
普通は「お涙頂戴」というと安っぽくてあざとい感動ポルノみたいなものを指すのだけれど、本作は黒澤明が本気で作った骨太の「お涙頂戴」であり、その凄さに圧倒されまくる!
ある意味では凡百のアクション時代劇なんかよりもよっぽど壮絶なドラマだと言える。
ずっと本作を敬遠していた自分が言うのもなんだけれど(笑)、感動ポルノなんていう言葉が生まれてしまう世知辛い今の時代だからこそ多くの人に観てもらいたい熱い人間讃歌である。