人間は死ぬとき
愛されたことを思い出す人と
愛したことを思い出す人に分かれる
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日本で待つ貞淑な婚約者と、
タイの赴任先で出会ってしまった奔放な恋人。
・・これは「結婚」というケジメを交差点として、嵐のような愛の逃避行をした男の物語ですね。
旅先ではタガが外れます。
恋はいつ訪れるのかわからないのです。国にいた時には無かったアドレナリンが、そこでは猛烈に放出されるのですから。
僕もイタリヤの聖堂の薄暗がりで、日本人旅行者の女性と並んで座り、思わぬ長話をしたことがあった。(それ以上の進展はありませんでしたが)。
面白みのない婚約者。重いミツコ。そして
火遊びにのめり込ませるトウコ。
アバンチュールは異国での火遊びゆえに、骨まで抜かれてゆくのです。
バチェラー・パーティーならば双方合意の浮気旅行なのでしょうが、国ではミツコが茶の湯を立てながら端正に待っている。
スマホがまだ存在しないので、交信には時間差が生じるという最後の時代の映画てすね。
とにかく、シーン毎に映えるトウコの見事な指輪と、ネイル。
ドレスと、髪。
匂い立つ色気と、グロスリップ。
バーガンディーのショーツにビーズのミュール・・
中山美穂はそら恐ろしい女優だし、
ジャリタレやアイドルを起用するハリボテ映画と違い、ロケの全てに ものすごいお金がかかっている映画です。
自作の映画に妻を出させる辻仁成の執心にも唸ってしまう。
⇒これ、原作家がその妻をキャスティングするのは、あのアーサー・ミラーもそうであったが、その“倒錯"へのハラハラ感が、制作・撮影現場にも存在しているはずで、
そこがまた大人の映画たるところ。
かくして愛欲の海にハマってしまう西島クンが、好青年ながらも思慮の浅い世間知らずを上手く演じていて、良かった。
会社は成功させても家庭はどうだか?という設定で、彼は、ちょっと頭の悪い鈍感な男を演るのが大変に上手いのです。
そして威風堂々、石田ゆり子演じる正妻。あの正妻が突きつける家紋の歴史、すなわち「印籠」の前には、ミポリンがガラガラと音を立てて突如精彩を失っていく姿が哀しい結末でしたね。
正妻石田ゆり子が書いたという設定の冒頭の「詩集」ですが、どこから見ても過去を引きずる男の文句。
辻仁成のモノローグです。
追憶に生きる男子諸君よ、
女性の「名前」を
間違ってはいけません。
いつドアが開いてその人がそこに立っているかも知れないのですから。
そしてあなたの思い出の、秘密の扉が、
その時ふとガン開きしてしまうかも知れないのですから。