今村昌平
東京都出身。1951年、早稲田大学卒業後に松竹大船撮影所に入社し、小津安二郎の助監督を務める。54年に日活に移籍し、監督第1作「盗まれた欲情」と続く「果しなき欲望」(ともに58)でブルーリボン賞新人賞を受賞。続く「にあんちゃん」(59)で文部大臣賞を受賞した。「にっぽん昆虫記」(63)、「赤い殺意」(64)と1作ごとに注目度を高め、65年、日活を退社し今村プロダクションを設立。「人間蒸発」(67)や初のカラー作品「神々の深き欲望」(68)で国内外の高い評価を得る。75年には横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を創立、映画人の育成に寄与した。「復讐するは我にあり」(79)や「黒い雨」(89)で日本アカデミー賞作品賞受賞をはじめ国内外の絶賛を浴び、興行的にも成功。「楢山節考」(83)と「うなぎ」(97)でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを2度受賞する快挙を達成した。世界の巨匠11人が参加したオムニバス「11’09”01 セプテンバー」(02)が遺作となり、06年、79歳で死去。