人間蒸発

劇場公開日:

解説

「“エロ事師たち”より 人類学入門」の今村昌平監督が、現実に失踪した人間の行方をその婚約者と共に追う、という設定のもとに日本全国を歩き、その取材過程を映画に仕上げた。撮影は石黒健治で16ミリのカメラを使っている。

1967年製作/129分/日本
配給:ATG=日活
劇場公開日:1967年6月25日

ストーリー

早川佳江さんは、幼いころに両親を亡くし、早くから自立した生活を送っていた。六人の兄妹もそれぞれ独立した生活を営んでいた。彼女が病院勤めをやめてある会社の事務員になった時、すでに婚期は過ぎていたが、その彼女に社長夫婦が縁談を持ち込んできた。相手は大島裁氏といい、プラスチック問屋のセールスマンで実直な好青年ということだった。二人の仲はそれから急速に進み、婚約を交したあと、昭和四十年十月に結婚式を挙げるまでになっていた。その年の四月十五日、大島氏が突然、失踪した。幾日が過ぎても彼女には何の連絡もなく、心配になった彼女は警視庁鑑識課の家出人捜査官を訪れた。しかし、それから一年半を経ても、大島氏の行方はわからなかった。映画監督今村昌平氏が早川さんのことを知ったのはこの頃のことである。早川さんの身辺の事情をくまなく調査した今村監督は、大島氏の失踪以来自分の殻に閉じこもってしまった早川さんを説き、大島氏の消息を彼女と一緒に尋ねるとともにその過程を映画にすることになった。彼女にとって、それは婚約者に失踪された現在の中途半端な気持を整理することであった。やがて勤め先をやめた彼女は、今村監督の撮影隊に同道し、大島氏の勤めていた下町のプラスチック問屋を訪れた。そこで明らかになっていった事実は、彼女が聞かされていた大島氏の人柄とは異るものであった。彼の隠された面についての関係者からの聞き込みでは、大島氏の十四年間の会社での生活は、実直で真面目な青年というふれこみとは逆に、金、女、というお定りの裏があった。セールスマンとして陥り易い使いこみ、秘かに妊娠させていた女の出現と、早川さんを驚かすことが多かった。彼の周囲に渦巻く人間社会の網の目は、想像以上に複雑なものだったのだ。彼、大島氏の生いたちを調べるため、東北の辺鄙な田舎町を撮影隊と早川さんは訪れた。しかしそこには、あまりにも閉鎖的な土地の慣習があった。調査ははかばかしくすすまなかった。そして一行は、旧態依然とした“くさいものには蓋”的な親族、隣人関係の壁の前に、ただ粘りと熱意で向っていったのである。こうして半歳あまり、早川さんは大島氏を取り巻くいろいろな人たちに会い、その話を聞いて歩くうちに、戸惑い、衝撃を受け、大島氏との溝を感じざるを得なくなっていた。何のために彼を探し歩き、そして探しあてたとして、どうなるというのだろうか? そんな疑念に駆られて彼女はノイローゼになってしまうほどだった。彼女はかつての婚約時代の彼を思った。会社の寮で味気ない一人暮しを送っていた彼は家庭的な雰囲気に憧れ、彼女のアパートを訪ねるのを楽しみにしていたのだった。出張が終ると真っ先に彼女のところに駆けつけて来もした。彼女の心のこもった料理を味わい、将来の生活について時間を忘れて語った彼の言うことは、しかし、すべて嘘だったのだろうか?彼女はいま何も分らなくなっていた。真実を知ろうとすればするほど、複雑に入りくんだもろもろの関係の中に、正体を見失っていく人間の社会……。早川さんは、心身ともに疲れはて、すでに大島氏のことは、どうでもいいことがらのひとつになっていった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

監督
企画
今村昌平
撮影
石黒健治
音楽
黛敏郎
録音
武重邦夫
編集
丹治睦夫
全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画レビュー

3.0半世紀前のリアリティショー

2023年1月27日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

リアリズムの行き着くところ
リアリズムそのものはドキュメンタリーだ
現実そのものを撮影するのだから当たり前だ

ドキュメンタリーであっても、何を撮りたいのか、何を映画として伝えたいのか、一応の撮影計画はある
素材を撮り溜め、その計画に沿って再構成して編集していく

ところが、こうした方が面白いからと演出を加え始める
いつの間にか当初のドキュメンタリーとは別物の映画が出来上がっていってしまう

そのとき、それはリアリティショーとどこが違うのだろうか?
リアリティショーは、設定も登場人物もすべて架空であることを、演じる側、観る側も了解の上でリアルタイムで進行していく
シナリオは一応あるが、役者が感情移入する度合いが通常のドラマより高い
なぜならぶつ切りでカットを積み重ねてパッチワークされていく撮影手法でなく、役者がシナリオを知らされず、自身の対応のみ指示されてリアルタイムで進行するからだ

本作はそれに似ている
ある男性の人間蒸発を追うリアリティショーというのが現代的な解釈だろう

実在の人物が、実際のことを、その現場で、感じるたこと、思ったこと、聞かされとことの反応をそのまま写す
リアリズムの行き着くところはここだ

究極のリアリズムの映画
この内容を普通の映画に仕立てなおして、シナリオを起こし、俳優を配役し、ロケをして撮影していく
リアリズムを徹底した映画を撮ろうとしたところで本作のリアリズムには勝てる訳がない
当たり前だ、本作は現実なのだから

でも本作はドキュメンタリーなのか?
やっぱりそうではない
フィクションなのか?
それも違う
極めて危うい領域にある映画だ

ステマという言葉がある
スティルスマーケティング
第三者のレビューのようで実は提灯持ちの広告のこと

これにも似ている
本作にある物語は事実だ
語られことも、発露される感情も、顔に浮かぶ表情も真実だ
しかし本当の真実なのだろうか?

「真実とは何でしょうか?」
終盤で登場人物がこの台詞を語る

現実の部屋のようで実はスタジオの中のセットなのだと映像で見せて、今村監督自身がこれはフィクションなのですと宣言して、撮影風景までみせる
まるで手品の種明かしのように

つまりリアリズムの映画を撮るといくら徹底しようとしても、そんなことは限界があるのだ
本当らしく工夫したというだけに過ぎない

ならば究極のリアリズムを追求してみようじゃないか
一体どのようになってしまうのか?
それをやってみせようじやないか
それが本作の正体だろう

本作の最後は、現実の人間たちが、現実のことについて、現実にトゲトゲしく言い争うのだ
これは現実の感情だ
フィクションなんかじゃない

監督自身がいくらこれはフィクションですと言い張っても現実の感情なのだ

人間を弄んでしまったのだ

21世紀のリアリティショーでは自殺者を出してしまった

半世紀前の本作でも制御不能になり、今村監督の困惑する表情がフィルムに残されて終わるのだ

今村監督は結局、人間を虫けらのように弄んでしまったのだ
それが結論だ
「にっぼん昆虫記」のときの姿勢と共通した態度であったのだ

頭きちゃった
映画の中である人物がそういう

映画は終わった
でも現実は終わらない

そのような言葉で本作は終わるのだ
人間は虫けらではないのだ
感情をもち、自己をもつのだ

コメントする (0件)
共感した! 0件)
あき240

3.5周囲に与える印象

2021年9月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

新宿映画祭の今村昌平ノ世界で見逃したこの作品をやっと観た。

蒸発した夫を妻が探す設定のモキュメンタリー。
洗いざらい調べるうちに、妻も知り得ない夫の人間像が浮き出てくる。
そんな人間のドロってした部分が見え隠れして面白かった。
生かすも殺すも周囲に与える印象次第かもしれない。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
パプリカ

5.0フィクションではない

2016年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

怖い

興奮

婚約者に蒸発された女性が、今村昌平監督と男を探すことになり、この過程を映画にする。
複雑な人間関係は、蒸発した婚約者の人となりを明らかにするのに時間がかかる。
途中でリポーター役の露口茂に女性が恋をしてしまう、なんてとんでもない展開が待ち受けている。
こんな映画は二度と作れないのでは。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
いやよセブン

他のユーザーは「人間蒸発」以外にこんな作品をCheck-inしています。