ゆきゆきて、神軍
劇場公開日 2020年8月14日
解説
ドキュメンタリー映画監督の原一男が、過激な手段で戦争責任を追及し続けるアナーキスト・奥崎謙三の活動を追った傑作ドキュメンタリー。神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、自らを「神軍平等兵」と名乗り、「神軍」の旗たなびく車に乗って日本列島を疾駆する。ある日、自身がかつて所属していた独立工兵第36連隊で、終戦後23日も経ってから敵前逃亡の罪で2人の兵士が処刑されていたことを知った奥崎は、その遺族らとともに真相究明に乗り出す。時には暴力も辞さない奥崎の執拗な追及により、元兵士たちの口から事件の驚くべき真実と戦争の実態が明かされていく。1987年の初公開時は単館上映ながら大ヒットを記録。第37回ベルリン国際映画祭でカリガリ映画賞を受賞するなど、国内外で高く評価された。戦後75年、奥崎謙三生誕100周年となる2020年の8月、全国のミニシアターでリバイバル公開。
1987年製作/122分/日本
配給:疾走プロダクション
日本初公開:1987年8月1日
スタッフ・キャスト
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初公開が1987年8月1日。33年の歳月が経った。さらに言えば、奥崎謙三が生まれて100年だという。そもそも題材になっているのが75年前に終わった太平洋戦争で起きた戦争犯罪(決してそれだけはないが)であり、なんなら歴史の彼方に感じる世代もいるだろう。
これを書いている自分も、映画が公開された時はまだ15歳で、正直、存在にすら気づいていなかった。成人してから後追いで観て、例にもれず衝撃を受け、その後、機会があれば観直している。実際、何度も劇場公開されているし、数年に一度は話題にものぼる。ドキュメンタリー映画としは屈指の人気作と言っていい。
そして、今観てもやはり強烈であり、色褪せていないのは、未だにこの映画(と奥崎謙三という人物)が理解を受け付けないようなカオスの塊だからではないか。醜い戦争の実態や、許されざる戦争犯罪を暴いてはいるが、正義や正しさのものさしでは決して計れない。そして奥崎が突きつける日本の矛盾は、今もわれわれに取り憑いたままなのだと思う。
国家に対して反抗をするという名目の上、犯罪歴を堂々と何度も大声で公表して迷惑行為を繰り返す男の話。
開き直ったバカほど怖いものはないといったところで、収監もなにも屁のカッパの精神なので、社会的抑止力が働かない。
気狂いの正義感をふりかざすようで、本人は金銭トラブルで一般の不動産業者を殺していたり、一方でアナーキスト的な活動も天皇にパチンコ玉打ったりビラをばら撒いたりなどなので、矮小的というかなんともダサい。
責任をとれと他人に言い散らかすくせに、本人は発砲後逃亡したり心底軽蔑する人間像、これほどどうしようもない人間も珍しい。
世間が注目するから余計に調子に乗り、活動も目立とうと過激化する。
バカにつける薬はないとはこのことだ。
ただ、インタビューを続けるにあたり、戦時中に一般的に人肉を食っていた話など衝撃的な内容も明かされていき、ある意味戦争の凄惨さも描かれているので、観ないほうが良かったともいえないので微妙なところだった。
2022年2月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
戦争の狂気を映し出しているドキュメンタリー映画だが、 最近もう一度観て、「戦争の」の部分は「人間の」に変えた方が適当ではないかと思った。
奥崎謙三氏の一連の行動の動機となったのは、かつて所属した連隊の上官が、終戦後にも関わらず、敵前逃亡の罪で兵隊二人を処刑した事実を知ったことだった。 同氏は、遺族と共に、その事件の関係者の元へ赴いて徹底的に責任を追及するのだが、 最後はピストルを使った殺人未遂まで引き起こしてしまう
その理由を少しでも斟酌すれば、激情型の人物が義憤に駆られて起こした衝動的な行動という見方になる。 戦争が生み出した悲しい事件という捉え方もできる。 が、どちらもちょっとどうかと思い直した。 同氏の一連の行動は、この作品を通して見る限り、一人の男が恥ずかしげもなく露出した、「無分別な狂気」にしか見えないのだ。
人間の生命力が狂気的なエネルギーと化し、大義を掲げ、倫理を突き破って戦争を引き起こす。 その戦争がさらに人間の狂気を煽り、焚きつける。 そして奥崎氏は、人間の起こした狂気を罰するという大義を盾にして、自分の狂気を開放した。
狂気の正体は、生命エネルギーの無分別な放出だと思う。 エネルギーの放出が下手クソな人は、 偏屈、へそ曲がり、変わり者と呼ばれ、どこにでも身近にいる。 自分だって多少はそうかもしれない。 それが害のない芸術表現なら問題ないが、暴力で放出というのは質が悪い。
注意しなければならないのは、そういう人がエネルギーを放出するために、正義という大義を手に入れた時だ。 その瞬間、その人はエネルギーを留めるストッパーを躊躇なく外してしまい、一気に暴力衝動をも開放してしまう。 自分が正義だと信じて疑わずに爆走を始めた人間は、もはや誰も手が付けられない。
正義という大義は、薬物の甘い誘惑のようなものだ。 うっかり手を出すと、分別のある人間でも、抑え込んでいたはずのエネルギーを開放し、止めどもなく垂れ流し続けることになりかねない。
悪を成敗するため、誰かを助けるため、自分の身を守るため…。
誰かの妙に積極的な行動に尤もらしい大義が掲げられていたら、眉唾で見るべきだ。
特に慎重に監視すべきなのは、それが為政者の場合だろう。 戦争を始めようとする為政者は、狡猾だ。 彼らが、どんな大義を掲げて民衆を煽ろうとしても、安易にその誘惑に乗ってはならない。
自分の中のエネルギーは、自分で意識して抑え、自分で考え、自分で整え、社会に寄与する形で、必要な分だけその都度、恥じらいながら放出すべし。
ちょっと教条臭い感想文になってしまったが、この作品を観て、そういう事も考えた。
人間が内に秘める生命エネルギーは、奥崎氏を見てわかるように、ガソリンと同じだ。 くれぐれも、取り扱い要注意なのである。
最初は奥崎の狂った正義感による愚行に、街で頭の狂った人を見る時のような悪い笑いを感じて観ているが、途中からその行為が戦争の真相を暴き出し、背筋も凍るような真実を知ることになる。岡崎にアポ無しで尋問される元兵士たちも、ニューギニアの地獄の中で自分たちのした行為の総括ができていなく引け目を感じているから、いまさら奥崎に尋問されて答える必要もないのに、追い詰められたような顔をして「しょうがなかったんだ」とボソボソと語り出すあたりが映画のクライマックス。マイケルムーアが最高傑作と言ったのもうなずける。天皇を1番の戦犯だと言い切る奥崎を国民は批判する資格があるのか。観たら何ヶ月か夢に出てくるほど心を捉える映画。永久保存版、ドキュメンタリー映画の大傑作。
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