誰もがそれを知っている : 映画評論・批評
2019年5月21日更新
2019年6月1日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
スター・パワーをまんまと味方につけた、少し異色のファルハディ映画
少し遠回りして昔話から始めてみたい。20世紀の終り頃、ポール・ニューマンがスモールタウンの初老の反抗児を快演した「ノーバディーズ・フール」の監督ロバート・ベントンが語ってくれたこと――スターとの仕事は彼や彼女が演じてきたもの、銀幕上の歴史を利用できるから素敵だ。ニューマンが「ハッド」や「ハスラー」で演じた反抗児の記憶が「ノーバディーズ・フール」のキャラクターの過去として観客に共有され、余計な説明なしでも物語に入っていける――と、髭面の監督はにんまりしてみせたのだった。
そんなことを思い出したのは他でもない、イランから世界に羽ばたいた俊英アスガー・ファルファディの最新作「誰もがそれを知っている」で6度目の顔合わせをしたペネロペ・クルス+ハビエル・バルデムのスター・カップルが、華やかなオーラと確かな演技の力にも増して、誰もが知っているおしどり夫婦としての関係、共演作の記憶で映画に寄与したものの重みをまざまざと実感したからだ。
誰もが誰もを知っているスペインの小さな村に妹の結婚式に出席するため里帰りしたラウラ(クルス)とその幼なじみの元恋人パコ(バルデム)。ラウラのおてんば娘が地元の少年に誘われ上った教会の鐘楼の壁に若き日の母とパコとが刻んだ愛の証しのイニシャルを見出す時、18歳の初々しくもセクシーなクルス演じるヒロインの愛を競って生ハムの塊で格闘シーンを繰り広げたマッチョ、バルデム、若さに輝くふたりの初共演作「ハモンハモン」の記憶が喚起される。それだけでラウラとパコをめぐる村人の共通認識を観客も分ち合えてしまう。だからその奇妙な懐かしさのような感触の中で誘拐事件に共に巻き込まれ、共に推理し、公然の秘密の元恋人たちと、その家族をめぐる知らなかった過去や現在にたじろぐことにもなる。
もちろん、「彼女が消えた浜辺」「別離」と容易に正解のみつからない問をつきつけてきたファルハディは、今回もぎりぎりの選択を迫られる人をみつめ、普遍の問を問いかけもする。が、引退した元警官を探偵役として事件の謎解きの部分、ミステリー・サスペンスというジャンルとしてのお愉しみにも彼の映画はいつも以上に開かれている。そんな解放感もスター夫婦を想定して映画が書かれたことと無縁ではないだろう。
スター・パワーをまんまと味方につけた少し異色のファルハディ映画はこの際、とことん楽しんで見るのが正解といえそうだ。
(川口敦子)