ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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電気羊の夢を見るのは、誰?
イマジネーションの洪水ですね。原作読む気はないので、映画観た感想を、徒然なるままに…。
そもそもレプリカントって、誰なんでしょう?。学校で習ったforeignerとstranger。外国人と異邦人。その違いを教えてもらうことはなかったですけど、どうも、レプリカントはstrangerのことを指すようです。意思が伝わらない、心が通わない、理解できない者。結果、侮蔑と恐怖の対象になる存在。そう思うと、私の周りにも、ずいぶんレプリカントがいるような…。
ただ、レプリカントに、心がある、大切にするものがあると知れば、彼らは、本当にstrangerなのでしょうか。
無知と恐怖から、壁を作っているのは、誰?。ブレードランナーとは、他者をforeigner とstrangerに区別したがる、ヒトの弱さが作り出した、暴力装置なのかも…。
模造品であれ、コピー品であれ、ヒトが人になる夢を見ることは、許されるのでは?。国境の向こうにいる友人(foreigner )と出逢う為に。
ま、そんなこと考えている私のほうが、レプリカントかも知れませんけど。(…お願いだから、ブレードランナーに、私のこと、通報しないでね。)
頻尿にはキツい
地響きする重低音と前作を思わせる高音、劇場の迫力
渋谷スクリーン3で2D字幕。
リドリー・スコットよりうまく作った続編という気がする。流石に3時間は長かったが後でエクステンデッド版とかファイナルカット版とか出されるくらいなら、ノーカット版を劇場で堪能したと思えば退屈では無かった。
ウトウトしたところは後々TV放送した時にまた見直したいと思わせる。
ビッグフィーチャーされるSONY
スコットフリーを最後に出したのは好感。
ラストのジョーは前作のロイバッティを彷彿とさせた。
人間とは何か
ブレラン2049を3回観て
ユナイテッドシネマとしまえんで、2回目をIMAXで見た。
何と言ったらいいのだろう。映画を観たというよりは、一つの長いアトラクションライドを乗り終えた、そんな気分だ。
この映画は一作目同様に、見れば見るほど深みが増す映画となるだろう。とても深い映画なので万人には理解されないだろう。しかし一作目同様に「人間の尊厳とは何か、人を愛するとはどういうことか」を突きつけられる映画だ。それを受け止めた人は、ブレラン1とブレラン2049を、一つのロングストーリーとして見続けるだろう。
AI第2元年と言われる今らしい映画だった。内容にリアリティがあり、30年後本当に実現していそうな世界が描かれている。
先日3回目を観た。何だろうか、この違和感は。偽レイチェルが出てきてあっさりバレて、ラブに殺されるあたりから、前作に比べて薄っぺらさが見えてしまった。最後にデッカードが娘を見て笑って終わる唐突さもイマイチだった。しかしそれでも3回は観たくなる、クセになる映画だった。
逆に言えば改めて一作目の重厚さ、緊密な作りに改めて感銘を受けた。恐らくブレラン1は100回は見ているが、何度見てもグッと来る。それは俳優、女優全員の演技がキレており、琴などの斬新な音に乗せてシーンの展開が早い、早い中に作り手のこだわりが凝縮されているからだと思う。だから何度見ても耳に目に心に響くんだと思う。改めて、意識ある若者にまず1作目を見てほしい。
30年前に大学生で、ブレラン1に出会ったオッサンより。
タイトルなし(ネタバレ)
当時の価値観に対してと今回のものはどうなんだろう。確かに絵はすごかったけど、今描けるレベルの範囲内な気がした。
ただ人と人造人間の境目が、「産まれる」ことにあることかどうかは考えさせられるかも。でも企業が作ってるのであればもはや意識と成長過程の問題なだけ。
その時に記憶とは何かが問題になる。植えつけられたものかもしれないし、誰かのものを移植されただけかもしれない。
あと恋愛の形。ジョイとのやりとり。セックスのシーンが一般の人間と同期してセックスのは面白かった。映像としても衝撃的だった。でも触覚も電気信号だから、わざわざそんなことする必要あったのかな?
広告の形にあまり変化はない。立体性のものと安いものが入り乱れて美しいものではない。これはほんとにそうなるのかな?
どちらにしても次に繋がる終わり方なので、次次第かな。
レプリカントの哀しみ
IMAX3Dで見てきました。
レプリカントが子供を産むことを奇跡と呼び、母親は出産時に亡くなっていて、娘は免疫不全でガラスの中。主人公の捜査官Kは子供の頃の記憶が、もしかしたら自分のものかも期待したけど、結局は他人のものだと知る。作られた人間であるレプリカントは、誰もが漠然とした不完全感を抱えているようでした。
(レプリカントという対象で表現するから分かりやすいですが、私たち人間だって同じですよね。)
レプリカントの哀しみはよく分かったけど、この哀しみを癒す答えが導かれていたのか、よく分からなかったです。ラストシーンでデッカード(ハリソンフォード)に木馬を渡して娘と合わせることで、Kは癒されたのだろうか?不完全さを不自由さを抱えるレプリカントとしての人生の最後に、自分の意思に沿って行動できたから満足だったのかな、、、そこらへんがあまり感情移入できず。
前作は見ていません。前作と今作をつなぐストーリーであるインターネット上に公開されている3つの短編は視聴した後に劇場に行きました。
@@@
生々しく気持ち悪い描写も多く、ちょっと途中で気分が悪くなってしまって、私は苦手でした。
作らなくてもよかった
ひたすらのモラルハザードの洪水
とにかくSF的な性癖に突き刺さる。
ジョーとジョイがお互い「君は本物だよ」「あなたは特別」と言い合うのがなんとも悲しくていじましくて仕方がない。
「大した中身じゃなかった」と言い放たれるのがもうたまんねえ。
偽者はどうしたらいい?
何を思ってジョーは亡くなったのか。
いや、だって会いたかったんだろうな、彼は。
お父さんとかお母さんに。
それを代わりに叶えるように動いたり押し付けたりするのは、大義のために死ぬより人間らしい事なのかも知れない。
ドゥニヴィルヌーヴがどうも苦手
ドゥニヴィルヌーヴの映画自体は3本目(ボーダーライン、メッセージ、今作)。
どうも相性が悪いのか、眠たくなってしまう&トイレに行きたくなる。
俯瞰からの引いたショットと、ちょっと冗長な映像が眠気を誘い膀胱に容赦無く襲いかかる。
しかしハンスジマーの暴力的とも言えるような音楽が眠い顔にビンタをかます。
この水責めのような映画を観終わって1番最初に思ったことは、終わってよかった。
映画自体の話は、K君が社畜をしているうちに自分の出自に関することを発見していくうちに自分は凄いやつかと思っていたらおばさんに「アンタも所詮一般ピープルと同じなんだよ!」と煽られてしまうも
「精神的に向上心のないものはばかだ」と思い決死の覚悟でラブさんを倒すという感じでした。
恋人(ラブプラス)を失い、自分の記憶を否定されて、命をかけて守った男に「お前は俺の何だ」とまで言われる主人公だけど最後は晴れやかな顔をしてるのが印象的。
個人的には、デッカードがたくさん質問をして「too many question( ̄ー ̄)」
とKが返して2人でにやけるというオチがいいなぁ
やっぱダサいかな…(´・ω・`)
別の世界の2049年
あっという間の3時間。前の作品が古く感じない‼️
実際の2019年はまだ車が空を走ってないけど、別次元だったら。。。と思う続編が違和感のない作品。
最初から予想外が続き、こうかも?あれかな?って思いながら、しっくり来る結末。
レプリカントとは?AIやiPSが出てきた世の中に、見分けのつかない存在は追われることになるのかなぁ
映像大作だが映画の面白味に欠ける
「2049」は前作「ブレードランナー」と比較してはならない作品だ。見るべき要素が違い過ぎるからだ。映画のオープニングから前作をリスペクトしていることはわかるが前作の公開時の衝撃は、今見直しても驚嘆に値するほどだ。本作は映像表現も音楽も素晴らしいが、レプリカントの役を人間が演じているという滑稽な印象しか残らなかった。前作はサスペンス、アクション、ラブロマンス、ヒューマンドラマを「あの時代に、この世界観」で見せつけられた凄さがあった。
その中には痛みや苦悩という人間特有の感情表現をレプリカントとして見せる、せめぎ合いの緊張感が素晴らしかった。現在見直しても、その先見性と映像表現のアイデアには目を見張るものがある。
前作ではレプリカントの人間離れした凄味、人間とは違う哀しさゆえに持つ美しさや「強力わかまつ」など日本人もハッとする意外性、ヴァン・ゲリスの数々の名曲など作品全ての各要素の斬新性が後世のサブカルチャーに与えた影響が大きかったのは今、再確認すると良く理解できる。
今作の「2049」は今の時代に可能な技術と表現、未来社会で起こる想定内の事を想定の範囲で見せることは充分出来ているが、ドラマとしての情感表現が希薄で、淡々と見せられた感が強く、盛り上がりや緊張感は欠ける。ただその分、哲学的なアプローチを観る側に問いかけている。それは虚構と現実、記録と記憶、本物と偽物という相対的な価値観と絶対的価値観のせめぎ合いでもある。地球がレプリカントだけで情感も希薄になってしまったからなのか、それとも?ただ、やがてこうなるかもという地球の未来を美しい映像で見せてくれたのも事実ではある。やがてこの世も万物が複製とビッグデータの記憶のみで表現できるようになれば「2049」の作品的価値は、また変わるかもしれない。
Kがもっとレプリカントぽくあれ
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