ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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Denis Villeneuve's Dream of Electric Sheep
The original's screenwriter Hampton Fancher helps the story plug into the first film without doing any damage to it as a standalone film, but 2049 sometimes is like a TV drama pulling stylistic cues from the first one--overly long and slow because the first one was long and slow, not so much because there is a story unfolding on the screen. Still, as a fan of the original, it is hard not to like.
観客の感情を巧みにいざなうヴィルヌーヴの手腕
前作から35年。映画界の「伝説」に新たな続編をもたらすなど、どう考えても危険極まりない行為である。しかし彼らは見事に成し遂げた。特に心奪われたのはヴィルヌーヴ監督の構成力だ。「メッセージ」同様、彼はあえて観客のミスリードを利用しながら、これまで映画が到達したことのない深い境地へと手を伸ばす。今回も、主人公ジョーと同じく観客は一つの「確信」に則って感情をいざなわれ、待ち受ける真実に愕然とすることになる。「我こそは選ばれし者」というテーマは「マトリックス」でも描かれたが、運命や宿命ではなく、最終的には自らの決断によって全てを投げ打つからこそ、魂は激しく躍動する。そこにアンドロイドと人間の垣根を超えた生き様がある。ずぶ濡れになりながら役目を全うするジョーの姿には、どこか前作のロイを思わせる節も。3時間近くの旅路を終え、前作でデッカード以上に観る者を魅了したロイの心境に、いま初めて触れた気がした。
人かモノかの問のその先へ
個人的に最も注目していた点は、前作の問題意識――レプリカントのような人工物は人間であるか――からどのようにさらなる問題意識を発展させているかだったのだが、その点は見事に期待に応えてくれた。
本作はレプリカントたちの物語である、前作の、レプリカントは人間であるか、そしてそれを愛せるかという問題意識は、すでに当然の理ともいえるような状況である。(それを快く思わない「人間」もいるのだが)
2017年現在、前作が提示した問題にすでに我々は現実に直面しつつあるなか、さらにその先の問題としてデジタルデータのプログラムにすぎないバーチャルアイドルへの愛があり、レプリカントへの差別がある。差別、ということはある意味で、この社会は彼らが人間かモノかの問いから、次のステップに進んだことを示唆してもいる。そして現にレプリカントぬきではあの社会はまわっていないようにも見える。
ボストン・ダイナミクスの作る2足歩行ロポットや4足歩行ロボットに生き物としての実感を感じ始めている我々現代人の考えなければいけないテーマがたくさん詰まった作品だ。
なるべくしてなった“あっち側”の物語
ドゥニ・ヴィルヌーヴと撮影監督のロジャー・ディーキンスは映像的に本当にすごいことをやってのけた。ビジュアルの権化みたいなオリジナルを継承しつつ、独自のスタイルで世界観を拡張した。続編としてこれほどの正解はないのではないか。
そして顕著なのが、ほぼ完全に“人ならぬ者”の物語になっていること。「デッカードはレプリカントか?」問題はもう当然のこととして推し進められ、もはやほぼレプリカントしか登場しない。メインの登場人物ではロビン・ライトとジャレッド・レトしか人間がいないのだ。
科学が発展した未来において、レプリカントと人間を分けるものは何なのかという、オリジナルが提示しっぱなしだったテーマは確実に深化している。今やレプリカントは被差別者の象徴であり、格差社会の写し絵であり、そして人間性のよりどころでもある。「ブレラン」ってこんなエモーショナルな作品だっけ?とオリジナルファンが戸惑うような、熱い映画だ。
163分はあっと言う間の視覚体験!!
ソーラーパネルがガラスの海のように広がる2049年のメトロポリス、L.A.のビジュアルは、先人が視覚化した煙突から時折飛び出す炎が漆黒の闇を照らす画期的なイメージに匹敵するもの。もし、その前作を未見でも、人工知能を開発してしまった人類に与えられた限りある未来を、誰が、どう切り拓き、どう受け継ぐかという物語の経緯と、そして、涙なくしては見られない結論は、観る人全員を興奮させ、感動させるはず。35年の時を超えて再設定された映画は、だから決して世代を選ばない。ライアン・ゴズリングがここまで役にハマった例はそう多くないのでないだろうか?その透明な皮膚感といい、感情を封印した無表情といい。いずれにせよ、163分はあっと言う間に過ぎ去る視覚体験である。
大御所感が出てきたD・ヴィルヌーヴ監督の濃密な映像世界
「複製された男」そして「メッセージ」と、SF映画ファンの期待に応える快作を作ってきたドゥニ・ヴィルヌーヴ。監督作を重ねるごとにスケールを増してきた感のあるヴィルヌーヴが、満を持してSF映画の金字塔「ブレードランナー」の続編に挑んだ。前作でリドリー・スコットが創造した日本テイストあふれる近未来のLAなどさまざまな要素を引き継ぎつつ、P・K・ディックの原作小説の思索的・哲学的命題も新たな解釈で盛り込んだ(ディックの「模造記憶」の要素も意外な形で登場する)。そして何より、あらゆるショットがお金と手間暇をかけてじっくりと作り込んだと思える重厚で濃密な味わい。編集のテンポ感が少々ゆったりしすぎかなという気がするシークエンスもあるが、軽快なストーリー展開よりも作品としての重みと格調を優先したのだろう。BGMも重低音が圧巻なので、音響設備のよい映画館での観賞をおすすめしたい。
これブレードランナーじゃないっす
ブレードランナー続編との事で意気揚々と観始めたが・・残念です。
この映画のタイトルに「ブレードランナー」をつける事に反対。改名してほしい。
ブレードランナーの検索で毎回毎回こいつがちゃっかり出てくる為、若干迷惑かけられている。
視聴中の早い段階で駄作と感じたが良い部分を見つけるつもりで観続けた。普段の私なら視聴中止するほどの映画だがブレードランナー続編だから最後まで観たのだ。が結局、最後まで良いところを見つける事が出来なかった。
批判だらけのレビューを書く気力がない為、特にこれ以上何も書く事はない(若干苛立ち)。当作品は全くどこにも惹かれるようなシーンも魅力も見事に皆無、という本家ブレードランナーとは見事に真逆の映画だった。
というか、例えばブレードランナー続編ではないとしても、SF映画としても駄作という感想になってしまう。
ただ、この映画のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督というのは私的にイマイチな監督である。過去に「プリズナーズ」「複製された男」しか観てないがどちらもイマイチだったので、この監督の作品が単に私の好みじゃないだけかも知れないです。
私の好きな俳優ジャレッド・レトが出演しておりそこだけは嬉しい。
最後に、タイトルは本当に変えたほうが良い。「ブレードランナー 2049」→「2049」に変えるだけで、タイトルが引き締まった感じになるし全然悪くないと思います。すっきりしたタイトルのほうが絶対いい。
2019/09 CS
曲者だが不思議な魅力を持つSF
本作は35年前の名作SF作品の続編である。退廃的で終末観さえ漂う乾ききった近未来(2049年)で、ブレードランナーである主人公・K(ライアン・コズリング)が自らのルーツを求めて流離う哀切感溢れる物語である。圧倒的な映像美、独特の世界観など、見どころは多い。しかし、本作は、単独作ではなく前作と融合した作品であり、繊細で哲学的なストーリーなので、前作を観たか否かで評価が分れる作品である。
前作を観た人は、前作を基準、ベンチマークにして本作を観ることができる。その間に登場した数多のSF作品に惑わされることはない。一方、前作を観なかった人は、スターウォーズ・フォースの覚醒、パッセンジャー、メッセージ、ゴースト・インザシェルなどの最近のSF作品を基準、ベンチマークにして本作を観ることになる。本作は、最近のSF作品との類似点が多く、どうしても既視感が付きまとう。作品のアイデンティティを見つけ出すのは難しい。前作を基に作られたSF作品が、逆に、本作を鑑賞し難くするという自己矛盾。35年という歳月の長さを痛感させられる。
私は、前作未見なので、繊細で哲学的なストーリーを完全に理解することはできなかった。本作は、前作と本作の2作品が生み出す多くのピースで構成されるジグソーパズルのようである。前作未見ということは、本作のピースだけのジグソーパズルを観ている感覚である。欠けた前作ピースは想像で補うしかないが全てのシーンを完全に補うことはできない。完全に補えることができるシーンもあるので、理解可能なシーンと意味不明のシーンの連鎖で、モヤモヤとしたスッキリしない感覚に襲われる。同時に、作品世界に漂っているような不思議な浮遊感がある。本作が只者ではないという片鱗には触れることはできる。
本作は、凄く面白いわけではない、大感動するわけでもない、難解な作品である。しかし、何故か惹かれるものがある、不思議な魅力を持った作品である。
まさしく芸術!
前作の「ブレードランナー」を観ず、かつ、「ブレードランナー2049」に関する前情報を一切仕入れない中での鑑賞。
激しいアクションシーンの多いSF映画なのだろうなとポスターから想像していたのですが、
良い意味で激しく裏切られた。
芸術性が非常に高くテーマが難解なのに、3時間弱という比較的長い時間ですが飽きることなく鑑賞することができました。
まず度肝を抜いたのが、映像表現の美しさ。
「インターステラー」を鑑賞した際にもCGを駆使した映像表現にとても驚きましたが、
「ブレードランナー2049」はそれ以上です。
「インターステラー」は自然を対象としたCG表現が巧みでしたが、
「ブレードランナー2049」は建物やネオンなどの人工物を対象としたCG表現が美しすぎる。
CGを用い、核戦争後の街の退廃的な雰囲気を醸成することが非常に上手い。上手いというより、芸術に近い。
加えて、テーマが「人造人間のアイデンティティ」という難解なもの。
「大義のために死ぬということは、もっとも人間らしい」という印象的な言葉が映画内で発せられましたが、そもそもの「人間らしさとはなにか」と考えさせられました。
レプリカントは人間の都合のいいように作られた「人造人間」ですが、主人公のKをはじめ、人間でない登場人物は人間特有のあらゆる感情を持ち合わせている。
両者を隔てるものは、「身体」という物体であり、さらに言えば、本作の核となる「繁殖機能の有無」だと思います。
なぜレプリカントが子どもを産むことができたのか、というもっとも大きな謎は明かされなかったので、続編「ブレードランナー2099」を楽しみにしておきます!
35年後に作られた、30年後の世界
カルト人気から世界的作品となったブレードランナーの正統なる続編。
監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。
ロサンゼルス市警所属のブレードランナー・Kは、郊外の農場で働いていた強力なレプリカント、ネクサス8型を処分する。
ドローン撮影での解析で、朽ちた農場の木の下に30年前に埋葬されたレプリカント・ネクサス6型の骨が埋まっていた。
骨にはなんと出産の痕跡があり、Kは大きな犯罪の臭いをかぎ取り、タイレル社を買い取りネクサス型の開発を引き継いだ資産家のウォレスを訪ねる。
前作から引き継いだ、前作以上の退廃的未来世界。
黙示録後のような滅びたラスベガスも、年老いたリック・デッカードも、そして彼がしがみつくレイチェルの記憶も全てが古くて新しい。
もしかして、自分も偽の記憶を植え付けられたレプリカントではないのかと疑い、悩み苦しむKと、彼を支える、美しき恋人ソフトのジョイ。
彼らが迫る、デッカードとレイチェルの子の真実とは?
巨額の制作費をかけたものの、またもや低空飛行となった本作ですが、やっぱりカルト人気と批評家の評判は高いという現状。
万人におすすめはしません。
前作を見た人ならわかると思いますが、アクション少なめ作品です。
ですがSFファンを公言する人なら、一度は見ても損はないし、自分のように波長の合う人もいるでしょう。
だってこの映画で主人公が空を駆けるスピナー、めっちゃかっこいい。
そしてデッカード役ハリソン・フォードの持つブラスター、なんと日本の留之助商店が作った超高精度なレプリカなのだ。
欲しいよね、留之助ブラスター。
デッカードの持つ、今風のレール付きのブラスターもまた佳きですよ。
最高❗️
ドゥニ・ヴィルヌーヴ、スゲえな😆
ハリソンフォード❗️
ライアンゴズリング❗️
素晴らしき捜査官たち👍
ブレードランナー
とても2017年に作られたとは思えない映画。
メタや複製といい今から来る近未来を見ているようだ。
ヌーブ監督は好きだけど、
全体的に荘厳な感じだけど、ちょっとお金かけすぎ感はあるかなと。
もう少し質素で簡素な感じでも良かったかなと。
CGにお金をかけすぎてアクターがぼやけてしまったように感じる。
また前作とのつながりの部分もいらなかったかなと。
完全オリジナル解釈でばちこり作り上げたほうが置いてけぼりの人が少ないのでは?とも思った。
バトル、背景、全てが中途半端感を感じてしまった。
狙いすぎて、長すぎる、間を取りすぎる、怪しさを出した差過ぎて冗長に感じる部分もあった。
ブレードランナー的な雰囲気はショートフィルムのほうが表現しやすいジャンルかもと感じた。
小説に出てくるイジドアが少しだけ見たかったな。
よく分からない世界観
古いタイプのレプリカントを追跡するのがブレードランナー。ライアンゴズリング扮する捜査官Kはレプリカントが妊娠した事実を知り全てを消す事を命じられた。皆、確かな何かを求めている。人造人間でも恋や愛が出来るのか。よく分からない世界観だね。
SFなのに奇跡持ち込んじゃってるし…
もう奇跡があると言い出したら
何でもありじやん、とのっけから萎える
見なず嫌いで2019年に前作を見て
今年(2022)2/1まで配信無料だと言うことで
やっと見た
あたしSFの難しいやつは訳わかんなくて
真剣に見てたんだけど
どうして前作の主役が出てきたのか今もわかんない😅
チーズ欲しいって言ってたけど
お腹空いてなかったのかな?
何食べて生きてたのかな〜
なんとなくなんたら社の側が悪役なんだろうけど、誰が味方でどの女が悪役なのかはっきりわからない💦
風景とゴズリングはカッコよかった
続編?
続編と言うより、スピンオフ作品として見た方が納得して見られる。
ブレードランナーは、試聴済みだが見なくてもそこそこ楽しめると思います。
大停電の前後を描いた、本当の続編を望みます🤲
AIの儚さ
素晴らしきSFの世界。想像力と映像の美しさに目を惹かれる。そんな人工美と対比したアナ・デ・アルマスの美しさよ…😍。彼女が演じるアンドロイド。私には身体がないの…、なんて悲しきI LOVE YOU。人間の定義とは…。「エクス・マキナ」同様、哲学的に考えさせられる作品でした
自分が何か特別な存在でありたい
この映画はレプリカントと人間というよりは、何か特別な人間でありたいと思う普遍的な欲求に関するものだと思える。
レプリカントとは労働としての価値しかないもの、人間とは生きるだけで価値のあるもののメタファーである。
現実に存在する僕ら人間であっても、自分の価値がどこにあるのか、その本能的な欲求は、レプリカント同様にあるのだろう。
ラストにかけての物悲しさと共に、自らの生きる意味について考えられる映画となっている。
長い長い序章?
旗印ー特別・奇跡、反乱軍。ラスボス。この物語はどこに行くのか。
『SW』『猿の惑星』『ターミネーター』他のサーガと同じような展開になっていくのか?
それらと比較できるほど、それらのシリーズを見ていないのだが、柳の下の泥鰌を狙っているようで、げんなりしてしまった。
それなら、前作のみでそっとしておいてほしかった。
映画は、前作をリスペクトして丁寧に作られている。
だのに、全くテイストが違う。
前作。(『ファイナルカット版』を鑑賞)
寿命を否定し、生きる続ける意志を煌めかせたレプリカント達。ロイだけでなく、すべてのレプリカント達が、最期の最期まで、命を燃やし尽くした。
舞台は酸性雨が降る街。バブル期さながら、荒れた土地を見捨てて、上へ上へと伸びたビル群。目立ったもの勝ちとばかりに、これでもかと乱立するネオンサイン。
発展と引き換えに、環境破壊・公害のやり放題。酸性雨が肌にあたって、肌が焼けそうな、そんなまがまがしい、ヒリヒリとした雰囲気・化学物質がまき散らされた世界。
欲・欲・欲の爆発。
荒廃した世界観を描きつつも、欲望が渦巻き、運命に抗おうとするエネルギーに満ち溢れた世界。
人間とは意志を持つ存在だとでも主張したかのような。
「生きたい」との意志を前面に押し出してくる、ロイをはじめとする脱走したレプリカント達。そして、その死にざま…。
それと並行して、はじめ”人間”として登場するレイチェルは、博士の言いなり。だが、自分がレプリカントかと疑うようになる頃から自分の意志で動き出す・・・。その行く末。
永遠に心に残る。行き詰った時、ロイを思う。流されそうになった時、レイチェルを思う。勇気をもらえる。
そして、今作。
なんと静謐な映画なのだろう。
絶望的な状況に陥り、それを否定し、抜け出そうと持てる力をすべて出し切ってあがく”動”の映画が前作なら、
その努力もすべて泡と化し、諦観の域に達したような。無力の域に達したような”静”の映画。
前作が”死”を扱いながらも”生”のエネルギーに満ち溢れているのに、今作は”産”を扱いながらも”滅”の影がちらほらする。
乱立するホログラムがゴーストー欲の残骸に見えてくる。
それでも、自分が何者なのか、自分の存在に意味を持たすことで、心を満たそうとする者がいる。
ラストの雪のシーンは宝箱にしまっておきたいほど、切なく、でも魂が満ち足りる。
Kだけをおえば、★5つなのだが…。
☆ ☆ ☆
記憶。
記録と何が違うのだろう?
自主学習機能を搭載したプログラムに、事実としての記録をインプットしたとして、そのプログラムなりの判断材料として、アウトプットは、どの記録的事実をインプットしたかによって変わってくるのだろうが。それを、人は個性と呼ぶのか。…状況次第であろう。ペットとして所有している場合は、持ち主は、それを”個性”と呼ぶのだろう。
客観的事実・心的事実。勘違い。意味づけの違いによってその記憶は幾様にも変わってくる。
催眠術・認知療法…。健忘・抑圧・否認・錯覚…。
記憶が失われることは恐ろしい。やはり記憶はその人であることの証明か?でも、でも…。
感情。
生まれて最初に分化するのは”快”と”不快”の感情だという。そして、その次が”恐れ”。生命維持のためだという。そして、集団の中で生きるために必要な喜怒哀楽。共感の素。
旧型レプリカントは自然に年数がたつと感情が芽生えてしまうから、寿命を短くしている設定だが、
新型レプリカントは、記録と感情をわざと持たされる。なぜ?場合によっては”嘘”の記憶まで用意して。質問するKにジョシはそれらしい答えを言っているが、私には???。レプリカントの為というより、一緒に働く人間が共感を求める存在だから、感情や記憶を持たせているのだろうと思う。
機械相手にオペレーション業務をしていた超初期の電話オペレーターは皆ストレス抱え、がっての日本電信電話株式会社はカウンセリングを”企業”として導入した第1号と聞く。一般的に、人間は24時間機械相手のみとは働けない。
すべて人間の都合。
なんと罪深い。
☆ ☆ ☆
労働力として制作されるレプリカント。人間がやれない、やらせられない過酷な作業に従事するために。
その彼らに対する差別。
自分たちが必要としているのに、
自分たちが必要とするから、記憶とか、感情とかいろいろな機能をつけているのに。
「労働力を呼んだが、来たのは人間だった」という予告の『おじいちゃんの里帰り』(合法的にドイツに働きに来たトルコ人たち)。
アフリカ大陸から強制的に、北・中・南米に連れてこられた黒人たち。やがて、ネイティブとのダブルも生まれて”サンボ”と呼ばれ、差別の対象になっていった。もちろん、侵略者である白人たちとのダブルも生まれるようになる。
7K・8Kの零細工場や第1次産業等、日本の現場が必要としているのに、”不法滞在”扱いされる日本人以外の方々。
この映画での、レプリカントと人間の関係。
歴史から学ばないのか我々は。
ここも評価を下げる要因の一つ。
人間は、「ありがとう」の連鎖は生まれないのか。自分たちだけでは生きていけないのに。
(東京国際映画祭2021 屋外上映にて)
DUNEから改めて見返しましたが、やはりキャメラが意味なく動かない...
DUNEから改めて見返しましたが、やはりキャメラが意味なく動かないことの素晴らしさ。大作で合成ゴリゴリでありながら、浮かぶのは古き善きアメリカ映画でした。素晴らしい監督だと思います。
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