インビクタス 負けざる者たち : 特集
【特別対談】芝山幹郎×サトウムツオ その5
■「映画の風」を信じて
ムツオ:役者たちにも基本的に「演技をするな」と言うみたいですね。「硫黄島」の日本人俳優たちには「感情を入れるな」と言っていたそうです。
芝山:それこそドン・シーゲルがそうだったみたいだけど、決まり文句が「Less」の一言なんですね。
ムツオ:まさに職人といった感じですよね。
芝山:ある意味ではそうですね。感覚というか、目分量でもピタリと入っちゃうんですね。
ムツオ:そういう意味では、スコセッシという監督は真逆で、ショットをたくさん撮るんですよね。
芝山:苦労しているんでしょうね。スコセッシには「考え落ち」の部分がありますよね。だから、彼は自縄自縛になってしまうことがあるでしょ。やりすぎちゃって、自分でどうして良いか分からなくなってしまうんですよね。例えば、「ギャング・オブ・ニューヨーク」のオープニングの雪の中の決闘なんてすごく良いんだけど、あれがあまりにも強烈過ぎたために、それ以降のショットが全部崩れてしまう。あんなにいいショットがあるのに、最初の20分で映画が終わってしまう。スコセッシの辛さがものすごく伝わってきて、逆に応援したくなる映画だったですね。
──イタリア系だからかどうかわかりませんが、スコセッシもデ・パルマも映画の中である種の山場を無理矢理に作ってしまうんですけど、イーストウッドは、そういう山場を作らずにストーリーを進めますよね。
芝山:さっきも言ったけど、やっぱりイーストウッドは「映画の風」をすごく信じていて、映画には放っておいても山場が来るということを知っているんじゃないかな。だけど、スコセッシは山場を作らなきゃいけないと思っているんです。そういう意味でも、イーストウッドはすごく勘のいい人なんだと思いますね。ひらめきがあるというか。
ムツオ:渡辺謙さんから、硫黄島に少しだけ行ったときの話を聞いたんですが、イーストウッドは光を見て海岸線を走り回っていたそうなんです。ここはこう撮って、ああ撮ってみたいなことがパッパッと浮かんで来るみたいなんです。
芝山:それが瞬時に分かるってすごいですねえ。例えば、われわれが畏れ多くも映画の現場に出てみたところで、仮に今12時50分として、1時半にどういう光になるかなんて読めないわけでしょう。それが読めなきゃ、映画監督という仕事はつとまらないわけで、恐ろしい話ですよね。これは黒澤明に直接聞いた話だけど、「小津さんはロケもセットみたいにしか撮れないといってたけど、僕はセットもロケみたいにしか撮れないといって、ふたりで笑い合った」ことがあるそうですね。
ムツオ:黒澤明は「天国と地獄」の特急こだま2号の身代金受け渡しのシーンを撮るために家を一軒解体してましたけど、イーストウッドはそういうことをしないでしょうね。
芝山:無理はしませんからね。無理をしないからこそこうやって続くわけだし、スキーのジャンプでいうと、長い距離が飛べるんですね。あれは空中でこわばると落ちるっていうじゃありませんか。こわばらないんだよね。
ムツオ:風をつかまえてるんでしょうか。
芝山:そう。結局そこに戻ってしまうんだけど、だからといって、イーストウッドをあんまり神格化するのはいやなんですよね。それに本人もあまり神格化されることを望んでいないと思う。今回も娑婆の話でしょ。イーストウッドの場合、偉いのは神秘的なところにいかないことでしょ。神格化とか、神秘化とか、そっちにいかないのはいいですね。見てて安心できますよね。これでスピリチュアルとかに行っちゃったら心配だなあ(笑)。
ムツオ:次回作の「Hereafter」がスピリチュアル・スリラーみたいですよ(笑)。
■イーストウッド映画の余韻
ムツオ:それにしてもイーストウッド映画って、なんでこんなに深い余韻があるんでしょうか?
芝山:余韻がありますよね。ワインでいうと、フィニッシュが長いんですよね。グラスを置いた後、香りが延々とあたりに漂っているわけでしょう。まず、イーストウッドという人間の器の大きさということが理由のひとつでしょうね。小さい人間だったら、あんなに余韻は残りません。いわゆる“馥郁たる香気”という感じではなくて、もっとじわーっと沁みるんですよね。歌の文句じゃないけど、「The moon descended, but the melody lingers on」という感じで、月が沈んだ後もメロディが漂っている感じなんですよね。いわゆる感傷的な人ではないんだけど、エモーションがとても深いんです。
ムツオ:他の映画作家よりも明らかにエモーションが深くて長いですよね。
芝山:あと、私は彼特有の距離感があると思っている。人間、風景両方に対してのもので、あんまり密着しすぎないんだけど、かといって無理矢理突き放すような真似はしない。まさに絶妙な距離感で作っているわけです。熱い湯だと、上がった後ですぐに身体が冷めるかもしれないけど、ちょうど良い温度のお湯は、上がった後もずっと身体が暖かいでしょう。それと似たような化学反応を観客にもたらすんじゃないかなと思うんですよね。その距離感、目の位置、それとハートの位置。これらがやはり、イーストウッドにしかないすごく固有のもので、それは計算できないものなんじゃないかな。