2009年公開の映画『沈まぬ太陽』は、山崎豊子の同名小説を原作とし、大規模なスケールで製作された社会派ドラマの傑作。航空会社の腐敗と、それに抗う一人の男の半生を描き出す。作品の完成度は極めて高く、日本映画史に残る重厚な作品として評価される。
作品の完成度
圧倒的な情報量と重厚なテーマを202分という長尺に凝縮した、驚異的な完成度。原作の膨大なエピソードを丹念に描き出しつつ、人間ドラマとしての深みを失わない脚本の妙技。アフリカでの壮大なロケーション撮影、御巣鷹山での墜落事故現場の再現など、細部まで徹底的に作り込まれた映像は観る者に強烈なリアリティを突きつける。企業内の権力闘争、労働組合の対立、そして国家のあり方といった複雑なテーマを、主人公・恩地の孤独な闘いを通して鮮やかに描き出す。社会派ドラマとしてだけでなく、一人の男の生き様を描いた人間ドラマとしても比類なき傑作。日本社会の闇を鋭く抉り出し、今なお色褪せない普遍的なテーマを持つ。
監督・演出・編集
監督は若き日の苦労を重ね、日本映画界の巨匠となった若松節朗。彼の演出は、静謐な抑制と情感の爆発を巧みに使い分け、観客の感情を深く揺さぶる。特に、恩地がアフリカの僻地で孤独に過ごすシーンや、御巣鷹山での墜落事故後の混乱を描いたシーンは、過剰な演出を排し、映像そのものが持つ力を最大限に引き出す。編集は、時系列を前後させながら、登場人物の過去と現在を織り交ぜる複雑な構成ながら、物語の骨格をしっかりと保ち、観客を飽きさせない。重厚なテーマを扱いながらも、エンターテインメントとして成立させているのは、若松監督の卓越した演出と編集の賜物。
キャスティング・役者の演技
* 渡辺謙(恩地元)
国民航空の労働組合委員長を務め、会社の不正を追求したためにパキスタン、アフリカの僻地へと左遷される主人公。渡辺謙は、恩地が味わう苦悩、孤独、そして不屈の精神を見事に体現。彼の演技は、抑制された感情の中に激しい情熱を秘めており、観客は恩地の心の叫びを肌で感じることができる。特に、アフリカでの過酷な生活の中での苦悩や、御巣鷹山での遺族への対応に苦慮する姿は、俳優としての真骨頂を発揮。権力に屈することなく信念を貫く男の生き様を、圧倒的な存在感で演じきった。彼の演技なくしてこの映画の成功はありえない。
* 三浦友和(行天四郎)
恩地の同期でありながら、出世のためには手段を選ばない男。労働組合の分裂後、会社の中枢に食い込み、恩地と対立する。三浦友和は、行天の冷徹さ、狡猾さ、そしてどこか哀愁を帯びた人間性を巧みに演じ分ける。恩地と行天の対立は、物語の主要な軸の一つであり、彼らの演技のぶつかり合いは観る者を強く引き込む。特に、恩地を前にした時の、複雑な感情を宿した表情は秀逸。行天というキャラクターの多面性を引き出し、物語に深みを与えている。
* 松雪泰子(三井美樹)
御巣鷹山で起きた航空機墜落事故の遺族。夫を亡くし、国民航空に対して激しい怒りと不信感を抱く。松雪泰子は、悲しみと怒り、そして絶望を抱えた遺族の心情を生々しく演じきる。彼女の演技は、事故の被害者の声なき声となって、観客に強い共感を呼び起こす。特に、国民航空の対応に抗議するシーンは、鬼気迫る迫力に満ちており、観客の心に深く突き刺さる。
* 香川照之(八木和夫)
国民航空の運輸部所属の整備士。御巣鷹山墜落事故の犠牲者となり、遺体となって恩地と対面する。わずかな出演時間ながら、香川照之の存在感は圧倒的。彼の演技は、事故の悲劇を象徴する重要な役割を果たす。遺体安置所で恩地が八木の遺体と対面するシーンは、この映画における最も印象的な場面の一つであり、香川の演技がその重みを増幅させている。
* 石坂浩二(利根川泰司)
国民航空の新会長。腐敗した組織の再建を託され、恩地を特別室に迎え入れる。石坂浩二は、利根川の知的で穏やかな佇まいの中に、改革への強い意志と覚悟をにじませる。恩地と対話するシーンは、物語の転換点であり、彼の落ち着いた演技が物語の緊張感を高めている。
脚本・ストーリー
山崎豊子の原作小説が持つ壮大なスケールと重厚なテーマを、過不足なく映画の脚本に落とし込んだ手腕は見事。航空会社の組織的な不正、労働組合の分裂、そして未曽有の航空機事故という複数の要素を、主人公・恩地の視点を通して統一感のある物語として構築。人間性の本質、組織と個人の葛藤、権力と信念の対立といった普遍的なテーマを深く掘り下げている。原作の持つ社会派としての鋭い視点と、人間ドラマとしての深みを両立させた脚本は、日本映画の歴史に残る傑作。
映像・美術衣装
アフリカでのロケーション撮影は、乾いた大地と灼熱の太陽を捉え、恩地の孤独と苦悩を視覚的に表現。一方で、御巣鷹山の墜落現場の再現は、悲劇の現実を観客に突きつける。国民航空の社屋や役員室、恩地の自宅など、細部にまでこだわった美術は、それぞれの場所が持つ空気感を正確に伝えている。衣装も、登場人物の階級や立場、心情を反映しており、物語のリアリティを高める重要な要素。
音楽
岩代太郎が手掛けた音楽は、物語の重厚なテーマに寄り添い、観客の感情を揺さぶる。特に、恩地が一人でいるシーンや、御巣鷹山での悲劇を描いたシーンで流れる音楽は、静謐でありながらも力強く、映像の力を最大限に引き出している。主題歌「見上げてごらん夜の星を」は、坂本九の歌声が主人公の心情と重なり、希望と悲哀を表現。映画の感動をさらに深めている。
受賞・ノミネート
* 第33回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演男優賞(渡辺謙)、最優秀助演男優賞(三浦友和)など、全12部門で受賞。
* 第34回報知映画賞最優秀作品賞、最優秀主演男優賞(渡辺謙)受賞。
* 第64回毎日映画コンクール日本映画大賞受賞。
作品
監督 若松節朗
124×0.715 88.7
編集
主演 渡辺謙A9×3
助演 三浦友和 A9
脚本・ストーリー 原作
山崎豊子
脚本
西岡琢也 A9×7
撮影・映像 長沼六男
A9
美術・衣装 小川富美夫 B8
音楽 住友紀人 B8