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人体に寄生する地球外生命体“エイリアン“の恐怖を描くSFホラー『エイリアン』シリーズの第4作。
前作から200年。連合軍の医療研究用宇宙船「オリガ号」で秘密裏に行われていた実験により、リプリーはクローンとして甦る。しかし、彼女のDNAはエイリアンのものと融合してしまっていた。
時を同じくして、民間貨物輸送船「ベティ号」が積荷を降ろすためにオリガ号とドッキングする。そのクルーの1人、コールはある使命を果たす為にリプリーの下へと向かう。
様々な思惑が交差する中、実験体として飼育されていたエイリアンが脱走。オリガ号は阿鼻叫喚の地獄と化す。生き残った軍関係者、ベティ号のクルー、そしてリプリーは脱出する為に行動を共にするのだが…。
監督は『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』の、名匠ジャン=ピエール・ジュネ。
ベティ号のクルーの1人、アナリー・コールを演じるのは『シザーハンズ』『ナイト・オン・ザ・プラネット』の、名優ウィノナ・ライダー。
『エイリアン3』(1992)において、エイリアン・クイーンの幼体と共に溶鉱炉に飛び降りるという壮絶な最期を遂げたリプリー。
主人公が死んだッ!『エイリアン』シリーズ完!…と、普通ならなるところだが、金のなる木は骨の髄までしゃぶり尽くすのがハリウッドの恐ろしさ。リプリーをクローン技術により復活させるというトンデモ展開により、原題通りシリーズは「レザレクション」する事となった。
リドスコ、キャメロン、フィンチャーと来て、次にバトンを渡されたのはフランス人監督のJPジュネ。後にあの大ヒット作『アメリ』(2001)を監督し、世界を席巻する事になる。
考えてみればこの『エイリアン』、4作品もあるにも拘らずその全てで監督が異なっている上に、全員が青田買いという稀有なシリーズ。4人の監督が皆、その後の映画史に名を刻むような大監督へと成長している訳で、この「エイリアン・シンドローム」とでも呼ぶべき不思議な現象が何故引き起こされるのか、それは今もって謎に包まれている。
監督ごとの作家性の違いがみえるのが『エイリアン』シリーズの面白さだが、本作にもやはり監督独自の味が染み出している。
本作のジャンルはずばり「ブラック・コメディ」。グロテスクさやダークさはこのシリーズの定番だが、本作でのそれははっきり言って度を超えている。「暴力と笑いは紙一重」とは常套句だが、確かに人体破壊描写も過剰過ぎるとそれはもうお笑いであり、本作において監督は明らかに意図してバイオレンスをコメディとして描いている。頭をかち割られた将軍が自分の脳みそを見ながら絶命するとことか、ニューボーンがダイソン殺法で吸い取られちゃうとことか、やり過ぎててもはや完璧にギャグシーンである🤣
撮影監督のダリウス・コンジ、特撮監督のピトフ、編集のエルベ・シュネイなど、メインスタッフはフランスでJPジュネと共に映画を作っていた面々。メイキングでスタッフが発言していたが、本作は「エイリアン(異邦人)」によって作られた『エイリアン』なのである。
それもあってか、この映画はハリウッド製作の大資本映画であるにも拘らずヨーロッパ映画の様な趣に満ちている。前述したグロすぎるブラック・コメディや、甘美なエロティシズム、ケレンの効きすぎてるアクションシーンなどは、よくぞ20世紀フォックスがこれを許したなと感心するほど。
映像面もフランスらしく、芸術性が高く美しい。銀残しにより生み出された渋みのあるルックに、リアリティのあるセットや小道具、アニマトロニクスとCGIが巧みに織り交ぜられたエイリアンなど、画面がその世界観を能弁に語っている。ヴィジュアルの妖艶さは誰もが認めるところなのではないだろうか。
メイキングによると、本作のテーマは「境界線」であるという。残忍なエイリアンにより人間が惨殺される、という一見「悪」と「正義」がはっきりと区別された物語の様にみえるが、オリガ号で行われている実験は非道そのものであり、そこには人間性のカケラも残されてはいない。ヒーロー的なポジションでストーリーを牽引するベティ号の乗組員たちも、元々は宇宙海賊。人体実験の犠牲者は彼らが攫ってきた者たちなのである。
事程左様に、今作においては人間が「善」でエイリアンが「悪」などといった単純な構図にはなっていない。人間は等しく業を背負っており、エイリアンはそんな彼らの悪業の産物なのである。
しかしながら、悪人が自らの行いによって裁かれる、という単純な図式で割り切ってしまえるほどその残虐描写は生優しくはない。あのメガネくんなんかは完全に巻き込まれただけの存在な訳だしね。善悪の境界線は限りなく曖昧であり、観るものによってその線引きが変わるところが本作の面白みなのかもしれない。
エイリアンと人間の境界線もまた不確かではっきりとしない。クローン技術により蘇ったリプリーはそのDNAがエイリアンのものと混ざり合ってしまっており、高い身体能力や腐食性の血液など、その身体的特徴はエイリアンに由来している。
逆に、エイリアンもまたリプリーのDNAを受け継いでいる。特に、ニューボーンは他のエイリアンに比べかなり人間に近い造形となっており、その円な瞳には明らかに感情が宿っている。
リプリーとニューボーン、限りなく近い存在である2人のシンパシーが悲痛なトラジェディーを生み、また彼らが人間サイドに転ぶのか、はたまたエイリアンサイドに堕ちてしまうのか、そのどちらとも読めない展開がドラマにサスペンスを生み出している。密室での逃走劇という『1』や『3』の流れを汲みながら、それらとは全く違う味付けになっている点はもっと褒められてしかるべきだと思う。
興行的な不振により、シリーズはここで一旦完結。まぁでもリプリーが数百年の長い旅を経て地球へと帰還するというエンディングは最終作として申し分ない展開だと思う。
その後『エイリアンVS.プレデター』シリーズ(2004-2007)という珍作が登場した事により一気にB級化してしまった『エイリアン』。しかし、このオリジナルシリーズは間違いなくSFホラーの金字塔であり、今後もその地位が揺らぐ事はないだろう。リプリー&シガニー・ウィーバー、18年間お疲れ様でしたっ🎉
……でも、『トップガン』(1986)の如く30周年記念とかでまた復活してくれても全然ええんやで。