ロマン・ポランスキー
現代を代表する映画監督の1人。仏・パリに生まれ、第2次世界大戦を目前に両親に連れられてポーランドへ。戦時中はナチスから身を隠しながら生き延びる。戦争が終わるとポーランドの映画学校に通い、短編を制作。長編監督デビュー作「水の中のナイフ」(62)は米アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。英国に拠点を移し、「リパルジョン 反撥」(65)、「袋小路」(66)、「吸血鬼」(67)などで評価を高め、ハリウッド進出作「ローズマリーの赤ちゃん」(68)は大ヒットを記録する。
前途洋々にみえた69年、当時妊娠8カ月だった妻で女優のシャロン・テートがカルト集団「マンソン・ファミリー」に殺害されるという悲劇を体験する。苦難を乗り越え、74年に発表した「チャイナタウン」はアカデミー賞11部門にノミネートされ高い評価を獲得するが、78年、未成年の少女に性的暴行を加えたとして有罪判決が下ったためフランスに逃亡することに。
その後も映画製作を続け、「戦場のピアニスト」(02)でアカデミー監督賞を受賞するが、米国に入国できないため授賞式には出席できなかった。09年、スイス・チューリッヒ映画祭に参加した際、米国の要請を受けたスイス警察に身柄を拘束されたが、翌年釈放。この時期に製作していた「ゴーストライター」(10)でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞した。89年には女優エマニュエル・セニエと3度目の結婚をしている。