ウィリアム・ワイラー

英語表記
William Wyler
誕生日
1902年7月1日
没日
1981年7月27日
出身
フランス/オー=ラン県

ユダヤ系の両親のもと、ドイツ帝国領当時の仏アルザス地方に生まれ、初期の映画や舞台芸術に親しむ。1920年、母の従兄弟カール・レムリが設立したユニバーサル映画に職を得て、18歳で渡米。サイレント短編「The Crook Buster」(25)で監督デビューし、以降5年にわたりB級西部劇の監督を務める。

ユニバーサル初の屋外トーキー作品「砂漠の生霊」(29)で手応えを得た後、プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンのもと「孔雀夫人」(36)や「嵐が丘」(39)を手がけ、前者でアカデミー監督賞と作品賞に初ノミネートされた。「ミニヴァー夫人」(41)で5度目のノミネートにして初のアカデミー監督賞、作品賞を受賞。

第2次大戦後、「我等の生涯の最良の年」(46)で2度目のアカデミー監督賞、作品賞を、初の色彩作品「友情ある説得」(56)でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した。歴史大作「ベン・ハー」(59)は3度目のアカデミー作品賞と監督賞を含む史上最多の11部門を受賞。

「ローマの休日」(53)はオードリー・ヘプバーンを、「ファニー・ガール」(68)はバーブラ・ストライサンドをそれぞれ初のアカデミー女優賞受賞に導き、幅広い作品を世に送り出してアメリカ映画の巨匠の地位を築いた。81年、ビバリーヒルズにて死去。

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