アンドレイ・タルコフスキー
ソ連に生まれ、詩人だった父の影響を受けて幼少期から音楽や絵に親しむ。モスクワの全ロシア国立映画大学で学び、卒業制作「ローラーとバイオリン」(60)でニューヨーク国際学生映画コンクール第1位を獲得。長編第1作「僕の村は戦場だった」(62)でベネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞し、国際的な注目を集める。長編第2作「アンドレイ・ルブリョフ」(69)も国際的な評価を得るが、ソ連では問題作とされ上映禁止となった。「惑星ソラリス」(72)でカンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリを受賞。「鏡」(75)や「ストーカー」(79)をソ連で製作した後、イタリアで撮影した「ノスタルジア」(83)でカンヌの国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞と監督賞を受賞し、1984年に西側への亡命を発表。86年12月、遺作「サクリファイス」の制作後に肺がんのためパリにて死去した。同作はカンヌのFIPRESCI賞と審査員特別グランプリを受賞。水や光を豊かに用いた作風で、映像の詩人と呼ばれた。