惑星ソラリス
劇場公開日 1977年4月29日
解説
ロシアの名匠アンドレイ・タルコフスキーが、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの代表作「ソラリスの陽のもとに」を映画化した傑作SF。未知の生命体と接触し極限状態に置かれた人間の心理を独特な映像表現で描き、1972年・第25回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。海と雲に覆われ、生物の存在が確認されていない惑星ソラリス。科学者たちはソラリスの海に理性があると考え接触を図るが、失敗に終わる。宇宙ステーションは謎の混乱に陥り、地球との通信が途絶えてしまう。心理学者クリスが原因究明のため送り込まれるが、友人の物理学者は既に自殺しており、残る2人の科学者も怯えきっていた。やがてクリスの前に、数年前に自殺した妻が姿を現す。
1972年製作/165分/ソ連
原題:Solaris
配給:日本海映画
スタッフ・キャスト
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2022年5月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
37年ぶりに観た。
といっても当時観たのは短縮版(東京12ch版?)だったので、やっと本来のヴァージョンを観ることができた。
その短縮版ですら、だいぶ冗長に感じていた本作、あの衝撃のラスト以外は殆ど内容は忘れていたが、やはりずっと気になっていたのは、知性を持つソラリスの海と人間は、結局コミュニケーションは出来ていたのか?
だったのだが…
ん?
え?え?ない?え?ない?ない?
………
な、な、ない…
無いって、どういうこと?!
映画にしたら最もスリリングになるはずだった、そんな部分をバッサリ捨て去るとは…
もう本当、なんというか…
まったくもって大変に失礼ながら…
本当、バカなんじゃねえの?
………
後で知ったが、原作者のレムが口論の末に怒りまくったのも無理もない。
やっぱりタルコフスキーはエリート主義(言い換えると芸術至上主義)が過ぎるというか、結局は我田引水なんだろう。
主人公の妻が声高に訴えていた科学技術に対する不信感も妙に説教臭かったし。
心理学者であるはずの主人公も、近代&現代以降の心理学のメソッドを駆使するような事も無く、殆ど心理学者には見えなかった。実は心理学それ自体に懐疑的になっているように見えなくもなかったが…
であるなら、明らかにそれと匂わす印象的な描写は入れて欲しかった。
宇宙ステーションのセットデザインの方も、あのキューブリックの『2001年〜』の後発なんだから、もうちょっと気合い入れて欲しかった。予算は潤沢にあったようだし。
あと突然、東京の首都高のシーンが出てくるが、アレは一応、未来都市としてのフッテージだったらしい…
我々にしてみれば、懐かしの70年頃の東京へ突然タイムリープっていう感じにしかならないし、ましてやリアルタイムで観ていた人達にしてみれば、なんでSF映画なのに現代の東京?と思ったに違いない。
本来は大阪万博のパビリオンを未来都市の背景に利用したかったらしいが、それにしたって間違いなく懐かしの70年代映像にしかならなかっただろう。
こういった辺り、本当にズレてるというか、手抜きというか、本気でSF映画を作ろうという気概はなかったみたいだ。
タルコフスキーにしてみれば、SF的な作り込みなどは、単にオモチャの延長でしかなく、彼なりの芸術とは無縁だったのかもしれない。
あのラストといい、冒頭からの水の描写といい、素晴らしい映像が多かった分、なんとも勿体ないことをしたもんだ。
映像としての魅力がズバ抜けている部分と残念な部分、そして原作において最も重要なテーマを確信犯的にオミットしてしまう部分…
ソダーバーグがリメイクしたくなるのも良く分かるような気がした。
2022年2月23日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
Blu-rayで新装版が出ているので、買ってしまった。4000円位したが、配信されていないので、仕方ない。
封切りで見たのと、一昨年、渋谷のアップリンクで見た。
スタニスワフ・レムの原作を読んで、映画も見る事にした。だから、タルコフスキーの映画だから見たのではない。
最初見た時、舞台劇の様で、面白くなかった。
アップリンク渋谷で見た時は、ベタな映像だなぁって思った。
つまり、原作を超えていないなぁと思った。
そして、今回は、原作をある意味、忠実に再現しているのでは。と感じた。つまり、面白かった。
ソ連の映画って、上空から見下ろすと言った空撮が多いと思う。ボンダルチェクの戦争と平和もそんな場面が多かった。惑星ソラリスもその手法が使われていると思う。
宇宙開発競争が米ソの間で高まるなか、神の領域を思わせる映画が、「2001年宇宙の旅」と、そして、この「惑星ソラリス」だった。
日本人には、近未来の場面に、東京の首都高が使われていることが親しまれている。飯倉のところの秀和レジデンスのマンションは今でもある。
「2001年宇宙の旅」では、積極的に宇宙に進出していこうとする人類に対して、AIコンピュータのHALが、神を恐れているなど非常に人間的に描かれていて、その逆説的な表現が斬新だった。
「惑星ソラリス」は、実は、神の領域というより、神々の作りたもうた人間とはいかなる存在かとか、無意識のなかに潜み、自分を捉えて離さない、そう、縛り付ける人の幻影やものをどう考えるかがテーマだと思う。
無意識のなかに潜むものについては、「ストーカー」にも引き継がれるテーマだ。
僕達は、亡くなったり、別れた愛する人の幻影を事あるごとに思い出したり、追い求めたりしてはいないだろうか。
家族もそうだ。
生まれ育った街や田舎も同様だ。
アイデンティティとはそういうものだろう。
だが、意図せず別れた人は、常に、人の心を捉えて離さないことは多いのではないのか。
ふとした時に、群衆の中に、似た人の姿を見出したり。
それは、ソラリスの海のように無意識のなかを循環して、時々、姿を現し、元気づけることもあるかもしれないが、多くの場合は人々を惑わせ、混乱させるのだ。
もし、ソラリスのように、それが現実のものとなって出現したら『その人はその人』なのだろうか。
人は、人の幻影が作り出したものではない。
それは誰しもが理解していることだ。
しかし、人の心は、そうした幻影に縛られてしまうのだ。
ソラリスの海に島や家が出来て、家族もいる。
それは、何かを生み出しているようで、実は人が自分の心のなかに閉じこもるようでもある。
これも、一種の逆説的な表現なのだろうか。
そして、どこか寒々しさも感じてしまう。
神は、こうした幻影に揺らめく僕達に、何を問うているのだろうか。
どうしろと言っているのか。
仏教は、執着は良くないということが多い。
でも、執着は、とても人間らしいことではないのか。
親鸞は、執着を否定していなかったように思う。
「惑星ソラリス」が提示するテーマは、これからもずっと、時代時代で、人々が個人としてずっと考え続けなくてはならないテーマなのだ。
2021年3月9日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
美しい水面に揺れる水草、バックに流れるシンセサイザーによるバッハのクラッシック。オープニングから心を奪われる。
静かなトーンで語られる本作は、全編そのBGMのごとく物悲しさで溢れている。
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