松坂桃李、デビュー時から振り返る俳優としての尽きせぬ覚悟
2022年5月5日 10:00
李相日監督が2020年本屋大賞を受賞した、凪良ゆう氏の小説「流浪の月」を映画化すると聞き、意外な印象を覚えた映画ファンは少なくないのではないだろうか。だが、吉田修一氏の原作を映画化した「悪人」「怒り」、ハリウッド映画の金字塔をリメイクした「許されざる者」など、李監督が一貫して痛みや苦しみに耐えてきた人に訪れる救いを見出してきたことを鑑みれば、それも合点がいく。そして今作で、「痛み」と「救い」を一身に受け止め、共に歩むべき“戦友”として指名したのは、広瀬すずと松坂桃李だった。映画.comでは、ふたりにロングインタビューを敢行。後編では、松坂編をお届けする。(取材・文/大塚史貴、写真/間庭裕基)
松坂が「流浪の月」で息吹を注いだ佐伯文は、これまでで最も難解な役であったことは容易に察しがつく。筆者が文に初めて会ったのは、昨年7月のこと。今作のクランクイン直前のタイミングで取材をした「孤狼の血 LEVEL2」のインタビュー時、不思議な感覚にとらわれた。会話の内容は「孤狼の血」で心血注いだ日岡秀一についてなのだが、会った瞬間から松坂がまとっている雰囲気は既に文であることを感じ取ったからだった。
「おっしゃる通りですね。あの時は撮影準備期間でしたので、確かに文に入り始めていたと思います。僕にとって、佐伯文という役は今まで演じてきた役の中で一番難しかったんです」と朗らかに笑う松坂は、初めて対峙した李監督について問いかけると、目を爛々と輝かせながら話し始めた。
「ここまで作品と役に対して、そして人に対して真摯に向き合っている方は今まで見た事がなかったと思うくらい、何から何まで真摯に向き合っていらっしゃいました。一切の妥協を許さないし、役者がカメラの前に立った時に、実際に役として立てているのか、そうでないなら『立てるまで待つ』ということをする方なんです。色々な方から『厳しいよ』と聞いてはいましたが、僕としてはむしろ心強かった。これまで演じてきた役の中で、最もハードルの高い役を李さんという心強い監督と一緒に作る事ができて幸せでした」
今作は夕方の公園、雨に濡れた10歳の更紗に19歳の大学生・文が傘をさしかけるところから始まる。引き取られている伯母の家に帰りたがらない更紗の意を汲み、部屋に連れ帰った文のもとで更紗は2カ月を過ごすことになるが、やがて文は誘拐罪で逮捕されてしまう。それから15年後――。いつまでも消えない「傷物にされた被害女児」と「加害者」という烙印を背負ったまま再会を果たした、更紗と文にしか分からない愛の物語といえる。
広瀬にも同じ言葉を投げかけたが、エンドクレジットに至るまでの150分を通して「ふたりとも自己ベストを更新してみせたトップアスリートのような芝居」を、観る者に投げかけてくる。松坂でいえば「ツナグ」「孤狼の血」「新聞記者」、広瀬であれば「海街diary」「ちはやふる」などが挙げられるように、自らのプロフィールにピックアップされる年代に応じた代表作の存在が、否が応でもつきまとう。だが経験を重ねてきたからこそ、その時、その年齢でしか成立し得ない表現方法が存在するわけで、今作は現時点での「松坂桃李のベストパフォーマンス」と言い切れるほどに出色であった。
そして、そのベストパフォーマンスを引き出すうえで、俳優と同じ目線に立って並走した李監督の立ち居振る舞いは、松坂に大きな勇気をもたらしたようだ。
「一緒に役と同じ目線に降りて来てくれる監督はもちろんいらっしゃいますが、李さんは一緒に役になってくれるんです。更紗との大切なシーンでは、リハーサルに2日かけたのですが、1日目は『これは宿題だなあ』と李さんがおっしゃって解散になりました。翌朝、現場に行くと『実際に文になって、ホテルの部屋でひとりでやってみた! こう思ったよ』とアドバイスをくれたんですね。実際にやってくれるのか! とビックリしました。僕にとって、それはすごく心強かったんです」
それでも、心強さと同じくらい、出口の見えない迷宮をさまよっている感覚を抱きながら悪戦苦闘したはずだ。そんな時、松坂は何を心の拠りどころとして作品世界を生き切ったのだろうか。
「撮影の順番が更紗と文の回想シーン、10歳の更紗とアパートで過ごした時間から、撮影がスタートしたんです。撮影に入る前、役と向き合うにあたってディスカッション、リハーサル、自分なりに日記を書いてみたりと色々やってみたものの、どこかで文として霧の中にいるような状態で『これでいいんだろうか?』と不安の中にいました。そんな時に、更紗と過ごしたアパートでの自由なひと時は幸せな時間だと思えたんです。最初に回想シーンの撮影があったから、大人になった更紗と再会した15年後のパートも乗り切る事ができたと思います」
松坂と顔を合わせると、ある光景を思い出して互いに笑い合うことがある。それは、2017年4月に広島・呉で撮影が行われていた「孤狼の血」の“いわくつき”と形容したくなる養豚場のシーンでのこと。大きなネタバレをはらんでいたため、1行も原稿に出来ないと聞かされて呆然とする筆者は、長い待ち時間を使って松坂と色々な話をした。その際、「20代最後の1年をいかに挑戦の年にするか、をテーマに過ごしているんです」と話していたことが忘れられない。あれから5年が経ち、松坂はいま何を見据えているのだろう。
「あれからもう、5年も経つんですね。あっという間だなあ。今回の作品では、僕にとって初めてと言って良いくらい、ひとつの作品に対して凄く時間を費やしたんです。今までは短いスパンで積み上げて構築していき、走りながら表現を作っていく感覚に近かったんです。それを今回は止めて、腰を据えた状態で何カ月も前から役に対してどれだけ思いを馳せ、どういう準備をし、現場でいかに過ごすか……ということを一貫して出来た初めての作品になりました。
そのアプローチに挑んでみた結果、俳優デビューから13年間で培ってきたこと、学んできたこと、自分の内なる声にいたるまで初めて全てを出し切ることが出来たと思えた作品になりました。達成感よりも、悔いのない作品になった……という感情が芽生えました。20代では色々挑戦をして、とにかく走り続けました。頂いた作品に対して、今回のような時間のかけ方をすることでどう熟成された芝居が出て来るのかは、自分でも未知数。30代はこういうことを積み重ねていきたいなと強く思いました」
松坂がのたうち回って文という役を生き切ったように、更紗役の広瀬も2カ月半におよぶ撮影期間は戦いの連続だったはずだ。広瀬とは「いのちの停車場」に続く共演。先にインタビューをした広瀬は、「文、ありがとう……ですよ。更紗を生き抜くには桃李さん、文が私にとって唯一の光。うーん、ありがとうでもないのか……。文は特別過ぎて言う事がないです」と話している。
「すずちゃんにとって、李さんとは『怒り』以来の再会になるんですよね。再会だからこそ、思いがひとしおだったと思います。準備段階の時からまとっている空気が全然違って、全く異なるスイッチをオンにしている感じで、気迫を感じましたね。僕からしたら、『まだ隠し持っていたのか!』という思いでしたよ(笑)。お互いに精進して、また5年後くらいにご一緒できたら有意義な現場になるでしょうね」
主演のふたりはもとより、共演の横浜流星、多部未華子にいたるまで、見どころの多い芝居場がちりばめられている。李監督が悩み抜いて完成させた脚本は、原作とは異なり大人になった更紗を主軸にしている。そのうえで、ふたりが共に過ごした時間、文という人間の実像を本筋とは別のところで立ち上げるのに困難を強いられたようだ。
本編中、逮捕される直前の湖で文と更紗は固く手を握り合っている。文の「更紗は、更紗だけのものだ。誰にも好きにさせちゃいけない」という言葉と手の感触を頼りに、更紗がその後の人生を歩んできたことからも、作品全体にとって大きな意味を持つセリフといえる。自分の人生に置き換え考えてみた時に適切な答えが見出せないが、松坂にとって何かにどうしようもなく委ねた感触の記憶を掘り起こしてもらった。
「あんなにも壮絶なことを経験したことがないのですが、学生時代、塾へ通っていた時の20代中盤くらいの若い先生のことが忘れられないんです。すごく気さくな良い先生で、『受験頑張れ!』って力強く握手してくれたのをいまでも覚えています。なんで覚えているかというと、その先生が事故で亡くなってしまったんです。だからこそ一層、あの時の記憶がより明確になるんでしょうね。握手だけじゃありません。先生と話した時に流れた温かい時間の記憶は、僕の中に鮮明に残っています」
松坂を取材し始めてから10年が経過したが、1年ごとに確信が強くなっているのは「1.01と0.99の法則」を無意識に体現できる人物であるということだ。これは、現状を「1.00」とした時、たった「0.01」の努力を1年間続けるだけで「1.00」が「37.783」になるのに対し、たった「0.01」の怠慢を1年続けると「1.00」は「0.025」にまで目減りしてしまうことを表している。
筆者がその思いを深めたのは、大友啓史監督のひと言にある。昨年、大友監督の10週連続掲載の短期連載を担当した際、松坂が出演した「秘密 THE TOP SECRET」について触れる回があった。その撮影で大友監督が強く印象に残っていることとして、「死者にも感情が『残っている』ことを表現したくて、死んだ状態で涙を流すというめちゃくちゃな芝居を桃李くんに要求してしまったことですね。本人は『やってみます』と言ってくれたけれど、目を閉じたまま、筋肉を動かさずに涙を流す――なんて無茶な要求をしてしまったんだろう」と振り返っている。この姿勢の源泉はどこからきているのだろうか。
「ははは、監督から言われた気がします。だって、『やってみます』と言うしかないじゃないですか(笑)。源泉というか、自分を信用していないんです。僕自身、自分がここまでやれる、こういう事は出来ない、というものがないんです。自分を信用していないからこそ、『えっ? 死んだまま涙を流す? やった事がないな。分かりました。取り敢えずやってみます』となっちゃうんです。絶対に出来るという自信はないけれど、絶対に出来ないという自信もない。『僕自身もやってみないと分からないので!』というところからきているんだと思います」
どれだけ取材を重ねても、刹那的なことを言ってしまえば作品ごとに多くて年に数回、顔を合わせているに過ぎない。撮影中、もしくは準備期間中に如何に豊かな時間を過ごし、内なる声との対話を続けているかで、次に対峙した際に驚きを禁じ得ないほど変わってしまうことは、良い意味でも悪い意味でも多々ある。30代を迎えてより人間味が溢れてきた松坂は、デビューから現在にいたるまで何を見て、どのような対話を重ねてきたのか聞いてみた。
「もともと、この仕事を長く続けようと思っていたわけではなかったんです。『侍戦隊シンケンジャー』をやらせて頂いたわけですが、撮影期間は約1年。それが終わったら、大学に戻ろうと思っていました。当時は、俳優という仕事に対する意気込みもその程度だったんです。映画も全然観ていませんでしたし。事務所に入ったばかりの頃、マネージャーさんに好きな作品を聞かれてもハリウッド超大作のタイトルしか答えられないほど知識もなかった。
でも、シンケンジャーが終わった後に深作健太監督の『僕たちは世界を変えることができない。 But, We wanna build a school in Cambodia.』に呼んで頂き、出演が決まった。この作品が、僕を形成するうえで全ての始まりだったかもしれないですね。それまで海外へ行った事がなかったのですが、カンボジアで学校を作るという作品なので、撮影もカンボジアで行いました。人生初の海外で、向井理さん、柄本佑さん、窪田正孝さんと4人でカンボジアを巡るシーンでも、監督から『セリフは特にないので、思った事を口に出してください』と言われ、“こんな撮影方法もあるんだ!”と衝撃を受けたんです。
それまでの1年間、シンケンジャーでは決めるところは決める! みたいに型にこだわってやってきた身としては、すごく新鮮だったんです。そこから俳優の仕事に対する興味というか、自分が俳優としてどういう表現が出来るのか、チャレンジ精神や挑戦心みたいなものが芽生え始めた第一歩だったような気がします。あの作品がなければ、こんなに映画に対して興味が湧くこともなかったかもしれない。僕にとっては、全ての始まりだったかもしれないですね。
それ以降では、NHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』に出演させて頂きました。10代から実年齢よりも上の50代くらいまでを演じたわけですが、劇中で結婚して子どもが生まれ、家族が増えて……という人生を1年以上もかけて撮影したというのは、大きな財産です。『人生を生きるとは、こういう事か!』と教えてもらった気がします。
舞台でも、『ヘンリー四世』で蜷川幸雄さんと初めてお仕事をさせて頂いた時に、舞台俳優としてのいろはを叩き込んでくださいました。どの作品も、毎回プレゼントを頂いている気がするんです。だから自分も、頂いたからにはお返しをしなくちゃ! という気持ちで毎回真剣に向き合ってきましたし、これからも変わる事はないと思います」
李相日という作家性の強い監督との仕事を経験したことが、松坂の内面にいかなる“激情”をもたらしたのか。再びエポックメイキングな作品と向き合うことになった時に、その真価が発揮されるはずだ。
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執筆者紹介
大塚史貴 (おおつか・ふみたか)
映画.com副編集長。1976年生まれ、神奈川県出身。出版社やハリウッドのエンタメ業界紙の日本版「Variety Japan」を経て、2009年から映画.com編集部に所属。規模の大小を問わず、数多くの邦画作品の撮影現場を取材し、日本映画プロフェッショナル大賞選考委員を務める。
Twitter:@com56362672
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