ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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人の奥底にあるもの…?
アカデミー賞受賞作品らしく、芸術性の高い作品と言える。映画というより、本作で扱われているチェーホフの戯曲をモチーフにした、舞台演劇を観ているような感覚だった。村上春樹の原作『女のいない男たち』は、単行本発売当時に既読。本作は、僅か60ページ程の短編の為、それを3時間の映像にするのは、どんな感じだろうと思って鑑賞。
作品としては、3つのステージから構成されている。第1ステージとしては、主人公の舞台俳優で演出家の家福とその妻・音とのミステリアスな愛情劇。第2ステージは、広島で、キーパーソンとなる俳優・高槻等と行う舞台稽古風景。そして第3ステージが、家福の車のドライバーを務めるみさきとのドライブシーンと、特に大きなピークがあるわけでもないが、原作には無いシチュエーションを差し入れて、淡々とした会話劇が続く。
しかし、登場人物がそれぞれに抱える奥深い思いや、美しい日本の原風景を映し出すカット割り、そして、何といっても真っ赤なサーブの中での会話劇の展開に、時間を絶つのも忘れて魅入った。一つ一つのセリフの言い回しや重さ、セックスと言うものへの畏敬を感じさせるのは、それこそが、村上文学の神髄なのかもしれないし、そこを濱口監督が、巧みに映像化している。
主人公の家福を演じた西島秀俊は、妻の死から目を背け、散々、現実逃避をしている中、最後の最後で妻への思いを溢れ出し、人間の弱さを露呈する演技は見事。また、家福のそんな心に封じていた思いを引き出した、ドライバー役の三浦透子の演技も、これまた素晴らしい。感情を表に出さず、数少ない台詞の中にも、みさきが引きずる過去や、家福に与える存在感までも感じ取れた。
また、作品中で扱われていた、チェーホフの戯曲『ワーニャの伯父さん』を日本語だけでなく、英語、韓国語、そして手話も用いて、それぞれの訳をスクリーン映し出して台詞を言うというのも斬新。多文化共生社会への敬意もうかがえ、最後に、物音ひとつしない劇場で、手話によって語られるシーンは、圧巻だった。
ラストシーンは、日本だけでなく、韓国でも認められ、演劇が公開れたということと理解し、韓国への配慮も伺えた。サーブでドライブしながら、みさきと家福が、サンルーフを開けて、煙草の煙をたなびかせるシーンは、記憶に残る名シーンとなるだろう。
文学×映画
村上春樹作品は言うまでもなく文学だ。多様な解釈が可能で、そこに自分の人生と地続きな普遍性がある、と言うのが文学の一側面だと思う。
仕事上数年ごとに同じ作品を読み直すことが多いが、読むたびに解釈の幅が広がり、その時点での自分の人生に大きく左右されると言う実感がある。太宰の『富嶽百景』は初めそれほどの感動はなかったが、仕事を始め、結婚し、子供が産まれ、親に死なれたいま読み直すと、初読の時とは全く違った世界がそこに広がっているように見える。
本作はそう言った文学的要素の強い作品だ。おそらく5年後、10年後見返したらまた違った見え方ができるのだろう。見た人と語らいたい、違う解釈を知りたいと思わせるのもまさに文学だ。
初見では「音=テキスト」なのかなと感じた。「そのテキストを口にすると、自分自身が引き摺り出される。」家福は自分自身が引き摺り出されることを恐怖と捉えている。しかしみさきは、引き摺り出された家福の感情、家福が目を背けた音の闇をも含めて矛盾はないと肯定する。家福が音に自己存在を委ねられていれば、取り返しのつかないことにはならなかったのではないか。他のレビューでも多くあるように、再生と肯定が美しく紡ぎ出されていくラストは圧巻だった。
そしてこれは他者性の物語でもある。究極、他者は自己には計り知れない闇がある。それでも他者とつながらなければ自己はない。ありのまま他者を受け入れることで、ありのままの自己を認められるのではないだろうか。
こんなにも優しく包み込まれるような3時間を経験できたことは至福である。
セックスが描かれるためにどうしても生徒と語らえないという部分でマイナス1させていただきました。
優しさと嘘
家福音(霧島れいか)がカセットテープに吹き込んだ演劇シナリオを夫の悠介(西島秀俊)が繰り返し聴くシーンがとても印象的でした。愛車・古いサーブ900の中で、日常的に妻の声を聴く夫は、実に幸福な夫婦関係で満たされている、と思わせておいて、ある日を境にひっくり返る展開にドキッとしました。「長い映画だから、途中で眠くなるかな」なんて友人と話していましたが、杞憂でしたね(笑)。美しい妻への普遍的な愛が崩れていく、いや、そうはならないのか…。この微妙な物語の繊細な心模様を表現する西島秀俊さんの演技が素晴らしかったです。家庭や妻を大切に思う優しさが嘘になってしまうところは、どこか「人魚の眠る家」(18)で西島さんが演じた夫ともかぶりました。
心地よいアート作品
車 運転 道路 演劇 芝居 役者 台詞 脚本 多国籍 多言語 手話 セックス 男 女 死 無音 感情 孤独 事件 広島 都会 田舎 雪 海 船
これらが心地よく折り重なる美しいアート
映画ってこういうもんだった、と久しぶりに思い出させてくれました。
美術館でのんびりしてきた気分です。
妻の秘密? 妻を責めない夫の秘密?
3時間の会話劇…それをちゃんと観させるんだから、凄い。
正直、主演が西島秀俊でなかったらもたなかったと思う。彼の演じない演技が暑苦しくないから3時間いけたのだ。
作中で西島秀俊演じる家福が指示する、感情を殺して台詞を棒読みさせる演出術は、この映画全編を通しての濱口監督の演出手法そのものだったのかもしれない。
小津安二郎にも通じるものか。
村上春樹の短編を3本ミックスして脚色されているらしいが、そのうち2本「ドライブ・マイ・カー」と「シェエラザード」は以前読んでいて、微かに覚えている。
主軸となっているのは「ドライブ・マイ・カー」なのだろうが、これが大幅に改変されている。
舞台演出家兼俳優の家福(西島秀俊)と、その妻の間男だった俳優高槻(岡田将生)の関係性がミステリアスで、大抵の男は高槻を好きにはなれないだろうし、家福のように接することはできないと思うだろう。
この家福と高槻の関係、ひいては家福の亡くなった妻音(霧島れいか)との関係が小説とは少し違うし、専属運転手ミサキ(三浦透子)の過去については衝撃的なほど改編されていて、テーマ自体も小説とは違ってきていると感じた。
「妻はある秘密を残したまま突然この世を去った…」という宣伝コメントをよく耳にしたが、妻の秘密はあの日「話しがある」と言った彼女と話せなかったがために家福にとって謎のままなだけで、妻の死を克服しきれないでいる家福がその秘密を追究していた訳ではないと思う。
音と高槻の情事を目撃してしまうのだから(小説では直接目撃しなかったような…)、妻の浮気は秘密ではない。他にも男がいただろうと家福は疑っていて、それでも夫婦の営みには満足を得ている。家福はなぜ妻に浮気のことを追究しなかったのか、彼自身も妻に対して秘密を持っていた。
この映画の脚色の上手いところは、ミサキの過去を変え、それを確かめに行く二人旅のエピソードを加えたことと、チェーホフの織り込み方だと思う。
「ワーニャ叔父さん」の終幕に「しょうがないのだ、死ぬその日まで生き続けなければ」的な台詞があったと記憶するが、正にそういう結論を家福はミサキのお陰で導き出せたのだろうと思う。
西島秀俊は『〜ストロベリーナイト』で、慕い続けていた上司の竹内結子をヤクザの大沢たかおに寝盗られてしまう。二人が車中で関係を結ぶのを離れた場所から見つめる場面があった。
本作と同じではないが、西島の色気というのは、こういう場面でこそ滲み出るのではないだろうか。
『クリーピー〜』では、今度は妻役の竹内結子が隣家の奇人に精神を操られて行方不明となる。
『散り椿』では、幼い頃から想いを寄せていた麻生久美子が剣のライバル岡田准一に嫁ぎ、その夫婦は藩を追われていた。
『人魚の眠る家』では、妻篠原涼子が幼い娘が植物人間状態となったことで常軌を逸していき、コントロールできなくなる。
『〜奥様は、取り扱い注意』では、妻の綾瀬はるかが…あ、これはいいか。
とにかく、想う相手とは結ばれず、結ばれた妻とは確執が生じる。が、どの場合も西島に直接的な原因はない…という役が似合う。
本作で岡田将生の評価が上がっている。
爽やかなイケメンなのに、イヤな役やダメな役もこなして、本作だけでなく最近の岡田将生はいいバイプレーヤーになったと感じさせる。
特筆しておきたいのは、霧島れいかの色っぽさだ。
これが、イチバン。
ダラダラと眺めていたい作品
休日の昼下がりに、ダラダラと眺めていられそうな作品でした。途中で寝てしまっても、なんか夢の中で続きが観られるんじゃないか?と思うくらい夢心地でした。
多言語の戯曲を初めて目の当たりにしましたが面白かったです。言葉が伝わらない状況は、その人の黒い部分を浮き彫りにするんですねえ。いい脚本、いい映像でした。
伯父が好きそうな作品だったので、誕生日にDVDプレゼントしようと思いました。
「正しく傷付くべきだった」
「今日帰ったら話があるの」
そう言っていた彼女は心筋梗塞で亡くなっていた。
現代はSNSやマッチングアプリで容易に出会える時代だ。
一方で、容易に関係を切れる時代。
私ごとだが、過去何度も異性にフラれ続けている。ラインもブロックされる。
ハッキリいってコレ毎回心がグチャグチャになる。何が間違っていたんだろう。何が正しかったんだろう。そもそも私が考えすぎてるだけかもしれない。相手は何も考えてないのかもしれない。
面と向かって拒否をされる以前に突然にシャッターが閉じられてしまう。だから心の痛みが残り続ける。
私たちはちゃんと傷付くことができない。
劇中の重要なシーンで西島秀俊は「正しく傷つくべきだった」と言う。
私はこのセリフにとても感動した。
そっか。そうなんだ。
他者との関係の中で私は、
ちゃんと傷付きたかったんだと思った。
物語は美しいけど、、
村上春樹好きな人は良いのかもしれないけど、そうでも無い人にはバックグラウンド無しに深い共感を得ることは難しいんだと思う。
序盤から村上春樹らしいセックスやマスターベーションの描写が多く、少しうんざりしてしまったが、後半のSAABに乗る三浦透子さんのシーンや、演劇を通して人と人の感情が繋がって自分を見つけるようなある意味ロードムービー的な展開自体は美しかった。
ただ、チェーホフだなんだと劇作家を並べられても知識が無いのであまり理解できなかったところは村上春樹や演劇の経験値不足だったかもしれないな〜。
そんなのが3時間も続くのでどうだろうとは思ったけど飽きずには見れた。
滝口監督はハッピーアワーからしてこういう作り方が上手いんだろうね。凄い。脚本の力をとんでもなく感じた。そんなに長い小説じゃないのにね、、
やっぱり、私には良さがイマイチ分かりませんでした。
アカデミー賞の前から宣伝でも気になってたんですが、上映館があまりなくて、見逃してまってましたが、アカデミー賞後上映館が増えたので観てきました。
いや〜3時間は長い!
普段は、上映時間を長くしてでも、内容を濃くしてもらいたいと思う映画は多いのですが、今回はそこまで長くしなくてもという、無駄な場面や尺が長い箇所が多々あったように感じる。
淡々と物語は進んでいってましたが、最終的に何が言いたかったのか、よくわからなかった!
奥さんの気持ちを理解するべきだと言うなら、あそこまで遠回しに物語を組まなくても良かったような気がします。
ま〜私の理解不足かもしれませんが、分かる人には分かるんでしょうね。
なぜか、プレミアスクリーンでの上映だったので、長時間でも座り心地は、良かったのですが眠気との戦いでした。
見る側が努力して意味らしきものを無理やり見出して自分を納得させる、そんな映画です。
この映画は、観た後に分かる・分からないをあーだこーだ言って楽しむものだと思います。アカデミー賞を受賞したのもあって、分かるって言えばかっこいい的な。
比喩的な表現だったり、伝えたいテーマみたいなものは、ある程度国語力がある大人であれば、さして理解は難しいものではない。というか、途中で西島さん演じる主人公だったりが説明してもいるので、、、。それを理解した上でも、映画としては非常に退屈な作品でした。
見る側が努力して意味らしきものを無理やり見出して自分を納得させる、そんな映画です。
また、唐突にぶち込んでぐる韓国のシーンだったりが脈略がなくてキモかったです。一時期のフジテレビの韓国推しを彷彿とさせます。
まぁーなんか観終わって疲れましたね。俳優さんの演技はとても良かった(非常に難しい役柄にも関わらず)ですが、脚本が悪い。
物語は緻密にゆっくり進む、だから長い、長いが大作ではない
普段はエンタメ性の高い作品ばかり観ている私だが、割と好きな俳優西島秀俊出演映画がアカデミー賞受賞したという理由だけで観ることにした。村上春樹もチェーホフも全く知らない。映画を観るようになってからまだ10年にもならない私だ。
だから「ワーニャ伯父さん」は予備知識として読むことにした。帝政ロシア末期、中流の下くらいの家柄に生まれたワーニャは性格こじらせ独身中年(壮年?)男、愚痴っぽくてネガティブで太宰治小説に出てくる生まれてごめんなさいみたいな面倒くさいオッサン。他の登場人物もみんな口悪い性格悪い自分勝手な人間ばかり。なんかロシア人嫌いになっちゃうわ〜。そんな中でワーニャの姪御ソーニャだけは性格が優しくて私は救われた。ソーニャは実の父に捨てられても健気さを失わない。最後まで嘆くことしか知らないめんどくせぇワーニャ伯父さんを含蓄深く信心深い言葉で優しく励まして物語はゆる〜い絶望のまま終わる。
ホント、太宰作品の読後感のような、やるせなさ、不条理感、厭世観ばかりが後味の、幸せすぎてたまには他人の不幸でも味わおうかなという余裕のある人にしかオススメできない、しかしながらその文学性はとても高いであろう作品だった。私は多分チェーホフはもう読まない。ドフトエフスキーは読むかも。
そして満を持して観ましたドライブ・マイ・カー。
当然の事ながら「ワーニャ伯父さん」の印象に引きずられながら観てしまう。だからチェーホフ作品のセリフが出る度に反応してしまう。映画の本ストーリーと劇ストーリーをシンクロさせてしまう。解釈を試みてしまう。
映画は初っ端から謎を残したまま物語展開するので、観客はモヤモヤを抱えながら見守ることになる。とにかく終始観るものをモヤモヤさせ続ける映画だ。モヤモヤ映画だ。私はそれに加えてチェーホフ劇場のあらすじを辿りながら色々考えながら観てるので忙しく、ゆっくり進んでいる物語なのだが時間はどんどん進んでいく。
途中何度か「えっ?」と驚かされる展開もあり、観ていて本当に忙しかった。しかし、物語がエンディングに向かって回収を始めていく段階くらいからラストまでは物語の面白さが断然勝ってしまい、チェーホフのことなど忘れてしまっていた。
「新解釈・三國志」と「大怪獣のあとしまつ」では大半爆睡していた嫁は居眠らずしっかり最後まで観て、珍しく感想まで述べた。
そう、要するに面白かったのである。ワーニャ伯父さんは別に読まなくても良かったのかな。そりゃ読んでる方がバックボーン的なものを理解する助けにはなるだろうが、村上春樹シロートの私には情報量が多すぎて本ストーリーを純粋に追う邪魔になってしまった。
つまり、これから観る方に申し上げるとすれば、ただ素直にストーリーを追えば、登場人物とシンクロできる作り方になっている映画だと思います。キリスト教的価値観なども、特に知らなくても映画のメッセージは伝わると思います。難しい独特な文学的表現など全くなかったですよ。なるほどアカデミー賞を撮る作品とはこういう建付けになってるんだなあ、とも思いました。チェーホフは読まないけど村上春樹作品は読もうかなと思ってます。
素直にいい作品だと思った
ノミネート作品って、前評判が大きく成りすぎて
実際すごく期待して見に行くと、
思ったほどでもないなぁって、なってしまいがちだけど、
素直にいい作品だと思った!
迷っているなら、是非見てもらえると嬉しい
淡々とした進み具合が、好きだな
フラットな感じ
泣けるように仕向けたシーンは、無いんだけど
結構すすり泣く声が、劇場に響いていました
なんか、見ていて感情が高ぶっちゃうんだよね
自然と…
家に帰って、どんな内容だった?
どんなところがよかったの?
って、聞かれたけど言葉は伝えられないし
見た人しかわからない感じの作品だと思う
内容に引き込まれ、3時間あっという間でしたよ
原作読みたくなりました
孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を重層構造で描いた傑作。説明省いたラストもお洒落。
1回目は自分が何を見たのか判然としなかったのだが、原作も読んでの2回目は予想外の出来事として、感動して涙が止まらなかった。孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を、劇中劇も絡めた重層構造で描いた創造性に富む傑作映画と感じた。
滝口竜介監督による2021年8月より公開の映画。原作は村上春樹(短編小説集「女のいない男たち」よりドライブ・マイ・カー、シェエラザード、木野)。脚本は滝口監督と大江崇允(恋のツキ等)、製作は山本晃久(寝ても覚めても等)。撮影は四宮秀俊(さよならくちびる等)、音楽は石橋英子(夏美のホタル等)、編集は山崎梓。配給はビターズ・エンド。
出演が、西島秀俊、三浦透子(静かな雨等)、霧島れいか(ノルウェーの森等)、岡田将生(さんかく窓の外側は夜等)、パク・ユリム(韓国、手話で話す)、ジン・デヨン(韓国、通訳役)、ソニア・ユアン(台湾女優)、ペリー・ディゾン、アン・フィテ(韓国女優)、安倍聡子、等。
主人公の西島秀俊が映画内で演ずる戯曲として、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」とアントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が登場する。特に、原作にも有る後者は西島の俳優としてのトレーニングの一環としてその台詞が、彼のその時の心理状態と呼応するものがセレクトされるかたちで、車の中で語られる。そして、映画の中で集められた俳優たちが演ずる戯曲でも有り、更に戯曲中の主人公ワーニャと姪ソーニャの関係性は、触れ合っていく中で孤独への救いが産まれて来る西島と三浦に反映される。
チェーホフ戯曲に無知な自分には、字幕を追うことも有り、その重層的構造や1つ1つの台詞に意味が有ることの理解が、1回目鑑賞では難しかった。ただ、主人公の妻役霧島れいかの官能的な美しさを見事に描いた映像や、赤いサーブ900ターボが斜めに走る何処か異国的な上方からの動きの有る映像の見事さには心惹かれた。そして、孤独だった西島と三浦透子が初めて深く会話した後、煙草の2つの灯りが車のサンルーフから出され、寄り添う様に夜の道を走る映像の美しさ。雪の北海道での無音の効果的使用も含め、石橋さんによる音楽も素晴らしいと思った。とは言え、ラストシーンに登場の犬が、ジン・デヨン夫婦が飼っていたイヌと異なることの判別までは、難しかった。
2回目、屋外での「ワーニャ伯父さん」練習でのソーニャ役・パク・ユリムと彼女の継母エレーナ役・ソニア・ユアンとの絡みの演技に感動して涙が流れた。映画の中で、俳優2人の間に何かが産まれたとの説明があったが、孤独で不幸を訴えるユアンを抱きしめるユリムに確かに大きな愛の存在を感じさせられた。俳優2人、特にパク・ユリムの表現力・演技力とそれを引き出した監督の力量を感じさせられた。同時に、俳優の相互作用で生じる物語の力を実感させられた。映画の力を見せつけられて、凄いと思わされた。
また、霧島れいこの語る物語を主人公以上に引き出した岡田将生、西島と正反対にも見える彼の霧島への純真さと自分への正直さ、同居する社会性の無さ、そして孤独感とそこから救いを求める気持ちが見事に表現されていて、拍手。そして、原作を改変した彼女の語る物語に、禁じていた浮気に突き動かされる衝動、夫への罪の意識、告白しようとする意識をはめ込んだ脚本の見事さに、感心させられた。
そしてやはり何と言っても、三浦透子の故郷北海道の雪の中、自分の心と初めて正面から向き合えた西島秀俊の素直な妻への思いの吐露、それを聴き西島を抱きしめる透子の姿。彼女も母親への憎しみとそれを超える愛情を吐露していた。原作を超えて、孤独だった2人が共鳴して前に進もうとする姿に魂を揺さぶられ、涙無しには見られなかった。
ラスト、韓国と思われる異国で、三浦透子は1人暮らしでないことを示唆する大きな買い物を抱えて赤いサーブに乗り込む。車内には彼女が飼ってるらしいMIX犬種(JOY)が乗っている。彼女のほおの傷は薄くなっていて、手術を受けたらしい。そして、初めて見せる穏やかな幸せそうな笑顔。劇中劇ラストのワーニャとソーニャの様に、否それを超え、主人公の2人は明るい、素晴らしい生活を、新天地で一緒に過ごしているものと理解した。説明を省いた、お洒落で素敵な、正に映画的なラストと感じた。
スノビズムっていうのかな。 こういった映画は、昔からいっぱいあった...
スノビズムっていうのかな。
こういった映画は、昔からいっぱいあったと思う。
色々な映画が、あって良いですし
その数だけ、色々な意見があって良いですが
自分には、ムリ。
長すぎる。
かなり評判だったので
アカデミーまではこの映画の存在すら知らず
話題作は必ず観たいぐらいで観に行きましたが
よかったなぁ
なんだろ
西島秀俊さんの寡黙だけど心の中の揺れ動く感情。
感情を出さない演技が好きです
あと、岡田将生くんはなぜにあのような
ちょっとイラッとさせる欠陥の様な役が
とてもうまい。
悪人では感情移入しすぎて嫌いになってしまったが💦
今回は嫌いにならずに
好演だったなって観れた
見終わったあとは、
はぁこんな映画だったのね
ぐらいだったのだけれど
なんだろ
どんどん元気が湧いてくる映画
それでも生きていかなきゃならない。
つらくとも乗り越えなきゃならない。
元気になった。
平日の15時半〜18時半の上演でしたが
半分埋まってました
アカデミー賞受賞などの
影響と
作品の素晴らしさを感じました。
苦悩から目覚めた西島と三浦の人生!
この作品は、西島が妻に対して本気で向き合おうとせず、放置した過去を乗り越えて、ステップアップしていく生き様を淡々と描いています。同じくドライバーの三浦も、母親を放置した過去の贖罪を乗り越えるという、二人の生き方がクロスオーバーしているところが、物語の深みを作っていると感じました。アカデミー賞を受賞した決定的な根拠は、私の想像では、キリスト教的な贖罪を乗り越えて解放されることをテーマにしているがゆえに、欧米の高い評価を得たものと思います。仏教的には、全て縁ですから、願って生まれることはあっても、人間にはもともと罪などありません。最後にはチェーホフ特有の人生論が語られますが、苦しみがあればこそ、人生の景色は美しくなるというセリフは、まさに西島と三浦の人生を言い得ていて、心に深く刺さりました。村上作品は、ストーリー展開の巧みさより、鋭い感性の積み重ねで、読者を惹きつけ感動させるタイプですから、淡々とした人生の展開は、物足りないものもありますが、それでもどんでん返しがあって、私たちを至福のラストに運んでくれました。ただし純文学風の感性が至る所にあって、エンタメ映画を見慣れた人には、少々疲れるかもしれません。この作品の中で、広島から新潟の佐渡?にドライブするシーンがありますが、故郷の見慣れた風景に感銘しました。あと、オーディションで募集を行い、練習を重ね、劇場で演劇を開催するまでのプロセスを、しっかり学べるという意味でも貴重な作品です。さらにもう一つ、西島と妻、あるいは妻と岡田とのベッドシーンは、この監督らしさでしょうか、芸術的な妖艶さが溢れていて唸りました。
恋人と裸でベッドで見るのにとてもオススメです
私は村上春樹作品は一通り愛読しています。その上で備忘も兼ねてレビューです。
【ストーリー】
村上春樹のもはや定番である、「妻を失った中年男性」が主人公。若く美しい青年の登場が話を展開させ、メタファー(今回は劇中劇)により主人公が少しずつ妻の真実に触れていく、という、村上春樹ワールド全開な作品でした。
著しく低い貞操観念と、この春樹ワールドが苦手な人は絶対に合わないと思われます。
【演技】
リアル過ぎず、舞台演技でもなく、ドラマ的でもない、この作品の世界感のための演技と言えるほど素晴らしさでした。ある種の不自然な演技も、この作品の世界に完全に一致していて引き込まれました。手話も含めた多言語で展開されてるが、全く違和感がなかった。
【映像】
冒頭の印象的な大鏡の使い方や、大胆な表情のアップなど、脳裏に焼き付いたシーンがいくつもありました。一方で、瀬戸内、北海道が舞台なのに自然美へのこだわりがあまり感じられなかった。ドライブシーンでもっと色々な角度や、時間帯、気象条件があっても良いのではと感じました。
【総論】
スローテンポで3時間、主人公の感情の動きも少なく展開するので、正直映画館で集中して見る必要はないと思いました。
ベットの上で、男女が裸で朝に惰性で見るのにちょうど良いと思います。
そして二人でこの世界感に浸るのが理想です。
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