ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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ただのヤクザ映画ではなかった
この映画は、ヤクザというものが時代の中でどう変わってきたかを、ひとりのヤクザの目を通して見事に表現されている。この男は、ヤクザになるしかないような生い立ちでヤクザになることで家族をえたのだ。あったかくて仲間や家族思いの真っ直ぐな男は、時代とともに生きづらくなっていった。周りが変わっても自分は変わらないからこそ、浮き彫りになる様々な現実。どんなに戻ろうとしても簡単には戻れない大きな壁があった。ヤクザの話なのになんだか可哀想になってしまった。家族のために刑務所に入り、人を殺し、刺されても穏やかに相手を抱きしめるのだ。
そして最後のシーンが一番好きだ。
彼の生きた証はたしかにあった。彼の思いもちゃんと繋が
っていた。磯村勇斗がいい表情だった。
身につまされる!
日本が先進国として悪を排除しようとする現実とヤクザが必要悪から、ひたすら金を求める犯罪集団と成って行った時代が重なった事による更正の道を残さないままひたすら暴力団排除に走る社会を上手く描いている作品。
ヤクザは「一家」、マフィアは「ファミリー」、、、疑似家族なのだなぁ。
藤井道人がまた傑作を産み出した。
しかも、オリジナル脚本だという。
まだ30代ですよ、この監督。
ヤクザの世界に身を置くしかなかった男が、反社会的勢力排除へ大きく動いた時代のうねりに翻弄される姿を、三つの時点の断面で描いている。
開巻直後、主人公(綾野剛)が父親の葬儀会場に入るまでのダイナミックな長回しカットで、観客の集中力を一気に高めさせる。
主演綾野剛のバイオレンスは板についていきた感じだ。元々哀愁を感じさせる佇まいを持っているから、この役に見事にはまっていた。
主人公は不良少年からヤクザへと、映画の前半で大きく変わっていく。
周囲のキャラクターたちは主人公が刑期を終えて出所する前後、映画の後半部分で変化する。
親分の舘ひろしは勢力を失って萎縮した姿を晒す。
恋人だった尾野真千子は娘との生活を守ることに必死な母親となって、綾野剛と訣別する。
兄貴分の北村有起哉はヤクザの正義を捨てて落ちていく。
達者な役者たちが、時代の変化のなかでもがく様をそれぞれの持ち味で演じている。
中でも一番印象に残ったのは市原隼人だ。
彼が演じる元舎弟が世間の風当たりに耐え続けた何年間かは描かれていないが、奥歯を噛みしめるようにして発する台詞でその過酷さが想像できる。
だからこそ、映画終盤の彼の凶行に同情してしまうのだ。
反社の世界に身を染めていく若者たちは、皆がみんな喧嘩好きの乱暴者ではない。生まれながらに乱暴な性格の者もいるだろうが、人生の大半は「環境」で決まるのだと思う。
ヤク中だったと思われる主人公の父親について詳しくは説明されないので、親から何を受け継いだのかは分からないが、行きつけのホルモン焼き屋でヤクザ同士の抗争劇が巻き起こるような環境に生活している主人公がヤクザ一家に疑似家族を求めたことも、そのホルモン焼き屋の息子(磯村勇斗)が成長して半グレのリーダーになってしまったことも、生活環境が強く影響しただろうと思った。
さて、エンディングは世代交代を示しているようで、歴史は繰り返す的な無限ループを匂わせているようでもあった。
幸せな出会いの予感を持たせつつも、その行き先には不幸が待っているに違いないと、私の老婆心が叫んでいる。
実は身近な存在だったりする
「お前、行くところあるのか」
のシーンはグッときた。
ヤクザという世間から切り捨てられてきた存在がこうして高評価を得て人々の胸に残る作品だったから、よかったなと思った。
災害があったときは一般人が立ち入れない場所に逆に行けるから1番に支援の車を走らせたり、悪い事をもちろん沢山していても全否定できないなと思ってしまうわたしがいる。
切ないお話でした。
最初、綾野剛さん演じる山本賢治が1999年の時点でいったい何歳なのか分からず、少し戸惑いましたが(10代なのだろうと推測出来ましたが、例えば14歳と19歳では印象がだいぶ違いますからね。結局、17歳だったみたいですが…)10代から30代後半まで綾野剛さん、見事に演じられていましたね。
役柄も含めると綾野剛さんくらいしか演じられなかったでしょうね。
そして、柴咲組組長を演じられた舘ひろしさん。
多分ですが、舘ひろしさん、きっと実際も凄く良い方なんでしょうね。
そのせいなのかヤクザの組長にしては怖さは少し欠けているような気もしましたが、人間的にとても魅力的で包容力も有りそうで、あのような組長さんだったら、ついて行こうという気にもなりますよね。
北村有起哉さんや磯村勇斗さんなど脇を固める役者さんも良かったですね。
終わり方を含めストーリーも良かったですし、変に時系列を弄ったりしてないのも好印象でした。
欲を言えば賢治も柴咲組も一番勢いのあった2005年のお話をもう少し長く、あと刑務所に収監されている時も少しでも良かったので観てみたかったです。
粗がないわけではありませんが、全体的に見て良く出来た作品だと思います。
契りからムショ 出所後の生活を描いた異色のヤグザ物語
主人公のヤグザ生活の20年の運命 ヤグザに限らず1度犯罪を犯しムショ暮らしをしたものはもう一般人には戻れないのか後の行き先は宗教団体かホームレス?でもちょっと長過ぎる感も14年間に何があったのかどんなムショ生活をしてたのかもハイライトで少し入れても良かったとむしろ連ドラに向きの物語かも!
すごい……(末尾に、最近の心境もあり)
ひとりの男の人生を追うことで、現在のヤクザとその家族を取り囲む過酷な状況を伝える映画。
すごいなあ、こんな黄昏れたやくざ映画って、撮れるんだ・・・
1999年から始まり、2005年(6年後)を経由して、2019年(14年後)で幕となる。
それぞれ、① ヤクザになるきっかけ、② 刑務所に入ることになる原因、③ 刑務所を出てからの生活。
前半は、各シーンを黒っぽくそして青っぽく撮っている。これが、前半のバイオレンスでソリッドなストーリーにぴったりあてはまる。
一転、後半は、各シーンをくすんだ白熱灯のような色で撮っている。この対比は、もう見事としか言えない。
ヤクザを囲む過酷な状況が悪いとか可哀想とか思うことは、俺にも、ない。彼らは反社会的勢力なのだから。
そして作中でも言われるように、「世の中全部が、ヤクザを排除するようになっている」 のだから。
ただ、"ちょうどその時期にあたったひとりのヤクザ" の人間としての悲劇は知っておくべきだし、さらに、ヤクザの家族に対して俺たちはどう対応するべきなのか、いろいろなことを考えさせられる映画だ。ここは、詳しく書くよりも観てほしい・・かな。
ラストシーンは俺にめちゃくちゃ響いたなあ。この話に、こういう終わらせ方があったのか!? 凄い!!!
おまけ
綾野さん、小野さん、上手い。まあ、ふたりが上手いのは今さら言うまでもないことだが、特に小野さんは、こういう役に絶対的な強さをもっている気がする。はまり役というか。
そして舘さんの前半後半の変化は、みんな是非観た方がいいですよ。これも見事と思う。前半と後半で2本の映画だと思えば、136分という時間も短いとわかります。
へええ。藤井監督って、「新聞記者」で「宇宙でいちばんあかるい屋根」で、そして本作なんだね。この幅広さって、すごいね。おお、隠れた名作「青の帰り道」も藤井監督なのか。今泉監督のように "俺とウマがあう" わけじゃないけれど、注目してるべき監督であることは、間違いないなあ。
2021/4/1 追記
ある解説で読みました。抜粋して引用しておきます。
『あゝ、荒野』、『宮本から君へ』、『MOTHER マザー』。いま日本で最もアブないテーマに果敢に取り込む制作会社スターサンズ。
… たしかに。どれも、諸手を挙げて好評されることはない、クセの強い映画ばかりだ。今後も注目しておこっと。
2021/6/6 追記
友人の感想が、けっこう心に響いたので、書き記しておく。と共に、評価点を3.5に下げた。
---- ここから、友人の感想 ----
タイトルになっている家族への愛。組長への愛、妻娘への愛、いずれも描写が薄くない? 優しくされたから、組長を親父と慕ったのだろうが、あまりにもあっさりした描写だけ。それはまだ許すとしても、後半。主人公は、言われたからといえ、大した葛藤の描写もないままに、組を辞める。妻娘が主人公に寄せる心も、観ているこちらが少しでも納得するような描写がない。特に娘の心は、謎。娘からみたら、"ただ災厄を運んで来た男" でしかないのに、ここも葛藤する娘という描写もないまま、「実の父親だから」という理由だけで、海に花束持って来たのか? どうしてそうなった? と疑問符が付くことばかり。主人公を、よい方に描き過ぎてるんだと思う。妻娘のエピソードは、ない方がまだましだったろう。
密漁する幹部二人も、既に、若頭が覚醒剤やってるんだから、そんなことする必要ない。
なんというか、説明不足のエピソードが、あちらこちらにとっちらかってる感じ。
---- ここまで、友人の感想 ----
上記の感想は、いずれも言われてみると、その通りだと感じる。ヤクザという許されない存在を、ひとりの人間と見ることが、この映画の主眼だろうが、そこに生じる矛盾は解決できないので、上で言われているように、"後半は、エピソードの羅列だけに終始し、少しでも納得感を呼び起こすような工夫は、行われていない" ってことなのだろうな。
観ていた勢いで、最初のレビューを書いたわけだが、今は、ちょっと、反省してます。それほど、出来がよいわけでは、なかったのかも知れない。
その後の令和のリアル『仁義なき戦い』にして、その後の令和のリアル『極道の妻たち』
まるでドキュメンタリーフィルムのような即物的なタイトルは、本作の荒涼とした殺伐感を表象しています。
不遇の幼少時代を経て社会から疎外され、世間に馴染めず非行化し狂暴化していく一般社会からの脱落者は、いつの時代も常に一定割合は居ました。彼らの受け皿となり、アンタッチャブルな暗黒の世界としてヤクザは、いわば必要悪として已むを得ず認知されてきたのでしょう。見方を変えると、本来、経済付加価値を何ら生み出さない彼らの存在を許容できるほどに、世の中に良くも悪くも無駄な負担を受容する漠然として曖昧な諦念が蔓延れた、古き“良き”時代が長く続いていた訳です。
とっくの昔に高度経済成長が終焉し、バブルが崩壊し、デフレが常態化して停滞した経済状況の一方で、ITが進化普及して社会が1mmの無駄も許さない生産性至上でのシステマティックになり、法秩序の完全運用が徹底し日本社会の、本来結構いい加減だった振幅幅が一気に狭まっていくという、ある意味で生き辛い窮屈な時代が現代でしょう。
本作は、斯様な現状を踏まえ、“ヤクザ”になった一人の若者のビフォアと窮屈な時代のアフターを、淡々と、やや若者に好意的な視点で問題提起した作品です。
いわば、その後の令和のリアル『仁義なき戦い』、であり、その後の令和のリアル『極道の妻たち』といえますが、其処には勇壮で荒々しい侠気は微塵もなく、また情熱的な恋情もなく、ただ静謐で平穏な日常生活に矯正される、逆説的ですが行き場のない悲惨で悲愴な物語が展開します。
前半の「ビフォア」では手持ちカメラにより常に画面が揺れ、何かにつけ興奮し激昂する主人公たちの荒んだ心性を的確に映しながら、ひたすら威勢のいい言動が綴られます。将に“ヤクザ”とはどういう構造かを描いています。比較的低いアングルからの仰角での寄せカットが多いのも前半の特徴で、観客に威圧的な印象を強烈に与えます。
しかし後半、主人公の刑務所出所後ではカメラはフィックスが主体のカットとなり、世間を描く映像風景がガラッと一変し、緩やかなリズムに変わります。ムショ出所時の迎えの車が、ベンツでもレクサスでもなくプリウスだったのが象徴的です。
尚、冒頭ファーストシーンは本作最高の見所です。主人公のバイクが疾走する遠景の引きからパンしながら手持ちに変わり、バイクを停めて葬儀会場に入るのをそのまま追いかけて室内まで付いていく、長回しカットは、久々の見事なエスタブリッシング・ショットです。いきなり綾野剛扮する狂暴で反抗的な主人公の視線に一気に立たされ、感情移入させる、このシーンによって観客は自然にヤクザの道を辿る若者の世界に導かれます。
どうしょうもなく救いのない映画
人の道を外れるとこうなりますよ、、、という代表的な映画でした。どうしょうもなく最後まで救いが無かったです。関わりがあるだけで罪のない人も不幸にさせてしまう、、それが現実。この国の嫌な所が目につく映画でした。文科省推薦映画になったら怖いな。
義理堅く真っ当な渇望の果てに
“堅気”の意味に含まれる矛盾する理屈と本作の真意を付き合わせる。道を極めると書いて「極道」…人の道とは、温かい手を差し伸べた者に対する律儀な姿勢、恩義に対する報い、人情があって然るべき生き方、それであろう。その道を進む、社会に居場所がない彼等は、ただ家族を求め、向かい入れた。その行為を罪だと断定するならば、救いの代償としては辛辣な愚行であろう。随所に滲む、綾野剛がみせる優しさに悲しみが内在する覚悟の眼差しが、連鎖する物語の悲哀を語る様に映えるのだ。これは現実に起きている歪み、法律や条例が規制する物事の歪曲された社会の素顔だ。人権を、ただ幸せを得たいと願う、その望みを根刮ぎ絶とういう社会通念こそ、正常化の元凶なのである。
綾野剛の「目」に痺れた。「ヤクザと家族」はヤクザ映画と家族映画のハイブリッドだ。
綾野剛の目がいい。
それに尽きると思う。
(あとから、同じことを舘ひろしも言っていたと知った)
題材的には、東映任侠映画を換骨奪胎して、ウェルメイドな家族映画に落とし込んだような印象。
まあ昔のヤクザ映画やVシネマは、カットや作りも荒っぽいぶん粗さも気にならないし、勢いとノリで楽しく観られちゃう部分もあるんだが、これだけ丁寧に作りこんであると、逆にいろいろ気になるところも出てきたりして、そこはなかなか難しいもんである。
一番気になるのは、「合間の日常」がきれいさっぱり欠落しているところか。
たとえば、オヤジとケン坊の出逢いは鮮烈だが、そこからいっぱしのヤクザになるまでは、一足飛びだ。
ユキとケン坊の出逢いも鮮烈だが、そこからすぐに入所して14年後に出所するまでは、一足飛びだ。
物語を動かすきっかけになるイベントは、それぞれ十分に完成度が高いし、セリフもよく練られているのだが、合間のどうでもいい「一緒に何かをやるカット」が(おそらく敢えて)抜いてあるので、「設定」しか頭に入ってこない。キャラクター間の絆が醸成されない。あとの感情移入は、シナリオやカットではなく、役者の演技と、観客側の寄り添う姿勢で補ってくれというスタンスだ。
それでも、別れがあったり、死があったりするので、十分胸を打つし、それなりに泣けもするのだが、「意外に軽量級」な映画だというのが、正直な感想だった。
まあ、これだけ間をすっ飛ばして作っても、2時間以上あるわけで、しょうがないっていえばしょうがないんだろうけど。
あと、出所後の展開については、もちろん綿密な取材に基づくヤクザの現実に則してはいるのだろうが、家族がヤクザだとわかって、職場がああいう雰囲気になるとか、学校がああいう雰囲気になるとか、その結果として家族がああせざるをえないとか、舎弟がケン坊にああしてしまうとか、すべてが若干、物語上都合がよすぎるというか、ステロタイプというか、絵空事のような印象も否めなかった(自分が80年代に関西で生まれ育って、関東に来てからもう20年以上になるので、令和の反社をとりまく空気感がわかっていないだけかもしれないが)。SNSの話とかも、真実味のあった『ミセス・ノイジィ』あたりと比べると、面白動画でもないのにあれがそこまでバズるとか、どういうシチュエイションだろうね、みたいな気もしたり。
「ヤクザ映画の型を脱して、リアルな人間像を描く」目標を掲げた映画であるにもかかわらず、実際には「ヤクザ映画のクリシェをリファインする」作業にはきわめて長けている一方で、(物語と直接かかわらない)リアルな人間描写を尺と演出上の自己都合でことごとく排している、というのは、やはりなにがしかの自己矛盾をきたしているとは思うんだよなあ。
あと、世代的に「近くのおじさんがヤクザ」という、僕の少年時代には身近にあった環境を知らない世代の監督さんが、「ヤクザ映画」の知識と、「現実の取材」をもとに撮っているということで、どうしても体感的な生々しさが薄れてしまう部分はあるのだろう。
とはいえ。
全体としてはとても面白く見られたし、最初に書いたとおり、綾野剛の演技はすばらしかった。
舘ひろしは舘ひろしでしかなかったが、キャラクター込みで成立している部分もあって、ぎりぎりのところでセルフパロディからは踏みとどまっていた。
むしろ、置き物として配された菅田俊と康すおんが、事務所のリアリティを一手に引き受けていたような(笑)。
豊原功補と駿河太郎の、憎々し気な敵対組織の組長と若頭も、ハマり役。
尾野真千子は大学生をやるにはさすがに老けていたが、ちゃんとセリフでいじられていて笑ってしまった。
各シーンの撮り方やレイアウトも、ダイナミックなのに、流麗で、緻密。
よく考えられている。
映像を隙なく仕上げ、画面に情感と情報をこめる映画職人としての藤井監督の技量は、たしかなものだ。
じつは、『新聞記者』は題材がさすがに気持ち悪すぎてスルーしてしまったのだが(申しわけない)、テレビで『100万円の女たち』を観たときから、この監督はモノが違うとずっと思ってきた。
そういえば、藤井監督も、綾野剛も、映画番宣のインタビューで、しきりに「世間では社会派と言われるけどそうじゃない。映画的正義を振りかざして問題提起してるわけじゃない。現実を描いているだけ、人間を描けば社会も描くことになるだけ」といったことを強調していた。ちょっと気の毒ではあるが、今後もしばらくは『新聞記者』のバイアスと闘い、中和していくしかないのだろう。でも、そのへん、「ちゃんとした」監督さんだというのはこちらも重々わかっているつもりです。
なお、作中で声高には語られていないが、主人公や組構成員の名前、彼らがたむろしている行きつけが焼き肉屋で、そこの死んだ亭主が組の幹部だったことなどから見て、本作は裏テーマとして、単なる「ヤクザ」の問題ではなく、よるべなく生きる「在日ヤクザ」の問題を描いていることは間違いない。
その意味で、河村プロデュースのSTAR SANDS作品でいえば『かぞくのくに』、藤井監督の好きな映画でいえば行定勲監督の『GO』あたりの流れをさりげなく汲む作品であることも、頭の片隅に置いて鑑賞するといいのではないかと思う。
2回見ました
2回見てきました
ストーリーは忠実に素晴らしかったです
主役の綾野剛と市原隼人と磯村勇斗 が かっこよかったです
1999年 2005年 2019年 の 3つのストーリーで繋がる
感動の話でした
綾野剛 19歳から39歳まで熱演してたのが
とても感動してしまいました
ヤクザとして生きて初めての家族を思い
恋もあり
仲間を守りながら
最後までよく頑張ったといいたい気持ちで
見ている僕もとても
うるうる状態でした
市原隼人 2005年から登場したとき一瞬興奮してしまいました
あまりにもかっこよすぎて
セリフが出てきた時おーーーー凄すぎると思いました
2019年では結婚しており娘もいましたが
終盤に来た時に
もう見ていた僕は感動してました
磯村勇斗 2019年から登場しましたが
金髪で筋肉が付いておりとても魅力的だと思いました
大切な母親がいて
大切な山本賢治がいて
父親の真実も分かって
最後は
海で花束を置いて
セリフが来たときに
見ていた僕はもう素晴らしい作品に出会えた気がする
エンディングが来たときに
主題歌のファミリアが流れた瞬間
もう僕の心はとても感情が出来て
思わず歌ってしまいそうなぐらいに
帰ってきたらミュージックビデオを見ようと思いました
映画が終わって帰ろうとしたときにはもう拍手をしそうなぐらいでした
素晴らしい映画を見させてくれて
本当にありがとうございます。
まだ見ていない方はぜひ見てください
家族物語
役所広司主演の「すばらしき世界」でも描かれていたようにヤクザにとってかつてないほど生きにくい世の中になった事がよく分かる映画。
ヤクザ映画としてバイオレンス描写もたっぷり見せつつ、きっちり人間ドラマとしての奥深さもある。
ヤクザという存在を通して変遷してきた社会や家族の在り方を問う完成度の高さはさすが。
まさか最後に泣いてしまうなんて…。
すべての暴力団は無くなって良いと思う。必要悪、とも思わない。その後の人生が人権を奪われるような扱いも、厳しいけど仕方ないとすら思う。
ただ、彼らが大切にしてきた親への忠義や家族の結束、そういったものは今はみんな失われてしまっているように感じる。あんな縦社会が正しいとも思わない。けれどひとつの家族の在り方として良い部分もあった。家族って何だろう。
ケンカした直後に母親が入院して1週間。そろそろお見舞いに行こうと思う。
孤独から救い出された人間が、さらなる孤独へと突き落とされた先にあるもの
天涯孤独の主人公が、ヤクザという擬似家族を手にする。
主人公にとってはたったひとつの家族であったため、全力で家族に尽くす。
自らが犠牲になり14年の服役から出所した世界は、ヤクザが生きていけない世界になっていた。
主人公はまたふたたび孤独の世界へと突き落とされるどころか、周囲をも巻き込みどこまでも堕ちていくお話。
▼東海テレビ制作の「ヤクザと憲法」に登場したジャージ姿美若いヤクザ男が見事にカメオ出演
▽眼鏡やキャラクター像をドキュメンタリーに出てきた本人にがっつり寄せて、作品へのリスペクトを感じる
以下ネタバレ気味です
▼孤独だった存在が、家族を手にしてまた孤独になるというだけではなくて、
周囲も巻き込んでそれぞれが孤独になるという構図が痛々しい。
▽主人公は浦島太郎的に、人間性をいきなり変えることは難しいし、自分の存在価値に葛藤することになる主人公の痛みがものすごい
▼市原隼人くんがなんであんな脇役なの?と思ってた冒頭だったけど、終盤で全納得。
▽キャスティングが伏線になってる
▼この映画のおもしろいところは、主人公が様変わりするのではなく、世界が様変わりするというところ
▽主人公はヤクザファミリーに尽くした傍若無人キャラのままで生き続ける浦島太郎のような存在
▽世界がガラッと変わることを描く上で、盃を交わすシーンのザ・ヤクザものVシネマ感バリバリのオープニングが本当に素晴らしい
▽前時代的な視覚表現を使うことで、主人公の青春時代と、そんな時代もあったね的な郷愁を感じさせる
▽そして出所した後の世界で、画面の比率が4:3っぽい感じに変わり色も淡い感じになっているのも、世界が変わったことの効果的な表現
▼北野武が、アウトレイジを当時のタイミングで完結させたのは、ヤクザがもうすでにオワコンであることを察知していたからなのかな
▼ラストの堤防シーンは、見事にコンパクトにまとまってる
▽現実的な流れだったら、焼肉屋息子の親の仇を討ったあとに捕まって、刑務所内で自殺するみたいなのが現実的ではあると思う
▽ヤクザの父親のせいで転校にまで追いやられた娘が、直後に父が死んだ場所に行くというのも、不自然な気がするし、そもそも死に場所を知りようがない
▽つまり堤防のシーンは、
主人公が自分なんて消えてしまいたいと思う心情と、
かつての兄貴を慕いつつも殺してやりたい弟分の心情と、
父を恨みつつも想ってしまう娘の心情と、
父の仇を自己犠牲によって晴らしてくれた焼肉屋息子の心情が交差する
夢の世界なんだなぁと思った
▽単に獄中で自殺しましたというあっさりした見せ方よりも、数万倍胸をえぐるエンディングだと思う。
▼学校に送ってくれるおじさんが自分の父親だと知らずに話すシーンで、
母に会う条件でしっかり小遣いを要求する(ゆする)という頭の使い方ができるのは
父親の血が流れているからという、さりげないヤクザジョーク
▼一発撮りの長回しが多い中でよくあんなに泣けるな綾野剛くんゴイスー。。
▼主人公と親分の別れのシーンが泣ける
▽主人公としては人生史上最も孤独になって周囲にも影響を及ぼしてしまったタイミング
▽親分はそれを知らない
▽それを伝えてしまったら親分はヤクザとして拾ってあげたことを大後悔してしまう
▽自分は幸せに生きていると伝えて逝かせてあげることが親孝行だと思ってたと思う
▽いまが全然幸せではないのに、父親としていてくれた親分に、あたかも自分は幸せに生きているというように感謝を伝えるのは泣けちゃう
▼とはいえ、元ヤクザの人が不条理に苦しんで暮らしているなか、そういう人がエンタメとして消費されることは、それはそれで皮肉
▽映画を通して少しでもそういう人が認知されて、ふつうに働けるようになればいいなと思う。
▽やり直すことを許さない社会はヤバいよ。
▼いちばんの悪はネット警察なんだなぁ
▼エンディング曲の映画に寄り添いまくった楽曲も素晴らしい。
▽それとなく海の底っぽい感じがするし、歌詞も主人公の心情に寄り添ってる
▽救われなかった主人公の救いになる役目を担ってる
▼誰からも見向きもされない存在に徹底的に寄り添うのは、映画や音楽の真骨頂だなぁ
時代の変化の残酷さ
20年間のヤクザというか時代の移り変わりの残酷さと切なすぎる人間模様。
綾野剛が哀愁あってなんとも言えずかっこよかった。
市原隼人も驚くほど良かった。個々の人生の守るべき信念と抗えない時代の移り変わりが残酷だった。
ストーリー展開もテンポもよく面白かった。
綾野剛に魅せられた。
一度ヤクザの前歴を持ってしまうと、何かをきっかけに家族をも失ってしまう。本人だけじゃなくて、家族に当たる配偶者も子ども自身も、自分には全く非がないのに全てを失う運命共同体に巻き込まれてしまう恐怖が後半のクライマックス。でもそれよりも、そもそもヤクザになってしまうことの原因が、彼自身が責を負わないその出自であることが切ない。だって、身近な、自分を守ってくれる大人が「その筋の人」だったら、子どもだったら刷り込まれてしまうよね。
私たち一般人は「関わらないのが一番」で生きている。安全地帯で生きている。そしてバイオレンス映画として「ヤクザ」を消費してきた。隣の若者が涙を流していた。何のどんな涙だったんだろう。
兎にも角にも綾野剛の映画だった。「日本で一番悪い奴ら」以来の再会みたいな感じだった。視聴中、すでに見た「すばらしき世界」の世界がどうしても被ってしまった人は多いだろうけど。
ベタすぎるかな
「義理人情の時代じゃない」って台詞ヤクザの映画やドラマできいたの何度目だろうと思いました
何十年前から言ってんだよ(笑)です正直
あとヤクザの悲哀を描くなら警察と上手いことやってる側を対比としてもうちょい掘り下げて欲しかったかな
描きたいことはなんとなくわかるんですが単調に感じました
役者さん達の演技は良かったと思います特に翼くん良かったとですね
なんか何やるかわからないような感じとても良かったです
若いっていいな(笑)
率直な感想です
観終わったあとの率直な感想としては、世間の評価がそこまで高い理由がわからなかった。
人生という名の道を進むとき、年齢を重ね、立場が変わり、それによって感じ方や考え方が変わるなんてのはアタリマエのこと。だからこの話も「何を当然のこといってるんだー」と思いながら観てた。
昔、「女性は年齢とともに変化していくけど、男性はいつまでも子供なまま。子供の頃に大好きだった漫画のドラゴンボールは大人になってもずっと変わらず大好き」って聞いたことあるけど、そーゆー男女差みたいなものがこの感想に影響してるのかな?と感じた。
とゎいぇ、出演者みんないい仕事してたのは間違いない✨✨✨やはり北村有起哉さん好きだーーーー
奇跡的な二本のヤクザ映画
この映画と同時期に公開されている「すばらしき世界」は同じように、殺人を犯し服役した元ヤクザの厚生を描いている、その点では非常に似ている。主人公は両方とも血縁者がいない。それでも「すばらしき世界」では厚生を助けようとしてくれる周りの人々がいる。この映画では血縁ではないが擬似家族のような集団があり、孤独ではない。一時は厚生に向かうというのも両作共通している。
いい方向に向かいかけた時にネットの書き込みが全てを暗転させる、その点がすごくリアルで悲しい。「ヤクザの人権なんかとうの昔に無くなってる」と言う悪徳刑事の言葉が重い。一番の悪は誰なのか?と訊かれている感じがした。
何箇所かミスリードの場面があり、観ている人はびっくりするだろう。
二本のヤクザ映画が同時期に公開され両方とも傑作というのは奇跡に近いと思った。
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