ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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原作漫☆画太郎だと思って見ればいい
幼年期のショートカットはやむを得ないし、それに伴いキラーパンサーとの再会やフローラとビアンカを選ぶ苦悩が伝わり辛くなってるのも仕方ないだろう。 ゲマを中心としたパパス、主人公リュカ、息子アルスの大河的な因縁の付け方は、やはり原作が良いためか、美麗なCGで演出されると興奮と感動を覚える。
が、しかし。 再三指摘されてるが、あのオチはなんだ? 君たちの物語だからVRの世界だと? それは百歩譲って許そう。
で、ミルドラースがウィルスだと? 僕は飽きれて笑ってしまった。
そしてこの脚本家が「このオチなら感動と話題性間違いねー!!!」という自信の元に制作されたと思うと寒気がした。 ここのCGスタッフも含めて、「こんなオチ何が面白いの?」ってツッコム人いなかったの?
井浦新はミルドラース役やってくださいって言われて渡された台本が「俺はウィルス」って台詞見て死にたくならないの?
一部の界隈ではメタ的な構造は賞賛を得る流行りの展開なのかもしれないが、リアルタイムにプレイした客って子供の頃にやったドラクエがついにCGで再現される!あの頃の脳内の思い出を如何に現代で技術で蘇らせてくれるんだろう?っていう期待感を持って映画館に足を運んでるんだよ。 その人たちが、「俺はウィルスだ」「俺はアンチウィルスだ」ってやり取り見て、すげー!!!ってなる訳ねえだろ。
漫☆画太郎さんが罪と罰や星の王子様の漫画をギャグで書いてるけど、アレと同じと思って見たら楽しめるかも?エンドロールにアドバイザー漫☆画太郎って書いてトラックオチにでもしてくれた方が幸せな作品です。
DQⅤをプレーしたことある別の監督が作っていたら満点になり得る作品だったという意味で2
キャラのCGと戦闘は悪くなかったから0評価ではないが、全体的に脚本が酷すぎた。
調べてみて、監督(脚本)がDQⅤを未プレイと聞いて激しく納得した。
※詳細なネタバレもあるので、未視聴の方はブラバ推奨です。
まず、原作未プレイを置いてきぼりにする端折りっぷり。
では、原作ファン向けだったかというと、原作ファンの皆さんがお怒りのとおり、未プレイ監督の独りよがりな意見の押しつけで、誰向けの作品なのかわからない。
かろうじて見れる映画になってたのは舞台がDQⅤで、DQの音楽使っているから音楽が良いだけで、この映画特有の部分、監督がいじった部分はことごとくダメだった。
多くの皆さんがラストがダメだったというけれど、それだけではないと思う。
逆にラストが納得できるものだったから評価5というレビューもみるけれども、その評価は誤っているとしか思えない。
その理由はラスト以外の点も問題だらけである上、ラストの部分もヒューマンドラマとしてみたとしても、矛盾だらけの酷い脚本だったからだ。
まず、ラスト以外の問題点だが、
たとえば、主人公がビアンカに「俺の背中を任せられるのはお前だけだ、レヌール城でもそうだったように」と度々、端折った部分を無理矢理に補完する説明口調なセリフが出てくる。
開始早々すれ違っただけの関係のフローラが主人公に一目ぼれしたり、幼なじみ扱いされて主人公が行方不明の間、夜な夜な泣いていたという謎の改変、サンタローズで主人公を見たサンチョが突然泣き出してゲーム後半再会時のセリフを言ったり、ヘンリーが奴隷になった後も生意気なままだったり、かと思ったらピンチになったら駆け付けるだのご都合主義なことを言い出したり、
序~終盤まで要所要所で視聴者を白けさせるセリフや改変が出てくる。
ここまで酷い脚本だったのはひとえに原作を遊んだ経験がないからで、もしそうじゃなかったらこうはならないと思う展開ばかり。
特に私の中で、最も「そうはならないでしょ」と思ったポイントは、「幼少期の省略」だった。
皆さんはDQⅤで印象に残っているところはどこか、聞きたい。
もちろん人によってそれぞれだろう。
けれども、私の友人含めて共通していたのは、「幼少期がとても印象に残っている」という点だった。
「幼少期」はゲームの中でも、裏ボスを倒すまでの全過程でみたらかなり短い。だからこそ、監督はここをカットしたんだと思うけれど、私にとってはここが一番DQⅤで思い出深いポイントだった。
もっとはっきり言えば、私にとってDQⅤが映画化すると聞いて一番見たかったのは幼少期だった。
というか、もし仮に映画の設定どおり、VRゲームとしてDQⅤをプレーし、ゲーム主人公の記憶を追体験できるのだとしたら、私はほとんどのプレーヤーが幼少期を省略することはないと確信している。
それほどにDQⅤの幼少期の完成度は高い。
冒険のドキドキ、ワクワク、友情、家族の愛情、初恋、それら全部がこの短い期間に詰まっていた。
私の人生の中でも暖かくて幸せな感情をこのゲームからもらったと思う箇所でもあった。
ここをカットした時点でこの映画に対する評価は地の底に落ちたし、ここをカットすることを選択した監督はDQⅤの魅力を何もわかっていないと確信した。
今回の映画のメインは結婚相手の選択になっているが、そもそも映画だけの経験でいえば、フローラもビアンカもほとんど話したこともなければ、そのキャラクター性も掴めない相手で、選ぶもクソもない。
特にビアンカとの絆は幼少期がもっとも大事なはずで、ビアンカを選ぶのなら、幼少期をやらないと話しにならない。
私も主人公と同じような年齢の頃、DQⅤをプレーして、幼なじみのビアンカに出会って、お姉ちゃんぶってるところとか、わざわざ起こしに来てくれるところとか、かといっておばけが怖くなると主人公に泣きついてくるツンデレなところとか全部が可愛くて、これが私の初恋だったと言っても過言じゃない。
夜寝静まった村の探索やレヌール城のお化け退治という名のデート、
幼少期のビアンカとの冒険はレヌール城攻略だけじゃなく、ブーメランや茨の鞭を買うまで何夜もかかるところ、マップ上行ける範囲を冒険しつくしたところも含めて記憶に残ってる。
そうしてレヌール城が終わってビアンカと別れたときは本当に寂しくて、どうにかビアンカに会う手段はないものかと模索したのも覚えている。
こうした過去に関するエピソードの紹介が一切ないままビアンカを選ぶというのはあまりにもビアンカの魅力をわかっていないし、ビアンカの魅力を見せる気がないとしか思えない。
映画で表現されているビアンカの魅力は何でも言い合える関係とのことだが、そうした関係になった部分を見せずして、なにを言っているのだろうか。
映画ではビアンカの幼少期エピソードを全てカットした上で、ビアンカとよくわからないいきさつで再会した上、よくよく考えたらやっぱりビアンカが好きだったとかいう脈絡も何もない気づきを得て結婚が進んでいくわけだが、はっきり言ってあり得ない。
映画を見ている限りでは、主人公の悩みには全く共感が持てなかった。そもそも当初は悩んですらいなくて、フローラに求婚した後に謎の薬を飲んで、悩み始めるという超絶白ける展開。
後にネタバレがあるのだが、薬を飲むと「フローラを選ぶ」、「自己暗示」とかいう白けるメッセージウィンドウが出てきて、さらにその奥までダイブしていき、やっぱりビアンカとなるわけだが、映画をみているときには「フローラを選ぶ」「自己暗示」というところで、「は?なにそれ?意味不明」となる。本当に好きとかじゃなくただの自己暗示ってなんだよ、バカにしてんのかとすら思う。
そんでもって、映画後半に元々現実の主人公が、VRゲームを開始する前にフローラを選ぶという暗示をしていたからこうなったということが判明するわけだが、これで「メッセージウィンドウの伏線回収できたし、納得!すっきり!」となるかといえば、全くならない。
むしろ、この主人公は、リアルにどっちが好きかを本気で悩み、葛藤していたというものではなかったと判明して、かえって不愉快になるだけ。
結婚エピソードを見ていたときに主人公の悩みに共感を持てなかったのはあまりにも当然だった。
しかも、そうしたVRゲーム開始前に設定していた自己暗示を、まったく説明されず、わけのわからない理由でもって破壊するという理解不能な展開。
こんなリアリティもなく、ただの茶番劇だったというオチをつけるなら、なんで劇中の貴重な時間をここまで割いたんだろうか。
それこそ「幼少期」のように全部カットして「ビアンカが嫁になりました」という結論だけのほうがまだマシ。
「この映画の結婚相手を選ぶエピソードが良かった」という評価をちらほら見かけるが、本当にそうなのだろうか?と、激しく疑問を感じる。
こんな何のドラマもなく、人間らしいリアルな葛藤も悩みもない茶番劇をみて何が面白いのだろうか。
しかもオチ以外の点でも、一度はフローラに求婚しておきながら、ビアンカに求婚するとかいう一途でもなんでもない浮気性な主人公のサマまで見せられて、不愉快になるばかり。
普通、求婚した以上、それを翻して婚約破棄するなら誠心誠意本人に対して謝るのが筋ではと、主人公の品格まで疑う。
同じ町の宿屋でビアンカとの結婚式をあげて、フローラに真実がバレることをしておきながらルドマンの好意に甘えて旅立つとかどんだけクズなのか。しかも、全部フローラの自己犠牲でしたというオチを付けるから、主人公のクズっぷりが一層際立つ。
子供の教育に良くないからこの映画は子供には見せられない。
ああいうオチにするなら主人公が直接フローラに謝罪に行って、そこでモシャスしてネタバレするって展開で良いのでは?
ラストの大人になれとかいうセリフの当否以前に、監督には普通の良識人になれと言いたい。
DQという影響力ある題材を使って、婚約相手に謝ることなく婚約破棄するクズ主人公にすることによる社会的影響を考えて欲しい。
謝罪という嫌なことから逃げておきながら、「キミは勇者」とか吐き気を催す。遠回しにキミは社会的に責任を果たすことはできない、ゲームの中でいきってるただのガキと言っているだけにしか聞こえない。
終盤で伏線回収する系は、あざやかに、かつ、爽快に回収して物語を展開するのが本当にうまい脚本だけれども、伏線を回収した結果、より不愉快にするのは二流以下じゃないだろうか?
せっかくDQⅤの素晴らしいストーリーをことごとく改悪するバカな脚本家(監督)だなと思う。
つづいて、ラストの部分含めた脚本全体の問題点であるが、
この映画のダメなところとして、冒険譚ではなかったことがよく指摘されている。
私もその通りだと思う。
子供から大人まで楽しめるDQ映画にするのであれば、最後まで冒険譚を貫くべきだった。
そして、冒険譚にするのであれば、一番冒険がワクワクする瞬間である駆け出しの「幼少期」は欠かせないし、ラストの余計な部分を省いて「幼少期」を入れていればここまで酷評はされなかっただろう。
この映画はラストに急に冒険譚ではなく、ヒューマンドラマに変化するのであるが、これが冒険譚を楽しみにしていた視聴者を裏切ることになった。
しかも、私からすると、そうしてわざわざ改変したヒューマンドラマが、上記のとおりあまりにお粗末で、不愉快になる伏線回収しか存在しないから、この映画を評価する気になれない。
その上、視聴者を白けさせる世界背景を説明するだけの長々としたセリフがラスボスからペラペラ告げられる始末。
今回のラストに納得したという方々は果たしてこんな説明口調なセリフ回しも含めて面白いと思ったのだろうか?
本来そうした背景・世界設定の説明は、物語を見せながら自然と視聴者に理解させるように展開しなければいけないのに、説明口調なセリフを、よりにもよってラストにラスボスの口から言わせるのは脚本家として一番やってはいけないことではないだろうか?
そんなのはラノベでやってくれと思うチープな脚本。というか、最近のラノベをアニメ化して失敗する例も、原作で出てくる設定説明部分を主人公が長々説明して白けるからなのだが、この映画も同じ過ちをしていると言わざるを得ない。
しかも、そうしてDQⅤの世界に無理やり登場させた裏設定だったからこそ、ウィルスの目的も曖昧だったし、その背景にある思想も不明だから、敵意含めて感情移入しようがない。
そもそもウィルスが忍び込んだのが、DQⅤのVR空間であるなら同時にプレーしている勢もいるわけで、何故に今回の主人公だけが戦っているのか意味不明。
というか、ゲームでバグが発生した際にプレーヤーが解決するというのは聞いたこともない。本来戦うのはゲームの運営スタッフで、中にいるプレーヤーはサバメンテでフリーズする中でただ解決を待つしかないはず。
映画では、本来、中にいるプレーヤーにはどうしようもない問題を無理やりワクチンプログラムが登場してそれを使って主人公がウィルスと戦うことにさせているけれど、結局ワクチンあるならやっぱり主人公が戦う意味なくない?と思うばかりで、冒険譚の要素を無理やり挿入してきたな、と失笑しかなかった。むしろ、こんな形でロトの剣を使われて残念だった。
他にも矛盾点は多数だが、最後の「ゲームも一つの現実」という言葉は映画化に消極だった堀井さんが監督を説得し続けてようやく入れてもらった言葉と聞いた。
この言葉を理解できていなかった監督が作った物語で、最後に監督以外の者の言葉で終わる、それこそがこの映画最大の矛盾点といえるだろう。
総評だが、この映画は評価すべき点はCGと戦闘だけで、脚本はDQⅤの魅力を全くわからず、かえって下げることしかできない監督が作った酷いものだった。
きちんとDQⅤをプレーし、その魅力を理解した脚本家が作っていたなら、このキャラCGと戦闘の表現を活かして最高の冒険譚にもできたと思うと残念でならない。
ガッカリはしたけれど
稀に見るクソ映画
賛否両論どころか否定的意見しか出てこないクソ映画でした。
普通に終わらせれば良かったのでは?
あの演出、ストーリーを最後に入れて観客の期待を悪い意味で裏切ったことに気づいてないのは本当に痛々しい。
こういうところがポケモン系との違いですね。
売れない作品しか出てこない。
タイトルなし(ネタバレ)
採点不能なレベルの低評価なのですが、平均に反映されないので仕方なく0.5をつけています。
ゲーム大好きで、その中でもドラクエはシリーズ全てプレイ済み、ずっとずっと楽しんできたゲームでした。 特に5は私の中の宝物のゲームで、何度クリアしたかわかりませんし、いまだにプレイすることがあります。
とても思い入れのある大切なゲームです。
その作品をベースにとうとう映画になる!!と言うことで期待大で鑑賞してきました。
「ネットの評判が悪い」ということはうっすら知ってたのですが、自分の目で確かめないとよくも悪くも評価できないと思っていましたし、評価がどっちであろうともみるつもりだったからです。
映像は頑張って作ってるなあと思いましたが、所々、ドラクエ5のテーマに関わる大切な箇所が端折られてるので、ゲームを好きな方は違和感を感じるでしょう(例:ヘンリーが奴隷生活を経ても性格が変わっていない、ゲレゲレがビアンカのリボンで思い出さず自然と再び仲間になる、主人公は父の意思を継いでその目的を果たすという強い意思を持った人物のお話なのに、「魔物がたくさんいる」という理由だけで冒険に出るのをいやがる、なので父と子の絆を感じられない、息子が主人公に再会しても感激したりしない等)
私も違和感を感じていましたが、それでもまあ、まだ我慢できました。 「監督はドラクエ5のお話知らなかったのかなあ?」と感じていても、まだ我慢できたのです。
映画だし、時間内に収めないといけないしね、と。
でも問題のラスト10分。
散々言われてますが、映画内の時が止まっただけじゃなく、現実の時間も確かに止まりました。
観客全員ドン引きです。
これらは全て虚構だよ、こんなのになに真剣になってるの?
「大人になれ」
このセリフです。
ドラクエ5や、その他数多のゲームをバカにした言葉でした。
そしてこれはゲームだけではない。全ての創作物に当てはまります。
創作者を馬鹿にして、その創作物を楽しむ人々全てを馬鹿にしたセリフです。
もちろん、映画も馬鹿にしてるわけです。
だって創作物ですからね。
山崎監督は、映画を作るお仕事をされてるわけですよね?
この監督は、それを観にきてくれてる観客に、その言葉を言うのでしょうか?
「こんなもの虚構だよ?映画なんかみてないで大人になれ」と。 自分の作品の途中でそれを言うのでしょうか?
こんなこと言われたあとの映画なんて、観るだけ白々しい気持ちになるだけで、何の意義もありません。
申し訳ないですが、このような人格の監督が作った作品を2度とみたくありません。
全ての創作物を否定したのですから。
これが素晴らしいオチだと思ってるなら、山崎監督の感性は異常だと言うしかないです。
この監督にオファーし続けたスクエニの責任者、あなたにも責任はあります。
堀井さんは諸事情があったと思います、だから最後の「ゲームもまたもう一つの現実だよ」という言葉だけは譲れなかったのでしょう(監督を説得し続けていれてもらった言葉だと、パンフレットにありました)
ゲームが大好きだからゲームを作った堀井さんが、この話に納得してるとはとても思えませんから。
映画をみてこんなに腹が立ったのは初めてです。
なぜ大切で大好きなドラクエ5で、監督の自己満をやったのだろうか。
人の思い出や心を傷つけて何が嬉しかったのだろう。
山崎監督を許せません。
これまでの人生で最悪に傷つけられた映画でありますし、この先もこんな映画はないと思います。
この監督はこれ以上創作を続けるべきではないです。
「ドラクエ」ネームで客を寄せたのかと…
疑ってしまう。
感想
ゲマを倒すまでは、
〇 マリアがいない、ヘンリー独身
〇 妹がいない→天空物語を読んだ身としては寂しい
〇 変な薬を飲まないと本心に気付かない
→ビアンカとの会話とかで気付いてほしかった
〇 グランバニアドコー
〇 主人公はもうちょっと落ち着いてるイメージだった
→このパターンの主人公も悪くないかな
〇 順番を変えたりはしょったりしてるけど、こんなもんかな
というような感じでした。
最後の場面までは
上記の辺りが気に入らない人がいるから低評価なのかな
と思いつつも、
映画で見るドラゴンクエストの世界観にのめりこんでいました
し、私の心は
主人公は魔王を倒して平和を取り戻す
その後、仲睦まじく幸せに、失った10数年間及び、8年間を取り戻していくんだろう
そんな主人公の様子を見て、亡くなったパパスやマーサは、天国で微笑んでいるんだろう
と、希望を胸に膨らませて、エンディングへ向けてまっしぐらに進んでいました。
すると、変な白い奴(ミルドラースは影も形も出てこない)が出てきた辺りから
この映画はドラゴンクエストⅤの物語ではなく、
「ドラゴンクエストⅤをプレイしている人」の物語である
ことを知らされ、一気に映画の外へ戻ってきてしまいました。
それまでは画面の映像しか見えていなかったのに、周りのお客さんやモニターの境界が一気に目に入るようになり、まったく感情移入ができなくなりました。
ラスボス(魔王とは言いません)は、「ゲームなんてしょうもない」みたいなことを言い、主人公はそれに反論します。
しかし、こっちは、この展開のせいで物語にのめりこめなくなりました。
最後の主人公は半分現実に戻った気分で「こいつらもうちょっとで消えるんやなあ」って…
妻と子と召使いが可哀そうになりました。
楽しみ方は人それぞれあると思いますが、私は
ゲームの後、ゲームの主人公のその後等を想像して楽しむタイプ
です。
この映画のラストだと、ゲームクリア後も物語が続いていくとは、想像できませんでした。
そもそも、私は、「あのドラゴンクエストⅤが映画化」と聞いて、映画を見に来ました。
「普通の人がドラクエⅤのバーチャル版をプレイする物語」を見に来たつもりは全くありませんでした。
どんでん返しを狙っていたのか知りませんが、私にとっては最悪の結末で、詐欺にあった気分です。
この結末で、「ドラゴンクエストの映画化」という宣伝はやめてほしかった。
私は、これを「ドラゴンクエストの映画」だとは思えません。
「ドラゴンクエストをプレイする青年の映画です」と言ったら客が来ないから、
「ドラゴンクエストの映画」だと観客を騙して、金を巻き上げた
のかと、邪推してしまいます。
ドラクエを客寄せパンダ扱いしているのかと思ってしまいました。
肯定派の方の意見を否定するつもりは全くありません。
しかし、私はこの映画を、ドラクエⅤをプレイした人に対して「ドラゴンクエストの映画版である」と、お勧めすることは絶対に出来ません。
「ドラクエをプレイしている人の映画である」と、ある程度ネタバレした後ならば、もう少し冷静になって鑑賞できると思います。
総評
個人的な感想としては、「最悪」でした。終わってます。
鑑賞して悲しくなりました、PTSDです。
映画を見てこんな気持ちになったのは初めてです。
プチ感想
〇 「本心」とか、プサンの「今回はその設定」のくだりが伏線だとわかりました。
→そんなんいらないです。
〇 ミルドラースは、ただでさえ「各レーベル中最も影の薄い魔王」で有名なのに
映画化された今回もこんな扱いとは…と、可哀そうになりました。
せめて姿だけでもミルドラースにしてあげたらよかったのに…と思いました。
〇 ロトの剣とか、天空シリーズにいらないです。
取ってつけたように出さなくていいです。
最後のシーンさえカットすれば最高の映画!
最後のシーンは、急に現実社会に取り戻されてしまい気分が覚めてしまったが、最後さえカットすれば、ドラクエで良く流れていた名曲の数々など、少年時代に夢中になってプレーした記憶が鮮やかに蘇り感動しました。
特にビアンカを結婚相手に選ぶシーンや、自分の子供が勇者しか扱えない剣を抜くシーンなどは鳥肌がたち涙が溢れそうになりました。モンスターなどもうまく再現していたし、ドラクエ世界をそのまま映画にした感じで最高に良かったです。
最後のシーンさえなければ。。。
笑止千万
ファンに取材したようなことが書いてあったが、、、
ほざけ!
ちゃんと取材したならこんな出来にはなってないだろっ!
というか最初断ったのに、勝負できる手を思い付いたから作っただと?
それがあのシーンだってか?
ファンの心を傷つける暴力映画
見終わって、怒りと悲しみしか残らなかった
これはドラクエVの映画ではなく、あくまでも題材としてるだけ
酷評してる方々はドラクエとして観てる為、確かラストシーンはえっ?となるかも知れません。
が、サブタイトルはユアストーリー、キャッチコピーは君を生きろです。
ドラクエVの映画化でない事はハナから分かりますよね?
勇者としてドラクエの世界を楽しみたい、そんなドラクエファンの気持ちも分かりますが、現実でも貴方は勇者なんです。 一人一人が勇者なんです。 そして一人一人の物語があるんです。
所詮ゲーム、そんな事を言ってるのではない。 ゲーマー批判でもアンチゲーマー批判でもない。
ドラクエを買ってプレイした時のワクワクした気持ちを覚えてますか? 多くの大人は忘れてるでしょう。 私自身も忘れてました。大人になって、現実を見ていると、嫌で嫌で仕方がない、それが正直な気持ちです。
ですが、それも一つのストーリーなんだなと、改めて思いました。 例えば誰かが亡くなって悲しい、辛い想いは誰もがする事でしょう。 目の前の高い壁にぶつかって、進めない自分もいるでしょう。 これまでの人生を目の当たりにして、挫折してる方もいるでしょう。
劇中に大人になった主人公が少年の頃の自分に会うシーンがあります。 この先辛い事があってもくじけずいられるか問います。 その答えを聞き、主人公自身もそうだったなと改めて自分に言い聞かせます。
正直私自身の人生、希望に満ち溢れていた少年の頃とは、遠くかけ離れたものです。 これまでの人生は何だったんだろう思う事も何度もあります。
でも改めて思いました。それがあって今なんだ、そしてこれからの新しいストーリーを作っていくのも自分自身で、現実の世界でも自分が勇者なんだなと。 自分の物語は自分で作る、目の前の壁に屈したら、そこでゲームオーバーなんだと。
自分を守ってくれた親がいる、支えてくれる家族がいる、協力してくれる仲間がいる。 ドラクエVの世界観はそれを表現するのにマッチしたんだと思います。
自ら命を絶ったり、他人を傷つけたり、物を壊したり、自分自身をコントロール出来ない方がいますが、皆さんそれぞれの人生がある事、これまで築いてきたものがたとえ壊れても、決して無駄にはなっていない事、それを糧にまた明日から生きていける事、考えさせられました。
目の前に想定外の障害が起きたとしても、今度は周りを守る勇気。
ほんの少しですが、自分も勇気をもらいました。
『君を、生きろ。』
ドラゴンクエストの名前を借りて作るべき映画ではない
賛否両論ではあるが、独自性を持たせた部分のストーリーが手垢にまみれて踏襲されつくした展開でレベルが低く稚拙なのが余計に悪い印象。
花嫁選び問題の扱いは練られていたので、終盤の幼稚さがより際立つ。
ドラクエとは関係のない世界観を挟むタイミングも本編終盤真っ只中で邪魔された気分。
ドラクエのネームバリューを借りるなら低レベルのいじり方はドラクエファンに失礼。
クリエーターや業界が集まって、この中2病レベルの企画を通したことが謎。
今回の内容を描きたいなら独自に作っていただきたい。
ドラクエのネームバリューを借りて低レベルな自己表現をしたことが最大の問題。
ファンはがっかりするので見ないほうがいいかも
最後の最後でVR落ちというのはあまりに悲しい。
原作への思い入れが強かった分、本当にがっかりさせられた。
ドラゴンクエスト ユアストーリー
ドラクエで育った幼少期、特に思入れの詰まったドラクエ5を題材にした映画が出ると衝撃を受け、映画のCM見ただけでも涙が出て、懐かしさと感動を貰いました。
しかし、本作品を鑑賞する前から、あの分厚い物語を1時間40分くらいにどーやって収めるのか疑問でした。ある程度は要点だけ掻い摘んだ内容になることは覚悟していましたが、ゲームの内容とは異なる部分が多くありドラクエ5として見るには大変残念な作品に仕上がってます。たしかに要点だけを確実に描写しようとするだけで何分も伸びていき、総じて、どうまとめても4時間じゃ足りなくなると思います。
だから登場キャラ、セリフを減らして展開場面への接点を減らすために要点をお焼香を摘むような時間しかまとめられなかったのだと思います。そして衝撃のエンディングのせいで更にめちゃくちゃに仕上がりました。
この映画で伝えたいことは『あなたは勇者だった』ってことなのはわかります。しかしあまりにも荒削りで、せっかくドラクエシリーズの中でもストーリーを色濃く重視した作品であの展開は無しです!
あのような展開、作品にするのならドラクエ1.2.3.4.で映画を出せばまだ作品として成り立ってると思えます。
5を題材にして映画にするならロードオブザリングやスターウォーズの様に三部作などで作れば最高傑作としてファンを納得できたと思います。そして三部作目のラストであの様なエンディングであればまだ良かったです。
この映画の作者、脚本、監督はあまりドラクエ自体に思入れが無かったのかなっと疑問を抱く様な作品です。
応援してるプロ野球チームが目の前でボロ負けした気分で席を立つ映画。
ドラクエVをやったことがない人には話を省略しすぎて意味が分からない。
やったことがある人には省略の仕方が納得がいかない。
キラーパンサーとの再会だって、なんの脈絡もなく殆ど一瞬で見ぬいて抱き合って、え?リボンいらないの?もっと盛り上げるための伏線とかないの?というすっとばしぶり。そもそも幼少時の冒険は全てカットされてるんだから。
しかもゲームと映画でイベントが若干違うところでは登場キャラの「今回の設定ではこうなっている」みたいな萎える発言多数。もうここがゲームの中の世界だって言ってるようなもんでアホらしくなる。
ドラクエVの映画を観たいのに、実は冴えないサラリーマンがやっているゲームの中の世界でした、でも僕の中では本当の世界のように存在しているよチャンチャンというなんともお粗末なオチ。もうドラクエ関係ないだろ。しかも最後の敵はコンピューターウイルスだったとか、一番最初に仲間になったスライムがアンチウイルスだったとか、もう安易すぎて安易すぎてクレジットが流れ出す頃には、まるで応援してるプロ野球チームがボロ負けして席を立つファン集団のような空気が映画館に充満する。
シリーズで一番好きなドラクエVの映画だから、最初はどうにか「いい映画だった」と思い込みたくて頑張ったが、考えれば考えるほど3流だったと認識させられるばかり。
繰り返しになるが、この映画で見る人に伝えたかったメッセージは、ドラクエは全く関係ない。オッサンになっても夢を忘れるな、みたいなどこにでも溢れているような事だと思う。ンな事今更他人に言われたくない。忘れてないからこの映画を観に来てんだよ!
ぶっちゃけ子供用絵本で充分伝えられるメッセージです。もうホント悲しくなった。
唯一の救いは、期待していなかった声優さんが意外と上手だった事と、ビアンカが可愛かった事かな。
ゲームと混同すると最低評価となる
ネタバレは勿論見てない状況で「終わり方が気に食わない」という評価だけ知っていて見ました。
問題のシーンでは「なるほどココか」と思いました。ですがこの映画に関してはさほど嫌な気持ちはしませんでした。
私はドラクエ5はかなり好きで通算5回ぐらいクリアしている人間ですが、確かにこのユアストーリーでは「最後までファンタジーであって欲しかった」とは思います。
ただゲームとは完全に別物。
映画ではキャラクターが話はするし、作者の意図もあるでしょう。自分が思っていたドラクエ5との違いで嫌悪感が出ているのでしょう。
今回の映画で低評価の理由は
・現実が絡んでしまった
・フローラがヒロインじゃ無かった
・対象が子供じゃ無く、過去に楽しんでいた大人
低評価をしている人間は「にわか」と叩いている人もいるようですが、ファンタジーのまま終わっていたら評価も変わっていたかと思います。
あと映画のトレーラーが完全にドラクエ5の世界観であったにも関わらず、最後ではわけのわからないキャラクターによるぶち壊しがあったからでしょう。
映画は別物と考えれば、また理解できるのでしょうが...
ユアストーリーに固執してしまった結果、全てのユーザーや子供向けではなくなってしまったと言った感じなんじゃ無いでしょうか。
※ドラクエは主人公喋ったら駄目という口コミ
これは映画見なかったら良かっただけではと思います。トレーラーでも普通にリュカは会話してますし映画では成立しないでしょう。黙ってドラクエのゲームだけしていれば良い。
以上
悪い話ばかり聞きますが、観てみると意外と
予想に反し、評判よりも最低な映画でした。
予想より遥かに最低でした。
存在しない脈絡、繋がらない展開、
無意味な改変、監督の無理解、
台詞選び、話の切り方、
時間配分、起承転結の割合
どれ一つとして及第点にすら満たない出来でした。
映像の美しさ?ああ、うんまあまあ頑張ったんじゃないですかね。
オープンワールドゲームのイベントシーンぐらいには綺麗でした。
綺麗さを売りにするなら、前述の問題点を全て吹き飛ばすぐらいの美麗さで圧倒してくれないと、釣り合いません。
そのレベルには到底達して無いです。なので「まあまあ」です。
音楽?ドラクエ5以外の曲を起用している時点で問題外です。また、アレンジが変わっている訳でもなくただ垂れ流しているだけなので何ら新しさは感じません。音楽を聴きたいならサントラを聴けば良いです。
なので音楽も良ポイントになり得ません。
問題点を一つ一つ詳しく書くと欄が足りませんのでこれ以上は控えます。
まあ、どれ程酷いかは皆さん語り尽くされていると存じますので、私なんかが講釈垂れなくとも大丈夫でしょう。
最も許せない点についてだけ詳しく書きましょう。
道中、主人公は魔物を(たった数匹)仲間にしますが
魔物に対し「家来」と言います。
スライムに対し「スライムなんかいらない」とのたまいます。
また、ある魔物を倒した際は「服従するか死ぬかを選べ」と凄みます。
ドラクエ5の主人公は、魔物を倒した際に、その優しさと血筋に眠る力により魔物と心を通わせ、仲間にする事ができます。
魔物とも仲良くできる、心優しき青年。
最弱のスライムであっても、強いモンスターであっても平等に愛す青年。
そういう設定のはずなんです。
しかし、この映画では魔物というのは力でねじ伏せ、脅迫し、子分にするだけの存在のようです。
監督は「魔物を仲間にする」という文だけ掻い摘んで理解したつもりになったのでしょう。
年頃の時にドラクエ5をプレイして来た私はそこが絶対に許せませんでした。反吐が出ます。
また、ドラクエ5をプレイした人の意見が多いのは当然ですが、映画としての完成度も非常に低く、ドラクエ5を知らない人が観ても評価は低くなります。
まあ、そんな人はほぼ観には来ませんけど。
何故ならこの映画は、明らかにドラクエ5をプレイした人向けに宣伝をしている。しかしそういう人には不快。
では子供向け?子供が観ても頭ごなしに否定されて不快なだけ。
監督は誰に、何のメッセージを伝えたかったんでしょうか?
全く意図がこちらに伝わって来ない。
辛うじて伝わって来たのは、監督はゲーム業界を下に見てるという事と、勉強する気も歩み寄る気も全く無い事、そして最後のネタだけを披露したいという事。たったそれだけです。
「この監督は下々の民に自分が思いついた素晴らしいアイデアを披露したくて堪らない人なんだろうな」って事だけはよく分かります。
ただその素晴らしいアイデアってのは数十年どころか、数百年以上前から作家達が使い続けて来た、とても陳腐な物なんですけどね。
そういう勉強をする努力もしたくないタイプの人なんでしょう。
そんな人に国民的ゲームの思い出が穢されたのが残念でありません。
別の心ある監督が新たに映画を製作する事を望みます。
ドラクエの主人公は自分の分身
ドラクエが映画化。しかも主人公に名前があり、しゃべっている。予告を見るたびそれが嫌で嫌で仕方なかった。なんで堀井さんはこれにいいって言ったんだろう?主人公にしゃべらせるのは絶対イヤだって思っていたはずでは?
と、思っていたんですよ、予告を観て。堀井さん、なにがあったの?って。
でも、ネタバレレビュー見て、これはそういうことではなさそうだ!と思って見に行きました。
ドラクエの主人公は自分の分身です。
名前も自分でつけて、なにをどう話しているのかは決まっていません。
一人称がボクなのかオレなのか私なのかもわかりません。
そこが好きなんです。
だからドラクエなんです。
そこが守られていたのに、心から安心しました。
ドラクエはドラクエでした。
ものすごく面白かった、とは言いませんが、見てよかったです。
ラストも決して悪くなかった、と、私は思います。
「ドラクエの主人公はあなたの分身なんだよ!」
という、堀井さんの思い。
どうか受け取ってほしいとそう思いました。
否定派のレビューに惑わされないで自分で観て感じほしいです。
あまりにも否定意見が多いので肯定派のレビューをさせて頂きます。 ドラクエの映画が公開されると知ってずっと楽しみにしていました。 特に天空の花嫁はシリーズで1番大好きな作品で私はDS版のリメイク版で子供の頃プレイしていました。映画は公開されて2週間ほど経ってから観に行きましたがネットのレビューは大荒れ。見たくもないネタバレがネットに出回っていました。そんな状況でしたが大好きな作品を劇場で絶対に観たいと思い足を運びました。 見終わった後にはレビューについてなるほどなと思いました。エンディングが賛否両論ありそうな展開だったからです。最初は私も戸惑いましたが、これはこれでありなのではと思えました。ドラクエでやるオチでは無いと叩かれていますがプレイヤーが主人公であるドラクエだからこそあのエンディングになったのではないでしょうか。 そう思えるとありなのかもと思えます。 ただ賛否両論ある展開なのは間違いないと思います。しかし観てもないのに叩きまくる人やネタバレする人、観ない方がいいと言う人は自分の意見や感想を人に押し付けないでほしい。 好評している人はにわかだという押し付けもやめてほしい。 私はストーリーの描き方やBGMのかかり方など胸が熱くなるシーンも多く、個人的にはエンディングにも納得ができ観て良かったと思いました。レビューに惑わされず実際に自分で観て感じてほしいと思いました。
くそゴミ
ドラクエ5の世界観を映画館で味わいたいと思い足を運びました。
個人的には期待を大きく下回りました。
オリジナリティを求めたのか、監督が自分の価値観を共有したいだけなのか、特殊な方向性があったのか、など何に起因するのか知る由もないですが本当に残念でした。
まだミルドラースが呆気なくやられる方がマシです。
スッキリしない映画でした。
実写化(?)ということで、ストーリーや設定が多少異なるのは仕方ないことと思って観ました。
BGMはドラクエⅤの他にⅥやⅨなど場面に合った選曲に感銘を受けました。
ゲームのストーリーを知っているので、ここの場面はこうなったのかと比べながら、途中までは楽しく観させて頂いたのですが、最後のアレは一気に萎えました。
酷評があるのは知りませんでしたが、映画が終わってから、しばらくモヤモヤしてました。
しかし、それ以外はまあまあ良かったと思います。
キャストもそこまで違和感ありませんでした。
マリアも出てきて欲しかった…残念。
家を覗いてるスラりん可愛かった!
※あくまで私個人の感想です。
たとえゲームだとしても、幸せに繁栄して欲しい。
話題沸騰中のラストシーンについて先に語りたいと思います。
ここの低評価レビューを見る限り、おそらく僕以外のみんなも年齢を問わず同じ経験があるモノと感じました。
この映画にはゲームの「いちばんいいところ」でおかあさんに「そんなゲームやめて勉強しなさい!いつまでもそんなんじゃ、立派な大人になれないわよ!」(=「大人になれ!」)みたいな説教をされて、せっかく浸っていたゲームを強制的に中断するよう迫られるシーンがあります。
ラスボスは外見こそミルドラースでしたが、彼はウイルスに冒されていました。彼はもはや、ミルドラースの皮をかぶったかつてのおかあさんの偏狭な感情であり、それは議論が不可能な程にへんくつに歪んだ価値観の一方的な押しつけでした。
では、ゲームの中にどっぷり漬かっていた僕たちはどうなりました?家族を捜す旅から始まり、結婚し、世代を繋いで今まさに世界を救わんとする勇者となっていた僕たちは、物語の最高潮に達していたところでした。
映画の中の僕たちは、かつてのようにゲームをいやいや中断して、おかあさんに怒られない「いい子」を演じる作業に戻りましたか?
いいえ、この世界では違いました。ミルドラースよ、そんなものは世迷い言だ。ゲームの中にだって人生はある!という強いメッセージと共に、真なる剣を持ってその価値観の押しつけを一掃します。
今、この映画をひたすらバッシングしている声があります。おそらく映画館でまで「今いいところだったのにぃ!」という憂き目に遭わされたというショックが勝ってしまい、反射的にヒステリーを起こして反発する子供たちなのだと思います。
監督はおそらく、このような意見の噴出も予想していたのだと思います。それこそ、この映画を「大人になれ」のくだりだけでこき下ろし、他人に噛みついて自らを省みない人たちは、監督の言いたかった「大人になれ」ていないパターンに該当するでしょう。みな過去に同じようなコトを大人から言われて傷ついた経験はあるでしょうが、監督に言わせれば、彼らは今もなお、その件を言われるとヒステリックに反発してしまう「子供たち」なのだと思います。
このレビューサイトを拝見していると、低評価レビューには彼らのようなパターンを含めて概ね3つのパターンがあるように見て取れます。
1.低評価レビュアーというひとくくりにするには余りにも失礼な、論理的な論評意見
2.「大人になれ」てない子供たちのヒステリー
3.ただ面白がって同調してる映画の評価を不正に貶める工作
このサイトでは、2つ目のタイプのドラクエファンがあちこちで噛みつき回っているのが気になり、投稿に踏み切りました。
映画のストーリーを大きく改変したギミックでしたが、ゲームを題材にしているからこそ可能なものです。賛否両論が生まれるのも仕方ありませんが、私は映画制作陣の勇気を高く評価したいです。
その他褒めるべき、評価すべきところはファンの皆様も認めるところです。ドラクエの世界観の再現はすごく魅力的なものでした。モンスターの毛並みの質感など、本当に美しかったです。
物語は再び僕たちの手に戻り、世代を紡いでずっと続いていく・・・という素晴らしいエンディングを迎えた点も、評価出来ると思います。
僕としては「よくもゲームだとばらしやがったな!」と怒るよりは、「ゲームでもいい。ずっと幸せに繁栄していってほしい。」と思うのが優しさだと思いますが・・・ドラクエファンの大半はおかあさんに怒られすぎてトラウマを蘇らされた2つ目のパターンようですね。
もはや集団ヒステリーかパラノイア状態を引き起こして、ドラクエ愛どころか人間としての優しさを感じません。やはり「大人になれ!」と怒ることはウイルスのすることであり、「子供たち」の発育によくないようですね。大人になれなかった子たちの意見の稚拙さが、ただただ情けないです。
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