ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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製作陣、誰も反対しなかったの?
レビューを見て、鑑賞するつもりはありませんでしたが、人付き合いで行く事になりました。
評価が低い方のレビューの通りです。他の方の言葉をお借りすると、本当に監督の『ドラクエ』に対する愛が感じられません。
そして。
誰も止められないものなのでしょうかね。
10人いて8人が反対したとしても、2人が立場が上の人なら従うしかないのでしょうか。それなら他の製作者が可哀想。
グラフィックは素晴らしいので、もっと★をつけたいけど、ドラクエ好きな人にも見てほしいと思えないし、ましてや知らない人になんか、絶対勧められないから1のままにします。
音楽の使い方も『おい、ファンはこの曲聞きたいだろ?』とばかりに、序盤、たくさんを数秒で切り替えるせいで物語に集中できませんでした。もったいない使い方。
映画館でドラクエが観れる価値。
え?
自分で考えて、物語を噛みしめよう。
まぁ、レールの上を進むだけのゲームに慣れすぎて、自分の頭で物語を解釈できないお子さまにはキツかったわな。可哀想に。
この映画を楽しむ方法を伝授しよう。
1.キレイなドラクエの世界のCG映像を観に行ったと思って割り切るか、
2.もちまえの妄想力で補完して物語を自分で意味のあるものとして解釈するのだ。
私としては上の2.こそがロールプレイングの基本的行為なのだと考えているが、そもそもドラクエは本来自由度が極めて高いはずのロールプレイングを、16ビットという制限の中で再現しただけのものだ。どうしても物語の自由度には制限があった。(それでも当時のビデオゲームとしてはとても画期的だったとは思うが。)
ビット数の関係で、ドラクエ5は嫁以外のラストは二つ。ゲームオーバーかラスボス撃破エンドである。どっちの嫁を選んでも、冒険をあきらめない限りはラスボス撃破エンドしかないのである。
そのせいで、この作品のファンは『この物語は、ラスボス撃破エンドでなければならない!』という強い考えに固執してしまう悲劇が生まれた。
物語の結末や大前提が、自分の思ってたモノと違うと分かったとして、皆はどうする?
最低評価の人たちは恐らく『何もしなかった。』ただダラァーっと映画を観てただけだから、最低評価になるんだと思う。娯楽なんだからただ何も考えずにボケーッと観てればいいと油断していたのだ。
君たちが現実に引き戻されたことで映画を恨み始めた時、映画の中の勇者はあきらめずに戦う手段を模索していた。あのモンスターを怖がって旅立ちを尻込みしたヘタレだった子が、である。
ここに、勇者と鑑賞者との間に、こころの成長具合やものの考え方に乖離がはっきりと生まれていただろう。これも、君たちの怒りの原因なのだろう。
みんなが原作で知ってる通りの物語に沿ってさえいれば、みんなが勇者でいられたのに、唐突なオリジナルシーンで我に返されたことで、勇者へのコネクション(感情移入)がこれ以上出来なくなってしまった。この憤りはある意味自業自得のものだ。自分自身が勇者になりきれていなかった故のものなのだから。この情けなさを、なにやら作品への批判として怒りで隠しているように思えてならない。
自分で考えて、メッセージを噛みしめて吟味するのも、RPGプレーヤーとしてのスキルだと思う。せっかくお金を払って観に行ったのだ。満足できなければ、出来るように頑張ってみることだ。
ここからは私の妄想で補完するストーリーだ。
ラストシーン、頼もしかった味方はすべて時を止められ、自身もただの操り人形(主人公用キャラクター)と知らされる。圧倒的な絶望に包まれてなお、勇者はRPGの主人公として極めて的確に動いた。『おまえはただのつくりものだ』と知らされて尚、イレギュラーに対して最後まであきらめず、倒せるはずのない脅威に立ち向かったのだ。
これはメタ発言の『おまえはプレーヤー用キャラクターなんだ』という枠を越えた行動だ。素晴らしいRPGプレーヤーの魂が宿っていたとさえ思えた。実際のプレーヤーの『人となり』が冒険を通して、容れ物であるキャラクターに憑依した。それがプレーヤーの手を放れて尚、本物の勇者として振る舞い、脅威を打ち払ったのだと思う。こう考えれば、この物語、愛したキャラクターにものすごく感情移入出来ると思う。
この原作、しょせんは「あらかじめ用意されたレールに沿ってストーリーを消化してるだけ」だった既存のRPGに、ちょっと嫁の選択肢を与えた程度のゲームだったから、プレーヤーの自分で考える力がほとんど育たなかったのだろう。だからこそ、自分の思ったとおりのストーリーじゃなかった!サイテーだ!と喚くのがこんなにも多いのだというのが私の持論だ。
こういうプレーヤーにはなりたくないものだ。
このゲームは、こうあるべき!みたいな凝り固まり方は、ぶっちゃけ端から見てて心が偏狭で醜い。ゲームばっかしてると大人になれないぞ!という凝り固まった感情と、いい勝負だと思う。
原作知らない人も観てるんだから、多少の改変も楽しもうとしてみてはどうか。
この映画はかなり賛否両論が分かれるらしい、と観る前から情報が入って...
この映画はかなり賛否両論が分かれるらしい、と観る前から情報が入っている状態で観に行きました。
実際に鑑賞してみてなるほど、と。笑
序盤からいきなりドラゴンクエストの世界が拡がり、少し足早な感じはしつつも、登場人物やモンスターの描写は良くて、ラストはどのように盛り上がってくれるのだろうと期待に胸を躍らせながら観ていました。しかし、その期待は一瞬にして崩されました。ある演出によって。
その演出は、確かに面白さや意外性というものがあり、観客をハッとさせるものです。
もしも、これがドラクエの映画じゃなかったら良かったのかもしれない。しかし、この映画をドラクエをプレイして心からその世界に浸っていた小さな勇者たちには見せたくないなぁと思います。
五感に響く。
ファンを傷つけた訳じゃない
問題のラストは
低評価の人の一部には、
「大人になれ」と愉快犯のようなコンピュータウイルスを作った敵に言われるシーンを見て、
これがこの映画のメッセージだと早合点してしまって怒っているようなレビューが多く感じましたが、
確か昔エヴァンゲリオンのアニメでも同じような怒りがおきたことがあったのを思い出しましたが、
この映画のメッセージはその逆のくまのプーさんやトイストーリーと同じような「虚構の世界で過ごした思い出も大事に思って良いんだよ」っていう方向の意味だったと思います。
自分もあの大人になれと言われるシーンではちょっとスクリーン見ている観客みんなどう思ってるんだろう〜と気まずいような気恥ずかしいような気持ちになりましたが、
その後のシーンで、
小さい頃このゲームを買って貰って学校から帰って続きをやるのを楽しみにしていた気持ち、
自分もふと大人になってからゲーム屋さんに行って、
昔クリアしたRPGのパッケージの数々を眺めていると「昔こいつらとこの広い世界を冒険して色んなドラマがあったなぁ〜」と、
懐かしい卒業アルバムの写真を見ているように感慨深く思ったことがあるのですが、
まさにそのことについてこの映画のラストで伝えて、結果的にその敵を打ち破ってくれていたので、
ファンの気持ちを裏切られたようには感じませんでした。
あのドラクエ世界のモンスターが綺麗な映像で気持ちよく動いているのにはとても感激しましたし、
あ〜そんなバサバサすぐに切っちゃわないでもうちょいモンスター動くの見ていたいのに〜という気持ちでした、
音楽も街のテーマ曲などすごく心地よかったですが、
メインテーマが何度も流れたところはちょっと安売りのように感じてしまいました
ラストは心の準備をして観て
ネガティブな評価が多いのですが、僕はすごく面白かったので、二回見てしまいました。とにかく、絵と音楽が素晴らしいです。
観る側が、結婚してて子どもがいると、共感が高まってさらに楽しめるので、未婚の方は、子どもができてからぜひもう一回観て下さい。
ラストのところは、1回目見たときには「なんだなんだ?」と思ったのですが、2回目はそこも含めて楽しむ余裕ができました。
この映画をよく見ていると、プレイヤーがゲームの登場人物に命を吹き込むことによってプレイヤー自身も自分を深めているのだと分かります。ゲームのプレイも、映画を観るのも、実は一人一人違う体験をしていて、作品にそれぞれ自分だけの意味を付与しています。ラストは、それに気づかせたいんだと思いますが、ゲーマーとしてはゲーム世界の外のことを考えたくないという気持ちもあるので、いきなりこれを観ると違和感を感じるんだと思います。2回目だと心の準備ができてるので、違和感なく見れます。
あえて注文をつけるとすると、原作ゲームの物語を120分以内に収めるのは無理なので、三部作かアニメシリーズにしてくれたら、さらに良いです。
そうきたか!
主張と設定・描写の矛盾
「ゲームの世界だって本物だ!俺たちはそれを愛しているんだ!」
という主張のための設定が、記憶を消してVRでゲームの世界体験というのがなんとも腑に落ちません。それって「別人の人生を体験する」ことであって、「ゲームを楽しむ」のとは全く別の行いじゃないですか。ゲームはゲームだから楽しいんでしょうが。作りものだと分かったうえで感情移入できる、冒険できるのがゲームの素晴らしさじゃないんですか。
夢オチ的展開の良し悪し以前の問題で、テーマが破綻していると思います。
それに主人公の態度にも疑問があります。ドラクエ世界をめちゃくちゃ愛してて、主人公の人生を体験したいとまで思うくせに、「ビアンカばかり選んでいたからフローラ選ぶ自己暗示システム使います」って…そこは、自分が本当に主人公だったらどっちを選ぶのかも含めて、ドラクエ世界を体験しようとは思わんのかい!!!
他にも色々ありますが、台無しにされた怒りというより筋の通らなさにイライラしました。
また世間的には褒められているCGですが、確かにルックは悪くないと思います。
でもアニメ―ションは、特別凄くもないし、日常シーンの動作などはハッキリ言って良くはないです。
感情と演技が合ってないし、大げさな動きの割に魂が感じられない。モブの動きがあからさまに省エネ(ゲームだからわざと?いやそれだと余計にテーマと矛盾するのでは…)流石にヒロインに関しては気合が入っているのかそこまでおかしくなかったと思いますが。
雰囲気だけでディズニーレベルだ!と勘違いされる方は多いと思いますが、とんでもありません。むしろこのクオリティを褒め称えることで、日本の3Dアニメーションの限界ってこれなんだな、と思われないか心配になりました。
馬っ鹿じゃないの
誰がこんなラストで喜ぶの?
制作側に聞きたいね。
高評価付けてるひねくれたような人もいるけど、それでもラストについて素晴らしいと絶賛してる人なんて一人もいないよね。
単純に、あんなエンドは誰も望んでないんだよ。
詳しく書けば、内容も気になる箇所はそりゃあるよ?
主人公と違い、ヘンリーやビアンカ達は原作でもしゃべってるのに、性格やしゃべり方をあそこまで変える事。
プレイしたことある人なら絶対に外さないようなシーンを端折ったりサラッと済ます事。
適当に音楽を使う事。
まぁそんなの時間の都合上もあるし、ドラクエの世界観を味わえるだけで幸せと覚悟して観に行ったので、了見の狭い事は言わないよと思ってたんだけど…
ラストを見るまでは。
やっぱり、どう考えても監督にこの作品に対する愛が感じられないんだよね。それが丸見え。
こんなにも国民に愛されてるゲーム。
ドラクエ5は物語が秀逸なんだから、そのままの内容をCG三部作くらいでやったらものすごい感動超大作になったと思うよ。
ゲームやったことない人も絶対に取り込める。
皆がなんのために映画を観に来てると思ってるの?それを考えればあのラストはしてはいけない禁じ手と誰もが分かるでしょう。
衝撃のラスト、とかとは次元が違う話なのです。
客のニーズに応えられない作品なんて作るもんじゃない。むしろあのラストが待ってると思ったら不愉快でしかないし、二度と観ようとは思わないよね。
監督として失格でしょう。
誰も得しない映画。悪いイメージもついて、ドラクエファン怒らして、大失敗ですね。
あのころ子どもだった、大人に向けた映画
事前に悪い評判を聞いていたので期待値はゼロ。しかし愛するドラクエVの映画を観ないわけにはいかない!ということで映画館へ。
結果、めちゃくちゃ面白かった!子どものころクリスマスにもらったドラクエVの思い出が蘇ってきて、最後は大感動!
この映画、酷評されるのは理解できる。ドラクエの映画化だと期待して観ると、確かにマズイ。あくまでもユアストーリー、つまり、ドラクエと親しんできたプレイヤーたちが主役の話。
もっと宣伝の時点や劇中でメタ的なヒントを出しておけば、ここまで批判はなかっただろう。あまりにもだまし討ちな感じでメタ展開にしてしまったところは失敗かな。
このラストの展開ならドラクエを題材にしなくてもいいのに!というレビューもあるけど、個人的にはドラクエでよかったと思った。なぜなら子どものころからドラクエと一緒に成長してきた自分にとって、これ以上に思い入れのあるコンテンツは他にないから。だからラストのインパクトは絶大だった。
ラスボスの「大人になれ」という言葉に、ハッとした。そう、自分はいつのまにか大人になっていた。もうゲームは全くやっていない。たぶん、そんな自分だから、この映画のラストを肯定的に受け止めることができたのかもしれない。
それでもドラクエは自分にとって特別な存在で、ゲームはやらなくなったけど、今でも時々子どものときの思い出にふけったりしている。
ドラクエVが発売した1992年、自分は小学2年生だ。そして今年、わが子が小学2年生。自分にとってのドラクエVのような存在は、わが子にはあるのだろうか。きっとそれは本人にしかわからない。
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、自分の大事にしてきたものを思い出させてくれた、自分にとっては傑作でした。
映画の醍醐味
長文失礼します。既婚女性です。
私は、親にやりすぎだとげんこつをもらいながら、何度も夢中になって(おきのどくにもぼうけんのしょがきえた回含め笑)DQVをプレイしました。スーパーファミコン世代、ビアンカ派、ボロンゴ派です。諸事情でしばらくDQシリーズをプレイできておりませんが、今も大好きな作品です。
普段はしないのですが、ネットで事前にネタバレを見てしまい、酷評にいてもたってもいられず映画を観てきました。
1 問題のオチについて
FF(ファイナルファンタジー)シリーズファンの弟と観に行きました。なかなか映画の批評をしない弟から「俺はDQプレイしないから詳しくはわからないけど、それにしてもこのエンドは無い」という感想が飛び出しました。最後の演出で全てが台無しになったとのことです。
対して私は、オチにはがっかりしたしあの言葉にはイラッとしたけれど、全体的に映像が綺麗で声優も合っていて、それなりに楽しめたかな、という印象を持ちました。でもそれは、もしかすると事前にある程度オチを知っていたので、心の準備ができていただけなのかも知れません。
夢オチ的展開は、ファンを一番がっかりさせるモノだと思っています。ドラえもんが「全部夢だった」という最終回の都市伝説(公式ではないようです)を知ったときのショックは、今でも覚えています。今までドラえもんを楽しく見ていた時間が、全て幻になってしまったかのような…全部否定されてしまったかのような…。今回の映画もある意味似たような感じなのでしょうか。
またオチ自体も、正直どこかで見た展開で、真新しい感じはなかったです。急に現実に引き戻され、胸がざわざわしてその後は全く感情移入できずに映画が終わりました。
2 今回の映画のターゲティングについて
パンフレットを購入し熟読しましたが、製作陣がメッセージを込めた対象が「過去にDQをプレイしていたが今はプレイしていない親世代」になっているのではと感じました。
最近は大人になってもゲームをプレイしているひとが多いことを、製作陣が想像できていなかったことに今回の酷評の原因を感じます。
特にラストのシーンについて、堀井先生と山崎監督が深夜まで討論したとの記載がありました。問題のあのセリフが、どちらの主張によるものだったのか、、そこまでは読み取れませんでした。
しかし…映画を観てそれほど拒否反応のなかった私は、、今回の映画のターゲットだったのかも知れません。短時間でプレイできるスマホのゲームはやりますが、なかなかRPGに踏み出せないまま、かなりの年月が過ぎており…泣
映画を観終わった後すごくDQVがやりたくなったので、ゲームをやりたくなるきっかけづくりという意味では成功したのかも知れません。
3 映画の醍醐味
私はこの映画に限らずよく映画を観るし、映画仲間と感想を言い合ったりしています。映画は、ひとによって捉え方、感じ方、解釈のし方が本当に違うといつも思っています。
生まれ育った環境や経験してきたこと、勉強したこと、興味があること、ひいては当日のコンディションによって、感想は大きく変わってきます。
でも、お互いの感じ方の違いを知ることこそが、私は映画の醍醐味だと思っています。自分では考えてもみなかった着眼点を知ったとき、とても面白いのです。
たとえ家族でも、日本人でも、自分と違う考えをもったひとはいます。
今の日本は、言論の自由で自分の考えを自由に言えることになっていますが、相手の存在を否定するような言葉、相手を傷つけるような言葉を言いたいだけ言うのは、違う気がします。
映画を作った関係者の方々を攻撃する言葉がレビューに溢れていて、見ていてとても悲しくなりました。
私はあまりストーリーの展開には共感できませんでしたが、素晴らしい画と声優の方々の熱演に感動しました。戦いのシーンも興奮したし、ビアンカ、フローラもとても愛らしく、どちらか選ぶシーンは納得の展開でした。DQVをプレイしていた頃の自分を、思い出して懐かしくなりました。
ちなみに、私は大人になってもゲームをプレイしているひとが、子供だとは全く思いません。
どういうこと
いままでなんとなく映画館に観に行って、面白かったと思える作品しか観たことがなかったのでこんな詐欺作品つかまされたのは初めてで困惑しています。
8月4日に観ました。
事前に知っていたのは、DQ5の世界観を使用している。キャラクターの名前等はゲーム準拠。ラスト付近に驚愕の展開、くらいです。
色々駄目なことは他の方が言葉を尽くしてくださってるので省略しますが個人的に納得いかないことをひとつ。
この映画って結局VRゲーム内の話なんですよね?
キャラクターたちはすべてプログラムされた言動で、ゲーム開始前に設定したことが反映される。
それなのになぜフローラはプログラムのくせに、初期設定「フローラと結婚する」、を自らの意思があるヒトのように覆すんでしょうか。キャラクターモデル変更までして…。
フローラの意思に見せかけたプレイヤーの潜在意識が初期設定をあのような形でなかったことにしたんでしょうか?だとしたらそれは致命的なバグになるのでは?そんなバグがあるからあんな陳腐で寒いことを言うウィルスに感染するんでは?
こういう行き当たりばったりな展開が最低な映画の評価になってることを製作者は理解してほしい。
んー?
自身の私利私欲を満たすためだけのオ○ニー映画
トイストーリー4、ポケモンなど今やってる3DCG映画は子供向けに作られている。そんななか国民的RPGドラクエが3DCGで映画化されあんなポスター見た日には親子連れで見に来る人もいるに決まっているだろう。この監督は一体どの客層を想定して作ったのだろうか?自身の意図を通してまでやるべきラストなのか?3DCGでやる意味はあったか?確かにCGのクオリティは高かった、けど僕からしたら3DCGに「大人になれ」とか「現実を見ろ」なんて言われても戯れ言にしか聞こえないし子供からしたら残酷すぎるよ。結局監督が見せたかったのは3DCGの技術力、ラストの監督からの客層無視の痛恨の一撃、こんなイカ臭い映画を観て怒りを通り越して悲しみと哀れみを感じました。
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