ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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オトナのピノキオのお話
前作のブレードランナーも何回もビデオで観ていたので、続編が出来ると聞いて期待に胸を膨らませて映画館で観ました。
レビューで「長い長い」と聞いていたので、開演前に念入りにトイレに行き、上映中は完全飲まず食わすで臨んで正解でした。
で、結論ですが私はとっても満足です👍
前作があまりにカルト的に人気の神作品という事でプレッシャーもある中、よくあれだけ世界観を継承出来ていたと感服しましたね。
前作が表現した都会的ディストピアの風景はその後、星の数程いろいろな映画でこれまでなぞられて来たので今回は観ている人の目も肥えた状態なのでハードルは高かったと思います。
前回は「人間モドキ」と差別されてきたレプリカント達の「俺らもうちょっとだけ生きたいだけなのよ」という切ない願いのお話でしたが、今回は「え⁈ボクってもしかして人間になれるのかな?」という淡い期待と心の混乱を描いたオトナのピノキオの様なお話で、物語としては個人的に好きです。ずっと「人間モドキ」と虐げられてきた身としては「作られたもの」と「産まれてきたもの」の差は天と地程も大きく、自分の存在そのものに疑問を持つのも無理はないなぁと切なくなりました。
この「自分って何?」「自分を自分として認識するのに必要な要素って何?」「それが愛って事?」はブレードランナーの原作作者であるフィリップ・K・ディックが彼の他の作品でもテーマにしてきた事でしたね。
この作品はいろいろ賛否があるようですが、個人的には好きです。ただ余りに優等生的に前作の世界観をなぞるのに注力していたので、もうちょいぶっ飛んだ新しい要素もあるとよかったなぁと贅沢なお願いもしてみたくなりましたとさ😙
自分だと思っていた…
そうかと思って観ていたが、そうでなくても驚かない内容。
尺も長いし、デッカードが出てくるまでがまた長い。
あの頃見たあの髪型に未来を感じたのに
今は感じない。
SF作品は旬が命と言うことなのか?
ライアン
世界観の作り込み方というか、コンセプトアート作った人がきっと優秀なんだろう。マッドマックスと同級。でもウォレス社内部の水の揺らぎはなんか安いし、ハリソンが座らされた池の真ん中の空間とか、偽コルビジェみたいなチェアは、あそこだけノーアイデア丸出しな気が。
ドゥニはまだノーランほどの知名度を得ていないけれど、第2のノーラン。PTAだったり、ウェスアンダーソンだったり、トッドヘインズみたいな緻密な変態系じゃない、なんだろうもっと容量のいい努力型みたいな。良い時のリドリーみたいな、トニーじゃなくて。なんで、ブレードランナーにドゥニを推した人はなかなか。
記憶創造師のお仕事が、コンポジターの仕事の隠喩になっていて、未来のCGアーティストは、あんな風に筒をカチャカチャ回して、映像作るかもって思わせる。セラピスト兼映像作家みたいな、ヒーラー兼アルケミストみたいな。CG/リアルの使い方的にもなかなか画期的な作品な気がする。CGの使い方的にはベストな気が。ノーランのCG嫌いに対する、ドゥニのCG好きの勝利。エンドロールの文字の小ささも印象的。信じられないくらいダサいポスターも印象的。
いい映画だけど、それだけの映画
むかしすばらしく思った映画で、今はみない映画がたくさんある。
平凡なぼくは率直であるべきなんだ。
実は「ブレードランナー」も「未来世紀ブラジル」もわけわかんなかった。ただ、雰囲気的に前衛的「未来」だったにすぎない。散文的な映像と精神疾患の監督の映画でしかなかった。
オープニングは、どこか黒沢を思わせる重力のない宇宙船の飛行。そして霧の中の簡素な世界からはじまる。
時に映像は映画の意味を先取りする。霧と枯れた木の死のロスの世界。未来的なシーンと哲学的で隠喩てきなコトバはこの手の映画を神秘主義へと傾倒する。
脚本家や監督がどれほどイメージを幅広くもっていたとしても、映画が彼らが俳優達と作ることで映画になる。
リドリー・スコットはそれを排除している。
SFはそうした映画なのかな? 結局、天才の作るひとりだけがコントロール映画はつまらない。CGもそうだ。なぜ多くのCGやSFの映画がつまらないのか?の答えだと思う。
例外は「エイリアン」と「バッドマン」シリーズくらいしかない。
それが理由で、こうした映画のほとんどを二度と見ることはない。
この映画も、たぶん。
ぼくはリアリステトなんだ。
綺麗に前作を引き継いでいる
世界感はそのまま。
難し過ぎる…
生きてるうちに観れて良かった
金のために売られたカルト作品?
映画レビューも解説も一切読まず、前知識ゼロで挑んで欲しい映画である。ネタを知らないで観た方が面白い映画だからではなく、「ネタが明かされた時のガッカリ感」を心底味わって欲しいと思う。
配給元のソニー・ピクチャーズが、大連万達という中国の映画会社と業務提携していているので、中国市場を見込んでの制作ではないかと思った。『ブレードランナー』は元々、ディストピア感を「雑多なアジア」のイメージで表現していた映画だったから、「中国っぽさ」を入れるのには格好の映画だっただろうし、2Dより高いチケット代が取れる3Dで上映するのにも都合がいい。ハリウッドが金儲けのために『ブレードランナー』を売ったんだとしたら、オリジナルのカルト的ファンの人たちはどんだけ無念だったことかと思った。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に敬意
遅ればせながらレンタルで「ブレードランナー2049」を借りて観てみました。本当は映画館で鑑賞する予定だったのですが、残念ながら機を逸してしまいました・・っと言うより本当のところは観るのが怖かったのです。
レトロフューチャーやサイバーパンクという造語を作り出し、SF映画の金字塔ともいわれたリドリースコット監督のブレード・ランナー。もうかれこれ30回以上は鑑賞している、個人的に映画の中では一番好きな作品なのです。
今まで誰もこの映画の続編に手をつけなかった...いや、恐れ多くて手を出せられなかったというのが本音かもしれませんが、この「ブレードランナー2049」が公開されるまでになんと30年もの月日が流れていました。
まずは、この映画の監督を引き受けたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に敬意を表したいです。この映画の上映時間は2時間40分もあります。だいたい、人間の集中力は2時間程度と言われていますので、こんなに長くて飽きないだろうか?と思いましたが実際に見始めると、あっという間にエンディングまで迎えてしまいました。それだけ引き込まれたという事にもなるのでしょうか・・映像的には随所に前作へのオマージュが感じられ、ヴィルヌーヴ自身ブレランのコアなファンである事を感じさせる作品に仕上がっていて、十分に楽しむことができました。途中、サプライズというか年老いたデッカードと若かりし頃のレイチェルが対面する場面があるのですが、思わずショーン・ヤングのそっくりさん登場かと思うほど良くできているシーンで何度も観返してしまいました。これは実際に鑑賞してのお楽しみって所ですが、何はともあれ前作のイメージを崩さずに続編を作り上げたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に感謝感謝なのでした・・
うーんうーんうーん…
なんとも言えない。悪くはないけど…
これは誰が話を考えたんだろう、脚本の人かねやっぱり?
音楽から何から何まで前作を踏襲しすぎてないか?
ストーリーもなんちゅうか…なんかが足りない気がする。新しい何かというかプラスαというか…
女がかなり活躍してる感じかなあ。
あとはわざとらしく日本のカタカナ看板とか、なぜかハングル文字とか
うどん屋のおやじ、また出せばいいのに(笑)ほんとこの監督茶目っ気ないねえ。もういくつでもたまご入れてくださいよ、知りませんよ!!
ノー。タマゴキライイラナイ!!
とか
少しは笑かしてくれよ
やっぱりさあ、前作のルドガー・ハウアーのレプリカント役の迫力が半端なかったよなあ。
寿命が短く、危険な仕事ばかりさせられてる悲哀も前作のほうが感じた。
ライアン・ゴズリングも思ったより悪くはないけどやっぱりこの人コメディ向きな感じ。
うーん…なんだろなんでこんな感じにしちゃったんだろ。
「ブレードランナーファイナルカット」
のとこに雰囲気が肝とか書いたけど
いやいや、雰囲気だけで作品作ったらダメでしょ。なんかそんな感じ。
ストーリーがいろいろ中途半端に終わった、これだけの長さなのに。
さらに続編つくる気か?
前作より今作のほうが好き
「攻殻機動隊」に感動して「イノセンス」を見に行った後の気持ちに近かった
悪い映画ではない。が、前作と比較すると「凄いモノを見た!」という鑑賞感は薄い。
今作でやりたかったことは前作で最も魅力的だったレプリカントを主人公にし、レプリカントが実存に目覚めること。
主人公Kを取り巻くものは彼女も出自も自分自身も本物でないものばかり。その間の風景は雪。
だが主人公が自分の意思で動き始めると風景は雨になる。
前作より至らなかったと感じるのは以下。
1.本作が前作のリドリースコットの画作りに比べて画の衝撃が劣る。
ブレードランナーがカルトムービーになった理由は画の凄さ。前作は期せずしてリドリースコットの画作りの才能によってカルトムービーになってしまった映画だと思う。そもそも前作はリドリースコット本人は題名を「ゴッサム」とつけたかった。人や物語よりも退廃した未来世界の風景を描きたかった表れだと思う。そのこだわりが圧倒的な映像美を作り出した。
その点、本作は続編ということもあり前作を踏まえざるおえなかったこともあるだろうが、画の独創性が足りないと感じた。どこか既視感もある。
今作は画よりストーリーに重きが置かれており、それは映画として正しいのだがブレードランナーがカルトになった点とは相違しないと感じる。
2.昨今の続編に見られる「前提映画 (前作を見ていることが前提の映画)」だから
前作を見ていることで「知ってる」と観客が沸くネタが散りばめられている。
・バトンとなるデッカードブラスター
・ファーストカットの見開いた目
・生き絶えるレプリカント
・デッカード本人
etc
これは観客と作り手が内輪ネタで共感しあっているのであって、それが作品を面白くしている例は少ない。近年にこの前提を裏切って作った続編の秀作に「マッドマックス怒りのデスロード」がある。
・不発のソードオフショットガン
・すぐ破壊されるインターセプター
etc
前作の因果を断ち切り、この作品を見ている今を素晴らしいものにしようという意思を感じる。
作品単体の面白さを追求するならば、続編でも前作のネタに頼るのは甘えだと思う。
3.ストーリーのミスリードが混乱を呼ぶ。
ビジュアルで引っ張っていた前作と異なりストーリーが作りこまれているが、作りこみすぎたと思う。
途中で実はこれこれこうだったと展開が二転三転するが、やりすぎて途中から追うのがつかれてしまった。
4.悪役の魅力のなさ
本作の敵は殺し屋の女性レプリカントだが前作ロイバッティ程の魅力が感じられなかった。(鑑賞後、記憶に残らなかった)
ここまで否定的なことを書いてきたが、本作は一点素晴らしい要素を持っている。
ライアン・ゴスリン演じる主人公・Kである。ここまで孤独が魅力になっている登場人物は今まで見たことがない。本当に素晴らしい。人間でもない、恋人も幻想、何物でもない、何もない主人公が信念を得て一生懸命生きた。その軌跡を見る映画で良かったのではないか。そこにブレードランナーの要素はいらなかったと思う。
この主人公Kの持つ孤独と悩みは今を生きる人間が抱えている現代的なものだと思う。
とても魅力的な主人公だった。
また前作ヒロイン・レイチェルが「桐島部活辞めるってよ」の桐島のように空白の重要人物として存在させていた。この配置も素晴らしいと思った。
ブレードランナーの続編としてはイマイチだったが、人造人間の生きざまを描く映画としては素晴らしかったと思う。ブレードランナーの続編にしなかった方が良かった作品だと感じる。
すばらしい。正統派続編です。
4DXレイトショーで観ましたが、ブレードランナーの世界にポンと放り込まれたようで、圧巻でした。
映像美は前作同様で、あの世界を見事に描いていてかなり良かったです。前作「最終版」に近いテイストです。
(以下、多少ネタバレあり。要注意!)
ストーリーは、前作の世界観をしっかり引き継いでいて、正統派の後継作品と言えます。
ラストシーン、あの名曲「Tears in Rain」が流れる中、今作は雪の中で、静かに命が消えていくレプリカントの描き方は、美しいの一言につきます。一方、デッカードは大切な人と再会を果たす。まさに前作のエンディングを彷彿させ、ヴィルヌーヴ監督のリドリー・スコットに対するオマージュがヒシヒシと伝わってきます。
音楽は、ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ」テイストをブレードランナーの世界にミックスしたイメージです。私としては、もう少し前作の音楽が使われるのかなぁと思っていました。
鑑賞に際しては、前作は必見です。ブレードランナーがお好きな方なら、観に行くことをぜひおすすめします!
最上の天使の涙。
今作のキャラクターについて、普段着のままウッカリSF映画に出演してしまったハリソン・フォードを始め皆様、思い思い語られている事なので、僕はウォレスの自信作、ラヴについて。
ウォレスの右腕となり、顧客対応、クレーム処理、アフターケア、帳簿管理、在庫処分、言葉を少し変えれば非常に有能な秘書だと思う。
いや、良いと思うよ、ラヴ。
初登場時は少しも顔色を変えずに緊急対応をこなして、ちゃんと上司に報告(結果ジョーが目を付けられる)。
駒として動かしたジョーがピンチの時には、ネイル中にもかかわらず、上空から砲弾を浴びせる。後にこれを「ラヴ投入」と命名。
最後の護送シーンではキチンとシートベルトを締め、おすわり。
何度も繰り返されるラヴ様のかかと落としをお受けしたいと思うのは、男子たるもの致し方ないのでは。
そんな出来るOL、ラヴだが、数シーンでなぜか涙をする。ジョーの上司ジョシ(ややこしっ)と対峙するシーンでも涙。
の割に、その直後死体を雑に扱う。
新型が失敗作とわかり、処理されるとわかると瞬間も涙。
冷酷であるはずのラヴが涙するのは何故だろう?
グラスに注がれたウィスキーを眺めながらそれに想いを馳せるのも良いだろう。
p.s. 結局どんな男にも同じ様に優しくするジョイのせいで元カノの悪夢が蘇りました。
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