ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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タイトルなし
じっくり寝かせたのが正解
だいたい名作の続編となるとあぶないものだが、おそらく、前作と比べても引けをとらない印象を持った人が多いでしょう。しかし、それは別の引き出しがあったからこそ。
ビジュアルコンセプトの革新性(その時代において)でいうと、前作には太刀打ちできない。しかし、本作には別な魅力が備わっている。それは、前作から時間を経たからこそ作り出せた物語の深化。
まあ、簡単に言うとじっくり寝かせたのが正解だったという感じでしょうか。その象徴がハリソンフォードなわけで、実際に流れた時間、をアドバンテージとして上手く利用したなあ、という。
ただ、緻密な展開を長尺でやっているので、誰でも気軽に楽しめるという感じではないのかもしれません。まあまあ疲れるの覚悟で。
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漸く鑑賞。'82年の前作から35年振りとなる続篇。緻密な世界観に裏付けされた圧倒的で濃密な映像。前作で多かった雨降りの夜景はもとより、くすんだ曇天が多くの舞台となる。前作同様、アイデンティティーの模索がテーマの一つとして全面に突出しており、よりP.K.ディックの原作に近付いている。女性の登場人物達は皆、強く魅力的。描かれているのは遠い未来や現実と懸け離れた世界ではなく、あり得るデストピアでの自己を再確認する物語。M2層・F2層以上の年代の支持が多いのは、前作を懐かしむだけの理由ではない。85/100点。
・鑑賞中、誰がレプリカントで、誰が人間なのかが気にならなくなった。ただ“ラヴ”のS.フークがH.フォードの“リック・デッカード”を護送する際、心を決めたR.ゴズリングの“K(ジョー)”がどの様にして追跡・襲撃出来たのかよく判らない。尚、“リック・デッカード”のH.フォードが本篇に顔を出すのは、100分以上経過してからである。
・濁った薄いグレーやアンバー系の画面が印象深く残った。撮影を務めたR.ディーキンスは、『プリズナーズ('13)』、『ボーダーライン('15)』に次いで監督と三度目のタッグとなる。尚、“K(ジョー)”を演じたR.ゴズリングは、R.ディーキンの撮影とD.ヴィルヌーヴ監督の参加を条件に役を引き受けたと伝えらている。
・R.ゴズリングの役名“K(KD6-3.7)”は、KDプラス6+3+7=16(16番目のアルファベット)=Pとなり、“PKD”──つまり前作の原作者でキャラクター原案としてクレジットされているP.K.ディックを指すと云われている。亦、“K”が受けるポスト・トラウマ・ベースラインと呼ばれるテストはP.K.ディックっぽいが、読み上げ復唱させられる文言は、A.デ・アルマスの“ジョイ”が“K”に薦めたV.ナボコフの『青白い炎』の一節である。
・中盤、鍵となる“6-10-21”から'21年10月6日生まれの男女の双子の内、女児が死亡し、男児が残るとの記録が登場する。P.K.ディックも双子の妹ジェイン・シャーロットがおり、彼女は40日後に亡くなっている。尚、本作はLA、カリフォルニア、ニューヨークで『ファイナル・カット』版が('07年10月5日)公開された十年と一日後の'17年10月6日に米国で一般公開された。
・C.ユーリの“アナ・ステリン”は、抗血管新生ペプチドであるアナステリン"Anastellin"に基づいている。R.ライトの“ジョシ(マダム)”警部補は、「上司」に由来する。亦、“ラヴ”のS.フークスは前作で“ロイ・バティー”を演じたR.ハウアーと同郷のオランダ出身で、孰れもクラマックスで主人公と闘った。雪が降る中、横たわるラストシーンでは、前作で“ロイ・バティー”が雨に打たれうな垂れるシーンと同じヴァンゲリスの"Tears in Rain"が使われている。
・J.レトの“ニアンダー・ウォレス”率いるウォレス社はリンカーン製であり、“K(ジョー)”のR.ゴズリングが操るのはプジョー製である。尚、この二人が顔を合わすシーンは無い。
・プロダクションデザインのD.ガスナーによれば、J.レトの盲目である“ニアンダー・ウォレス”の部屋は京都の清水寺を元にデザインされ、床はシンギングフロア、或いはナイチンゲールフロアと呼ばれる侵入者を足音で知らせる鶯張りが施されている。R.ゴズリングの“K(ジョー)”の住居には“メビウス アパート”との電飾看板があり、これは前作にも大きな影響を与えた仏のバンド・デシネ作家(漫画家)J.ジローのペンネームの一つ“メビウス”に由来する。
・前作同様、劇中では漢字や片仮名・平仮名、ハングル語やロシア語等、多彩な言語の看板や科白が飛び交っており、H.フォードの“リック・デッカード”が隠遁するラスベガスの建物には「幸運」を意味するハングル"행운"の逆文字が見受けられる。“K(ジョー)”のR.ゴズリングに近付くM.デイヴィスの“マリエット”他二名の街娼は"Tää jätkä on Blade Runner. Se on vitun vaarallinen. Annetaan sen olla.(この男はブレードランナーだ。危険なクソなので、立ち去らせよう)"とフィンランド語で話し合っている。この科白はフィンランド在住のK.コソネンが発した。
・当初、監督は“ニアンダー・ウォレス”をD.ボウイにと考えたが撮影前に鬼籍に入った為、断念した。その後、この役はG.オールドマン、E.ハリスが引き継ぎ、最終的にJ.レトに落ち着いた。亦、S.フークスの“ラヴ”役かR.ライトの“ジョシ(マダム)”警部補役で、E.ブラントが考えられていたが、妊娠の為、適わなかった。
・『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー('16)』での“モフ・ターキン”のP.カッシングと“レイア・オーガナ”のC.フィッシャーの合成に満足出来無かった監督は、S.ヤングに協力を仰ぎ、吹替え役のL.ペタに特徴的な歩き方や身のこなし等を徹底的にトレーニングさせた。撮影は“リタ”と云うコードネームの役名で、S.ヤング同席の元、最小限の人員で極秘裏に進められ、トータルで約2分の登場シーンの合成に約一年を費やした。キャンペーンやプロモーションでもS.ヤングの本作への参加は意図的に否定された。
・“ジョイ”のA.デ・アルマス、“ラヴ”のS.フークス、“アナ・ステリン”のC.ユーリ、“マリエット”のM.デイヴィス、“ドク・バジャー”のB.アブディは前作公開時('82年)には、未だ生まれていなかった。
・前作の設定、'19年からの30年間で起こった前日譚として、渡辺信一郎監督『ブレードランナー ブラックアウト2022('17)』、R.スコットの次男L.スコット監督による『2036: ネクサス・ドーン('17)』、『2048: ノーウェア・トゥ・ラン('17)』と三本のショート・フィルムが本作リリースに先駆け、公開された。
・'90年代に何度も本作の企画が持ち上がり、'10年にはC.ノーランが監督に就任するとも噂された。その後、前作のR.スコットが監督すると云われたが、彼は(共同)製作総指揮に留まり『エイリアン:コヴェナント('17)』の製作に入ってしまった。最終的にD.ヴィルヌーヴが監督に収まったが、その際、R.スコットは謎の余地を残すようにとアドバイスしたと云う。製作時には"Triboro"との仮題で進められ、劇場への出荷時もこの仮題が用いられた。
・鑑賞日:2018年1月2日(火)
映像美。前作を踏まえ、更に深まるストーリー
前作は素晴らしい材料を集めていたけれど、それをストーリーとしてまとめきれていないような、プロローグ的な印象でした。本作はそれを上手く料理してくれています。正統な続編に感じました。
独特の世界観を残しつつ、映像の進化も感じさせ、ストーリー性も濃く仕上がっていました。サスペンスのような要素もあり、その点は楽しめました。
本作は前作から30年後の世界です。その間起こった出来事として短編ストーリーが3本作られています。ブレードランナー2049の公式サイトで公開されているので、そちらも観るとより本作の理解が深まると思います。
前作もそうでしたが、本作は特に会話が哲学的というか、要領を得ない表現が多かったです。雰囲気は前作以上に鬱屈としていて、息を抜ける場面が少ないので、見ていて疲れました…長尺ですし。大人の映画という印象です。
前作は間の取り方が好きではなかったと書きました。本作では同様に間を長く取ってあるのですが、不思議と嫌には感じませんでした。なんででしょう…アングルや人物の捉え方の差かもしれません。
前作で急に恋に落ちる2人には違和感を覚えたので、本作で当時のデッカードの心情の補完がされているのは良かったです。それどころか、彼はレイチェルに一瞬で恋に落ちるように造られたレプリカントだという、前提を丸ごとひっくり返すような論を作中で提唱したことに驚きました。その方が納得はいくのですが、それはそれで寂しい…。
もし本当にそこまで仕組まれていたのだとしたら、タイレル社の技術がいかに優れていたかがわかります。寿命の操作に関してはウォレスが上を行きましたが、アナが見つかって研究されても生殖機能の技術が明かされるとは限りませんし。それに繁殖を可能にできたとしても、また大規模な反乱が起こりそうな…ウォレスなら何かしら予防機能を備えつけていそうですが。
そもそもレプリカントが産んだ子供はレプリカントなのか…それともまた別なのか…考えだすとキリがないですね。
アナがウォレスのレプリカントを造る業者の1人というのはおもしろいですね。逆に気づかれなさそうです。
本作ではレプリカントと明言されるKを主人公としたことで、より人間との差がわからなくなりますね。「人間よりも人間らしく」という言葉が作中に出てきましたが、Kはまさしくそのような存在でした。デッカードを殺せと言われたけれどそうしなかった。彼は誰かの命令ではない、自分だけの意志でデッカードを救ったのだと強く思わせられました。K自身、自分とデッカードが似ているように感じたからという理由もあるのではと思っています。
また、ラヴも鑑賞中は恐ろしい存在に見えましたが、後に考えると彼女も辛い立場であることに気づきました。彼女は自分を造ったウォレスに忠誠を誓い、彼に最上の天使と呼ばれることを誇り、アイデンティティにしていました。しかしそこに生殖機能を持つ存在が現れ、ウォレスはその技術を求めます。レプリカントの繁殖は彼にとっての次のステージ、つまりはラヴにとっては自分の立場を脅かす存在です。しかしウォレスの命によって自らその秘密を暴くために動きます。ウォレスは誕生したばかりのレプリカントを前にして「最初に抱くのは恐怖の感情だ」などと言っていましたが、ラヴはウォレスに見捨てられる、最上の天使でいられなくなることをひどく恐れていたのではないでしょうか。自分が最上でいたいのに、命に背くこともできない。内面ではずっとそのジレンマに苦しんでいたのではと考えると、また違った視点で本作を観られそうです。
ジョイはキュートでした。映像としてのおもしろさも生んでいましたし、瞳がキラキラしていて素敵。「あなたは特別」という言葉はストーリー上のミスリードであると同時に、Kの終盤の行動の起点にもなっているのではないかと思います。Kとの関係が切なくて、彼女を失うシーンは一番胸に響きました。
Kの上司、ジョシはなんだかんだKの人間的な部分を好意的に思っているように見えました。Kとの会話や、ラヴとのやり取りを見るに。個人的に彼女のような格好いい女性が好きなので、もっといろんな面が見てみたかったです。
映像としては前作より本作が好きです。光と影のコントラストがとても綺麗でした。黄色ともオレンジともつかない色が印象的でしたね。ラヴの部屋の波打った照明も独特で美しかったです。引きの絵は本当に絵画のような美しさです。ラストの雪のシーンもとんでもなく絵になってました。
前作のVKテストが好きだったのですが、本作でもKが動作確認されている検査シーンがあり、良かったです。ああいうの無性に好きです。
そういえば、ウォレスが再現したレイチェルを見たデッカードが「彼女の瞳は緑色だった」と言いますね。前作を観ると彼女の瞳は黒やこげ茶色に見えます。デッカードの言葉の意味は、瞳の色など本当は関係なく、自分が愛したのはレイチェルであってそのレプリカントではないという意思表示だと思います。デッカードらしい言い方で素敵でした。
結局デッカードはレプリカントなのかという疑問ですが、前作の監督であるリドリースコットはデッカードはレプリカントだと明言しているそうですね。前作にも彼がレプリカントであることを示唆するような描写があります。本作でも、あのような環境で普通の人間が暮らせるとは思えないことから、レプリカントではないかと考えられます。しかし、作中で明言されていない以上、自分の納得できる解釈、好きな解釈をして良いと思います。それがこういった作品の楽しみ方の1つです。
写真や折り紙といった小道具の使い方、そしてキャラクターとセリフは前作が好きです。というかロイが好きです。
本作は前作を踏まえた上でのサスペンス性のあるストーリー、美しい映像、アクションも良かったです。
大変に深みのある作品であることは確かなのですが、なんというか…手放しで好きとは言えず、ただ考察と切なさという深い海に沈んでいくような感覚…。
続編はあるのでしょうか…デッカードとアナはもちろん、ウォレスや地下のレプリカント達のその後…観たいような恐ろしくて観たくないような…。
色づいた芸術的SF(睡眠導入効果と共に)
"ブレードランナー" シリーズ第2作。
Blu-rayで鑑賞(吹替)。
前作から引き続き、雨のロサンゼルスが登場しましたが、中盤から後半に掛けての舞台―半ば砂漠化したラスベガスの目の眩むようなオレンジの素晴らしさと言ったら…。世界観に色がついたようで、新しい物語なんだと云う実感が湧きました。
一枚の絵画のような荘厳な映像に魅せられ、このシリーズには元々芸術的な一面があったのだと改めて感じました。
SF部分がブラッシュアップされているのも好印象。前作の時点から進歩したデバイスや、メカニックの数々が目を引きました。細かいところまで凝られた設定に感心しました。
前作で描かれたテーマを深化させ、我々の常識に挑戦して来るかのような問い掛けに前作に続いてまたも脳を揺さぶられました。レプリカントが出産していたと云う衝撃的な事実が発覚し、人類の存在を根底から覆すストーリーが展開され、予想だにしなかった発展であり、まさに圧巻でした。
[余談1]
いかんせん、長い。集中して観るのは良いことですが、難しいテーマを扱っていることもあってか、だんだん頭が疲れて来て眠気を誘われました。かと言って、目を覚ましてくれるような激しいアクションが繰り出されることも無く、淡々と進行するので瞼が重くなるのを止められませんでした。
[余談2]
アナ・デ・アルマスちゃんがかわいい。美しくてどこかエロい。体中から色気がばらまかれているように見えました。お気に入りの女優さんがまたひとり増えました。
惹き込まれた
嫌いじゃない。長い
あぁ^~ジョイちゃんかわいいんじゃぁ^~
皆さん考察してますね…議論してますね…
今作の監督さんはこの映画を使って言いたい事が山ほどあるんだろうね……ふふふ。
リドリー・スコットが言いたかったのは、「恋愛とは何ぞや」これに尽きるでしょ。
レプリカントの悲哀だの、ディストピアの憂鬱だの、ネオTOKYOの美しさだの、全て時代遅れの骨董ですよ。
私、仮想現実の世界というか、すなわち人間の本質って、最終的には全て恋愛と冒険(SEXと暴力)に行き着くと個人的に確信してるんですが
リドリー御大は、「ジョイ」というどうでも良さそうなサブキャラ1人でその前者を全て描ききりました。凄い。
スピルバーグとかSAOとかのコドモダマシ見てる暇あったら、これ観た方が絶対いいよ。ほんと凄いから。
ジョイ役のアナ・デ・アルマスがカワイイ💕
エルビスプレスリー、マリリンモンロー、フランクシナトラ
上映中に10数人もの人がトイレのために途中離席。こんなの経験したのは初めてだ。お腹の鳴る音も聞こえ、終盤に登場する“日の丸食堂”の看板によってさらに食欲をも刺激される。35年前のオリジナル『ブレードランナー』と同じく、日本語の看板も多数。タクシーだって“空車”と日本語表記だし、“さけ”の文字がやたらと目につく。
2049年、カリフォルニア。人間と見分けのつかない“レプリカント”が労働力として製造され、人間たちと危うい共存関係を保っていた。危険なレプリカントを取り締る捜査官はブレードランナーと呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を守っていた。“K”(ライアン・ゴズリング)と呼ばれるブレードランナーもその一人。冒頭では農場で働くサッパーと対峙するシーンで、いきなりの死闘となる。レプリカントは右目の裏側に製造番号が記され、人間と区別するには目玉をひっくり返さなければならないのです。前作では20~30の質問をすれば見分けがついたはずですが、質問を受けてたのはKだけだったような。サッパーの家の近くにある木の根元に棺が埋められていることを発見し、その調査によって興味深い事実が浮かび上がってくるのです。
そのKも実はレプリカント。自宅ではVRのジョイ(アナ・デ・アルマス)と恋愛を楽しんでいるのですが、ジョイはリモコンを使えばどこにでも現れる。彼女がもっとも人間らしいとも言えることが本作の面白さかもしれません。
前作のラストでは人間(?)のデッカード(ハリソン・フォード)がレプリカントのレイチェルを連れて逃亡して終わりを迎えます。その2019年当時のレプリカントは4年で寿命を終えるように設定されていたので23年にはレイチェルは死んでいるはず。他のスピンオフ作品を観ればわかるのかもしれませんが、その後に“大停電”が起こった模様。数多くのデータが消失してしまい、その間に奇跡が起こっていたと想像される今作品。なんと人間とレプリカントの間に子供が生まれていた!
Kはおもちゃの木馬の植え付けられた記憶をたどり、記憶通りに隠してあった木馬からラスベガスへと飛ぶ。荒廃したラスベガスの一角でデッカードを見つけ、殺されそうになるものの和解して娘が生きていることを伝えるのであった。
見事に後日談として『ブレードランナー』を再起動させたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に敬意。特に美術・撮影に関しては圧倒的な美しさを見せてくれる。もちろん荒廃した世界、近代的な巨大建造物、オレンジのフィルターとラストの雪景色というコントラスト、といった全ての映像世界にどっぷりと浸れる作品でした。またもや“ロボット三原則”について書こうとしたけど、生殖機能を持つようじゃ、もはやロボットではないですね・・・
Roger Deakins
1982年のブレードランナーから35年。伝説となっている作品の待望の続編として、巨額な予算を使って作られた作品が、この作品ですね。
今日取り上げたいのは、これまでに13回もノミネートされながら、本作が初のアカデミー撮影賞に輝いた、もはや伝説の域に達する、撮影監督ロジャー・ディーキンス (Roger Deakins)です!
彼の作品といえば、数々の名だたる監督との名作や、コーエン兄弟との作品が代表的です。彼が撮影を担当した作品を見れば、すぐに撮影監督が彼だということがわかるほど、彼の作品にはオリジナリティーがあふれています。
そのなかでも、今回はちょっと詳しくなってしまいますが、会話シーンでの撮影について見ていきます。
日本でも多く作られている、テレビドラマでも皆さん馴染みがかなりあると思いますが、ちょっとプロっぽい会話シーンを取ろうとしたときに用いられる方法に、肩越しのショットというものがあります。英語ではオーバーザショルダー (Over the Shoulder) と呼ばれますね。
いわゆる、二人の会話のうち、どちらかの肩をフレームの端っこに入れて、話している人を撮ることで、「会話しているのはこの二人ですよー」と視覚的に伝えることができるものですね。
なぜこれが、プロっぽく見えるのかというと、撮影した人はわかると思いますが、役者さんたちがほとんど動くことができなくて、表情で勝負することが多くなるため、アマチュアではなかなか難しいショットになるからですね。
しかし!!!!!
今回取り上げたロジャー・ディーキンスは会話シーンでオーバーザショルダーを使うことを嫌うんですね!つまりは、シングルといって、フレームの中に入っているのは、一人だけなんです。いわゆる、プロっぽくないショット。友達使って、iPhoneでも撮れちゃうような、超基本中の基本のショットです。
なぜこれを、ロジャー・ディーキンスが好むのかというと、彼曰く、オーバーザショルダーだと、その会話を外から聞いているような感じになる。一方、シングルだと実際に会話をしているもう一人の人が見ている画と近い感じになる。だから、よりその人を細かく伝えることができる。のだとか。
そうですよね。私たちが誰かと話しているときは、自分の視界の端っこに自分の方が見えることなんてありえませんよね。つまり、ヒューマンドラマ映画での会話シーンなどでは、キャラクターの感情を伝えるのには、有効な手段だということになります。
さらに彼は、広角なワイドレンズ (20mmとか24mm) を使うことで、彼らの周りの生活をも映し出すことで、さらにキャラクターを視覚的に表現するというようなテクニックも使っているのです。
でも、先ほど述べたように、オーバーザショルダーはプロフェッショナルなショットなんです。ほぼ100%の映画、テレビドラマなどで使われています。
ここで疑問。
「なぜ他の撮影監督たちはなぜシングルショットを使わないの?」
もしロジャーディーキンスがいうことが、多くの映画に当てはまるのならば、なぜ他の人々は使わないのでしょうか?
その答えは、先ほど述べたオーバーザショルダーの特徴にあります。
「会話してるのはこの二人ですよー。」
画面という2次元の平べったいところに、3次元で起きていることを映し出すモーションピクチャーでは、どうしても、空間的表現をいろいろな技術を駆使してクリアしていかなければならないのです。そういう意味で、会話シーンなんかは、誰が誰に話してて、誰がどこを向いているのかというのは、空間的表現として必要不可欠なことなのです。
オーバーザショルダーを使えば、誰が誰に話していることは明確だし、どれぐらいの距離感で話しているのかも視覚的に感じることができるのです。つまり空間的表現をクリアする技術の一つだから、みんな使うんですね。
じゃあ、また疑問が戻ってきますね。
「じゃあ、ロジャーディーキンスが撮影した映像は、その空間的表現ができていないの?」
答えは、食い気味にNO!
彼は、別のテクニックをめちゃくちゃ使って、その空間的表現を補っているのです。
それは、照明や役者たちの目の向き、アングルやフレーミング、言い出したらきりがないのですが、そこがロジャーディーキンスの凄いところなのです。彼の頭の中には、映画館のスクリーンでどう映るのか、さらには、ストーリーの流れの中でキャラクターがどのような感情を持って、どのように視聴者に伝わるのかを理解し、それを踏まえて最高の画をカメラに収めることができるのです。
それが、彼がいろんな監督と作品を作れる理由であり、レジェンドと呼ばれる所以であります。
今回の作品ブレードランナー2049でも多くのシングルが出てきます。
多分、意識して見ても気づかないところはたくさんあると思います。それは、とてもスムーズかつ自然で、全く困惑することもないし、違和感を覚えることもないからです。
ぜひ、照明を見て欲しい。特に今作品は、SF映画かつ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ (Denis Villeneuve) 監督で、リドリー・スコット (Ridley Scott)製作だから、さらに面白いことになってます。
映画の中心であるキャラクターをいかに濃く描くかということにこだわった、映画の撮影監督ロジャーディーキンスの歴史に残る作品をぜひ、体験して見てください!
ちょっとだけ、このストーリーについてお話しするとするならば、ブレードランナーは1982年に作られたオリジナルの映画もそうですが、日本でも世界でもかなり賛否両論があります。
それは、ストーリーがとても複雑で難しいから。さらには、めちゃめちゃ多くの宗教的メタファーが元になってできている原作小説を、リドリースコットが丹精込めて練り上げたからです。日本人にはまったく馴染みのないような、キリストだったり、救世主だったりの例えがかなり出てきます。
だから、おすすめするのは、ちゃんとストーリーを追っていき、なぜこの人はこの行動をとるのかというのを、ストーリー的に筋道が通るようにと、感情がどのように変化していくのか、というのを映画を通して考えていくことで、楽しむことができると思います。
これはいってもいいと思いますが、レプリカントと人間というのがメインテーマです。
レプリカントと人間の違いは、この映画では子孫繁栄ができる生殖能力を持つかということ。
これだけは、知らないと、置いてけぼりにされますよーーーー。
この作品、撮影はんぱねぇ。まじで。
やっぱりこの世界感
漆黒の近未来
あのブレードランナーから30年後の世界。
あの頃描かれていた、漆黒の近未来的な映像は、健在でした。
ただ、ストーリー構成の前半がやや間延びした感じでしたが、デッカードの登場あたりから、過去に遡ってのミステリアスな要素も含まれ、グッと面白くなりました。
ブレードランナーKにまつわる真実が、一転二転して、結局はレプリカントはレプリカント以上には、なれないということなのかな…。
最後はなんか、悲しさと切なくさが込み上げてくる感覚でした。
『ラ・ラ・ランド』とは全く違う、クールなライアン・ゴズリンの魅力も堪能できましたし、同じシリーズで30年以上も経ってるのに、準主役を演じることができるのは、ハリソンってやっぱり凄い!
大義のために死ねることは人間らしくないか
面白かった!
私は30年前の前作品を知らない
デッカードとレイチェルの愛の物語…
それのみならず、グレーな世界の成り立ちやレプリカントと人間性のせめぎあい… 遡って是非、観てみたいという気持ちにかられた。
ライアン・ゴズリングの役は魅力的。
人格?というか、Kの意識の変化、ラスト間近の真実を知った上での選択した行動に人としての尊厳さを見た気がした。
レビュータイトルのような死を選んだり望んだりする人が、今のリアル社会に一体どのくらいいるだろうか…
自分も含めて。「大義のための死は何より人間らしい」
この言葉を胸にKはレプリカントから人間に昇華したように思う。また、Kを愛した人工知能のジョイも同じだった。
触れることが出来ない切なさ、生身の体は持てなかったが、愛する男性のために終始尽くした。Kの涙、ジョイの涙が見える。
映像、音楽もすばらしかった
この世の果て的な世界観…
木が希少価値あるものとなってしまうような未来、何でもバーチャルで暮らせ、満足しなければならない世界は御免だ。
思ったより良かったが
派手さはなくとも躍動感を感じる
短編3本観てから観賞しました。…でも観なくても大丈夫だった感じですね。。
今作、静かなシーンもありますが、1作目よりは暗くなく躍動感も感じました。予告ほど派手さはないように思いましたがΣ
ライアン・ゴズリングの為せる技でしょうか?やはり良演だと思いました。
自分が造られたものなのかそうじゃないのか・・自分の正体を確かめたときの彼の悔しさ、分かるはずないのになぜだか伝わってきました。…とそこからの流れがまた変わってくるのですがΣ
今回は人間味が出ていて感情部分はわりと観やすかったのですが、複雑に絡み合っていて内容理解が難解でした。前作との繋がりは良かったです。
一番印象に残ってるのは全然内容に関係なく、虫の羽音のところと同じシーンでブロックに手を入れたところがゾワーッとして、足がゾクッと身震いし鳥肌立ちました(;´д`)イヤホンで聞くとヤバイです!
そして、3時間近くと長いです。所々グダりましたが…なんとか最後まで観られて良かったです。
私の理解力が乏しい為に最後まで謎で・・どこまでがレプリカント?
素晴らしいが、寝る前に観るもんじゃない
坦々と物語が進み、どんでん返しが来るんだろうと予想もできたが、すべてが独特で不思議な作品だった
遠い未来の世界に見えるが、突拍子もない訳でない、あり得そうな絶妙な世界に感じて、SFだが現代の刑事ものの映画を見ているような
この監督にしか出せない雰囲気で面白かった
ただ、寝る前に見るには冗長な展開
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