ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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嫌いじゃない。長い
2時間くらいにならないかな?
前作「メッセージ」が2時間切ってるのに対し、こっちは2時間半超え。
でもこの監督は、このくらいの尺を使わないと語れない芸風なのかも、という気もしています。
ビジュアルや雰囲気は魅力的だし、この切ないオチは嫌いじゃない。ライアン・ゴズリングが役柄にぴったり。
高齢のハリソン・フォードに「スターウォーズ」よりもだいぶ無茶させてて、そこはハラハラしましたが。
あぁ^~ジョイちゃんかわいいんじゃぁ^~
皆さん考察してますね…議論してますね…
今作の監督さんはこの映画を使って言いたい事が山ほどあるんだろうね……ふふふ。
リドリー・スコットが言いたかったのは、「恋愛とは何ぞや」これに尽きるでしょ。
レプリカントの悲哀だの、ディストピアの憂鬱だの、ネオTOKYOの美しさだの、全て時代遅れの骨董ですよ。
私、仮想現実の世界というか、すなわち人間の本質って、最終的には全て恋愛と冒険(SEXと暴力)に行き着くと個人的に確信してるんですが
リドリー御大は、「ジョイ」というどうでも良さそうなサブキャラ1人でその前者を全て描ききりました。凄い。
スピルバーグとかSAOとかのコドモダマシ見てる暇あったら、これ観た方が絶対いいよ。ほんと凄いから。
ジョイ役のアナ・デ・アルマスがカワイイ💕
ジョイとデートしてみたいわ〜(笑)
無茶苦茶カワイイね。実在しないデータだとしても、いや、実在しないからこそ、色々と心を開いて話が出来る気がする。あんな子が家にいるなんて、ライアン・ゴズリングの幸せモノめ!!
ライアン・ゴズリングはコメディから、ミュージカルから、こういった無表情な役まで幅広くできて、本当にスゴイよね。何となくだけど、『ドライブ』のクールな職人と『ブルーバレンタイン』の切なさが合わさったような印象。とても良かった。
エルビスプレスリー、マリリンモンロー、フランクシナトラ
上映中に10数人もの人がトイレのために途中離席。こんなの経験したのは初めてだ。お腹の鳴る音も聞こえ、終盤に登場する“日の丸食堂”の看板によってさらに食欲をも刺激される。35年前のオリジナル『ブレードランナー』と同じく、日本語の看板も多数。タクシーだって“空車”と日本語表記だし、“さけ”の文字がやたらと目につく。
2049年、カリフォルニア。人間と見分けのつかない“レプリカント”が労働力として製造され、人間たちと危うい共存関係を保っていた。危険なレプリカントを取り締る捜査官はブレードランナーと呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を守っていた。“K”(ライアン・ゴズリング)と呼ばれるブレードランナーもその一人。冒頭では農場で働くサッパーと対峙するシーンで、いきなりの死闘となる。レプリカントは右目の裏側に製造番号が記され、人間と区別するには目玉をひっくり返さなければならないのです。前作では20~30の質問をすれば見分けがついたはずですが、質問を受けてたのはKだけだったような。サッパーの家の近くにある木の根元に棺が埋められていることを発見し、その調査によって興味深い事実が浮かび上がってくるのです。
そのKも実はレプリカント。自宅ではVRのジョイ(アナ・デ・アルマス)と恋愛を楽しんでいるのですが、ジョイはリモコンを使えばどこにでも現れる。彼女がもっとも人間らしいとも言えることが本作の面白さかもしれません。
前作のラストでは人間(?)のデッカード(ハリソン・フォード)がレプリカントのレイチェルを連れて逃亡して終わりを迎えます。その2019年当時のレプリカントは4年で寿命を終えるように設定されていたので23年にはレイチェルは死んでいるはず。他のスピンオフ作品を観ればわかるのかもしれませんが、その後に“大停電”が起こった模様。数多くのデータが消失してしまい、その間に奇跡が起こっていたと想像される今作品。なんと人間とレプリカントの間に子供が生まれていた!
Kはおもちゃの木馬の植え付けられた記憶をたどり、記憶通りに隠してあった木馬からラスベガスへと飛ぶ。荒廃したラスベガスの一角でデッカードを見つけ、殺されそうになるものの和解して娘が生きていることを伝えるのであった。
見事に後日談として『ブレードランナー』を再起動させたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に敬意。特に美術・撮影に関しては圧倒的な美しさを見せてくれる。もちろん荒廃した世界、近代的な巨大建造物、オレンジのフィルターとラストの雪景色というコントラスト、といった全ての映像世界にどっぷりと浸れる作品でした。またもや“ロボット三原則”について書こうとしたけど、生殖機能を持つようじゃ、もはやロボットではないですね・・・
Roger Deakins
1982年のブレードランナーから35年。伝説となっている作品の待望の続編として、巨額な予算を使って作られた作品が、この作品ですね。
今日取り上げたいのは、これまでに13回もノミネートされながら、本作が初のアカデミー撮影賞に輝いた、もはや伝説の域に達する、撮影監督ロジャー・ディーキンス (Roger Deakins)です!
彼の作品といえば、数々の名だたる監督との名作や、コーエン兄弟との作品が代表的です。彼が撮影を担当した作品を見れば、すぐに撮影監督が彼だということがわかるほど、彼の作品にはオリジナリティーがあふれています。
そのなかでも、今回はちょっと詳しくなってしまいますが、会話シーンでの撮影について見ていきます。
日本でも多く作られている、テレビドラマでも皆さん馴染みがかなりあると思いますが、ちょっとプロっぽい会話シーンを取ろうとしたときに用いられる方法に、肩越しのショットというものがあります。英語ではオーバーザショルダー (Over the Shoulder) と呼ばれますね。
いわゆる、二人の会話のうち、どちらかの肩をフレームの端っこに入れて、話している人を撮ることで、「会話しているのはこの二人ですよー」と視覚的に伝えることができるものですね。
なぜこれが、プロっぽく見えるのかというと、撮影した人はわかると思いますが、役者さんたちがほとんど動くことができなくて、表情で勝負することが多くなるため、アマチュアではなかなか難しいショットになるからですね。
しかし!!!!!
今回取り上げたロジャー・ディーキンスは会話シーンでオーバーザショルダーを使うことを嫌うんですね!つまりは、シングルといって、フレームの中に入っているのは、一人だけなんです。いわゆる、プロっぽくないショット。友達使って、iPhoneでも撮れちゃうような、超基本中の基本のショットです。
なぜこれを、ロジャー・ディーキンスが好むのかというと、彼曰く、オーバーザショルダーだと、その会話を外から聞いているような感じになる。一方、シングルだと実際に会話をしているもう一人の人が見ている画と近い感じになる。だから、よりその人を細かく伝えることができる。のだとか。
そうですよね。私たちが誰かと話しているときは、自分の視界の端っこに自分の方が見えることなんてありえませんよね。つまり、ヒューマンドラマ映画での会話シーンなどでは、キャラクターの感情を伝えるのには、有効な手段だということになります。
さらに彼は、広角なワイドレンズ (20mmとか24mm) を使うことで、彼らの周りの生活をも映し出すことで、さらにキャラクターを視覚的に表現するというようなテクニックも使っているのです。
でも、先ほど述べたように、オーバーザショルダーはプロフェッショナルなショットなんです。ほぼ100%の映画、テレビドラマなどで使われています。
ここで疑問。
「なぜ他の撮影監督たちはなぜシングルショットを使わないの?」
もしロジャーディーキンスがいうことが、多くの映画に当てはまるのならば、なぜ他の人々は使わないのでしょうか?
その答えは、先ほど述べたオーバーザショルダーの特徴にあります。
「会話してるのはこの二人ですよー。」
画面という2次元の平べったいところに、3次元で起きていることを映し出すモーションピクチャーでは、どうしても、空間的表現をいろいろな技術を駆使してクリアしていかなければならないのです。そういう意味で、会話シーンなんかは、誰が誰に話してて、誰がどこを向いているのかというのは、空間的表現として必要不可欠なことなのです。
オーバーザショルダーを使えば、誰が誰に話していることは明確だし、どれぐらいの距離感で話しているのかも視覚的に感じることができるのです。つまり空間的表現をクリアする技術の一つだから、みんな使うんですね。
じゃあ、また疑問が戻ってきますね。
「じゃあ、ロジャーディーキンスが撮影した映像は、その空間的表現ができていないの?」
答えは、食い気味にNO!
彼は、別のテクニックをめちゃくちゃ使って、その空間的表現を補っているのです。
それは、照明や役者たちの目の向き、アングルやフレーミング、言い出したらきりがないのですが、そこがロジャーディーキンスの凄いところなのです。彼の頭の中には、映画館のスクリーンでどう映るのか、さらには、ストーリーの流れの中でキャラクターがどのような感情を持って、どのように視聴者に伝わるのかを理解し、それを踏まえて最高の画をカメラに収めることができるのです。
それが、彼がいろんな監督と作品を作れる理由であり、レジェンドと呼ばれる所以であります。
今回の作品ブレードランナー2049でも多くのシングルが出てきます。
多分、意識して見ても気づかないところはたくさんあると思います。それは、とてもスムーズかつ自然で、全く困惑することもないし、違和感を覚えることもないからです。
ぜひ、照明を見て欲しい。特に今作品は、SF映画かつ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ (Denis Villeneuve) 監督で、リドリー・スコット (Ridley Scott)製作だから、さらに面白いことになってます。
映画の中心であるキャラクターをいかに濃く描くかということにこだわった、映画の撮影監督ロジャーディーキンスの歴史に残る作品をぜひ、体験して見てください!
ちょっとだけ、このストーリーについてお話しするとするならば、ブレードランナーは1982年に作られたオリジナルの映画もそうですが、日本でも世界でもかなり賛否両論があります。
それは、ストーリーがとても複雑で難しいから。さらには、めちゃめちゃ多くの宗教的メタファーが元になってできている原作小説を、リドリースコットが丹精込めて練り上げたからです。日本人にはまったく馴染みのないような、キリストだったり、救世主だったりの例えがかなり出てきます。
だから、おすすめするのは、ちゃんとストーリーを追っていき、なぜこの人はこの行動をとるのかというのを、ストーリー的に筋道が通るようにと、感情がどのように変化していくのか、というのを映画を通して考えていくことで、楽しむことができると思います。
これはいってもいいと思いますが、レプリカントと人間というのがメインテーマです。
レプリカントと人間の違いは、この映画では子孫繁栄ができる生殖能力を持つかということ。
これだけは、知らないと、置いてけぼりにされますよーーーー。
この作品、撮影はんぱねぇ。まじで。
やっぱりこの世界感
きっとつまらないと思う人が沢山いるような気がします。まず、前作観ないと話になりませんね。
あと今作は、前作に比べるとアクション性に乏しいのでこれを求めてしまうとキツイですね。
私はこの世界感がたまらなく好きなのでとてもひいき目で観ています。世界感の鑑賞ですね。
だから好みが真っ二つに分かれるでしょうね。
個人的に主人公ライアン・ゴズリングはハマり役でした、この映画でファンになりました。
漆黒の近未来
あのブレードランナーから30年後の世界。
あの頃描かれていた、漆黒の近未来的な映像は、健在でした。
ただ、ストーリー構成の前半がやや間延びした感じでしたが、デッカードの登場あたりから、過去に遡ってのミステリアスな要素も含まれ、グッと面白くなりました。
ブレードランナーKにまつわる真実が、一転二転して、結局はレプリカントはレプリカント以上には、なれないということなのかな…。
最後はなんか、悲しさと切なくさが込み上げてくる感覚でした。
『ラ・ラ・ランド』とは全く違う、クールなライアン・ゴズリンの魅力も堪能できましたし、同じシリーズで30年以上も経ってるのに、準主役を演じることができるのは、ハリソンってやっぱり凄い!
大義のために死ねることは人間らしくないか
面白かった!
私は30年前の前作品を知らない
デッカードとレイチェルの愛の物語…
それのみならず、グレーな世界の成り立ちやレプリカントと人間性のせめぎあい… 遡って是非、観てみたいという気持ちにかられた。
ライアン・ゴズリングの役は魅力的。
人格?というか、Kの意識の変化、ラスト間近の真実を知った上での選択した行動に人としての尊厳さを見た気がした。
レビュータイトルのような死を選んだり望んだりする人が、今のリアル社会に一体どのくらいいるだろうか…
自分も含めて。「大義のための死は何より人間らしい」
この言葉を胸にKはレプリカントから人間に昇華したように思う。また、Kを愛した人工知能のジョイも同じだった。
触れることが出来ない切なさ、生身の体は持てなかったが、愛する男性のために終始尽くした。Kの涙、ジョイの涙が見える。
映像、音楽もすばらしかった
この世の果て的な世界観…
木が希少価値あるものとなってしまうような未来、何でもバーチャルで暮らせ、満足しなければならない世界は御免だ。
思ったより良かったが
予告編のチープな未来世界の映像で正直あまり期待してなかった本作だが、
思ってたより映像面では良かった。
更にバーチャル彼女や未来広告などのガジェット類に関しては、
元祖ブレードランナーよりPKディックっぽさが前面に出ていて期待以上だった。
のだが、見終わった印象としてはB級映画以上でも以下でもない感じ。
レプリカントにフォーカスしすぎて人類側の視点が全く欠如してるので
ストーリーが浅いことこの上無い。
なんとなく綺麗気でなんとなく高尚風な作品作るだけのダメ監督が、
またひとつ微妙な作品を作ったなぁってかんじ。
派手さはなくとも躍動感を感じる
短編3本観てから観賞しました。…でも観なくても大丈夫だった感じですね。。
今作、静かなシーンもありますが、1作目よりは暗くなく躍動感も感じました。予告ほど派手さはないように思いましたがΣ
ライアン・ゴズリングの為せる技でしょうか?やはり良演だと思いました。
自分が造られたものなのかそうじゃないのか・・自分の正体を確かめたときの彼の悔しさ、分かるはずないのになぜだか伝わってきました。…とそこからの流れがまた変わってくるのですがΣ
今回は人間味が出ていて感情部分はわりと観やすかったのですが、複雑に絡み合っていて内容理解が難解でした。前作との繋がりは良かったです。
一番印象に残ってるのは全然内容に関係なく、虫の羽音のところと同じシーンでブロックに手を入れたところがゾワーッとして、足がゾクッと身震いし鳥肌立ちました(;´д`)イヤホンで聞くとヤバイです!
そして、3時間近くと長いです。所々グダりましたが…なんとか最後まで観られて良かったです。
私の理解力が乏しい為に最後まで謎で・・どこまでがレプリカント?
素晴らしいが、寝る前に観るもんじゃない
坦々と物語が進み、どんでん返しが来るんだろうと予想もできたが、すべてが独特で不思議な作品だった
遠い未来の世界に見えるが、突拍子もない訳でない、あり得そうな絶妙な世界に感じて、SFだが現代の刑事ものの映画を見ているような
この監督にしか出せない雰囲気で面白かった
ただ、寝る前に見るには冗長な展開
「人間らしさ」=合理的説明ではなく、自らの感情にしたがうこと?
★ポイント:「Kの父親がデッカードである」という期待は、偽りの記憶から導かれた結論だ。そのことが分かってなお、Kはデッカードを守り、子の元へ届ける。Kは根拠にもとづいた合理的説明よりも、自らの期待=感情や情緒、にしたがった。その礎が、"他者"の記憶にあれど。そこに「人間らしさ」が見出されるということなのだろうか。
・・・
フィリップ・K・ディックによる小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(1968)を原作として,リドリー・スコット監督による映画『ブレードランナー』(1982)が製作された。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による映画『ブレードランナー2049』(2017)は,その続編である。
『ブレードランナー』『ブレードランナー2049』の舞台は、近未来のロサンゼルスである。この世界においてはアンドロイド(レプリカント)が労働力の一部を担う。レプリカントの身体は、機械ではない。生身の肉体を持ち、表皮からから内臓にいたるまで、ほとんど人間に等しい。見た目は人間と区別がつかず、知能は人間と同等,身体能力は人間を超える。軍隊における使役、買売春における性労働への従事など,レプリカントは人間の支配下に置かれている。
レプリカントは自我や感情を持たず,人間の指示に服従する。ところが生産から数年が経過すると自我や感情を持ってしまうという”不具合”の存在が判明する。不具合が発生したレプリカントは,反抗や脱走を行った。そのような面倒を避けるため,レプリカントには4年という寿命が設けられた。一方で,実際に脱走したレプリカントを追跡・処分する役割を担ったのが「ブレードランナー」である。劇中に登場するブレードランナーはロサンゼルス市警所属部署に所属し,レプリカントを発見次第「退役」させる。
『ブレードランナー』における主人公は,ハリソン・フォード演ずるブレードランナー,デッカードである。デッカードは数体のレプリカントの処分を命じられ、任務を遂行するが,最後には女性レプリカントと恋に落ち逃亡する。『ブレードランナー2049』は,デッカードの逃亡から30年後を舞台に,別のブレードランナー”K”を主人公に据える。
『ブレードランナー』の主人公デッカードは人間である。というよりも、デッカードが人間であるという前提にしたがって、鑑賞者は映画を見始める。ところが巷にはデッカードがレプリカントであるという説も存在する。ただしデッカードが人間であるということはわざわざ示されないし、デッカードがレプリカントであるということもまた示されない。デッカードがレプリカントであるという説は公開後にファンの中から出た見方のようで、製作者側が当初から意図していたものではないようである。けれども1982年の第1作公開から35年の歳月が経過し、『ブレードランナー2049』が公開されるにあたって、映画製作者側が「デッカード=レプリカント説」を意識せざるを得なくなった。そういうわけで、『ブレードランナー2049』は、鑑賞者が「デッカードはレプリカントなのか?」と疑いながら観ることのできるよう準備がなされた作りになっている。
(ただし『ブレードランナー』時点で最新型であるネクサス6の寿命は4年だから,『ブレードランナー』後に30年以上生きたデッカードがネクサス6だということはあり得ない。それでもデッカードがレプリカントであるとすれば、ネクサス7か8、あるいは特別な型だということになる。
また、『ブレードランナー』劇中において、タイレル社長の口から「タイレル社製のレプリカントには幼少期の記憶が補完されていない」ことを匂わせる発言が成されている。この発言を聞いたデッカードの反応は、彼には記憶があることを前提とするものに思われる。デッカードが幼少期の記憶を持つとすれば、デッカードはタイレル社によって作られたレプリカントではないことになる。
ネクサス6の次世代モデルである7には記憶が補完されたかも知れないし、『ブレードランナー2049』に登場するネクサス8には実際に記憶が補完されている。しかしネクサス7と8は、デッカードが誕生するよりも後の型番である。したがって30年以上生存可能であり、かつ記憶を有するデッカードが、仮にレプリカントであるとすれば、6と7のあいだの特別な型である。)
デッカードが人間なのかレプリカントなのかを断定する情報が劇中では与えられない(おそらく意図的に断定を避けるように作られている)のに対し,『ブレードランナー2049』の主人公Kは,明確にレプリカントである。彼はレプリカントでありながら同じレプリカントを処分する役割を与えられる。また同時に,レプリカントという被支配階級の存在として,人間から不満のはけ口として扱われる。Kにとっての安らぎは,ホログラム型AI”ジョイ”とのロマンスだった(”ジョイ”は我々にとってのSiriのような存在である)
レプリカントであるKは,はじめから成人男性の姿を持って生まれてくる。したがって彼にとって幼少期は実在しない。しかしながら「人間性の補完」という理由で,レプリカントには幼少期の記憶が補完されている。幼少期の記憶を有することが,レプリカントの精神的安定につながるとされていたのである。
いつも通りの業務をこなすうち、Kは「自分が特別なレプリカントなのではないか」という可能性に行き当たる。それはすなわち「自分が、レプリカントから生まれたレプリカントである」という可能性だ。当時レプリカントには妊娠・出産が不可能とされた。そしてレプリカントには繁殖が不可能であることこそ,劇中において「非生物=モノ」であるレプリカントを人間が支配する根拠となっていた。
Kが発見したのは,女性型レプリカントの遺骨である。この遺骨には出産の形跡があった。そしてこのレプリカントの墓石に記されていた日付は,Kの幼少期の記憶に登場する木馬人形に記された日付に一致したのである。さらにレプリカントの記憶は作りものであるはずにも関わらず,Kは木馬人形を発見する。つまり,作り物であるはずのKの記憶に合致する事実が存在したのである。Kの記憶は本物のものであり、Kには幼少期が存在したのだろうか?(木馬の記憶は、Kの有する唯一の幼少期の記憶だという。我々人間が「わたしには幼少期が存在した」というとき、たった1つの映像記憶とそれに合致するたった1つの事実を以って、そう考えるだろうか?いやそうではない。私たちにはもっと多くの(複数の)記憶(映像や、体験と感情の結びつき)があり、現在存在する事実は過去から連続したものである。たとえば目の前に存在する父親や母親は、過去から連続してきたものである。「過去の記憶が現在も目の前に存在する」ことの確認を繰り返しながら、記憶の上塗りを繰り返しながら現在がある。Kのばあい、幼少期の記憶と現在の環境とは全く乖離しており、実際の人間のばあいとの比較ができない)
さてKが持つ木馬の記憶が本物だという可能性が浮上したが、木馬の記憶は「本物だが他者のもの」だという可能性もある。だが当時の法律で,記憶の移植は禁止されていた。法を犯してKへの記憶の移植が行われた可能性もあるが,その可能性へ明確に言及することなく、Kは「自分がレプリカントから生まれた」という可能性へと傾く。(おそらくここでKに期待を抱かせたのが、レプリカントに対する迫害や、K自身の孤独である)
Kは,埋葬されていた死体が,30年前にデッカードとともに逃亡したレプリカントのものだと調べ上げる。そして、父親であると思われるデッカードの居場所を探し当てる。デッカードがレプリカントであるか人間であるかはわからないが,いずれにせよ彼と交配したレプリカントが妊娠・出産したのだ。孤独なKにとって,デッカードは父親かもしれないのだ。
だがやがて、Kの記憶は「本物だが他者から移植されたもの」だと判明する。Kは結局,一介のレプリカントに過ぎなかった。しかしKは,デッカードの逃亡に手を貸し,追っ手を撃退し、「レプリカントから生まれたレプリカント」である娘のもとへデッカードを送り届ける。デッカードの娘を祭り上げて今まさに起ころうとするレプリカントの反乱を目前に,傷ついたKは雪の中で息絶える。
さて、「自分がレプリカントから生まれたのではない,普通のレプリカントだ」ということを知ったKは,落胆する。ここでKは1度,生きる意味を失う。だがレプリカントの反乱指導者から「証拠隠滅のためデッカードを殺せ」という任務を命じられる。「大義のための死は何より人間らしい」と。
母親の胎内から生まれたわけではなく,作られた存在であるレプリカントは,魂のない存在,生命ではないとされる。しかし魂は持たずとも「人間らしく」あろうとすることが,Kにとっての「人生の意味」として取って代わろうとする。
だがデッカードを殺すことをKは選ばない。むしろ彼を救出し,彼の本当の娘と思しき女性の元へと届ける。それはKが,自分を使役しようとする外的な「大きな存在」からの指令によってではなく,自らの内在的な要因によって行為を選択した瞬間であった。このまま自分にとって外在的な「大きな存在」の大義達成に貢献し続けるのでは,ブレードランナーとして人間の大義に貢献し続けていたのと変わらない。
Kに父親は存在しないと判明したが,1度は自分の父親であるという可能性を感じた男性を,娘の元へ届ける。自分では結ぶことができなかったつながりを,他者と他者との間に結ぶ。自分では叶えられなかったことを,他者によって代理的に叶えてもらう。それは結局,Kが「自分のものではない」記憶を礎にして願いを叶えたということだ。自分のものではないと整合的に説明されてなお,他者の記憶をもとに生まれた「親との繋がりを得たい」「魂を得たい」「人間になりたい」という願望の達成への期待。そのような期待のやり場が,デッカードを娘のもとへと届けることにあった。
「代理」によって、Kは叶えられなかった自分の願望を叶え,失われかけた自分の「生の意味」をなんとか復活させ,維持しようとした。『ブレードランナー2049』は「自らの望みを叶える」という自己決定の物語である。「自らの望みを叶える」ことに、人間らしさが見出されたのかも知れない。
30年後の未来へ
「ブレラン」一挙観賞。なのですんなり作品に入ることができました。
これだけ見たら、わかるけど薄っぺらい感想かも。
前作がダークな印象の世界に比べて、雪の白いシーンが印象的。
当たり前ですが、映像がとてもかっこよく仕上がってますね。
またいろんなアイテムも目新しい感じ。
バーチャル彼女が2049年くらいの雰囲気かもね~だったりして。
女性から見て、女性キャラがみなきれいなのも、いい感じ。
「レプリカントに生殖機能を持たせる」という新型レプリカント開発者の目的のために、翻弄されるブレードランナーのK。
この辺はサスペンスタッチで、見ごたえありました。
終盤「え、そっち?」と意外なひねり方の展開に驚き。
あの人は結局どうなったの等、いくつか未解決のままThe End。
ええー。これってもしかして??。
個人的には前作より見やすかったです。147分も感じさせませんでした。
ポンコツ過ぎる脚本が衝撃的
あのカルトSF作品の続編が、30年以上もかけてこのレベルと言うのがまずビックリ。
絶賛している方には悪いけど、無理に前作のキャラを引っ張ってるから、ストーリーが破綻して、何が言いたいのかわかりにくかったです。この監督さんの演出はいつも妙に重苦しいだけで、アクションなどの見せ場も大して盛り上がらず、全体的にショボい出来映えでした。
だけど、美術と衣装デザインなどビジュアル面は素晴らしいので、監督と脚本家にもう少しお金をかけて欲しかったです。
孤独で切ないゴズりん
孤独で切ないゴズりんを堪能できますね。ホログラムの可愛い女の子が心の拠り所だなんて。
レプリカントが人間らしく成長し、静かな感動を呼ぶラストでした。
ゴズりんあのところてん?みたいなの、お箸で食べて欲しかったな。
ブレードランナー 2049:最高の記録は彼女のだった【洋画名言名セリフ】
【ブレードランナー 2049:おすすめポイント】
1.K役ライアン・ゴズリングとリック・デッカード(Rick Deckard)役ハリソン・フォードとの絡みとセリフが素晴らしい!!!
2.K役ライアン・ゴズリングとジョイ(Joi)役アナ・デ・アルマスとの恋人以上の関係も最高!!
3.1作目ほどじゃないが、独特の世界観と映像がいいなぁ!
【ブレードランナー 2049:名言名セリフ→発した俳優とその場面】
・最高の記録は彼女のだった
→K役ライアン・ゴズリングがリック・デッカード(Rick Deckard)役ハリソン・フォードに対し、実の娘であるステリン博士の研究所入り口階段そばで発した名言名セリフ
【ブレードランナー 2049:個人評価=★★★★】
★★★★★:今すぐ観るべき‥人生を生きる為の何かを教えてくれる貴重な映画
★★★★:早めに観るべき‥観る人だれにでも何かを与えてくれる大事な映画
★★★:まあ観ても良し‥観る人によっては全く意味を持たない普通の映画
★★:観なくても良し‥単に時間だけを浪費してしまう可能性が高い映画
★:観てはいけない‥観た後に非常に残念な気持ちを感じてしまう映画
思った以上に面白かった
前作を見ずに鑑賞したが、普通に楽しむことが出来た。ストーリーも意外性というか普通に騙されて、そういった意味でも楽しかった。つまり在り来たりの予想出来る話ではなかったということ。
恋人役の女優さんには終始目を奪われた。今後の活躍に期待したい。
存在意義を問う作品
レプリカントが人間かどうかというかテーマを問うことは今作にもしっかりと引き継がれている。レプリカントが生殖できるか?かつてレプリカントとデッカードの子供を探す事が今作の主軸となっており、生殖能力があるが地位向上につながるかも今作の重要なテーマの1つ。1つ1つの場面が静かで長く続き、しっかりと観客に事実を吸収させ、考えさせられた。
全609件中、101~120件目を表示