そこのみにて光輝くのレビュー・感想・評価
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人間らしさを底辺と言う!!
タイトルに惹かれましたが、要するに「罪と罰」で言うところのソーニャなのでしょうが、池脇千鶴では「光輝く女性」という感じは全くしませんでした。底辺とありますが、主人公はルックスも悪くないし、親友もいて、お酒も飲めるし、普通の田舎の青年という印象です。洗脳された社畜よりも人間らしく生きており、そのぶん田舎の泥臭い人間関係もある訳です。眼前の敵を撃ち破るのも当然ですし、そこまで重たい内容とは思えませんでした。内容自体は悪くないですが、ヒロインに眩しさもなく、テンポが悪くて雰囲気系という感じでした。
美化されていると認識しつつ大いなる感動
佐藤泰志原作の映画は3本目。やはり病んだ社会を感じたし、最も荒んだ世界観だったかもしれない。しかし、不思議と最も美しく感じたし、映像や演出が巧みだったためなのか、もっとも美しい作品と感じたし、思いのほか感傷的にもなった。
脚本も演技も濡れ場も全てが優れていたように感じたし、見事な映像とともに全てが綿々とした連なりを持っているような気がした。ゆえにちょっとしたフレーズで思わず号泣してしまう。
綾野剛、菅田将暉、そして池脇千鶴の演技が見事で病んだ世界でつねに光り輝く。現実世界では有り得ない輝きであり、底辺で美男美女が見事に絡み合う矩形の世界は完全に美化されたもので、原作の本質とは乖離しているのかもしれない。しかし、伝えようとしているところは原作とは何ら変わらないと信じるし、信じたいし…万が一少し違ったとしても、美しき池脇千鶴の名演で心動かされ、結果的にこの作品を賞賛するに至る。
息苦しい
菅田将暉が喋り出した瞬間と
池脇千鶴の登場シーンにサブイボが出た。
素人の僕にすら「あ、この人凄い!」と
菅田将暉の才能が分かるし、
池脇千鶴の色気には痺れた。
友だちの姉ちゃんでこの人出てきたら
絶対好きになると思いました。
いつか光り輝くのだろうと、
山での作業をする事で
皆が救われて終わるのだろうなと思って見てたけど、
そうじゃなくて、
今このどん底でも必死に生きる事こそが
光を放っていると言う事なのかな?と思った。
最悪の状況、最悪の場所なんだけど
何かコイツらなら大丈夫、と思わせるラストだった。
綾野剛の過去を引きずって常に酔っ払ってるような
佇まいも危なげでとても良かった。
危なげだけど、山では責任者だった頼もしさも出てて
素晴らしかった。
暗いだけ。でも何かが残る。
なんでこんなにうまくいかないの。なんで暴力ふっちゃうの。トラウマに苦しんだり、でも時々笑ったり、やっぱりどうにか人間は生きていく。でもこれ、どこで光り輝いているんだ。うーん。難しいのか。わかってないのか。どう解釈したらいいのかわからない。
神話のような哀しさと美しさ
なんと美しい物語。
神話みたいだと感じた。なんというか、ギリシア悲劇のようでもある。
のっけから暗くて重たい雰囲気が漂う登場人物たち。更に彼らは不幸、苦しみの連鎖に襲われる。物語が進むにつれ、不幸の深みが暴かれてゆく。
でも確かに、その中で達夫と千夏の慰めあうような愛や、家族を想う愛や、微笑ましい友情が、まさに「光輝いて」いる。
どん底の日常にも確かに光は差し、その貴重さゆえにますます輝きを増すのだ。
ストーリー的には割と唐突なのに、ふたりが惹かれ合う過程は余りに自然で説得力があった。
綾野剛の気怠さと熱さ、菅田将暉の無邪気さ、池脇千鶴の愛おしさ、役者が本当に素晴らしい。
不条理でやるせない、けして美しいとは言えない世界の中で、奇跡のように美しく希望萌え出ずるラブストーリー。
ふたりが労わりあうように愛し合うシーンがなんとも羨ましい。こんなセックスしたい。
3人でビール「達夫と姉ちゃかんぱーいーっ」の場面以外は全編暗くつら...
3人でビール「達夫と姉ちゃかんぱーいーっ」の場面以外は全編暗くつらい。主演の2人の演技もすごいが他の作品とは一線を画する高橋和也の悪役ぶりすごい。菅田将暉はいつみてもすごい。希望あるラスト。
苦しい
うつ病の家族がかつてピークで酷かった時期を、思い出してしまう映画だった。
でもそれは、救いようのある、光がある、まだ大丈夫、まだ大丈夫って生きている、そういう人達をうまくうまく描けていたから、きっと思い出してしまったんだ。人は誰かの手無しじゃ、愛無しじゃ生きられないらしい。
自分の手で、愛を見つけて、信じて、怖いけど信じていく、そういうそれぞれの姿に見惚れてしまったよ。
役者良かった。
閉塞感のある空気を、もう少し醸し出しても良かったのかとも思うけど、3人で定食屋にいるシーンがなんとも微笑ましくて、救われた。ありがとう。ご飯。
性の翻弄、憤りの罪
『そこのみにて光輝く』(2014)
<性の翻弄、憤りの罪>
2月の朝6時前はまだ暗く、やがて明るくなっていくだろう。外出の用事があって早く寝床から出て、こうした時間にみる。GYAO!のキネマ旬報ベストテン特集からみて、1位だった作品のようだが、少しと言っても随分前に感じるのだが、日本映画専門チャンネルで、原作の佐藤泰志の特集と言うことで、この映画も幾つかの他の作品と放映していたかも知れない。勘違いしていて、15歳に関しての条件のある映画ということで、別の男の監督と別の女優の映画かと思っていたのだが、違っていた。監督は女性で、よくわからないが在日韓国人という関係の人なのか、そうした名前で、主演女優は池脇千鶴だった。池脇は清純な女子高生のコマーシャルで出てきたと思うが、わけあってとは言え、不倫は不倫であるから言語道断なのだが、不倫男性役が男闘呼組の高橋和也との正常位激しいバウンド付きのセックスシーンがある。池脇が34歳の肉感を少し見せている。こうしたシーンを挿入するのはどうしたものなのか。その見せ方の程度にもあるか。舞台は北海道らしい。
方言もそうなのだろう。時代背景はわからない。原作者が1990年に自殺している。1980年代なのだろうか。貧困の姉弟がいて、父親が寝たきりなのか、母親の貧困家庭に、無職になっている主人公の綾野剛が出会うのだが、きっかけはパチンコ店でふとしたきっかけで出会った貧困家庭の弟役の菅田将暉が、家に連れてくると、そこに姉役の池脇がいたという出会いから、男女としての関係性の部分は始まる。池脇は菅田がたまに仕事をくれる社長の高橋と不倫して、弟の仕事を貰っているような関係で、昼は塩辛工場で働いてもしている。貧困のために仕事を選ばない状態の女らしい。複雑ではあるが、そこに綾野が出てきて揺らぐということか。池脇は夜の性接待の仕事もしている。綾野も石材採掘の仕事中の事故でトラウマを持ち、ぶらぶらしている役らしい。綾野は『八重の桜』での松平容保のイメージが私はついてしまっている。だからこの映画は全然違うような人である。菅田将暉も『女城主 直虎』で井伊直政をやったのでみたが、『ピンクとグレー』も最近みて、特徴のある俳優だなと思っていたが、これにも出ていた。この作品のほうが早い。池上は誰にでも体を与えてしまう難しい女だが、気持ちは綾野にあり、「私と結婚でもしたいの?バカだと思われるよというセリフの後で、綾野は厳しい表情をする。高橋も菅田をかわいがってはくれるし、池上のことも思ってはいたりと、悪人の中にも複雑な面をみせるようだが、不気味に見える。
菅田は無邪気である。何をしたのよく把握できなかったが、仮釈放中なのだが、無邪気で悪人という感じではない。貧困のためという設定はあっても売春婦である女に関わっていく男。難しい局面だと思う。しかし女は、新たな男に出会ったことで揺らぐ。男は女の性接待居酒屋で、「ヤマで一人死なせたんだ。俺そいつに急げやって言ったんだ」「だから私みたいな女でいいんだ」「違う。もうこんな仕事(売春)やめれや」「わかんないんだよね。私には、まともな仕事もしたことあるけど、毎日会社いって毎日飲みにいっても、いるとこないんだよね。私には。そういうの。わかんないっしょ」という会話をする。女の本心はわからないが、男に私みたいな女と付き合うなという気持ちからそういうセリフを吐いたのかどうか。ウィキペディアには、綾野も菅田も仮面ライダーシリーズがデビューらしいとか、綾野は役作りで北海道の居酒屋で飲んだくれながら撮影に臨んだとか、菅田も映画やドラマでかなりの体重の増減を繰り返したなど出て来る。綾野と菅田は義兄弟にもなっていないが、つるんだりしている。変だが、いいコンビにみえる。と思ったら、不倫社長の高橋に綾野が会いに行く。綾野は池脇と別れてくれと高橋に行って、取っ組み合いの喧嘩をする。「みっともねえことやめねえか。」高橋に殴られ、綾野は口内を強く出血し、高橋の顔に血がかぶる。「家族を大事にしたらどうですか」「大事にしてっからおかしくなるんだや」。これは難しいセリフだ。意味がない場合もあるかも知れない。菅田は「仕事無くなっちまったじゃないか」と怒るが、綾野が「一緒にヤマに入るか」というと喜んで、「飲もうぜ。達夫(綾野の役)」とはしゃぐ。そこまでして、女を売春婦から抜け出さそうとした男だったのに、よくわからない映像ながら、脳梗塞かなにかで性欲だけある父親に肉体を与えているようなシーンがあった。これは衝撃的なシーンだが、そうだったのかよくわからない。その後、池脇が外に出てきて、喧嘩を「いい年こいて」と綾野に言って泣く。
綾野の役はハードボイルドに近く、女と寝てしまうので少し違うが、汚れてしまった女と家族を持ちたくなったということで、人を死なせてしまったと思っているトラウマのあるヤマに女の弟も連れて戻ろうとする。女もその弟も、救い出そうとする存在の出現だったかも知れない。食堂で綾野と池脇と菅田が集まるシーンは束の間の暗い背景の中での明るいシーンだったのかも知れない。男たちは仕事を選び、女は、不倫も売春も解消できそうだというシーンで終わっても良かったのかも知れないのだが、それなら救いの物語ともとれそうだが、それでも中途半端か。どうなるのか。暗い部屋で綾野と池脇がスイカを食べながら、「ヤマ入る前にさ。亡くなった人のお墓詣りに行こう」と池脇が語ると、綾野は泣き、「ありがとう」と返す。この男女の場合は、性愛は先に走ってしまったが、心からわけありながらも結婚しようとする気持ちはあった。複雑な時代が、田舎の1980年代なのか、あった。そしてセックスシーンになってしまう。ここら辺は複雑な日本映画というものだった。婚姻届けは出していないが、心から結婚しようとしている男女ではある。しかし、ここがドラマの難しいところで、そうしたシチュエーションにしなくても、婚姻届け後に性愛をすることも可能なのである。
これは至るところ、小説や映画に於ける問題点だろう。女性の監督による、セックスシーンの見せ方というのはどういうものかというのもあるかも知れない。小津安二郎や黒澤明はセックスシーンは露骨にしない名監督だと思う。映画監督にしても時代の感覚は劣化しているのか。原作者の佐藤は自殺している。こうした原作を書くというのが複雑なのか。高橋は池脇の後をつける。「腐ってんのよあんた」と言うが、「いいから乗れや」と言われて、車に乗ってしまう。仕事はくれたが、結局は
悪い不倫男だろうか。このシーンの音響は不気味で、背景も暗い。なぜ女は不倫男の車に、新たな男と約束した後に乗ったのか。高橋が「お前がいないとやってられないんだ」と言う。「どっかの店にいけばそんな女はいくらでもいるよ。早く済ませてよ」不倫関係の男女がカーセックスを始める。双方が醜い顔をしながらの汚いセックスを始めるが、女が泣きだして抵抗してしまう。男は何度も女の顔を殴る。殺したのかと思ったが、その後、顔の腫れた女が夕日の海を一人みている。これで不倫男との関係が切れたのだろうか。女はぎりぎりのところで自分を見失っていなかったのだろうか。男のほうも復帰しても爆発物を岩石に仕掛ける危険な仕事だ。そうした暗い拝啓にも、祭りのシーンが現れる。だが背景の音楽は暗い。高橋は町の人たちと何事も無かったように談笑している。音楽の不気味さから、菅田が祭りに入ってくる場面で悲劇を予想させる。姉を馬鹿にして殴ってなぶりものにした社長に弟は激高してしまう。祭りの中で弟は不倫の社長の腹を刺す。仮釈放中でもあったのに。弟は逃げる。家では母親が泣いている。綾野が拓児(菅田の役)は。と聞く。千夏(池脇の役)に、大丈夫だからと言って、街を探す。法治国家は、悪い人間をも法律で戦わないと不利になってしまう世界なのである。刺してしまうと、いかに正義感があっても悪者にされてしまうのである。弟は逃げるしかなかった。母と娘は泣くしかなかった。男は探した。弟は男のアパートの玄関で座り込んでいた。弟が笑いながら「達夫。タバコくれ」というと、男は弟に殴りかかった。そして肩をゆすった。一緒に座り込んだ。そして弟にタバコを差し出した。弟に至っては性関係の話は一切出ていない。正義に出たほうが法治国家は不利になる仕組みも持っているから、ドラマや映画にして抵抗するしかない面もある。セックスシーンのある映画ゆえにさらに複雑な事をしている。高橋の社長は死んでないという。「達夫。俺はもうヤマいけねえや」と泣く。「父ちゃんや母ちゃんや姉ちゃん。喜ばせたかったのに。俺もうなんもできねえんだよ」男は弟の肩を抱く。自転車で二人乗りして、これも法律ではだめだが、交番の前に行く。弟が手をあげて、にこりとして
出頭する。男は見送って去る。夜が明けかかっている。厚い曇りである。男は妹に手紙を書いていた。妹は、ナレーションで、お兄ちゃんに家族が増えるのがうれしいと返信するが、なぜなのか、池脇は父親の首を絞めて殺そうとしている。そこに綾野が帰ってくる。間一髪で寝たきりの近親相かんを予想する父親は助かる。もし殺していたらさらにどうしようもない所だった。画面がほとんど真っ暗にしてわかりにくい映像にしている。父親は男女に対して何か語ろうとするがわからない。女は泣き叫び、男は涙を浮かべる。そして外に出る。北海道の海の音が聞こえる。朝日が顔を出している。女は振り返り男を見る。顔には殴られた社長からの傷跡がある。泣いたような笑ったような複雑な表情を浮かべる。男は厳しいようなにこやかなような顔を向ける。そして寄りそう。そのシーンは綺麗だ。2014年のキネマ旬報のトップの作品。なぜこんなに複雑に生きねばならなかったのか。表向き優しい父と主人の顔をして羽振りよく貧困地域で開発をしながら、不倫に売春せざるを得ないように思いこんでしまったいた女を引きずり込む社長。それに対して、人を死なせたとトラウマでぶらぶらしてしまいながら、一つの家族と出会い、それを助けようと思ってしまった男。
しかし、それでもその男はそういう関係がうれしかった。運命は人に翻弄されるが、救いは人でもある。汚さと聖なるものが混在している社会。静かなピアノの音色で映画は終える。こうした社会だから悲しく美しいと思ってしまう映画である。だからトップにはなる。だが、社長と女が不倫関係でもない関係はあるし、婚姻届けを出しての順番も実際にはあり得る。トップの作品で考えさせられるとしても、私はあえてこうした映画への評価は下げるしかないのだ。
逃げられない
色々な事を抱えた男女の恋愛。
抱えてるものがそれぞれ重すぎて、見ていて重くなる。
が、そんな二人が一緒にいるときだけ幸せな雰囲気になる☆
題名の意味が解ったきがした。
まだ未来のある終わりかたでよかった☆
底の底まで落ちら先にあるのは、真実の愛?
この世には、不器用にしか生きられない人間もいることを思い知らされました。
働きたくても働けない環境の中、真っ当に働こうと足掻けば足掻くほど、深みにはまり変な方向へ向かってしまう。
結果、仕事は中途半端、お金は堪らず家族を養うこともできないという、負のスパイラルに落ちて行く家族のあり方。
そういったものが、どーんと重くのしかかってきそうな究極の鬱映画となっています。
どん底まで落ちたからこそ、最後の最後は光ある方向へ上がって欲しいなと思うばかりです。
今回も菅田将暉さんの演技に引き込まれました。
彼の、脇役とは思えない存在感に溢れた演技は、本当に凄いです!
次はどんな役をやってくれるのか楽しみです!
こんなにも原作と違うのに★★★★(驚)
(原作既読)
この監督、誰なんだろうって、映画鑑賞後に確かめたくなるほど、それくらいこの作品は凄かった。
原作と映画は、全くの別物でした。
そういうことを嫌う傾向がある私ですが、今作品はそこが逆に良かった。
2倍楽しめたという感想です。
小説は小説で、とても特徴的な書き方で、ぐいぐい引き込まれました。
映画の方は、その原作を尊重しながらも、別の道筋を立て、とても丁寧に、編み物を編むかのように、一つひとつを大事に表していたと思います。
原作と映画でこんなにも違うのに、両方好きだと思えたのは、おそらく初めてです。
池脇千鶴さんが、日本アカデミー主演女優賞を受賞したことを知りました。
見てくれている人はいる。
彼女が報われたことにも喜びを感じ、この映画は心に残る映画の一つとなりました。
スカッと
タクジがベンツの社長を刺したところでアドレナリンが出まくりました。タクジは山に行ったら死ぬー!と思いながら観ていたのでスガスガしく出頭できてよかったーと思いました。面白かったッス。
小さな希望を信じて
寝たきりの父。
働かない母。
犯罪歴の弟。
水商売の傍、愛人をしながら一家を背負う。
そんな中でも、家族がギリギリの精神の中お互いを支え合う。
些細な事で心が壊れてしまう。かのような。
ラブシーンが長く濃厚でエロさより美しかった。
家族大事にしたらどうですか。
大事にしてるからおかしくなる。
すごく衝撃的でした。
池脇
千鶴のホットパンツにしびれる。細くなくて生々しい足してて、お尻大き目で、かきあげる長い髪も女っぷりが良い感じ。だから濡場をちゃんと撮れないのは致命的。函館は海がキレイで素晴らしい。でも、なんか漁師小屋が家とか極端過ぎてちょっとしらける。単に手前の集合長屋ではダメだったのか。フライパンから直接スプーンで食べる菅田君のキャラとか、記号が直喩過ぎる気が。植物を育てる粗暴な若者っていう設定は良い感じで、口から水吹き出して、水やりするのとか。姉の勤めるイカの塩辛工場とか、発破現場はもっとちゃんと描くべき。植木屋とか発破師とか出てくるのに、暴力のない貧困が成立するのは日本だからか。てめぅ女紹介して、飯食わしてやったべって話。
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