アバター(2009)のレビュー・感想・評価
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ジェームス・キャメロンで思い出し。
ターミネーターの新作でがっかりして、キャメロンさんってどうだったっけ?
と思ってこの作品を思い出した。
これは私にとってのIMAX元年の作品。
口コミで「是非これはIMAX3Dで見るべし」とあって
何それ?と思って検索するもそんな映画館が都内になく、わざわざ川崎まで行った。
実は先に普通の3Dで見ていたのでストーリーはわかっての視聴。
もう驚くほど感動し、その後、夫と娘夫婦を連れて再視聴。
またその後 母を連れて。
合計3回も川崎まで行った。
先の普通のと合わせて合計4回も映画館に行ったのは初めてで多分この先もない。
私にとってこれは、今思っても
映画というよりアトラクションだった。
ディズニーランドのなんちゃらマウンテンに何回も乗る感覚。
そうそうディズニーのマイケル・ジャクソンの3Dをもっと長くしてストーリーを豪華にした感じ。
(記憶にある中では3D的にはディズニーランドの方が飛び出し方は凄かった。)
あれ以来IMAXにハマってジョニー・デップのアリスなども川崎まで行ったけれど
最近ほんとにIMAXの劇場がそこらじゅうにあって嬉しい限り。
つまり、そういう監督さんなんだなあきっとこの人は。
現代版"崩れゆく絆" 宗教vs科学の全面戦争 血は血でしか洗えない。
〜はじめに〜
ストーリー展開が単調すぎると酷評されている作品だが、私は全くそう思っていないことをまず明記しておく。
揺らぐアイデンティティ・文明と未開の邂逅など様々な見方ができる作品であり、そのどの観点も決しておろそかにしない繊細な物語構成に圧倒された。
〜"崩れゆく絆"について〜
"崩れゆく絆"というのは、アフリカ文学の巨匠チヌア・アチェベの代表作の小説だ。アフリカ大陸のとある場所の、ある部族の生活と、植民地政策のもとヨーロッパ人がやってきてキリスト教を持ち込んだことで原住民の生活や人々の絆が変化に晒されながらも崩壊していく様を描く物語。アフリカ出身のアチェベがアフリカ人目線で繊細に描く。
〜本作と"崩れゆく絆"との類似点〜
①"未開"を開拓する"文明人"
ナヴィと地球人、アフリカ原住部族とヨーロッパ人
この関係性がパラレルになっている。
②信じるもの
地球人は、金・物質的利益を求めて科学や理論の力を盲信している。ナヴィは、ナヴィや自然との繋がりを大切にし、宗教的に自然を崇拝する。
"崩れゆく絆"におけるヨーロッパ人とアフリカ大陸の原住民にも共通していて、パラレルになっている。
〜ナヴィとアフリカ部族の共通点〜
ナヴィもアフリカ部族も、自然崇拝の文化を持つ。恵みを与える一方、大きく牙を剥くこともある自然。その自然に囲まれる彼らは、自然に畏怖の念を抱き恐れ、またその偉大さに敬意を払う。自然には敵わないことを前提として、彼らは自然に合わせて生き、自身は自然の一部だと考える傾向にある。つまり、自然と一体なのだと。
この"自然と一体"というのは今作においてかなり強調されていて、動物から力を借りる時(乗馬など)や自然に祈る時に、ナヴィ達の頭の先にある触覚を、動物の触覚や森の植物と連結させ、心を通わせている。この点興味深かった。
あらゆるものに神が宿っていると考えており、食料調達のため動植物の命を奪う際、自然の恵みに感謝し、祈る。
また、そうした神からの"お告げ"も重要である。"エイワ"と呼ばれる自然の神のお告げはナヴィ達の選択に影響を与える。同様にアフリカの部族にも大地の神や山の神が居て、その神からのお告げを頼りに飢饉や自然災害の対応や罪人への判決を決めていた。彼らにとって生活の中核をなす存在で、精神的な拠り所だった。
〜"現代版"の意味〜
現代版と呼べる理由は、"崩れゆく絆"の文明vs未開という構図を踏襲しながらも、"崩れゆく絆"には居なかった存在がいること。それが今作の主人公のジェイク。なぜなら、彼は両方のアイデンティティを持っているからだ。地球人であり、ナヴィでもある。ジェイクはナヴィの生活に侵入し、生活する内に自分の正体が人なのか、ナヴィなのか、その境界線を見失いそうになる。それほどにジェイクは両者に入り浸り、深く理解している存在と言える。
ジェイクのような存在がもし植民地政策時代に居れば、違った歴史になっていたのかもしれないと思わせてくれる。しかし、ジェイクという両者の架け橋となる存在が居ても、人類は、人類側の都合だけで、ナヴィ達の聖地スカイツリーを焼き払った。多くのナヴィが燃え盛るスカイツリーの下敷きになり、どれほど人類が愚かか、痛感する。文化の象徴でもあり家でもあるスカイツリーを奪われ、怒り狂うナヴィ。結局、戦争になる。流された血を洗うことができるのは、結局のところ血だった。ナヴィは大自然の力を借りて地球人に反撃し、見事に勝利を収め、ハリウッド映画としてはハッピーエンドを収める。
〜この物語は警告だ〜
① 植民地政策の犠牲者だったはずの、いわゆる"black"が、"鉱石採掘のためナヴィの文明破壊に乗り出す地球人側"に居たこと。(犠牲者であるはずの彼ら自身が時間の流れとともに、その悲しみをいつしか忘れ、かつての宗主国達と同じことを繰り返している)
②ここまで多くの人々や生活を代償にしなければ自由が勝ち取れなかったというこの世界の残酷さ
③信じるものが違うの者同士は、これだけ血が流れたにも関わらず、結局分かり合えなかったという悲劇
以上をもって、私は本作の物語をハッピーエンドとは決して思わない。
だが、これは幸いにもフィクションなので、私達はこの物語から学んでいくべきなのは言うまでもない。本作はそういう作品だった。警告として私達の前に現れた一つのバイブルだった。
SF超大作。22世紀、地球から遠く離れた惑星パンドラへとやってきた...
久々の再鑑賞
少し物足りない感じ。
ナーメテーター
西部劇+グリーンベレー+先住民尊重+エコ
いま事情があって昔風の西部劇は作れないから、西部劇のモチーフを別の設定で作るしかないわけだが、この作品はまさにそのケースに該当する。
西部劇、中でもいわゆる「○○○砦」系のアメリカンインディアン先住民との戦争映画。先住民の衣装・おどり・音楽・思想等、もろにアメリカンインディアンをモデルにしている。そういう意味でストレートにアメリカ人のための映画です。ただし、もちろん先住民文化や環境を尊重するストーリーはまさに現代のリベラルなアメリカ人の考え方が反映されている。
あと、ベトナム戦争が入っているように思う。砂漠ではなく、森が舞台、ジョンウエインのような正義感の強い隊長の存在、なによりも海兵隊が話の中心。まさにかつての映画「グリーンベレー」を思い出出す。敵に潜入して工作を行うという設定など、グリーンベレー以外の何物でもない。でも、グリーンベレーに裏切りものが出て、隊長が負けてしまうのだが。
オールドな映画ファンは、50年代、60年代のアメリカ映画のオマージュ?としても楽しめます。
2018-13
想像以上に壮大な物語で、家に着いてもときめいてる。
日劇ラストショーにて。
観たことがなかったけど、この映画は映画館で観るべきものだと思ってた。
やっぱりそうだった。
この映像美。
FFとモンハンの世界に迷いこんだような(例え笑)。
植物も景色もキラキラすごく綺麗で、全然テーマも舞台も違うけど、『君の名は。』を観たときと同じ感動だった。
いつも見ている東京の街が煌めく感動と、夢のようなネバーランドのような世界が広がる感動。
動物もとても愛らしくて、あれは反則、目から水が出そうになった。
ストーリーも壮大で、大河ドラマを一年分見たくらいの充実感。
ちょっと長いかなと思ったけど、気づいたら食い入るように見てました。
ゾーイ・ザルダナは、ガーディアンズといい、こうゆうの似合いますね。
ミシェル・ロドリゲスは、やっぱ銃器を持ってるのがしっくりくる。あの可愛い声とのミスマッチたまんな。
ラストは、そっちじゃないと思ってた。
人種とか超えて、空気がどうこうと治っちゃって、繋がるのかなと。
そーいえば。
日劇ラストショーは、ターミネーター、アバター、タイタニックと、気づいたらジェームズ・キャメロンばかりチョイスしていた。
うん、好き。
何か違う。
ジェームズ、さすが
アメリカが好きだ。
ずっと憧れている。だが一方アメリカの作る大掛かりで、現実離れしていて、非エコな儲け主義映画達をバカにしていなくも無い。
しかし何と言っても、アバターは世界歴代1位(物価の高騰を計算しなければ)の作品だ。映画ファンとしては観ておきたい。感想↓
やっぱりフツーにスゴかった。
多才多芸なジェームズ・キャメロンさんの集大成。
渾身の名作。
マニアックな要素、強いメッセージ性もありながら、これだけヒットさせる…しつこいけど、さすがジェームズ!!
それにしても、アメリカン達は、撮影技術とか、画像の美しさ・迫力にやたら食いつく気がする。
人種が多くてそれぞれのバックグラウンド・価値観が異なるから、ストーリー展開や感情表現には共感しにくいのかしら。などと思索に耽ってみたり、のアバターでした。
見方により変わる
良いところはやはり映像美。
ここから問題点に入る。
まず見てて思ったのがもののけ姫感が半端ない。自然を破壊し開拓しようとする人類vs自然を愛す民族。なんかそんな感じ。
そしておかしいのが人類がナヴィにボロクソにされるのを映画からして応援しなきゃ感。 ?
見ているのは人間。人間なら人類を応援しなきゃ。確かにナヴィを大量虐殺したのは悪いだろうが人類からしてみれば自分たちを救う為にやったことだろう虐殺を否定的に見るのが許せない。自分もそこにいたのならやはり人類に協力している。実際米軍だったかが、
「観客はナヴィを応援し、人類(恐らく自分たち米軍と比較してると思われる)は負けろとなるだろう。」的なこと言っていた。これに対して監督はそんなことはないとコメント。
何だかんだで独自感のない映画だった。
安直な二項対立
未来を描くSF 映画だが、内容はこれまでの地球の人類史で繰り返されてきた侵略者と原住民の軋轢。
これは20世紀も終わりごろの映画でしばしば扱われたテーマである。新しい世紀に、新しい映像技術を駆使して、どれだけ新しい視点でコロニアリズムの問題を表現しているのかに興味があった。
原住民側の容姿は南北アメリカ大陸の先住民みたいで、自然環境や音楽もアフリカや南アジアを彷彿とさせる。白人から見た「未開」のイメージが実に素直に宇宙の彼方の空間にも再現されている。
映画を構成しているものも、「侵略者と原住民」、「鉱工業と大自然」、「肉体と精神」といった、前世紀に使い古された単純な二項対立である。
この対立軸を移動することによって、傷ついた弱い存在が英雄になる。
これもすでに指摘がなされているように、「ラスト・サムライ」や「ダンス・ウィズ・ウルブス」といったハリウッド映画に見受けられるヒロイズムを受け継ぐものであり、異なることは物語の舞台が地球から遠く離れた星であるということ。
映画はこのような色褪せたシナリオを用いて、色鮮やかな視覚スペクタクルの洪水を観客に体験させる。
ある者は見たこともない素晴らしい映像と感嘆し、またある者は立体映像の技術によって新しい映画の時代の幕開けを予感した。
コンピューターテクノロジーが切り拓く映画の最前線。カメラと被写体の物理的制約から解放され、俳優の容姿はもはや何の問題にもならない。今や、映画製作者たちは完全な自由を手に入れたのである。
この完全なる自由を得て作った映画の結末が、勝者と敗者の二項対立でしかないことは、果たして映画の豊かな未来を示しているだろうか。
金字塔
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