寝ても覚めても

劇場公開日:

寝ても覚めても

解説

4人の女性の日常と友情を5時間を越える長尺で丁寧に描き、ロカルノ、ナントなど、数々の国際映画祭で主要賞を受賞した「ハッピーアワー」で注目された濱口竜介監督の商業映画デビュー作。第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された。芥川賞作家・柴崎友香の同名恋愛小説を東出昌大、唐田えりかの主演により映画化。大阪に暮らす21歳の朝子は、麦(ばく)と出会い、運命的な恋に落ちるが、ある日、麦は朝子の前から忽然と姿を消す。2年後、大阪から東京に引っ越した朝子は麦とそっくりな顔の亮平と出会う。麦のことを忘れることができない朝子は亮平を避けようとするが、そんな朝子に亮平は好意を抱く。そして、朝子も戸惑いながらも亮平に惹かれていく。東出が麦と亮平の2役、唐田が朝子を演じる。

2018年製作/119分/G/日本・フランス合作
配給:ビターズ・エンド、エレファントハウス
劇場公開日:2018年9月1日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第71回 カンヌ国際映画祭(2018年)

出品

コンペティション部門
出品作品 濱口竜介
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(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

映画レビュー

4.5移動する映画

2018年9月27日
iPhoneアプリから投稿

一番好きな映画、と訊かれたら、「ラブソング」と答える(ことにしている)。ピーター・チャン監督、マギー・チャン×レオン・ライ主演。公開当時、何の気なしに観たものの、心が激しくかき乱されながらも満たされた、あの衝撃と幸福感は今も忘れられない。濱口竜介監督の「寝ても覚めても」を観終えたとき、ふっと心に浮かんだのは「ラブソング」だった。
「ラブソング」は、とにかく移動する映画だ。(中国)大陸から香港、さらにアメリカ、アルゼンチン…と恋人たちは流れ、流され、すれ違いを重ねる。2人乗りの自転車で街を駆け抜け、かけがえのない面影を追って疾走する。
本作の2人(もしくは、3人)も、とにかくヨコ移動が多い。大阪から東京へ、東京から東北への行き来、そして再び大阪へ。その移動の全てを、彼らは道路を使って目的地へ向かう。飛行機や新幹線を使ってもおかしくない距離でさえ、あえて時間と手間を掛け、道をひたすら辿る。時には、無謀なほどの長い距離を黙々と歩く。景色が目前で移り行くぶん、心に浮かび移ろう思いも様々で、時に大きく揺らいだのではないか。そんな彼らの心情に、あれこれと思いを巡らした。
また、道は幾重にも広がり、分かれ、交差するぶん、「選び取る」「外れる」意味合いがより強いように思う。同じ道を、着実に進み往復する良平、ふっと外れて海に行き着く麦、まっしぐらに向かう朝子…と、時間を経て重なっていく中で、物語の初段では少し違和感のあったヨコ移動が、最後はここに行き着くのか、としみじみ合点した。
ヨコだけではない。タテの関係も随所に現れる。家の2階から、オフィスビルの上層階から、彼らは地上を見下ろし、大切な存在を視界に収めようとする。一方、思いがけない出会い(再会)は、見上げるところから始まる。見上げる、というのは、反射的で無防備な動きだ。そのくせ、重量に逆らうかのように、見下ろすよりも見上げる方が(望んでいなくても)思いは届く。見下ろすときの思いは、一途すぎて重たいのかもしれない。
中盤と最後に、2人は並んで目前の「下界」を見下ろす。ありふれた眺めが、2度目は全く違って見える。2人にも、映画の観客である私にも。そこに、スッと被さってくる音楽。…久々にすごいもの観ちゃったな、と熱がさめない幸せに、しばし浸った。思い出すほどに、今もじわじわと。今すぐ、は気力がないけれど、またいつか、今度は誰かと一緒に観てみたい。そして、互いのずれを味わい、感じ取りたいと思う。

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cma

4.5この原作を見事に映像化した濱口監督の新たな一面と素晴らしい才能

2021年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

カンヌ映画祭の常連となり、今や日本を代表する監督・濱口竜介監督がメジャー・デビューを果たした作品。かつての恋人・麦に生き写しの男性・亮平を愛してしまった朝子。幸せに暮らし始めた彼女の前に、失踪したはずの麦が突然現れる。運命の恋をスリリングに描く恋愛ドラマ。
柴崎友香の原作は「麦」と「亮平」に似ているという要素はあるものの、年齢や身長などに相違点があり、瓜二つと思っているのは朝子だけかも知れない、という思いが読者に付きまとう。その分「麦」に一途にのめり込む朝子に、男女逆転はしているものの、まるで牡丹灯籠のような死出の旅路を感じさせるような不安を感じる。
一方、映画版は東出昌大が二役を演じることで、瓜二つという部分に重きが置かれてはいるものの、大きな交通事故を起こしても怪我一つ負わない、縁がなくなった友人が難病に罹ってしまうなど、麦が持つ超常的な能力の一端を原作以上に感じられる演出となっている。
監督は「麦は宇宙人で地球に感情を学びに来て、学んでいる途中という裏設定」を原作者から聞き作品を理解したと言っており、異種・異形の者と恋に落ちた女性の運命を、無理なくリアルに映像化している。
以前からの濱口ファンであれば、「親密さ」の舞台劇や「ハッピーアワー」の朗読シーンのような映画内の物語、そして落語「黄金餅」の道中付のような、街を魅力的に捉えた長尺のシーンといった、監督ならではの要素が薄いことに肩透かし感を抱くかも知れないが、この不思議なテイストの原作から、1本の映像作品を見事に生み出した監督の、新たな才能の一面が見られたことの方に大きな喜びを感じるだろう。

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ホンダケイ

4.0どんなジャンルにも属さない、まさに濱口作品と表現するしか術のない逸品

2018年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

幸せ

運命はメビウスの輪のようだ。この、どんなジャンルにも属さないリズムとテンポを持った作品を享受していると、心底そう思い知らされた。全ては水辺で起こる。出会いも別れも抱擁も、後の様々な出来事も。自分が愛しているはずの人を目の前にしても、それが本当に愛している人なのか、愛の言葉を語り合いながらもまた別の人のことを思っているのではないか、との疑念が湧き出して止まらなくなる。それもドミノ倒しのように綺麗に、ゆっくりと倒れていくのだ。

しかし、この映画は愛の脆さを描くのと同時に、この世の全ての関係性が、互いに与え与えられながら、美しい弧を描くことに気づかせてくれる。それは男女の愛のみならず、親子であったり、友人であったり、このおよそ10年の間に日本人の誰もが何度も自問し続けてきた想いであったりもするのだろう。気づきがある。道のりがある。関係性がある。ようやくたどり着いたその境地がふっと腑に落ちた。

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牛津厚信

4.5虚構を通じて現実を描くこと。

2018年9月29日
Androidアプリから投稿

楽しい

怖い

知的

すごく卑近でどうしようもなくあけすけに恋愛を描いていると思うのだが、全体を通じてなにか別次元の世界を覗いているような虚構感があり、映画とは徹頭徹尾作り物で、作り物を通じて「感情」や「人間」を映し出すものなのだなと、あまりにも当たり前なことに改めて向き合った気がする。

小うるさい関西人である自分にとって、キャストが全然関西出身じゃないという事実に驚くほど関西弁でのやり取りが自然に響いていていた。結局、自分たちが方言に感じる違和感はイントネーションや発音ではなく(それも本作は素晴らしいと思うが)コミュニケーションが成立しているどうかなのだという確信も得られた。

つまり言葉のやり取りはとても自然なのに、映画の持っているリズムや表現がいちいち非現実的で、とても不安な気持ちにさせられる。しかし気がつけばその表現に魅入られている。ヘンな映画だと思うが、ヘンじゃない映画なんて面白いだろうかとそんな極論まで言い出しそうになる。

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村山章