コラム:ニューヨークEXPRESS - 第10回
2022年1月24日更新
ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
第10回:「スペンサー」「ベルファスト」に参加! 注目の日本人・吉原若菜が語るメイク&ヘアデザイン
クリステン・スチュワートがダイアナ元皇太子妃を演じた伝記ドラマ「スペンサー」と、ケネス・ブラナー監督が自身の故郷を舞台に、幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品「ベルファスト」。賞レースを賑わせている2作には、共通点が存在する。
ある日本人女性が、ヘア&メイクアップデザイナーとして参加しているのだ。
その人物の名前は、吉原若菜(よしはら・わかな)。18歳の頃に東京から英国に移住した彼女は、ヘアサロンでの経験を経て、CM、ミュージックビデオの制作に携わった。その後「マーチャント・アイヴォリー・プロダクションズ」を通じて、本格的に映画業界へと足を踏み入れることに。ヘアメイクアップアーティストとして「007 スカイフォール」「ダイアナ」「47RONIN」に参加し、ケネス・ブラナー監督作「シンデレラ(2015)」ではヘアスーパーバイザーとして、「オリエント急行殺人事件」と「ナイル殺人事件」ではヘア&メイクアップデザイナーとして関わっている。
今回は、一躍注目を浴びている吉原への単独インタビューをお届けしよう。
前述した通り、英国への移住後、ヘアサロンで働いていた吉原。まずは、映画業界へ進むきっかけとなった出来事を明かしてくれた。
「ヘアサロンでは、美容師として働いていました。ある日、一緒に暮らしていた衣裳デザイナーの友人に『自分が関わっている映画の撮影に協力してくれない?』と頼まれたんです。そして、ヘアメイク部ではなく、衣装部のもとに連れて行かれました。その時、初めてシェパートン・スタジオ(『2001年宇宙の旅』『第三の男』などが製作された英国の名スタジオ)を訪れたんです」
吉原が参加することになったのは、ケネス・ブラナー監督作「魔笛」(名前のクレジットはされていない)。「彼(=ブラナー監督)に『ナイル殺人事件)』の撮影を無事終えた後に、実は、私の初めての映画経験は十数年前に偶然に関わった『魔笛』であった事を伝えた時ビックリしていました。そこから『こんな世界もあるのか』と、映画界のことを調べ始めたんです」と振り返った。
それからしばらくの間は、CM、ミュージックビデオの撮影を手伝っていたそう。やがて、関わる作品の規模が大きくなってくる。
「ある人物から『マーチャント・アイヴォリー・プロダクションズが行う、アルゼンチンでの撮影(3カ月間)を手伝ってくれないか?』と依頼が届きました。その時点の私は、大学で舞台芸術のヘアとメイクアップなどを学んでいて、徐々に映画業界のヘアメイクアップアーティストに転向しようと思っていたんです。そのため、この依頼に応えることは利点があると思って参加しました。映画のタイトルは『最終目的地』。アンソニー・ホプキンス、ローラ・リニー、真田広之が出演した作品です。この作品での仕事が評価され、他作品に推薦していただくことが続いたんです」
新たにオファーされた「スペンサー」(パブロ・ラライン監督)は、ダイアナ妃がその後の人生を変える決断をしたといわれる、1991年のクリスマス休暇を描いた作品。同作では、メイクアップ&ヘアデザインを担当することになった。ダイアナ妃の存在は、テレビ出演時の映像、ニュース記事などを通じて、多くの人々が認知している。だからこそ、真実味のあるメイクアップ&ヘアデザインでなければ、観客を納得させることができない。どのようにリサーチを行ったのだろう。
「彼女は、歴史の中でも“最も写真を撮られた人物”でもあるため、多くの写真、映像を見ることができました。まずは時代ごとに分けて、写真を見始め、そこからラライン監督と方向性を話し合いました。それは単に(ヘアやメイクを通して)キャラクターを変化させるだけではなく、クリステンとともに、コンビを組んで仕上げなければいけなかったからです。ラライン監督は『僕らはクリステン・スチュワートをダイアナ妃にするのではない。ダイアナ妃をクリステン・スチュワートに紹介するんだ」と言っていました。そのため、クリステンに何が適しているかを追求し、あえて(特殊メイクなどをもちいて)ダイアナ妃に似せようとはしませんでした。ダイアナ妃のアイコンとしてのイメージ、記憶として残ったイメージによって、人々がクリステンからダイアナ妃を見出すことができると信じていたんです」
「スペンサー」では、ダイアナ妃が体験した3日間の出来事が描かれている。時代設定は、1991~92年となった。
「当時のダイアナ妃の髪型は、非常にショートだったんです。ラライン監督に91年の写真を提示した際は『これは僕が望んでいるものと少し異なる。あなたにはクリスティンに似合うルックスを見て欲しい』と伝えられ、3枚の写真が送られてきました。それらの写真は、1986~87年頃のダイアナ妃の写真。ちょうどハリー王子が生まれて間もない頃でした。ラライン監督が提供した写真を再現する為にGoogleで調べてみたんです。その写真は1986年にダイアナがサウジアラビアを訪問した時のものでした。その際に20人くらいの写真家が異なった配置で撮影したカラー&照明や顔の方向が異なるものを集めて、それらの写真からダイアナ妃の髪型に近いものを創作できるように進めていきました」
一方、ヘアスタイルは「ダイアナ妃とクリステンの毛量と毛質を比べてみると、クリステンの地毛を撮影で使うのは苦労するだろうと判断しました」とのこと。ウィッグを使用することになったが、コロナ禍によって「撮影前、クリステンに直接会うことは限られていました」という。「そのため、ウィッグの調整をするたび、カラーを変えたり、毛量を増やしたりしました。結局、観客が見ることになったダイアナ妃の姿は、撮影当日、ようやく間に合ったものなんです」と告白。また、衣装デザイナーのジャクリーン・デュランとは、リモートでコミュニケーションをはかることに。衣装のモンタージュ映像を送ってもらい、自身の作業を調整していったそうだ。
スチュワートとのタッグは、どうだったのだろうか。
「彼女と一緒に仕事をすることに対して、喜びを感じていました。彼女はとても落ち着いていて、悪気のない冗談も言って、楽しんでいましたね。それに料理がとても上手なんです。我々スタッフにも、2、3回、料理を振る舞ってくれました。彼女の周りにいられることは楽しかったですし、とてもプロフェッショナルです。時間通りにやって来て、演技をして、時間通りに帰ることが多かったと思います」
「ベルファスト」でもヘア&メイクアップデザインを担当することに。同作は、ブラナー監督の出身地でもある北アイルランドのベルファストが舞台。60年代後半、激動の時代に翻弄されるベルファストの人々、そんな状況の中でも成長していく少年を力強いモノクロの映像で描いている。
モノクロとカラーでは、作品へのアプローチが異なるはず。吉原は、どのような点に注意を払ったのだろう。質問を投げかけると、意外な答えが返ってきた。
「ケネス・ブラナーとは何度も仕事をしてきて、彼のチームとは家族のような関係性です。(『ベルファスト』には)かなり前から参加することが決まっていたのですが……。撮影監督のハリス・ザンバーラウコスが言っていた『モノクロで撮影をする』という言葉を、最初は冗談だと思っていて。実は撮影の1週間前まで、モノクロで撮影するということを知らなかったんです(笑)」
モノクロでの撮影をするうえで、特別な準備をしたわけではないようだが「カラーではないため、太陽・照明の反射や奥行き、肌の質感などが重要になってきます」と分析していた。
「例えば、ヘアに関して。洗い立て、もしくはフワフワした髪にはせず、より生き生きとしたものにしてみました。髪の艶や奥行き、悪戯っぽいヘアスタイル――そうすることでキャラクターに奥行きが与えられたと思います。メイクアップに関しては、モノクロの方が撮影しやすいと思います。あまり肌のムラが目立ちません。ただ気をつけなければいけないこともあるんです。モノクロの場合、俳優たちがまるで病気を患っているかのように白く見えることがあります。そのため、メイクで影を加え、肌に質感を与えることが重要になってくるんです。1つの色でメイクをすると平坦な顔になってしまうことがあるので、60年代当時の子どもや大人、パブに集う人々をとらえたモノクロの写真と、現場で撮影したデイリーズ(未編集の映像)を比較してテストをする。最初の1週間は、そのように撮影を進めていました」
本作でもウィッグは多用したそう。5、6週間という短い撮影期間だったが、当然、俳優陣の髪は伸びてくる。ウィッグを準備する際には、どのようなことを意識したのだろう。
「幸いなことに、今作を鑑賞した観客は、誰がウィッグをつけていたのかわからなかったそうです。それは褒め言葉です。若い頃、ヘアサロンで働いていた経験が役に立っているのだと思います。ウィッグに見せないようにヘアスタイルを作る場合、どのように髪が伸びていくのかを勉強しなければいけません。髪が伸びていく方向が重要になってくるのです。ウィッグにしか見えないヘアスタイルの特徴は、髪が伸びている方向性とは異なった向きをしていること。私がウィッグをセットする時は毛の流れ方を本物の髪の毛と同じ様に仕上げる事を心掛けています」
主人公バディを演じたジュード・ヒルについて「彼の髪はすぐに伸びてしまうために、7~10日に1度は髪を切っていました。少しだけ切ることで、髪が伸びていることをわからなくさせていたんです」と述懐。その一方で、ジェイミー・ドーナンは、コロナ渦で自分で髪を短くして撮影に参加。なので撮影開始の頃は彼の髪の特徴を活かして髪を長く見せる必要があったそうだ。だから撮影中は前頭部の髪を伸ばしていて周りだけ定期的に切っていたようだ。
最後に、ブラナー監督とのコラボについて話を聞いてみた。
「彼とは何度も仕事をしていますし、ビジュアルに関しては“素晴らしい目”を持っています。今作は、彼にとって非常にパーソナルなプロジェクトでした。最初に準備をするうえで『あなたが持っている当時の写真、家族の写真はない?』と聞いてみました。彼は、家族の写真を送ってくれました。その中には、彼がまだ小さい頃の写真もありましたね。それらの写真から、劇中の役柄に近いものを見つけていくことにしたんです。例えば、ケネスの母親は、1950年代のブリジット・バルドーに近い髪型をしていました。ケネスの父親は、短めの小綺麗な髪型。1940年代のマーロン・ブランドに似ていました。監督にリサーチを見せて『これはどう?』と提案してみました。実際に彼の両親はとても良い顔立ちをしてました。バディにとって、両親はある意味スーパースター。ですから、往年のスターを彷彿とさせるような姿に美化するのも良いなとも思いました」
筆者紹介
細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。
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