スティーブン・スピルバーグ
カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で映画を学び、ユニバーサルと契約。1972年、TV映画「激突!」で注目され、以後「ジョーズ」(75)、「未知との遭遇」(77)、「レイダース 失われたアーク」(81)、「E.T.」(82)など発表する作品が次々と記録破りの大ヒットとなり、ハリウッド随一のヒットメーカーとなる。
93年には「ジュラシック・パーク」が自身最高の世界興行収入を記録し、「シンドラーのリスト」でアカデミー作品賞と監督賞を受賞。名実ともにハリウッドのトップに立つ。以降も94年に映画スタジオ、ドリームワークスSKGを設立するなど映画業界をリードし、「プライベート・ライアン」(98)では2度目のアカデミー監督賞を受賞した。
その後も「ミュンヘン」(05)、「リンカーン」(12)、「ウエスト・サイド・ストーリー」(21)、自伝的作品「フェイブルマンズ」(22)でもアカデミー監督賞にノミネート。1980年代から90年代、00年代、10年代、20年代の各年代でアカデミー監督賞にノミネートされている。