エドワード・ヤンは世界をどう見つめていたのか? 台湾の大回顧展を現地取材
2023年10月7日 16:00

「クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」「ヤンヤン 夏の想い出」などで知られる台湾の名匠エドワード・ヤン。1994年に手がけた青春群像劇「エドワード・ヤンの恋愛時代」4Kレストア版が、2023年8月に公開を迎えた。
映画ライター・月永理絵氏は、同作の鑑賞をきっかけに、ある場所を訪れることになった。それは台北市立美術館で開催されているエドワード・ヤンの大回顧展だ。本記事では、月永氏の現地レポートをお届けしよう。

「エドワード・ヤンの恋愛時代」の4Kレストア版を見て、どうしようもなく打ちのめされてしまった。20年ほど前に見たときには、この陰鬱さ、残酷さにまったく気づいていなかった。いったいエドワード・ヤンという人は世界をどう見つめていたのか。それをもっと知りたくなり、夏休みを兼ねて、ちょうど台湾で開催中のエドワード・ヤンの大回顧展を見に行くことにした。
エドワードヤンの大回顧展「一一重構:楊徳昌 A ONE & A TWO : EDWARD YANG」は、台北市立美術館で2023年7月22日より10月22日まで開催されている。また新北市にある国家電影及視聴文化中心(TFAI)ではエドワード・ヤンの監督作品と彼が影響を受けた作品を上映するレトロスペクティヴが併せて開催、無料で観覧できる展示も展開中だ。(展示の解説はすべて英訳付き)
3年をかけて準備されたという台北市立美術館での展示は、想像以上に大規模なものだった。エドワード・ヤンが残した膨大な数の資料と、展示のためにつくられたインスタレーション、監督作品の抜粋、メイキングやインタビュー映像などが組み合わされ、7つのセクションに分けて展示されている。ちなみに今回の展示では、エドワード・ヤンの残した作品数を「8 1/4」と定義しているが、これはテレビシリーズの一篇である「浮草」を含めた長編8本と、オムニバス映画「光陰的故事」4本中の1本、という意味。
始まりとなる「時代的童年 Childhood Through the Ages」では、ヤンが映画を撮り始めるまでの道のりが、彼の家族写真や台湾の時代背景とともに示されていて、学校の卒業アルバムまで展示されていたのには笑ってしまった。続く「略有志氣的少年 A Somewhat Ambitious Adolescent」は「クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の資料群を中心にした展示。撮影現場でのスナップ写真やシナリオ、小道具、そして映画化は実現しなかった思春期の少年たちをテーマにしたシナリオ資料などを通して、エドワード・ヤンが生涯テーマにしていた「若者」たちへの関心が読み取れる。

「城市探索者 The Urban Explorer」では、「都市」と「女性」をテーマに、「浮草」「海辺の一日」「台北ストーリー」の資料を展示。抜粋映像も多く、現在日本では見ることが難しい「浮草」「海辺の一日」の一部を見ることができる。「多聲部複語師 The Polyphonic Practitioner」では、英語と中国語の両方で原稿やシナリオを執筆していたヤンの「多声性」に注目した展示。アメリカ留学時代に、ヤンがヴェルナー・ヘルツォークの「アギーレ 神の怒り」を見て映画作りを決意したのは有名なエピソードだが、ここでは、ヘルツォークの「氷上旅日記」を朗読する声と「海辺の一日」の映像を組み合わせたインスタレーションが設けられていた。
「活力喜劇家 The Zesty Satirist」は、1988年から国立芸術学院(現台北芸術大学)演劇学部で教鞭を取っていたヤンの、映画と演劇との関係が考察される。この時期、エドワード・ヤンは演技を学ぶ学生たちと一緒に新しい試みを始め、後に「恋愛時代」で協働するワン・ウェイミン(ミン役)やチェン・シェンチー(チチ役)らと舞台の制作を手がけていた。彼が演出した舞台「如果 Likely Consequence」や「成長季節 Growth Period」の上演記録ビデオや「恋愛時代」「カップルズ」の資料を見ることで、この時期のヤンの新たな関心のありかたを追うことができる。

「生命沈思者 The Life Ponderer」(「沈」の正式表記は「さんずい+冗」)は、後期に手がけた短編アニメーションや、未完の長編アニメーション「追風 The Wind」の資料が展示、「ヤンヤン 夏の想い出」の後にヤンの目指していたものが浮かび上がる。そして最後のセクション「夢想實業家 The Dream Entrepreneur」では、ヤンの未完成の企画資料、雑誌や新聞に発表された原稿類とあわせて、彼の友人や仕事仲間、ヤンから大きな影響を受けた7人の映画人(ヴェルナー・ヘルツォーク、オリヴィエ・アサイヤス、岩井俊二、濱口竜介、トニー・レインズ、イッセー尾形、チャン・チェン)のインタビュー映像が公開されている。
展示を見てまず驚くのは、その膨大な資料の数。エドワード・ヤンの書いた手紙や日記、写真といった私的な資料から、各作品のシナリオや制作ノート、撮影スケジュール表、絵コンテ、実際の撮影に使われた小道具や衣装など、ファンにはたまらない資料群がたっぷりと展示されている。常々「完璧主義者」と呼ばれることの多いエドワード・ヤンだが、彼の描いた絵コンテやスケジュール表を見れば、その印象はさらに強まるだろう。漫画好きで絵の上手かったヤンによる絵コンテはそれだけで漫画作品になりそうな完成度で、カメラの動きや、光がどこから射しどのように影をつくるのかまで細かく指定されていた。興味深いのは、こうしたシナリオやノートの多くが中国語と英語の両方で書かれていたことだ。アメリカ留学生活が長く、晩年までアメリカと台湾を行き来していたヤン監督にとって、二つの言語で思考するのがいかに重要だったか、また彼がつねにグローバルな視点で世界を見つめていたことがよくわかる。

各作品の現場写真やメイキング映像も多くあり、ファンにとっては、映画のさまざまな場面を思い浮かべながら楽しむことができるはずだ。また、90年代にヤンがミュージックビデオや舞台の演出をしていたのは知っていたが、実際にその映像を見られたのは嬉しかった。大きな感動を覚えたのは、「恋愛時代」のメイキング映像。チチとミンが、夜の台北の街を走るタクシーの中で延々と会話を続けるシーンの撮影を記録したその映像には、俳優二人とカメラマン、監督が乗るタクシーの両脇で、照明を担いでバイクを走らせる様が映されていて、この場面での光と影がいかに周到な準備を重ねてつくられたのかがよくわかった。おそらく他のどの場面でも、またエドワード・ヤンのどの映画においても光こそが何より重要なのだ、そう確信した。
こうした映画用の資料はもちろんのこと、エドワード・ヤンの個人的な所蔵資料も各所に展示されている。蔵書コーナーでは「AKIRA」をはじめ、アメリカやヨーロッパのコミックがずらりと並ぶ。「キネマ旬報」「SWITCH」など日本の雑誌も多々あり、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」も数冊並んでいたのが嬉しかった。また公開時のポスターも台湾だけでなくさまざまな国のバージョンが並べられており、私が以前パンフレットの編集を手伝った「恐怖分子」デジタルリマスター版(2015年公開)のポスターを見つけたときは思わず興奮した。


展示の規模はかなりのもので、午前中から昼ごはんを挟んで午後いっぱいまでかかってようやく見終わるという感じだった。一方TFAIの方の展示は、1階から3階のフロアに展開されているものの、常設展と併せた小規模なもので、映画を見るのでなければ1時間ほどあれば見終わるだろう。ただし、こちらではエドワード・ヤン本人が使っていたという編集台や、ここで保管されている実際のフィルム缶を見ることができる。3階フロアの展示はライブラリー内での関連書籍展のみ。通常は会員登録が必要なようだが、私が行ったときは、職員の人がすぐに声をかけてくれ、親切にも中まで案内してくれた。
回顧展を見たあとは、美術館やTFAIの売店で、関係者たちのインタビューを中心とした分厚いカタログを買うことができる。カタログは中国語のみだが、写真や資料類がたっぷりと載っているし、巻末には「クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」と「ヤンヤン」のロケ地マップも掲載されている。
カタログの他に、今回のエドワード・ヤン回顧展を特集した、TFAI発行の映画評論誌「Fa 電影欣賞」(Issue. 195, 2023)も販売されている(https://fa.tfai.org.tw/fa/issue/38487)。展示に使われた資料が載っていて、カタログとはまた別のエドワード・ヤンの映画ロケ地マップも掲載。こちらの地図には、「海辺の一日」「恐怖分子」「台北ストーリー」「恋愛時代」「カップルズ」「ヤンヤン 夏の想い出」のロケ地がまとめて載っている。この地図のおかげで、私も、チチとモーリーがお茶をしていたTGIフライデーズの跡地や、ヤンヤンが父親とごはんを食べるマクドナルドなどを一通り歩くことができた。
もう一冊、台北市内の誠品書店でよく見かけた映画雑誌「醸電影」vol.13(エドワード・ヤン特集号)もお土産におすすめ(https://filmaholic.tw/product/magazines/vol-13/)。ヤンの映画の写真や、各作品のレビュー、関係者へのインタビュー記事があるだけでなく、「もしエドワード・ヤンの映画の主人公がInstagramをやっていたら」という過程でつくられたイラストページや、「恐怖分子」の数場面を女性モデルが演じた写真ページなど、遊び心に満ちた企画が楽しい。
回顧展の売店で販売されている公式グッズは、カタログとエドワード・ヤンの愛用品をイメージした赤いキャップだけだが、TFAIの案内書によれば、映画の上映チケットと一緒にヤンの自筆イラストをモチーフにしたエコバッグ、ノート、ピンバッチが購入できるセット(数量限定)があるという。台北市内のDVDショップや、ホウ・シャオシェン監督がプロデュースする映画館「台北之家」のショップを覗けば、現在発売中の「クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」「海辺の一日」のBlu-ray&DVDを購入できる。

大回顧展を通して見えてくるのは、エドワード・ヤンという人は、生涯を通してつねに変化を続けていった作家だということ。ホウ・シャオシェンら台湾ニューウェーブの一員としての活動はもちろん、アメリカ留学時代が後の映画作品にどれほどの影響を与えたか。大作「クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」以降、大学の学生たちとの交流を通じて、いかに新しい何かを掴もうとしていたのか。晩年のアニメーション制作への関心がどのように生まれていったのか。そして彼の映画が世界中でどれほど多くの映画人に影響を与えたか。8本の長編と1本の短編、そして未完成の作品を通して、エドワード・ヤンという作家の歩みをたどることができる、本当に素晴らしい展覧会だった。何より、会場を出たあと、彼が映しつづけた台北の街を歩けることの幸福さを心から感じられた。

日本では現在「エドワード・ヤン恋愛時代」4Kレストア版が公開され、エドワード・ヤンの映画を劇場で見られる機会が続々と増えてきている。近いうちに「海辺の一日」や「カップルズ」といった日本では見ることが難しくなってしまった作品たち、そして初期のテレビ作品「浮草」とも再び出会えることを心から願う。
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