巨匠チャン・イーモウが語る“私的な作品” 「ワン・セカンド」に込めた思い【アジア映画コラム】
2022年5月22日 16:00
近年のチャン・イーモウ監督は、中国国内市場を中心に、次々と大作映画を発表しています。だからこそ「妻への家路」以来となる文化大革命を背景とした「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」の製作決定が報じられた際は、中国国内だけでなく、世界中の映画ファンが注目していました。
しかし「ワン・セカンド」の“スクリーンへの旅路”は、順調とはいきませんでした。本コラムの第11回では、2019年の中国映画市場を象徴する「“技術的問題”による上映中止作品が多かった」という事例を紹介しており、「ワン・セカンド」が“技術的問題”によってベルリン国際映画祭での上映が中止になった件を詳しく書いています。
同様に“技術的問題”によって、ベルリン国際映画祭での上映が中止となった作品に「少年の君」があります。同作は、19年10月に一般公開されたのですが……「ワン・セカンド」は、19年年内の公開を実現できなかったのです。そして、20年秋に中国国内で公開。検閲による“削除の痕跡”が見えましたが、中国国内では高評価。第15回アジア・フィルム・アワードでは、チャン・イーモウ監督が最優秀監督賞を受賞しています。
物語の舞台は、文化大革命時代の中国。フィルムの中にたった1秒だけ映されているという娘の姿を追い求める父親。幼い弟との貧しい暮らしを懸命に生き抜こうとする孤独な少女。交わるはずのなかったふたりが激動の時代の中で運命的に出会い、思いがけない方向へと人生が進んでいくさまを描いています。重要なシーンのひとつでもある「フィルムが砂漠にのまれていく」が象徴するように、チャン・イーモウ監督のさまざまな思いが込められた作品だと感じました。
北京2022冬季オリンピック・パラリンピック開閉会式の総監督、新作の準備など、多忙を極めるチャン・イーモウ監督。今回はメールインタビューで、作品の背景、映画愛、日本映画への関心などを語ってもらいました。
仰る通り「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」は、とても私的な作品です。かなり前からこの物語を映画化にしたいと願っていて、心の中で準備していました。いつか絶対映画にできると信じていました。商業映画ではありませんし、時代遅れかもしれないですが、私にとっては非常に価値のある作品です。
そして、劇中で描かれる“記憶”(という要素)は、私だけの記憶ではなく、すべての方々の記憶と言えるのかもしれません。18年に無事完成した時は、非常に幸せでした。本作は、ある意味、私から映画へのラブレターとなっています。
“あの時代”の人々は、本当に映画を愛していました。映画を見るということは「新年を迎える」ような心持ちで、多くの人々が楽しんでいましたね。「英雄児女」は、朝鮮戦争の時代を描く映画です。政治的背景を持つ作品にもかかわらず、最終的に父と娘の話に焦点が当てられていく。“あの時代”では、非常にレアな作品なんです。当時「英雄児女」が上映された後、中国国内の反響はとても大きかった。多くの人々が何回も鑑賞して、見るたびに泣いていましたね。劇中の曲を誰もが歌えますし、出演されている女優さんのことを皆が大好きです。
「ワン・セカンド」を撮る前、「中国の旧作映画を1本選ぶとすれば――」と考えることがありました。その時、自然と「英雄児女」が頭の中によぎったんです。「英雄児女」における父と娘の話は、ある意味「ワン・セカンド」にも引き継げたと思っています。なんと言えばいいのでしょうか……そう、“輪廻”のような感じです。
当時は通信手段がまったく発達していなかったので、親族だとしても、互いの情報を知ることが容易ではなかったんです。主人公は、映画の中に存在する娘の姿を見るため、苦難を乗り越えていく。娘がたった1秒しか映っていないとしても――。そんな姿勢が、非常に魅力的だと思います。
チャン・イーは、中国では非常に有名な俳優で、演技派として広く認知されています。何度も一緒に映画を作っていますが、とても熱心で謙虚です。役作りのために丸刈りにし、体重を20キロ以上減らしています。さらに“主人公の肌の色”を表現するため、気温42度の砂漠で太陽を浴びていました。本当に素晴らしい役者です。
この映画はセリフがそこまで多くないため、目で感情を伝えることのできる人がほしかったんです。そうすると、新人俳優のほうがいいんです。撮影前にオーディションを行い、大勢の少女たちに出会いました。その過程を経て、最終的にリウ・ハオツンに決まりました。
彼女は演技のワークショップを受けて、徐々に役を理解しないといけませんでした。新人俳優にとって、決して簡単なことではありません。しかし、リウ・ハオツンは非常に素晴らしく、一生懸命演じきってくれました。 チャン・イー、ファン・ウェイといったベテラン勢も、撮影現場で彼女に色々アドバイスをしていましたね。
日本の方々のなかにも、同じような経験をしている人がいるのではないでしょうか? 野外で映画を上映する時のことです。日没前、スクリーンが旗のように宙に浮いている。スクリーンの前にも、後ろにも人がいっぱい座っています。映写技師が調整を始めると、会場全体がすぐ盛り上がるんです。皆が立ち上がり、映写機から投射される光に手を伸ばす。掌でさまざまな形を作り、それをスクリーンに投影し始めるんです。自転車を持ち上げてみせる者もいれば、鶏、猫、犬を光の中に投げ入れたりする人も多かった。これらの光景は、私が子どもの頃に見て、参加していたことでもあります。
2006年、カンヌ国際映画祭60回目の開催を記念したプロジェクト「それぞれのシネマ」(世界中の巨匠がそれぞれ“映画館”を題材に3分間の短編を製作したオムニバス)がありました。私が作ったのは「映画をみる」という作品。子どもの頃に経験した映画体験を再現したんです。子どもは、何を見るのかさえわからない……でも、映画の上映を待つ時の気持ちは、映画を見ること以上に豊かなもの。私は、そんな風に思っています。
映画におけるフレームは「フリーズ・フレーム」とも呼ばれています。 我々の人生も「フリーズ・フレーム」と同様に、ある瞬間に止まることがある。誰もが物事の全てを記憶することはできません。そんななかでも、記憶に留めている“ある瞬間”というものがある。これが、それぞれにとっての「フリーズ・フレーム」だと思っています。
“フィルムが砂漠にのまれていく”というシーンは、フィルムの1コマ、1コマが徐々に黄砂に沈んでいくイメージ。すべての記憶が時間の経過によって“沈んでいく”。個人的にとても好きなシーンです。人の運命も、ある意味、同じような最後を辿るのだと考えています。しかしながら、それぞれに「フリーズ・フレーム」が存在するとすれば、それは間違いなく“最高の瞬間”と言えるでしょう。
高倉健さんは、私の青春時代、そして当時の中国のアイドルでした。とても幸運なことに、私は一緒に仕事をさせていただき、多くのことを教えていただきました。2008年のオリンピックの際、高倉健さんからいただいた応援グッズは、今でも私のオフィスに飾ってあります。今でも応援してくれているような気がしますね。
今、世界は大きく変化していますが、中国と日本の人々が仲を深め、映画という枠組みでも、さらにコミュニケーションが活発になっていけばいいなと感じています。アジア各国の文化には、共通する部分が多い。もっと世界中の人々に、我々(アジア勢)の魅力を知ってもらいたいです。
新型コロナウイルスの影響で、何年も日本を訪れることができていません。状況が落ち着いたら、必ず行こうと思っています。私は小さなラーメン屋で、一般の方々に混じって、美味しいラーメンを食べるのが大好きなんです。
最近見た日本映画は「ドライブ・マイ・カー」ですね。 濱口竜介監督についてはあまり詳しくはありませんが、彼の作品は非常に素晴らしいです。