「愛について語るときにイケダの語ること」佐々木誠を“過激”と鬼才・原一男が讃えるその理由
2022年3月18日 22:30
四肢軟骨無形成症で身長112センチ、末期がんと診断された池田英彦さんの初監督、初主演作で、池田さんの性愛をリアルに映し出した「愛について語るときにイケダの語ること」配信を記念し、「ゆきゆきて、神軍」「水俣曼荼羅」などで知られる鬼才・原一男が、「愛について語るときにイケダの語ること」で構成・編集を担当、「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」や「ナイトクルージング」を監督した佐々木誠と対談した。
ドキュメンタリー監督であり、マイノリティとセックスというテーマを扱った作品を発表していることで共通点のあるふたり。「愛について語るときにイケダの語ること」では、余命宣告された池田さんが、生きた証として自身を被写体に、女性とのセックスを記録することを敢行、原はデビュー作「さようならCP」で脳性まひ者の生活と思想を映し、「極私的エロス・恋歌1974」においては、元、現パートナーたちの出産のほか、自身の性交を撮影し映画にした監督でもある。
人間の虚と実、生(エロス)と死を見つめつづけた鬼才は、佐々木を“僚友”と呼び、その手腕を“過激”と絶賛する。今回、二人が互いの作品について、そして「今、ドキュメンタリーを作っていること自体がマイノリティ」(原)と、ドキュメンタリー差別、軽視の傾向があるという昨今の映画界の現状まで大いに語り合った。
原さんの作品は全作好きですが、一番好きなのは「全身小説家」。井上光晴さんという作家の虚構と現実を描く見事な構成ですし、影響を受けています。そして、最高傑作は「水俣曼荼羅」だと思います。しかも「全身小説家」から約20年を経て「水俣曼荼羅」を作っている間に、「ニッポン国VS泉南石綿村」と「れいわ一揆」と作られて……本当にすごい。僕はあちこちで「水俣曼荼羅」見てくれって勧めています。水俣っていうと難しい映画のように受け取られるようですが、娯楽映画だと思ってもらっていい。めちゃくちゃ面白くて、行ってくれた人はみんな満足していますよね。
そんな時に、水俣や泉南のアスベストの話があって。カメラを回しながらこれで映画になるんやろか? と悩みに悩んだのが「ニッポン国VS泉南石綿村」。撮影中の自信のなさが克服できないままに編集して仕上げて、初めて上映された山形国際ドキュメンタリー映画祭で3~40人から「面白い」と反響があった時に初めて自信が持てた。その経験があるから「水俣曼荼羅」は、じっくりとどう面白く見せるかということに集中してシーンを膨らませられました。
「ニッポン国VS泉南石綿村」はシーンの塊。つまり一つのシーンにその人の生き方を凝縮するようなインタビューをいくつか並べている。けれど「水俣曼荼羅」はシーンではなくシークエンスとして作っている。そうすることによって立体的にその人の人生が浮き上がった。編集の秦岳志さんの腕もあるけれども、そこが結果として、うまくいったと思う。
俺もドキュメンタリーの中にフィクションの要素を入れることは、やってみたいと思っていたけれど、それをやる時に、フィクションの要素をドキュメンタリー入れました、そのほうが面白いんだよっていう、作り手の思いというか、言い訳のようなものも俺は入れてしまうでしょう。だけど、あなたにはそれが全く無い。なんでこんなに簡単に入れられるんだろうってことが不思議で。そこに葛藤はないのか?と聞いてみたかった。それは世代の差って言う以外にないんじゃなかろうかって。その世代の差っていうのは良い悪いじゃなくて、そんなふうにして映画の方法論が進化していくんだな、というのが俺の考えです。
「イケダ」に関しても、最初にちゃんと真野さんと池田さんが打ち合わせをしているシーンをヒントとして入れてます。最初見たら、意味がわからないかもしれないけれど、後で、あれはそういうことだったのかってわかるように構成しています。でも、わからなくてもいいやとも思ってるんですね。映画を見た人があとで何かを感じてくれればいい。
僕が若い時に、構造が複雑な実験映画なんかを見に行って理解できなかったり何も感じられなかったら、自分が無知で未熟だからと思ってたんです。だからいろいろ考えて調べて自分なりの答えが見つかるまで、何回も見る。それが作り手と濃密なコミュニケーションを取るような、すごく豊かな映画体験になったのですが、今は自分が理解できない映画=ダメな映画ってすぐに判断してしまう人が多い気がします。僕はテレビやCMの仕事などでは多くの人に受け入れられることを意識して作りますが、映画の手法で言うと、やっぱりどこか新しい視点の面白さ、作り手との対話の娯楽性を期待している自分みたいな観客を信じているところがあります。ラッキーだったのは、「マイノリティとセックス」を(「イケダ」プロデューサーの)真野さんと池田さんが見に来て、面白いと感じてくれて知り合えた。それが縁で「イケダ」を一緒に作れた。だから長年頑張って、怒られても上映すると理解してくれる人も出てくるし、このように原さんとお話できる機会ができたこともありがたいです。
だから、理論的にはあなたのやっていることも不思議ではない。ただそうは言っても、俺は単なる説明や弁解って意味じゃなくて、物語の中に組み込むような入れ方であってもいいと思ってしまう。古い世代の俺だからか、あなたの作品を見て、いろいろと悶えがある。あなたは過激なんだよ、映画史的に言っても、その手法において過激だって言われているところにあなたの作品はある。これはべた褒めだよ。
「極私的エロス」はものすごく話題になってお客様もたくさん入りました。当時、女性解放運動の団体が3つあって、その中で一番戦うということを鮮明に打ち出していた田中美津さんのグループに武田美由紀さんはいたんです。でも、今となっては女性解放運動という価値観にあの映画はかなり寄与してるんじゃないかって思っています。あの映画に影響を受けて、自分のボーイフレンドに8ミリで出産を撮らせたんです、っていう女性から手紙が何通か届きましたから。そして、海外でも性行為のシーンは美しいと言われます。それこそ女性解放じゃないかって。
でも、最近は男が性を描くっていうことだけでもオートマチックにダメだっていうレッテルを張りたがるような気がして。なんかつまんないなあって思いますね。でも、最近世界の映画祭のトップは女性が多いのですが、そういう人が私の作品で一番好きなのは「極私的エロス」だという声もよく聞きます。
いつの時代か、劇映画とドキュメンタリーを分けることはほぼ意味がないという論調がありました。けれど、その論調が下火になったと同時に、ドキュメンタリーに対する文化的価値がどんどん下がっているような危機感があります。以前は、「全身小説家」が劇映画も含めての毎日映画コンクール日本映画大賞、キネマ旬報ベスト・テンの第1位になった。それがいつの間にか、部門が分けられたりとドキュメンタリーが傍らに押しやられてしまった。なんでこんなに社会的評価が下がってるんだろうって本当に怒っています。
あと、ドキュメンタリー映画も情報のように受け取られているのかもしれません。早送り機能を使って鑑賞する方もいますしね。僕はテレビのドキュメンタリーも作りますが、劇場で上映される映画とテレビのドキュメンタリーの作り方は全然違うものです。テレビはテーマと背景の正確な伝達と問題提起を意識して、映画は映画で娯楽であり、お客さんとの共同作業、対話というものを意識しながら作っています。
やはりテレビの人は報道というか、情報重視ですよね。俺は師匠の浦山桐郎さんから、映画というものは人間の感情を描くものだと、懇々と教えられました。感情をダイナミックに描いて、ドラマチックにするのですが、テレビの人たちは人間の感情に深入りして描くって発想はないように見える。そして、見る方もテレビのドキュメンタリーに慣らされているんだよね。それは、批判する側とされる側を平等に扱わなきゃいけない中立という立場で作品を作るべきだという。
でも、我々は権力で虐げられてるわけだから。例えば「水俣曼荼羅」で役所の人の人間性を、なぜ俺らが自主制作で借金背負ってまで描かなきゃいけないのか、彼らの人間性を掘り下げて行かなあかんのか、と頭にくるんです。
やっぱり僕はドキュメンタリーも劇映画と一緒だと思っていて、例えば「タクシードライバー」だったら、トラヴィス・ビックルっていうキャラクターの必要最低限の背景と彼の行動を描くだけで面白いし、どういう人と会うかで幅が出て物語が進む。そういう形でドキュメンタリーも作っています。情報のための演出、ナレーションやテロップが多い構成だと、なんか冷めちゃって、映画っぽくなくなっちゃう。
世界的に高く評価される、日本を代表する現役ドキュメンタリストの鬼才・原と、飄々とドキュメンタリーとフィクションの垣根を超えた作品を軽やかに生み出す佐々木。ふたりの過激さが、ぶつかり合い、そして融合し、熱のこもった対談となった。映画史に刻まれた原の過去作とともに、「愛について語るときにイケダの語ること」の“過激”を、ぜひ確認して欲しい。
「愛について語るときにイケダの語ること」公開、配信情報は公式HP(www.ikedakataru.movie/)、公式Twitter(twitter.com/ikeda_movie2021)で告知する。4月9日~15日には、「愛について語るときにイケダの語ること」「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」が名古屋シネマスコーレで上映される。
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