ナイトクルージング
劇場公開日 2019年3月30日
解説
全盲のミュージシャン・加藤秀幸が映画制作に挑む姿を追った「INNERVISION インナーヴィジョン」の佐々木誠監督が、同作から引き続き加藤の映画制作過程に迫ったドキュメンタリー。生まれつき視覚がなく、光を感じたことのない加藤が、ある日、映画を作ることを決意。加藤はSF短編映画「ゴーストヴィジョン」を制作するさまざまな過程を通して、顔や色の実体、2Dで表現することなど、視覚から見た世界を知っていく。同時に、映画制作に携わるスタッフたちも、加藤を通して視覚のない世界に触れる。そんな見えない加藤と見えるスタッフたちが、互いのイメージを共有しながら映画が作られていく過程を追った。
2019年製作/144分/G/日本
配給:アップリンク
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私は無類の…SF嫌いです(森見登美彦除く)。
いやあ、コンセプトはよかった。でも、制作内容がSFという時点で世界観が甘いとキツイ目で見てしまいます。
どのようにアプローチしていくのかは本当に新鮮で、クリエイターで世界観を作るのに行き詰まった人は是非見るべきだと思います。
ただ、健常者の色の概念、見える世界の概念を使って標準化しているところが多くあり、なんだかなーというところも多々。
続編を、という言葉がありますが、私は是非別物を見たいです。日常の風景を加藤さんに描いていただきたい。日常なのにファンタジーになる。そんな作品を見てみたいです。
私は無類の…SF嫌いです(森見登美彦除く)。
いやあ、コンセプトはよかった。でも、制作内容がSFという時点で世界観が甘いとキツイ目で見てしまいます。
どのようにアプローチしていくのかは本当に新鮮で、クリエイターで世界観を作るのに行き詰まった人は是非見るべきだと思います。
ただ、健常者の色の概念、見える世界の概念を使って標準化しているところが多くあり、なんだかなーというところも多々。
続編を、という言葉がありますが、私は是非別物を見たいです。日常の風景を加藤さんに描いていただきたい。日常なのにファンタジーになる。そんな作品を見てみたいです。
2019年5月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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先天盲という生まれつき視覚を持ち得ない加藤秀幸さんに特化した、至極パーソナルな冒険譚の作品である。視覚認識のない人生の中で、視覚芸術のポピュラーなものである“映画”を制作する過程及び、その作品をドキュメンタリックに綴っている。
アヴァンタイトルに於いては真っ黒で何も映し出されていないスクリーンに台詞や効果音だけが乗り、何かサイバーパンク仕立てのストーリーが繰広げられていて、イメージの想像は拡がるが肝心のオチは中々思い描けないものであった。そしてそこから主役である加藤さんの映画制作の道のりを垣間見るドキュメンタリーへと移行する。後天的に視覚障碍になったのならば過去の記憶を頼りに色や形や大きさを推測できるのだが、生まれつき又は記憶の定着が覚束ない年齢においての失明は、そもそもが“光”というものを感覚として享受していないのだろうし、裏返しに“闇”という概念もない。勿論、原因が一つではないから、その状況も人それぞれであろう。なのであくまで今作の加藤さんに限っての前提としてのスタートである。それこそ某作曲家のような怪しさもないという体だ。
なぜそこまで強調するかというと、ネットで調べると『先天盲からの回復』というwikiの項目があり、病状によっては回復ができるらしいのである。詳細は未調査だが、今作品で彼に色々な協力者が現れてるが、皆一応に関心があるのは、彼の残されている感覚を駆使してのイメージ、もっと平たくいうと彼の頭のスクリーンに映っているものをインターセプトしてみたいという純粋な好奇心故だからである。これがもし、回復者の研究調査報告の中に回復前後のイメージ具現化が発見されているのならばその協力者の興味は消失するのではないだろうか。本当のところはどうなのかはそれこそ“闇の中”なのだが、あくまでも彼のイメージの具現化に苦慮し、そしてそのコミュニケーションの共有を試行錯誤しながらの作品造りが進んでいく。純粋に映画造りの一つのメソッドとしても役立つような進行方法でもある。そして当然ながら、一番の彼の映画造りの上に於いての拘りである“音”へのアプローチは、そここそアイデンティティの爆発で真剣に、又楽しくリラックスさを醸しながら取り組んでいたのが微笑ましかった。声優に於いてはもう“ヲタク”そのものである。逆に本来大事な筈の“映像”に於いては、どこまで彼の意思やコンセプトが投影されていたかは懐疑である。どうも周りの協力者のイニシアティヴによって進行され、専ら彼とのイメージ共有方法に重きをおいたシーンが目立つ。そしてこれが“キモ”というかクライマックスなのは、制作中におけるラストのクライマックスシーンの屋内部屋侵入に際して、彼自身を投影した主人公のFPS視点での画作りの際、そもそも彼がその空間認識のイメージを具現化したものを落とし込むことが検討され、その一つの試験3DCGがたたき台として俎上に乗ったが、まるで今までのSF映画(※多分マトリックス)のそれと酷似しているとの否定的意見が出された際、彼は「そもそもが映画が観れないのだからイメージも何も分らない、自分のイメージと過去作との共通点を見出すことなどできない」とのいわゆる“ちゃぶ台返し”を吐露したところが白眉である。そう、今まで周りがどれだけ頑張っても、近づけば近づくほど実は遠さを思い知るというか、そもそもその方向性の正しさなどだれも証明できないことの虚しさを一気に突きつけた、この哲学的な内容に愕然とする。今の時代の最先端のテクノロジーを駆使したところで、先天盲の方のイメージは余りにも神秘的なのであることを明らかにしてしまったのである。もしかしたらもう彼はそれを見抜いていた“確信犯”なのかもしれないと疑ってしまうほどである。なぜならば、そもそも彼の映画制作の理由は、勿論映画好きというのもあるが、ラジオドラマには飽きたという理由もあるからだ。それはもしかしたらこのデカい花火打ち上げを利用して、お気に入りの声優と会いたいという邪な心も透けて見えるのは自分の穿った観方なのだろうか。何れにせよ、それはそれで観客も一杯食わされたという面で大変面白い作品である。
もし将来、この先天盲の方のイメージを間違いなく双方同意において具現化できたならば、一体そこには何が描かれているのだろうか。そしてその世界が幸福であった場合、未来の地球人はもう視覚に頼ることを積極的に破棄する選択を取るかもしれないのだ。
2019年4月11日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
生まれながらにして目が見えな人が映画の監督をするということだけで興味がMAXであり、それをよく自覚した上でのオーソドックスで丁寧なドキュメンタリーで、長くても終始飽きることなく観賞できた。
正直、被写体の加藤監督の初作品は、当初の自分の期待からほど遠いものだったという印象だったけれど、未知のことをゼロから作り上げたことを考えると、出来上がったものは偉業と言っていい。そのことをよく表現できていた優れたドキュメンタリー映画だった。まさに二人の監督がつくりあげた芸術作品だと思う。
ドキュメンタリーとしてもう一度振り返ってみると、インパクトのある出だしから始まって、その後普通では考えられないコミュニケートを淡々と捉えていって、その結果は─、といったきわめてシンプルながらも非常に練られた構成にように感じた。
予定通りに推移して、特段大事件が起こっているわけでもない。それでも、素材そのものがすでに強烈なインパクトであり、いかにそれを分かりやすく伝達するかということだけに注力していて、非常に見やすかったし好感が持てた。
これからも映画を作るのかと質問されて、もちろんと言えないところが根深い難しさを表しているようにも感じたけれど、創作意欲はひしひしと伝わってくるし、作り続けてほしい、またそうした土壌がもっともっと広がることを望むところ。道は想像を絶する険しさだとは思うけれど、少しでもイメージ通りの作品を作り出すようになってほしい。
ドキュメントブックなるものも購入したので、作品の裏話もじっくり堪能したい。
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