北海道・函館で菅原和博氏がたどる数奇な映画人生
2019年12月29日 08:00
北海道・函館の市民映画館シネマアイリスで代表を務める菅原和博氏は、これまでに「海炭市叙景」(2010/熊切和嘉監督)、「そこのみにて光輝く」(14/呉美保監督)、「オーバー・フェンス」(16/山下敦弘監督)、「きみの鳥はうたえる」(18/三宅唱監督)と4本の映画を手がけ、発表してきた。その全てが、夭折の作家・佐藤泰志氏の小説が原作。映画館を運営する菅原氏が、なぜ映画を作ろうとしたのか、函館市内で話を聞いた。(取材・文・写真/編集部)
函館で暮らす人にとって菅原氏は、シネマアイリス代表である前に喫茶店「水花月茶寮」のマスターとしての方が、馴染みが深いかもしれない。同店を開業したのは、1986年。それ以前、20代の頃は市内の別の場所でロック喫茶「キャッツ・クレイドル」を営んでいた。「当時から映画はすごく好きで、上映会を企画して長崎俊一監督の作品をかけたんだ。主演の内藤剛志さんがフィルムを持ってきてくれたりしてね。そこから市内の色々な施設で、ジプシーのように上映会活動をしましたね」。
シネマアイリス開館のきっかけとなったのは、不景気によるあおりを受け、市内にあった映画館が次々と閉館に追い込まれたことにある。「巴座というクラシカルで素敵な劇場があって、その2階にフランス映画社の作品などを上映していたトムホールという名画座があったんだ。そこで上映会をやらせてもらっていてね。閉館することになったとき、札幌や新潟で市民が主体となって映画館を作ったという話を聞いたから、映画館ってどれくらいお金があれば作れるものなのかを調べてみたんです」。
その結果、「家1軒分くらいでやれる」と聞いた菅原氏は、映画好きの有志たちと「地元の人が運営する映画館が必要じゃないですか?」という呼びかけを続け、各所での上映会などで地道に募金活動を展開。「それを元手にアイリスを立ち上げました。でも、家1軒分って聞いていたんだけど、函館の感覚とは違って、実はもっと必要だということが後から分かったんだけどね(笑)」と、今だから話せるオチまでつけた。ちなみに、96年5月24日の開館初日は、ウェイン・ワン監督作「スモーク」とジェラール・コルビオ監督作「カストラート」が上映されたという。
芥川賞に5度ノミネートされながら受賞ならず、41歳で自殺した佐藤氏については、07年10月に刊行された「佐藤泰志作品集」が北海道新聞で紹介され、劇場のスタッフからプレゼントされたことによりグッと距離を縮めることになる。「分厚い(686ページ)し、二段組みだから、読むのに気合が必要。だから正直、しばらく置きっぱなしにしていたんだ。でも、頂き物だし感想を伝えなきゃと思って開いたら夢中になって、その日のうちに『海炭市叙景』を読んでしまった。あの当時、あそこまで格差とか地方の疲弊というものをしっかりと描いた小説は僕の知る限りではなかったと思う。映像的な文章だし、函館が舞台で、俺は函館に住んでいて映画館を運営している。自分にもしも1本だけ映画を作るチャンスがあるとしたら、これしかない! と思ったんだよね」。
とはいえ、もともと「映画を作りたい」と思っていたわけではなかったという。「映画館をやっていると、映画って綺麗ごとじゃないということがよく分かる。大変だし、冷静に考えれば止めたほうがいい。それでも、出合ってしまったんだとしか言いようがないよね」。
映画製作のノウハウがあるわけでもないため、勝算などまるでなかった。「アイリスを作るとき、募金活動で700万円くらい集まったんです。この時も、市民の皆さんの力を借りられないかと思いました。函館を舞台にした映画って80本以上ありますが、それはあくまでも外から来た人たちが描いた函館。そうじゃなくて、函館で暮らす人々の地に這いつくばったような映画をやらないかと呼びかけたら、ありがたいことに、すごく多くの方が賛同してくださった。それから実行委員会を作ったんだけど、直後に熊切さんと知り合ったんだよ」。
「海炭市叙景」のメガホンをとることになる熊切監督は、函館港イルミナシオン映画祭で滞在中、シネマアイリスに阪本順治監督作「闇の子供たち」を見に来たという。「上映終了後に『せっかくだから食事でもしませんか』と誘ったんだけど、プロの監督として『海炭市叙景』が企画として成立するか聞いてみたんだ。そうしたら表情がいきなり変わって、『その小説はどこへ行ったら読めますか?』と聞かれてね。東京へ帰る前にもう一度会ったんだけど、『本を読みました。ぜひ、僕にやらせてください』と言ってくれたんだよね。とんとん拍子ってわけではなかったけれど、とにかく色々動き出して忙しくなったなあ」。
それからの10年間で、函館を舞台にした映画を4本も撮ることになるとは、当時の菅原氏は想像すらしていなかったはず。「最初は『海炭市叙景』だけで終わるはずだったんですよ。でも、映画作りってこんなに面白いのか! と知ってしまった。それに、映画を作る前に佐藤さんの奥様とお目にかかったんですが、『佐藤とかかわって良い思いをした人は誰もいないので無理しないでください』と心配してくださったんです。ただ映画が完成し、絶版だった作品が軒並み復刊されたことを奥様とお子さんが凄く喜んでくれた。『これまで夫、父親が作家だったって言った事がなかったけれど、こうして映画が出来て、書店に本が並んで、初めて友人や知人に佐藤泰志は作家でしたと口にすることが出来ました』ってね。本当に良かったと思ったんです。僕にとっても、佐藤泰志という作家との出会いによって、もうひとつ別の人生を与えられたと思っています。映画館の館主と喫茶店のマスターという二束の草鞋の生活もすごく充実した日々ではあるけれど、映画を作るという今まで経験したことがない道が用意されてね、本当に幸運だなと思っています」。
そんな菅原氏は、次回作の構想も練っている。もちろん、佐藤原作だ。ほかの作家の作品を映画化したいとは思わないのだろうか。「もちろん、色々とトライしてみたいという気持ちはありますよ。だけど、まだ佐藤さんの小説のなかでやりたいものがある。やらなきゃいけないものがある。2020年は、クランクインできるように頑張りますよ」。
執筆者紹介
大塚史貴 (おおつか・ふみたか)
映画.com副編集長。1976年生まれ、神奈川県出身。出版社やハリウッドのエンタメ業界紙の日本版「Variety Japan」を経て、2009年から映画.com編集部に所属。規模の大小を問わず、数多くの邦画作品の撮影現場を取材し、日本映画プロフェッショナル大賞選考委員を務める。
Twitter:@com56362672
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