芥川賞候補者の作品
おそらく原作者は芥川賞でも直木賞でも行けるラインを狙って書いたものと想像する。
この作品 わかるようで非常に難しいように感じるのは、やはり自分をぶっ壊れていると言った「サトシ」という女の存在だろう。
「名前で苦労したけど親のこと悪く言わないで、頭悪いだけだから」
タイトルの意味が次第に解ってくるような作りは非常に面白いが、やはりそこにもまた難しさを感じる。
何故ソフトボールなのか? なぜその大会が必要なのか?
鳥のケージ
自然のままの鳥たちがする求愛ダンス
実家の敷地内に作った離れで暮らすサトシ
垣間見れる確執
サトシが求めている愛情は、おそらく「本当の愛」であるが、何が本当なのかがわからないことが彼女自身を苦しめているのかもしれない。
サトシの中にある、ある種の強い思考は「~ねばならない」というような断定した在り方を求めている、少なくとも動物園で暴れたあたりでは、「求めていた」のだろう。
白岩の「お前はお前のままなんだよ」という言葉によって、サトシは何かに気づいたのだろう。
ただ、彼女が何に血迷っていて、何に気づいたのかというのは、なかなか言葉にできるものではない。
つまりうまく解釈できなかった。
サトシは流し場を使って、鳥が水浴びするように体を洗う。
「これやらないと体が腐るような気がして」
白岩と元妻を見ていた後、同じように激しく水浴びをした。
サトシにとって身体が腐るとはどういう意味なのだろう?
「汚れてしまう」
その汚れの原因は、自身の中にある「本当の愛」ではない「汚れ歪んだ感情」なのではないだろうか?
自分自身を保っていたサトシだったが、白岩とのSEXの後、突然切れたようになった。
彼女にとって我慢できなかった「指輪」
サトシが求めていた愛とは、おそらく純愛という言葉が持つ意味のようなことだが、当然過去など気にならず、しかし今指輪をしているにもかかわらず他人とする行為とそうさせた自分に対する怒りだろうか?
この癇癪のような感情
対照的なのが白岩の心
彼は妻をおかしくさせた。
その原因は明確ではない。
でも妻が会いに来て、もうすっかり良くなっていて、「これからは連絡を取り合いましょう。写真を送るわ」と言った言葉に泣いた。
妻も娘も健康を取り戻したことと、自分自身の慚愧の念というのか贖罪というのか、そんなものができたような気がしたからだろう。
サトシが、そこに見てしまった「純愛」
サトシは愛情というものをうまく捉えきれずに大人になった女性だろう。
純愛を見て「汚れ」を感じたのだろう。
それこそ自分自身の内面を見たことで起きたこと。
それが動物園の動物を逃がしてしまう行為に出た。
フェンスの中に閉じ込められていたのは動物ではなく、彼女自身だった。
それを、そのいままでそう思って生きてきた考えを変えたくない。
その反動がでるとき、彼女の癇癪が始まる。
森
彼は「できない」ことで周囲から白い目で見られる存在
しかし彼は突然暴走した。
彼は、日ごろ感じる周囲の冷たさの蓄積によって「壊れた」のだろう。
誰もが無頓着、無関心、無意味、無感情でする冷たい行為によって、人は壊れるのだろう。
函館職業訓練校
そこに集まった年齢の違う人々
それぞれの事情
それぞれの日常
いたって普通であり、その普通の中にある冷たさ
普通だと思っている自分自身は、その中にある小さな異常さを持ち合わせている。
この小さな異常さが人を壊すのだろう。
他者によって壊された森
自分自身によって壊れたサトシ
しかし、
「お前はお前なんだよ」
という言葉の奥にある「そのままの自分でいい」というニュアンス
私が感じたのは、作者が言いたかったことのこのほんの一部分だった。
でもなかなか見ごたえのある作品だった。