犬童一心監督「映画監督になるつもりはなかった」 さぬき映画祭の深夜企画で告白
2018年2月12日 14:00
[映画.com ニュース] 「さぬき映画祭2018」の企画「さぬき犬童一心監督映画祭」が2月11日深夜、香川・高松の居酒屋「いけす道楽」で行われ、「ジョゼと虎と魚たち」「のぼうの城」などで知られる犬童監督が「映画監督になるまで」をテーマに語った。
「そもそも映画監督になるつもりもなく、なれるわけもないと思っていた」と犬童監督。中学から名画座通いを始め、高1の時に自主映画を撮ることを決意。原将人監督の評論集「見たい映画のことだけを」と黒沢清監督の自主映画「SCHOOL DAYS」に感化され、キャンディーズの解散を背景に、どんな映画を撮ったらいいのか分からない高校生を描いた「気分を変えて?」が1979年のぴあフィルムフェスティバルで入選。黒沢監督、手塚眞監督らと親交を深めるきっかけになった。
東京造形大学卒業後は広告制作会社に就職。「助監督募集もゼロだったし、映画監督になろうとも思わず、普通に考えて、就職した。このまま管理職くらいにはなれるだろうと思っていた」と話した。会社では多忙な日々が続き、大好きなロベール・ブレッソン監督の新作「ラルジャン」を見逃すほど映画から離れた生活を送ったという。
菓子や玩具のCMを多数作る中、アニメに興味を持った。後に「頭山」(2002)がアカデミー賞短編アニメ部門にノミネートされたアニメ映像作家で大学の後輩でもある山村浩二監督を誘って、実写とアニメを融合させた短編「金魚の一生」を2年がかりで完成。手塚監督の勧めでドイツの舞踏家ピナ・バウシュの公演に行った際に、「キリンコンテンポラリーアワード」の存在を知り応募。93年度の最優秀作品賞を受賞し、次作の製作援助を受けたことから、女性漫才コンビ・トゥナイトを主演に迎えた「二人が喋ってる。」(95)を監督した。
「この時も監督になりたいとは思わなかった。映画は大阪で上映されたが、東京では機会がなかったので、知人向けに試写をやったら、『トキワ荘の青春』の脚本の鈴木秀幸さんが気に入ってくれた。ビデオテープを渡したら、市川準監督が気に入ってくれた。市川さんは『キネマ旬報』の試写室欄で絶賛の評を書いてくれ、日本映画監督協会の新人賞、サンダンスフィルム・フェスティバルin東京のグランプリを受賞することになった。市川監督からは『大阪物語』の脚本を書いてほしい、と言われ、やがて、『金髪の草原』を撮ることになった」と明かした。
映画監督になれたのは、「真面目に作品を作ったことはあるけども、偶然の要素も8割くらいあったかもしれない」と語り、ヒットメーカーになった今でも、「職業欄には映画監督と書けない。会社員と書いています」と話していた。