百花のレビュー・感想・評価
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記憶がなくなっていくのは、なくなってしまえばある意味幸せかもしれない
認知症が進む母と対峙する息子の話を、自分に置き換えて興味深く見られました。
”親孝行したいときには親はなし”という言葉があるように、記憶がなくなっても生きている限り親孝行はできるものです。
親というのは一時期煩わしかったりしたものですが、自分が親になると親の苦労がわかります。
親も人の子、一人の女性として色んな過去があって然るべきだと理解できるようになる。
息子としては、過去の記憶と事実がわかっていく中で、母を許す気持ちに変化していくのだろう。
見られたくないもの”日記”は私も同感でした。
ただ、認知症が進むと、そんなことはちっぽけなことだと、開き直れるんだろうな~
百花というより百面相と云うべき鬼気迫る原田美枝子の名演。流石の菅田将暉も添え物の感有り。
①舌足らずな部分を想像力で補わなくてはならないので映画としてはまだ未熟だなと思う。「半分の花火」というキーワードの本当の意味がわかるラストも感動が盛り上がらない。②記憶を無くしつつある人が最後まで記憶に残っていたものを、昔の記憶に縛られている人が忘れていたという皮肉。そしてその“もの”が母子の絆を象徴するものであったのに、母が記憶を全く失ってから息子が思い出すという残酷さ。でもそれが人生というものなのかも知れない。③というのは観終わってからあれこれ考えて監督(原作者)はそういう事を言いたかったのだろうと想像(解釈)したまでで、前半の原田美枝子が認知症の症状が出てくるところ(同じことを何度も繰り返す、昔の愛人の幻を見る等)はなかなか上手いと思ったが、後は映画としては表面的な描写に終始した上にやや綺麗事に流れてしまった。認知症が発症するまではリアルさがあったのに、発症してからの描写が喰い足りない。泉が認知症の母の面倒を見る大変さの描写も殆ど無いうえ、24時間ヘルパー(?)を直ぐ雇えたり(というか雇って楽できている?)、海辺の認知症ホームに入れることが出来たり、これから親が認知症になるかもしれない現実に向き合わなければならない者としては、“現実はそんなに甘くないよ、ダブルインカムとはいえあの仕事ってそんなに儲かるの?”、と現実に戻されてしまった。④子供を置いてまで愛人に走った女がまた母親に戻った背景として阪神淡路大震災を持ってきたのは構わないと思う。相手の男は震災で死んだのかもしれないし、死ぬかもしれない目に遭って自分が本当に大切に思っているのが息子だとやっと分かった、という流れも悪くない(息子の名を叫び続ける原田美枝子の演技は確かに素晴らしい)。ただ、地震のあとあんな軽装で瓦礫の街を歩いたり誰もいないのは小説ならヒロイン一人の心象風景として描く分には問題ないが、映画は思いっきり抽象的に描くか或いは具体的な描写を背景にヒロインの行動を描くべきで、中途半端な描写は却って白けてしまう。⑤そんななか、女の部分をさらけ出している若い頃の姿(どうやってシワ隠したのだろう?)も含め演出の足りないところを想像力を喚起させて穴埋めする原田美枝子の演技は素晴らしいと思う(し、映画が成功していないので勿体ないとも思う)。ラスト、どうやってホームから連れてきたのか此れまた?の描写だが完全に呆けてしまった原田美枝子の表情演技は『アリスのままで』のラストのジュリアン・ムーアの演技に勝るとも劣らないと思う。⑥菅田将暉は演技的にはいうことはないが、もうすぐ30台だからか少し顔にオッサンが入ってきているなァ。⑦永瀬正敏はどの映画でも上手いが、ここでも母親が息子を捨ててまで追っかけていった男を、さもあらん、という雰囲気を醸し出している好演。
記憶を失っていく生の中で"忘れられない記憶"と"忘れたくない記憶"こそがその人を形作る... 新たな命を迎える青年が老境の母の生と性に向き合う
菅田将暉さん、原田美枝子さん、そして長澤まさみさんというスターキャストを擁して繰り広げられる親子の愛憎劇・・・原作小説も手掛けられている川村元気監督の長編映画初監督作品です。
プロデューサーや絵本作家としても活躍されているだけあって、登場人物とテーマを極限まで集約した観客に深く染み入り易い構成を取りつつも、過去と現在が瞬時に入れ替わる幻惑的で人を食ったような演出に作家としての自我や初期衝動も注ぎ込み、全体として話題性の高さのみに終わらないエネルギーを孕んだ作品に仕上がっていたように思います。
特に出色なのは、他の映画であれば若い頃の演技は年の若い別の女優さんに演じてもらうこともごく普通でしょうが、本作では泉を置いて恋人と神戸で一年間を過ごした若き愛の日々も原田美枝子さんが演じられています。
その媚態も厭わぬ変わらぬ美しさもまずもって凄いですが、一連の時間を彼女が演じたことによって、百合子という一人の女性の生涯がより強烈に意識されるようになったと思います。
人生は残酷だ
まず、全体的に過去と現在を行ったり来たりするので混乱するかもしれない。
認知症という病は残酷であると知らしめられる。
私は介護士をしているが、施設介護でしかその人が見えにくいが、家族介護となるとより残酷で難しいことがみえた。
最後まで見て半分の花火の意味を知った時映画全体のストーリーが見える。夏の終わりに良い映画だと思った
双方の視点
母親として、女として経験して老年期。病気と老いの切実さ。
身につまされました。
子の立場からも、病気に侵された親の姿を見て
幼少期に受けた寂しさ〜今なら育児放棄ですよ!!
でも、貴方を看取るのは私とわかって行動している姿
主役のお二人の力量だから、できた作品と思います。
最初のとこから母親が??と子は、わかっていたのかな?
もう少しそこらへん掘り下げて欲しかった
つかみどころがない
映画を観た人の心に残すものとして何を伝えたいのかがよく分からなかった。過去に一度捨てられた子どもの心の奥底に母を憎んでいる感情が残っているところまでは分かる。でもなぜ母が息子を捨ててまで男と逃げたのか?それほど自由奔放な人間だったのかが中途半端でよく分からなかった。もう少し母側の心の奥底に潜む心情を表すシーンがあっても良かったんじゃないだろうか。
結局誰にフォーカスを当てた作品なのだろうか
若くして認知症を患う母と触れ合いながら過去の記憶を辿る息子の物語なのだが、観ていても母(原田美枝子)の息子(菅田将暉)への懺悔か悔恨なのか息子(菅田将暉)の母への恨み節なのかはたまた自分自身が忘れてしまっていた母との記憶、その思念への詫びなのか、どうにも大きな幹が見つけられないまま上映時間が終了してしまった。
過去の母から受けた仕打ちなのだろうか、息子の母に対する接し方はぎこちなく淡泊を通り越して無関心なようにも映り、母は母で、その当時のことを引きずっている風でもないように感じられ、そうすると終盤で母が謝るのはまだしも、何故息子が謝るのかが今一つ共感できないままだった。
できればもう少し長尺になっても良いから母が何故いつも黄色い服(そして一輪挿しの色も)なのか、自分の幼少期の記憶を生まれ来る子供に対してどう変換して行くのか、妻(長澤まさみ)とどう向き合おうとするのかを見せてくれたら入り込めたかもしれないと、やや残念に感じた。
それにしても最近のドラマには国内外を問わず嘔吐シーンを多用するのでしょう?嘔吐する原因も明確では無かったような気がするんだよなぁ。
原田と菅田の、迫真の演技が心を離れません。
次々にヒット作を生み出している映画プロデューサー、脚本家の川村元気が、実体験を基に書いた小説を原作に、初めて長編映画を監督しました。認知症を患った母親とその息子、それぞれの物語を交互に描いていきます。
レコード会社に勤める葛西泉 (菅田将暉)とピアノ教室を営む母・百合子(原田美枝子)は、過去のある「事件」を機に、互いにわだかまりを抱えたまま暮らしていました。 そんな中、百合子が認知症を発症。日に日に記憶を失っていく一方、泉は母親との思い出をよみがえらせていくのです。
物語は、泉が母の日記を通じ、「事件」の真相を初めて知ることで大きく動き出します。百合子が繰り返しつぶやく、「半分の花火が見たい」という言葉の真意を、泉と一緒に観客に探らせながら。
ワンシーンワンカットは序盤はやや無理が目立ちました。なによりも展開が遅く感じられて、認知症を扱った映画をより重く感じさせたのです。ただ終盤に向かうほど結実。いわゆる“認知症の映画”という枠からもいい意味で逸脱し、一人の女性の生々しい生の瞬間と喪失のはかなさに迫っていきます。
母の胸にずっと生き続けてきた目に見えないものを映し撮ろうと真正面から挑み、これまでにない女性映画となりました。
また母への葛藤が和らいでいく泉の心の動きや、記憶を失いながらも息子への愛を貫く百合子の切実さに触れ、親子とは何かを考えさせられました。母と息子の何気ない日常や夫婦の会話からふとした思い出がよみがえり、しまい込んでいた記憶を取り戻したような感覚を味わえることでしょう。それにしても記憶を失う母と、母に向き合うことでかつての記憶を取り戻していく息子の何と皮肉な取り合わせなんでしょうか。
実家の机に置かれた一輪の黄色い花、親子で一緒にビスケットを食べた思い出など、伏線めいた、過去の記憶に関わる場面の差し込み方が巧みです。2人の心境の変化がよく感じとれた上、ラストの感動が増幅されました。
極めつきは、泉のことが判別できなくなり、少女のように駄々をこねる百合子に、泉が「なんで忘れてんだよ、こっちは忘れられないんだよ」と叫ぶシーン。原田と菅田の、迫真の演技が心を離れません。
菅田将暉と原田美枝子が親子役で主演を務めたヒューマンドラマ。 出産...
菅田将暉と原田美枝子が親子役で主演を務めたヒューマンドラマ。
出産を控える泉の妻を☆長澤まさみ☆、事件と深い関わりを持つ男を永瀬正敏が演じる。
う〜ん
若い人の人気の俳優さんみたいですがどこか鼻につくと言うか違和感を覚える演技でした。
多才を売りにされているようですが何を芯に置くかで演技も変わってくると思いますが多才=器用貧乏のイメージです。
どっちつかずの仕事は見てて気持ち悪いです。
ストーリーは良く、演者で映画の良し悪しが変わるという事を改めて思い知らされました。
認知症を絵空事で文学的に幻想的に描いたら、こんな感じといった印象。...
認知症を絵空事で文学的に幻想的に描いたら、こんな感じといった印象。現実はこんなやわではない。悲しい事件がところどころに起きている。でも、これを母は私のことを決して忘れないよう祈りながら泣きながら見ていた。
ただ‼️ただ‼️菅田将暉に泣かされた‼️❓ただ‼️それだけ‼️❓
申し訳ないけど、脚本はとてもお粗末です。
何を伝えたいのか、伝えるものがあるのか。
震災を使いながら、それへの、被害者への畏敬の念もない。
あれですよ、琵琶湖の花火は綺麗ですよ。
シングルマザーですか、シングルマザーへのリスペクトもない。
ナイナイ尽くしです。
アルツハイマーに対する問題意識も希薄です。
でもね、この映画が成り立つのは、菅田将暉それだけです。
セリフを吐くのでは無く、その人として今話している、そのものとして、こんな感じがするのは、そう、高倉健以来でしょうか、彼は既にその域に到達しているのです。
長澤まさみも永瀬正敏も少しだけです。
ただ、今世紀最高の役者、菅田将暉の演技を観るためだけに、是非。
ビジュアルに頼りすぎでは?骨細なニュアンス作品
色々と不思議なところ違和感とがありました
期待を全く超えてこなかった感は否めない。嫌な予感はしたのですが
軸となる人物がいるようで居なくて作品に没入し難い。脚本頑張れ
現実と幻覚と記憶を行き来して、中盤の日記の中で答え合わせしてくる。記憶の中で母と息子が軸となればもう少し読み取れたが、第三者の比重が大きいと混乱してしまいます。KOEと関連付けようとする意図もわかるが、導入が唐突すぎて、また混乱。脚本見直す人いなかったのでしょうか
結論。
どこに重点を置いてみるかでかなり意見が分かれる作品だと思いました。認知症の母の視点、息子の記憶と現実、昔の母の記憶、母の不倫から別れまで、息子への愛情、記憶の話、など。
現在のシーンはほとんどが良く、冒頭からワンカット(撮影と編集は上手い)繋ぎで不思議な感覚に陥り、期待が高まる。一輪挿しとピアノがキーになりますの提示。
回想シーン、過去の部分はかなり気味が悪い
見ていて本当にきついです。とにかくCGのクオリティーどうなってるのですか?日本映画の予算の問題ですか?光の使い方、顔の修正、肌の質感、空の色、アングル
KOEのビジュアルくらい違和感、わざと?
全体的に良し悪しの差が出過ぎているし、バランスが悪いのかもしれません。
俳優さんの演出、演技、監督が引き出せてない気がしました。
菅田くん大変だったろうなー
鑑賞後、率直な感想は、体感的に2時間30分。
なぜだ?とてもとても長く感じました。能動的に見ていたつもりでしたがある部分からかなり気が散ります。神戸でのCG満載のシーンからです、はい。
記憶に残ったところ
半分の花火が見たいと言った母と別れ帰りのバスの車中で妊娠がわかった時の心境を吐露したところ。誰しもが勝手でまず自分のことを考える、人にはそんな部分があって当然だと
幼少期の様子がフラッシュバックでしか描かれないところ。
ピアノの音によって様々な意識がつながるところ
半分の花火。秘めた部分、想像を掻き立てるくらいが、全部見えない方が美しいという記憶に残る 人間も同じ
釣りと誕生日の黄色い花、ピアノを隣で弾く記憶
これらが、母が出ていった前なのか後なのかがわからなすぎる
時間軸が雑
男を追って出ていった母親。その感情によって寂しい思いを強いられてきた事実。異様なまでに母からのスキンシップを嫌う、女性への不信感を含む深い溝
人間は忘れる生き物であり、それくらいがちょうど良いのかもしれない。けど、忘れていたはずの記憶がふとしたきっかけで突然蘇ったり、忘れたいことは頭から離れなかったり、美化して覚えていることも、、
ワンカットで撮影された映像の編集技術がすごかった。こちらが迷子になっていく感覚をも味わえた。黄色い花 一輪挿し
施設でのピアノ演奏、アップの表情
母が出ていった、知らない間の記憶を回想するシーンが、見つけたノートを読んでの息子の頭の中だからなのか、CG感、トーンがどうしても違和感で全く頭に入ってこなかった。語りで見せてもよかったのでは?今や認知症になった母にはあの頃の心境、状況など直接聞くことなどできないのだからしょうがないのか?地震のシーンは必要だったのだろうか?何か後半に繋がってくるとよかったのかなと思いました。CG部分の大半は母の記憶の中であり息子の想像でもある。ぬめり感、幸せでもあり悲しい記憶でもある時間をある意味違和感を与えて作られていたのだろうか。
ほかは、現実シーンのカメラワーク、撮影、質感とても好みでした。音もいいですね。
川村さんが関わる他の作品にも言えることですが人物描写が薄い。感情移入する人は1人としていなかった。かなり冷静に作品から引いて鑑賞してしまったという現実。
今のところさっと書き出しまとめると以上です。
適材適所って、あると思うのです。
東宝さんどんまい。
全体を通して浅い
多くを語らず映像と背景や叙述で表現しようという事なんでしょうけど、それぞれの心情描写が浅く劇的なエピソードにも欠けるので、それで?それから?だから?と問いかけたくなってしまう作品でした。
私的には合わない作品だったようです。アクターは好みなので残念です。
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邦画界を牽引する東宝Pのアート作品
東宝で大ヒットを連発している
川村元気プロデューサーが監督した作品は
意外にも?キャスティング以外は
商業臭が全くしませんでした。
力のある主演二人の芝居に加え
カットを割らない手法や
照明を感じさせない画作りに引き込まれるも
肝心の脚本にそこまで共感できず。
敢えて本作を邦画界を牽引する
東宝のプロデューサーが監督する真意は?
自分には解りませんが、
自分も含め解りやすい娯楽に慣れ
想像力や思考力が激しく衰え続ける中
この不親切さは、ある意味
観客を信じているとも感じました。
語り過ぎない本作には勝手に想像する余白が
多く残されているとも言えます。
(脳にタンパク質が溜まる等の
医学的な事実は一旦置いときますが)
例えば、原田美枝子演じる百合子の
若年性アルツハイマーの原因は
自分が犯してしまった息子への罪の意識から
自ら記憶に蓋をする為では…等。
そんな勝手な想像もさせてくれる懐の深さを
本作には感じました。
全ての人間が正しく生きられる訳ではないし
人にはどうしても忘れたい過去もあります。
都合の良過ぎる劇的なラストは
用意されていませんが
自分の記憶のように泉の記憶が
劇場を後にした今も脳裏に焼き付いています。
実際に介護に入ったら違うのでしょうが
どれだけショックか想像でしかないから?この母子の関係性が薄いから?感情移入してお涙までは無かったです。ただ何だか切ないですね。
原田美枝子さんが過去現在と頑張ってらした😄
半分の花火
母親の生き方(息子を一度捨てた)に嫌悪感を持ってしまいあまり感動できませんでした。
苦しみながらも献身的に母親の面倒をみる泉が切なかったです。
タイトル「百花」より「半分の花火」のほうがよくないですか?
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