百花のレビュー・感想・評価
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菅田将暉と原田美枝子の歩調の合わせ方、繊細な掬い取り方に感嘆
数多くのヒット作、話題作をプロデュースしてきた川村元気の長編初監督作。
1シーン1カットという撮影手法を採用した理由などは、
ぜひ本サイトのインタビュー記事などをご覧ください。
ここでは、川村監督の意図、狙いに応えようとした俳優部の奮闘に焦点を当てようと思います。
川村監督と歩調を合わせながら、脚本の行間から滲み出てくるものを掬い取ろうと
繊細に、繊細に親子を演じた菅田将暉と原田美枝子のパフォーマンスは素晴らしいものがあります。
また、泉(菅田)の妻に扮した香織(長澤まさみ)のひと言に胸を射抜かれたのは、筆者だけでないはず。また、泉と香織が母・百合子を施設に預け、バスで帰るシーンでは川村監督ですら予期していなかった奇跡的な光景を確認することができます。ぜひ、皆さんも確認してみてください。
え、これいい話なの?どこが?
小学生の小さい息子おいて、シングルマザーが男と1年も駆け落ちして、戻っては来たとしても息子が許せないのは当然だろ。相手の男も家庭があるのに転勤中に不倫相手連れ込んでるクズだし。むしろ地震が無かったら正気に返らずずっと男の元にいたのか?こんな母親に認知層だろうが献身的に尽くす必要なくない?大人になって縁切られないだけありがたいと思う。百回謝ったからと言って許してもらえると思うな。
妻の香織もなぜか義母に同情的だし、逃げ出したくなることもあるかもしれない、とか妊婦が言うなよ。親になるんだから腹くくれよ。育てる覚悟がないなら避妊しろ。脳みそ下半身なのか。認知症の生徒はいえ、情人だと思い込んで息子に抱きつく母が生理的に気持ち悪い。
自分の親がそんなことしたら施設に入れて二度と会いに来ない。いや、大人になった時点で縁を切るよ。認知症で行方不明になっても知るか。
一度息子を捨てておきながら、記憶をなくしても繋がっている親子の絆~みたいに描いているのがゲロクソ気持ち悪い映画でしたね。役者さんには罪はないのでその分の★です。
恐ろしい
親子の絆?
シングルマザーと息子が二人で仲良く暮らしていた。
息子泉が小学3,4年の頃、母は好きな男ができた。男は仕事の都合で神戸に行くことになる。
母は、男のことが好きでたまらなく後を追い神戸で新居を構える、
楽しく暮らしていたが、震災で周辺が壊れ、
男が居なくなってやっと我に返った母はようやく息子泉を思い出し、ほって来たことを悔やみ、多分家に帰る。
男はどうなったか、震災の犠牲になったか、わからない。
幾歳月過ぎて息子は結婚してもうすぐ子供が産まれる予定。
母は、ピアノ教室を開いているが。
実家に戻ると母と話が噛み合わない。
認知症の傾向がある。
義理で正月に帰っても妻からの電話を仕事と偽り早々に帰宅する面もあるし、
とぼけたことを言う母にボロクソ言うが、
幼い頃の母との楽しい思い出がよぎり、
大事にしてもらっていた幸せな自分を思い出し
母を切なく思いもする。
認知症が進み施設に入ることになり、
時折見舞う泉夫婦。
母がすっかりわからなくなった為家を片付け処分しかける。
そうこうしているうちに、団地の向こうに
見える半分建物に隠れて見える花火。
泉はやっと気づく。
母が見たいと言ってた"半分の花火"はこれだったんだ、と。
母の言わんとすることを理解していなかったのは自分だと。
この母、若い頃から認知症だったのでしょうか。
小学生の息子をたった一人おいて家出、とは考えにくい。年を経ると共にキツくなって来た。
息子泉は、病気と思っているのか、ただただ捨てられたと思っているのか。
空き巣の狙っていたモノと同じく母と泉の大切な思い出は、母がいくら忘れてしまっても泉は忘れることはできない。
ま、泉くん、お母さんがご存命のうちにしっかり親孝行してあげてください。後悔しないよう。
煮詰める難しさ
人間関係 特に切っても切れない親子関係
多くの人が多少なりとも親子関係に確執を持っている。
この物語は、その確執に認知症を掛け合わせた作品
小学生の時に突然姿を消した母
約1年 主人公のイズミはそのことが忘れられない。
基本的に好きな母だったが、その事がいつもどんなときも付きまとってくる。
イズミは大人になって結婚した。
おそらく彼は母に、単に報告だけしたのだろう。
それでも定期的に母に会いに行くようにしていた。
ある日、
1輪の花を絶やすことのなかった母が、枯れた花をしばらく経ったままにしているのを見る。母の所在が不明でスマホも置きっぱなし。急いで母を探す。
雨上がりの公園のブランコに乗る母
イズミはすぐに母の異変に気付いた。
しかし彼は、何もしなかった。
おそらくその年の暮れ、
年末31日に単独で帰省、母の誕生日の1月1日 1輪の黄色い花 いつものプレゼントを用意したが、どうしても自宅にいるのが我慢できなくなる。いろんな思いが襲ってくる。
仕事だと偽って家を出た。
さて、
この作品も象徴的で難しい。
イズミの仕事 声を記憶するAI 人間らしさを追求したが、メタデータを記憶した「モノ」を、人間チックに描かれたアニメーションで表現しても、そこに人間らしさは感じられない。
同僚が言う。「忘れる機能があれば人間らしくなるのかな?」
空き巣
アルバムや記念品だけを狙う空き巣。
「想い出を盗まれる」
母を施設にいれ、実家の中を整理し始める。
母も自分が認知症だと認識しており、本が何冊か出てきた。
その中に挟まっていたメモ 忘れないようにと書いたメモに認知症を実感するイズミ。
思わず流れ出す涙。
しかし、
ベッドの下に置かれた缶ケースの中に大事そうに仕舞ってある手帳を見て嘔吐した。
1994年
母が、イズミを捨てた年
母の大切なもの
失いたくない記憶のトップ 「彼」との出来事がつづられた手帳
母の友人めぐみ
彼女は不倫を告白する。
「一番盗まれて困るのは日記」
「誰にも言えないことを書いているから」
それを聞いた百合子は、イズミを置き去りにして自宅を飛び出したことを思い出す。
さて、
母百合子が最後までこだわっていたのが「半分の花火」
それを見に連れて行ったが、花火が終わった途端「半分の花火が見たい」と騒ぎ出す。
やがて「あなた誰?」
そんな中でも「半分の花火が見たい」という始末。
確執は、思い出を歪化するのだろうか?
イズミの母との思い出は、あの時以来歪化によって多少変更されたのだろう。
母の記憶との相違は、当然母が間違っていると思われるが、実際記憶を変更させていたのはイズミの方だった。
イズミは自宅から「半分の花火」を見る。
母はもうその花火にさえ目が向かなくなっていた。
母の言った「半分の花火」が何だったのかを「思い出した」イズミは、自分が時折回想していた釣りなどの記憶が歪に書き換えられていたことに気づく。
母にとっての最後の記憶は、二人で過ごした幸せの時に見た花火だったのだろう。
手帳の記憶は大切なものに違いはないが、疾うの昔の記憶でしかなかったのだろう。
スーパーで万引きとなったときを最後に、忘れ去られた記憶。
同時に、そしておそらく「忘れていたのは俺の方だった」と思ったに違いない。
最後にホームでのピアノを弾くシーンがある。
母は見事に弾き切った。
ピアノは彼女そのものだったのだろう。
この作品は、母の認知症と確執を抱えたイズミの葛藤を描いている。
イズミという人物はごく一般的でデフォルメされていない。
過去に向き合い、許す。
それは理解できるが、省かれている箇所が多く、視聴者の想像と同情を一緒にしてしまっているように感じてしまう。
記憶がテーマだと思うが、イズミが彼の記憶を歪化する要因が母にあることは理解できるが、歪化がなぜ起きるのかを描いていない。
母百合子がアサバに「寂しい」と言って抱き付くシーンがあるが、当然女としての寂しさ孤独は理解できるが、息子を捨てるほどのものが一体何だったのかが描かれていない。
この2つはこの作品の重要な部分だと思う。
そこだけが惜しかった。
☆☆☆★★★(ちょい甘) 但し、中盤である災害が起こり。原田美枝子...
☆☆☆★★★(ちょい甘)
但し、中盤である災害が起こり。原田美枝子が「はっ?」と我に返った直後のクローズアップには☆☆☆☆★を進呈したい。
原作読了済み。
原作を読んでいたからこそ、率直に言って、、、
「アレ?悪くない」…と。
小説家にして。そして何よりも、今では東宝には欠かせない企画・プロデューサーとしての地位を獲得した川村元気。
そんな川村元気の初監督作品は、自らの原作を題材にした母と息子の話。
話は実に単純だ。
父親亡き後、母と息子の2人暮らし。
ある時、母親は。〝 女 〟として生きたい願望が強くなり、息子を捨ててしまった時期が有った。
その時の悔恨が、母親には一生の【重荷】としてのしかかっている。
一方で、息子の方は。表向きでは〝 母親の犯した過去の罪 〟に対して、ある程度の理解はしているものの。〝 絶えず心の中で燻り続けていた想い 〟が有った。
正直に言って、原作を読みながらそれ程の面白さは感じなかった。
どことなく薄っぺらさが感じられ。その映像化には懸念すら感じていたのが本音。
それだけに、「おお!」頑張ってるなあ〜…と。
ただ、そのテンポであり。それ程には深みがない…と思われる題材。1つ1つのカメラワークやアングル、俳優陣の目線や仕草等。
いわゆる、作品を観る観客側1人1人には(作品に漂っている空気感であり、こまやかな感情表現に関する)多くの理解度が必要で。その辺りが理解出来ない人には、「これは一体、何をやっているんだろう?」、、、と、混乱してしまうかもしれない。
そう言ってしまうと、小難しい内容なのか?と思われてしまうのだが。全く心配する必要はなく、分かりやすいくらいに分かりやすい。
原作を読んだ時とは真逆で。まさに、懇切丁寧な演出・編集となっていた。
寧ろ、その分かりやすさは。大いなる物足りなさにすら通じてしまうかも知れない…とも。
撮影はなかなか良い。
こまやかなカメラワークこそが、この作品の肝と言えるのかも知れない。
対象となる人物が動き、カメラは暫くその人物を追いかける。
横顔であり背中等を映しながら、やがて周囲を(雨や暗い照明の当て方等で)ぼかす事で、一気に過去へと場面転換を起こす。
そんな場面が幾つか有る事からの目新しさは、「おい!おい!狙ってるなあ〜!」…と言った。ある種のやっかみであり、チャチャ等を入れたくなってしまうのも事実で。この作り方が、今の若い人達にどう受け入れられるのだろうか?と言った疑問符は湧いて来る。
これがもしも。アンゲロプロスの様に、カメラはゆっくりとパンし始め。時間をかけては360°回転し、30〜40年前の過去へと一気に遡って行く演出だったのなら、果たしてどう受け止められるのだろう?
(余計に若い人達の地雷を踏んじゃうのかな?)
作品自体は、原作の枝葉を多少削ぎ落とし。自らの過去の行為に対して《赦しを得たい母親》と。自らを押さえ込みながら。《赦してあげなければいけない感情のほとばしり》に苦悩する息子の話に集約させた作り。
原作に於ける新人歌手の部分を、AIによるボーカロイドにして中身を省略していたのは正解だったと思う。
そんな中でも、意外な面白さを感じたのは《思い出》を盗む泥棒の話。
原作だけだとそれ程の面白味を感じなかったのですが。母親が〝 決して息子には知られたくなかった 。ある人との【思い出】
それを「盗まれるんじゃないだろか?」…と怯える日々。
その後に起こる災害、、、そして気が付く。
「わ、、、た、、、し、、、何やってるんだろう?」との思い。
その瞬間、原田美枝子は過去から一気に飛び移る現在のクローズアップ。
この場面こそが、この作品に於ける白眉の瞬間でした。
個人的にはこの一瞬のクローズアップが見れただけで入場料分の価値はあったかな?…とすら。
そんな原田美枝子のクローズアップは、最後に【半分の花火】の理由が判明する場面にも有り。こちらも作品の締めくくりとしてまあまあ良かったと思っています。
…とは言え。とは言えなのですが。観て貰うと分かるのですが。同じ場所・状況・そして同じ台詞等。
過去と現在を微妙にシンクロさせる辺りは、原作を読んだ時には意識していなかっただけに。予想外の面白味を感じながらの鑑賞だったのですが。だからと言って、猛烈な面白さを感じたか…とまでは言えなかったかなあ〜と。
佳作だとは思ってはいますが💧
2022年 9月9日 TOHOシネマズ錦糸町楽天地/スクリーン12
認知症と息子
認知症になった母と息子との物語です。
母には息子をネグレクトした過去がある。
認知症になった母親は、昔の母の人格ではない。
認知症になってしまったから、
息子も母親と真正面から交流を持てたと思う。
認知症は悲しく、切なく、家族は過去を思い出して色々思います。
自分自身と重なり合う部分がある映画でした。
菅田将暉くんにとってはキャリア的に残念な映画だったんじゃないかぁと...
原田美枝子の凄さよ
だけど私は後悔してない
いつかは訪れる老いを考える
新海作品の『君の名は』でも製作に携わり、脚本家・小説家としても様々な作品を手掛けてきた川村元気の同名小説の映画化。先日、原作を読んだのをきっかけに、配信ビデオで鑑賞。川村元気らしい、心温まるハートフルなストーリー。
人にとって誰もが迎える老い。そして、老いに伴う認知症をモチーフに、次第にこれまでの記憶が忘れ去られていく母と、その母を支える息子との心の葛藤と絆を、切なく、愛おしく描いているヒューマン・ドラマ。
自分の父も、4年前に認知症を患い、最後は肺炎で亡くなった。今また母が、老化が進み介護が少しずつ必要になる中、本作が他人事の世界ではなく、現実味のある話として、胸に込み上げてくるものがあった。人はいつか老いて、死んでいく。そんな自然な摂理の中で、最後に蘇ってくるものはいったい何なのだろう?
シングルマザーとして、息子の泉の成長だけを願って、誰にも頼らずに生きてきた母・百合子。そんな母が認知症となり、日に日にものを忘れていく現実を突き付けられた泉。母の介護をしながら、様々な過去を思い出す中で、実は2人の間には、泉が幼かった時に、1年間の空白の時間が存在していた。その時の母の日記を、部屋の片づけをしていた泉が見つけた。そこには、母が秘密にしてきた、生々しい女としての過去が綴られていた。
そんな過去を知った葛藤の中でも、母へと寄り添おうとする息子を、アカデミー俳優・菅田将暉が演じている。そして、その母を原田美枝子が演じているが、25年以上前の若き頃と現在の2役を演じているが、若かりし頃の姿を知る者としては、あの原田美枝子が甦ったと思うほど、自然な姿が映し出されていた。
過去の苦しくて悲しいシーンも、美しく、楽しいものに変換するは努力は、今ならまだできるのかもしれない。改めて、晩年に差し掛かってきた自分の人生とどう向き合っていくかも合わせて、考えさせられる作品であった。
何なの?
川村監督の私小説、ご本人の思い入れはわかるが観客として観ると映画作りの動機が分からない、暗く重い話を淡々と重ねてゆくだけ、不倫に走った母なんていない訳ではないだろうが映画にしてまで観たい話ではありませんでした。
認知症を絡めたのは社会派ドラマに寄せたかったのかもしれませんね。役者さんは言われるままに演じたのでしょう、よく頑張ったと思います、原田さんはこの映画をきっかけにピアノに目覚めたようですね。このキャストでなかったら途中で投げ出していたでしょう、良い悪いというより私には重く手苦手な話の映画でした。
気になったのは大地震の後、原田さんが海に行く回想シーン、津波が来るかもしれないのに・・。
映像美
音響とか光、ピントの演出、シーン挿入が綺麗すぎて感動した、、
いずみが母さんの部屋で1人、整理してる時の時計の音。
最後の荷造りのシーンも時計の音があって細か…ってなった。
小道具もすごいし、時間の経過を感じさせるメイクも素敵だった。
自分が持っていた大事なものを「忘れ」、
他人の話をまるで「自分のもの」として重ねてしまう
きっと病気じゃなくても有りうる話なんだと思う。
親であっても正しいことをするとは限らない。
災害があっていずみを想い、迷子になったいずみをいつまでも探してしまう、母親として全うしていたのではないかと思う。
愛人の道を選び、後悔していないが謝り続けなければいけないという何とも社会的立場の世知辛さを感じてしまった。
もっと早く見ればよかったと思う作品。
映像で心情がさらに伝わってくる、そんな心情を表現する映像技術がすご...
母と息子
認知症を発症した母親と、結婚してもうすぐ子供が生まれる息子の物語。大晦日に息子の帰りを待っている母。息子を見て思わず抱きつく母親から、さっと離れる息子。晩御飯も途中で奥さんからの電話ですぐ帰ってしまう。せめて一晩泊まってあげればいいのに、、、とおもった。
でもだんだんと話が進むにつれ、母親が過去に息子を1人置き去りにして男と駆け落ちしていた事実がわかる。息子が1人になってしまうことがわかっていて、おいていくなんて、、、酷い母親だ。そんな過去があるのに、たまに会いいく息子、なんて優しいんだ。
老いてどんどん忘れていく母とどう向き合うのか、母が半分の花火が見たいと言うけど、半分の花火がなんのことなのか忘れていたのは息子。息子だって忘れていることはある。
なんか色々と考えさせられる映画。
半分の花火
認知症を発症した母親と息子の心の軌跡。
双方様々な思い出がフラッシュバックする。
母親にとっては美しい思い出も、息子によってはそうでないこともある。
もちろん逆も真である。
本作に魅かれるのは、だらだらと母親と息子の過去のシーンを描いていない点だ。
思い出を一瞬のカットで描いている。一瞬だから、観る側の想像がかきたてられる。
どうぞ勝手に想像してください、という突き放し感がいい。
母親の観点と息子の観点は、どうしたって食い違う。
そこを描いたところで、どうしたらよかったのかなんて答えが出るはずもない。
互いが共感できる思い出にのみ浸ればいい。
半分の花火のシーンには泣けた。
ふたりの思い出が、切々とした共感をまといながら、昇天していくような気がした。
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